2005/12/31

カウントダウン、発表の

10文字しゃべるのに平均3秒掛かったとしよう。
例えば「あなたは私の何なのよ」で10文字。
或は「精神現象学的自己意識」でも10文字。
1分で200字。
30分で6000字。
若し10文字しゃべるのに平均2秒でよかったとしたら、30分で9000字。
6000字~9000字程度。
まあ途中で吃ったり冷や汗をかいたりパニックになったりするので、これの2/3ぐらいかな。
4000字~6000字。
そんなもんやったかなぁ。
確っかりまとめ切るかなぁ。

あれ、でも1時間しゃべらないといけなかったんだっけ?

2005/12/30

バラバラ脳味噌

只管スキャターブレインの、リフばかりを弾く。
レディヘでなくてジェフベックの方の。
以前覚束ない記憶を頼りに雰囲気コピーしたのが、今日何年かぶりに聴き返してみると、結構違っていたので、ちゃんと記憶を修正しておく。
9/8だったのね。何故か1音多く10/8でやってた。
而も正しいのは結構普通の運指でできるようなものなのだが、間違った記憶の方は結構難しくて、訓練になりそうな感じだったので、好んで楽しく(けれど間違った仕方で)弾いてたのでした。


大分前に買った録音出来るMP3プレイヤー、アイディア録音用に一番安いのを買ったのだが、コンパクトだし手軽に録音出来てまあそれは便利なのだが、一寸入力音が大きいとすぐに音割れするし、電話程の音質もなく、もう一寸ちゃんとした音質で録れるやつが欲しくなってきた。
モノラルでいいし、容量もそんなに要らないし、カセット程度の音質もあれば十分なのだが、何か良いのはないかと、買う金もないのに色々調べてみたりしたり。
うーん、iPodなあ、でも勿体無いなあ、等々と。


アマゾン→Jeff Beck "Blow by Blow"
アマゾン→iPod 仕様

2005/12/29

しゃーんなろー

そろそろ何か書き始めないと。
一日中、読むばかり。


どうでもいいことだけど、「しゃーんなろー」は「よっしゃーこんにゃろう」の音便形なんじゃないかと、今更ながら、風呂の中でふと気付く。

2005/12/28

あれかこれか (byキルケゴール)

SONAR4と5のそれぞれのアップデータが出た。
5のアップデータが出れば5に乗り換えようかと思っていたのだが、4のアップデータも出てしまうと、何故か5に乗り換えるのが凄く勿体無く思える。
まあ今は金がないのだからどうしようもないのだけれども、金が入った後どうしようか考えると、太平の眠りを覚ますSONAR4で夜も眠れず。
然し毎年ヴァージョンアップさせた方が一年間隔を開けてヴァージョンアップさせるよりも最新のヴァージョンのを手に入れる際に安くつく(毎年ヴァージョンアップした場合一回に20000円、二年で40000円。隔年だと一回で65000円。)、というケークウォークの術中にまんまと嵌っている私としては、出来るだけ最新のヴァージョンに保っておきたいのだが。
而も今回のSONAR5はなにやらかなり素的っぽいし。
然し20000円、ギタリスト換算で言うと、コンパクトエフェクター1.5台分ぐらいパワー(財布への打撃力)あるし。
因みに65000円なら素的なマルチエフェクター1台分のパワー。
うーん。
使用可能な金銭は、ジャンプコミックスの主人公のパワーみたいに「友情」や「強い思い」の力だけでは増えないので、あれもこれも、という訳にはいかない。


因みにアップグレードの価格はこんな感じです。

サウンドハウス↓
SONAR 5
 

2005/12/27

歯石

漫画、ワンピとナルト。
何だか面白くなってきちゃった。


歯の治療が終わった。
歯石がやたらと硬かったらしく、取るのにえらく時間が掛かった。

2005/12/26

ATOK、オンメモリ辞書

ATOK、オンメモリで辞書を使うのを止めたら、調子が良くなった。
やっぱメモリが不可なかったのか。
因みにATOKの調子が良くなったので、それに伴いスレイプニルも落ちなくなった。

2005/12/25

フジ子ヘミング、冬、アンデルセン

寒くなると、フジ子ヘミングなど聴きたくなる。
フジ子ヘミングは、「トップピアニスト」という感じでは全くないが、それでも、音に強い個性を持っている。
ポコポコいってて、曖昧な感じで。
水滴の水面に落ちるのをスーパースローで見るときの、その水面の形を見ているような、音。
或は暖かい部屋で、耳たぶがほっくりしている音。
或は、一音一音、ぬるい池の中をゆっくり上昇する気泡の、水面で、ポッ、と弾ける音。
何でもアンデルセンに出てきそうな音楽になってしまう。
なので、夏場に聴くのは少々鬱陶しいのだが、冬になって、孤独感が、冬という環境に合致して、丁度心地よくなる頃に、少し聴いてみたくなる。


私の言語の限界が私の世界の限界を意味している。」

2005/12/24

発表原稿など

師走、胃ばかり痛がっている訳にもいかず、書くべきものを書こうとするが、一筆たりとも進まず、参考文献ばかり眺める。

胃、痛くないときは空腹感に似た違和感が続く。

漫画、『さよなら絶望先生』を何回も読む。
何故なら手の届く所にずっと転がりっ放しだから。
何か、パラパラ読んでしまう。

2005/12/23

胃、炭水化物、空腹感

もう喰っても大丈夫。
何度か喉まで来たけど。
喉まで来る度に喉が焼けて痛い。
胃酸は一応分泌されてはいるようだ。
一寸多めに、かも知れないが。

ということで、胃が、未だビミョウな感じ。
自分で腹が減っているのかどうか判別できない。
胃がビミョウなので腹が減ってるのかどうかが判り難い。
然し炭水化物くらいは体にとって必要な気がするので、うどんや金平糖などを主に食す。

2005/12/22

胃液概念

「接吻とはどういう意味ですか」という問いに対して「ああ、それはキスのことで、接吻時の身体動作の特徴は云々」というふうに言葉を用いて答えるのではなく、実際に接吻して見せて言葉での説明を一切付け加えないとすれば、それは「接吻」という概念を説明したことになるのであろうか(因みに実際に接吻して見せている時のどの動作が「接吻」なのかということに関しては説明を受ける人はちゃんと理解していると仮定した上で)、ということを夢の中で考えているところで目が覚める。
朝も早かったし余り睡眠時間も長くなかったのだが、このことや他の嫌な事について考えることを停止できなかったので、再び眠りに入れず、起きることにする。
気分が悪かったので水だけ飲んで、パースの連続性の講義など読みながら時間を潰す。
家を出る時間になって、家を出、電車で引き続きパースを読むが、解り易い講義である筈なのに、途中から文字の意味が解らなくなり、不安になりながら文字を順番に眺め続ける。
水で胃液を薄めながら授業を受け、適当なことなど言って醜態を晒した後帰途に就く。
気分が悪かったが、晒した醜態の所為だろうと考えて、ボーっとパースの講義を翻訳した文字を眺めながら帰る。
帰ってカルビーのポテトチップスうすしおを喰う。
暫くして便器にぐちゃぐちゃになったポテトチップスであろうものと胃液をぶちまける。
勿体無え。が、臭いに閉口する。
水を飲んで、水と苦いものをぶちまける。
流石に痛い。
嘔吐物に赤いものが見当たらなかった分だけ取り敢えず安心する。
風邪をひいたようだ。
明日の用意の残っていたものを適当に済ませて、その後寝ることにする。
寝ゲロで死んでヒーローになれる程ロック界に業績を残していないので、ゲロ袋を用意して寝る。
が、目が覚めて、することもなく、ブログなど書き、再び眠くなるのを待つ。


アマゾン→パース 『連続性の哲学』

2005/12/21

無為

特に何をするでもなく。
レディヘのアムニジアクを聴いて、あーえーなー、等と思いながら、ぼんやり過ごす。
無為。
無為を原因とする不安。
不安からの逃避がうまく行かない。
頭を使いたくない。

2005/12/20

歯、腰

歯の銀の被せものが取れてしまったところ、再び銀を着けて貰った。
然しまだなんだかムズムズする気が・・・。


最近椅子の上で一夜を明かしたり、一日中座っていたりで、腰がじわじわと痛くなってきた。
私は慢性的に肩凝りなのだが、その上腰痛まで持ちたくないので、またそれにお腹も一寸不可ない感じに隆起してきたこともあって、そろそろちゃんと腹筋しなくては、と思いながらしない昨今。


サンレコと絶望先生を買った。
ここ最近のサンレコは私にとって有用な記事というのが少なかったのだが、今月号は読むべきところが多かった。ヘッドフォン特集とか。
絶望先生は、面白いねぇ。
かってに改蔵が読みたくなった。


アマゾン→絶望先生 2
アマゾン→かってに改蔵

2005/12/19

擬似7弦ギター

6弦ギターに7弦用の弦のセットをローBからハイBまで張って、四度下げギターにして遊ぶ。
弦のテンションを上げないとローBの音がぼやけてしまうので、取り敢ず弦高を上げてテンションを稼ぐ。
ディストーションをかけるとかなりヘヴィーな音になり、面白がってヘヴィーリフを刻みまくる。
然し6弦絡みのローポジションでコードを弾くと、音が潰れてしまうので余り汎用性はない。

てゆーか最近ギターばっかり弾いてるような気がする。
もっとやらなくてはならないことがあるというのに。

2005/12/18

テレキャスシンライン

テレキャスシンラインの弦を久しぶりに交換した。
以前はダダリオを使っていたのだが、ハイが少々耳障りだったのでアーニーボールの0.11からのに替えた。

それからナットがすり減っていたので、鉛筆の芯を削った粉とアロンアルファを混ぜたものをナットの溝に流し込んで弦高を調整する。
因みにこのナットの調整法、元々の牛骨ナットそのままよりも耐久性に優れるように思う。
それにチューニングも安定する気が・・・。

アーニーボールに替えたことで大分音が好くなった。それに弾きやすい。
矢張り私はダダリオの音をどうもイマイチ好きになれないようだ。
然しアーニーボールはすぐ錆びる!
やっぱ錆びにくさで選んでエリクサーかDRなんかにしたほうがいいのかな。
でもエリクサーはミッドがスカスカな感じがする。
DRは切ろうとして弾いても切れないくらい丈夫だし音も大体好いんだけど、どうも私の感覚からすると、一寸お高くて。エリクサーよりは安かったと思うけど。

で、レディヘの everything in its right place をオブラディオブラダ風に弾き語りしたり、ジェフベックのスキャターブレインを記憶を頼りに雰囲気コピーしてみたりして遊ぶ。
それから久しぶりにツェッペリンのステアウェイトゥヘブンを弾いたりした。
沢山ギターを弾いた。

今日は一日ゆっくり音楽を聴いて過ごそうと思っていたのだけれど。
音楽を聴くとギターが弾きたくなる。
これは、多分良い傾向なのだろう。
最近、再びロックミュージックをよく聴くようになったので、ギターを弾きたくなるのは多分その所為なのだろう。

2005/12/17

一曲丸々フリー素材な楽曲

このブログ上に公開していた曲、唯公開するだけじゃ余り面白くないので、フリー素材として自由に使えるようにしてみました。丸々使っても、勿論加工して使っても構いません。
但し面倒に巻き込まれるのは御免被りたいので、一応非商用限定。それに商用なら連絡頂ければもっとまともなもの創ります故。
と、まあ、一応そんな感じで。
でも使いたいと思う人居るのかな・・・。

因みにどうでもいいが、最近プロコルハルムの「A Whiter Shade of Pale」(この一曲限定)とコルトレーンのフリージャズの時期のがヘヴィーローテーション。
それからトーキングヘッズのライブDVDが観たい。スッゲー格好良い。

2005/12/16

ピロシキ君、賞を取る

『竹よ』という脚本で賞を取った泉寛介氏を祝って、彼と共に飯など喰い、酒など呑む。
たいへん宜しいことだ。
ようやたようやった。あんたはエエ子や。
彼は私の大学の同じゼミだった友人。
宴だ、さあ君たちも是非祝いたまえ。
因みに私は帰ってからも独りで祝いの酒を呑みました。
従って今は凄く眠い。
兎も角、なんと喜ばしいことか。

因みに彼の劇団のホームページ→baghdad cafe

2005/12/14

Sleipnir、Firefox、ATOK

なんだかスレイプニルの調子がイマイチなんだかどうか能く判らないが、スレイプニルでブログを書くと高い頻度で落ちるので、Firefoxを久しぶりに使う。
version 1.5になって、私には使い易くなった。
私はマウスに5ボタンのトラックボールを使っていて、そのボタンの一つを「閉じる」に割り当てているのだが、スレイプニルやオペラやその他のタブブラウザでは、「閉じる」ボタンでタブが閉じるのだが、以前のFirefoxではFirefox自体が終了してしまっていた。
が、1.5になって、「閉じる」ボタンを押してもちゃんとタブだけが閉じて呉れるようになった。
またCookieとか履歴とかブラウザを閉じる毎に消せるし、JavaやJavaScriptも簡単に有効/無効の切り替えが出来るし、一応ブラウザエンジンも別の物を使っていてIEエンジンへの攻撃は喰らわずに済むそうだし、IEよりはセキュリティ面でまあ優れているんじゃないかと。
別に他のIE以外のブラウザでも同じだけど。
因みにFirefoxは機能の拡張が色々開発されていて充実しているが、別に私はあんまり拡張機能を使っていないので、私には今のところこのことは大したメリットにはなっていないのだが、今後、私により便利に感じさせるような拡張機能ができればそれはメリットになることだろう。

というか私のATOK、最近不安定過ぎ。
このブログを書いている途中に機能停止しやんの。
ということで今はIMEを使っているのだが、勝手が違うのでかなりやり難い。
IMEは軽いが頭が悪いので、ATOKなら一発変換で済むところを、「shift」+「←」or「→」を使ったりして何回もやり直さなくてはならかったりする。大阪弁とか話し言葉の変換とか特に。
ATOK、バージョンアップで動作安定しないかな。

スレイプニルとATOK17

またスレイプニル、ブログ書いてる途中に落ちよゥ。
ということでまたIEを使っております。
或はブログを書くときだけはFirefox使おうかな。
因みにスレイプニルVersion2.20に重大な不具合があったらしく、今日ちゃんとVersion2.21にアップデートしたのだが。まあでもその重大な不具合と私の最近のスレイプニルの不調とは余り関係がないように見えたが。
何が悪いんか。
日本語入力にATOK17を使っているのだが、それがどうも悪さをしているような気がする。
このATOK17、IMEに比べれば便利は便利なのだが、如何せん動作が不安定。
起動にやたら時間がかかるし、高頻度でエラー出すし。
ATOK、動作さえ安定すればかなり好い線いくんだが、その辺は以降のヴァージョンアップで改善されているのか知ら。

2005/12/13

マーラー、ベートーベン、シラー、カント

マーラーは一つの部品で一つの主張をする。
従ってどの部分もそれぞれ各々自身の主張を持っている。
然しベートーベンの場合はそれぞれの部分同士が相補い合って初めて意味のある主張を成す。
一つの部分が他の部分の前提や条件になっている。
楽譜で見るところの部分と部分の「縦の」繋がりも意識しなくてはならない。
逆にブルックナーなんかは縦の繋がりは適当に無視して構わないが、或一定の塊がどう移り行くのかということに十分注意しなくてはならない。
シェーンベルクは全体を無視して事態もっと細切れにして、その細切れ同士の移り行く姿を見なければならない。

マーラーがシラーならベートーベンはカントだ。

なんでこんなこと考えてたんだっけ。
恐らく、私が風呂の中で次のように考えていたことがきっかけになっているのだろう。
つまり、例えば第一交響曲の出だしなど、マーラーが譜面に音符を記入しているとき、自分のイメージがそのような音符の並びになるのは誰から影響を受けてなのかを明確に意識していれば、もっと旋律をぼやかしてしまっていたかもしれない、というように。
マーラーは既存のモチーフをこねくり回す癖がる。
然しそれは、或は意識的にしていたのかも知れない。
マーラーの音楽の解り易いさは、或はその所為かも知れない。

2005/12/12

虫歯

デンタルフロスなどしていると、銀歯が取れた。
そして取れた銀が何処かに消えてしまった。
二時間程探したが、見つけられなかった。
跡地を見ると、そこは虫歯が隠れていた。
何かよくむずむずすると思っていたのだ。
虫歯ってこんなに黒いもんなのか、という程、虫歯の部分が黒かった。
いつ歯医者に行こうか・・・。

2005/12/11

墜ちる駿馬

スレイプニルがブログを書き込んでいる途中に度々落ちる!今日は二回も落ちた!沢山書いていたのに!ぷんすかぷん!
一応言っておくと、スレイプニルが悪いのか何か他のプログラムが悪さしているのか或はハード的な問題なのか、全然判らないのだが。でも何故か落ちやがる!
ということで只今久しぶりにIEを使用中。
また、最近ATOKの調子がよろしくない。しばしば勝手に機能を停止しやがる。
突然変換が出来なくなって、ATOKを使っているアプリケーションを終了させるまで復旧しない。
そういえばSonarも・・・。
ってことはもっと根本的な・・・。
メモリかな。メモリぐらいならまだマシなのだが。
それ以上は勘弁して欲しい。

2005/12/10

素的な生活

眠い。
沢山寝た。
寝て、起きて、飯を喰って、一寸ぼーっとして、寝て、起きて、飯を喰って、寝る。
中々素的な生活。

2005/12/09

酒とブルース

ブルース。
酒を呑みながら聴くときは、凄く沁みるのだが、素面の時はあんまりパッとしないというのが哲学の学生の間での専らの噂。
ロバジョンとかハウリンウルフとかマディー・ウォーターズみたいな古いやつは特に、酒でも呑まないとその良さが解らないようにさえ私には思える。録音の古い物に特有な低音域の欠如が酒にどっぷり浸かって疲弊した脳には丁度良いのかも知れない。
スティーヴィー・レイ・ヴォーンは、素面でも酒を呑んでも私には良さがイマイチ能く解らないのだが。まあ私は彼をあんまり好きじゃないのです。まともな神経を持ったギタリストで彼のことを好きにならない奴はいない、ということが彼の信奉者達によって言われるのを聞くが、そんなものは反吐が出るような全くの嘘っぱちです。というのは私がまともな神経を持っているという理由からこのことが間違っているということが導き出されるのではなく、或人の神経がまともかどうかは或一人の音楽家を好んでいるかどうかということによって推論できる程馬鹿単純なことではないからである。
ロリー・ギャラガーみたいなポップなブルースは、酒を呑まずに聴いた方が良く聴こえることが多いように感じるが。因みに私は、ブルースを学ぶ初期の段階においては、彼からブルースについての多くを学び取った。
ジミヘンは、特にライブ音源のは、べろんべろんのときの方が好い。
ジミヘン以降、ジミヘンの影響下にあるような種類のヘヴィーブルースのギタリストってのはストラトに太めの弦を張ってファズをかますものだ、ということが定式化されている感じがある。特にスティーヴィー・レイとかケニー・ウェイン・シェパードとか、モロに。
で、ジミヘン系列のブルースマンで現代一番好いのは、ドイル・ブラホール二世。
確かB.B.キングとクラプトンが一緒にやったCDで弾いていたと思う。私はまあクラプトンはあんまり好かんので聴いてないが。
この、ドイル、酒を呑まなくったって、ちゃんと素敵に聴こえる。
サウンドは、私には空間や生っぽさやダイナミクスが一寸足りないように感じられるようなサウンドなのだが、まあ、ブルースに何故か在りがちなビミョウな懐古主義的なサウンドということはなく、また何の捻りも無いストレートなブルースの表現様式だが、現代的でよく考えられているサウンドではある。
因みにケニー・ウェインは現代的なサウンドといものを、若し彼が目指しているのだとすれば、見当違いの仕方で間違った視点から目指してしまっているように見える。ギター弾きとしては素敵なので残念に思う。

2005/12/08

冬仕様の弦ゲージ

ギターの弦のゲージ、SGのを、最近は0.10を使っていたのだが、例しに0.09に戻してみた。
というのもこの前0.09のゲージの弦を間違って買って大量に余っているのが、一寸勿体無くなってきたから。
骨太にガチガチ弾いたりベンドを多用するような感じでまったりと弾く時には音にガッツが無さ過ぎるが、繊細で優しい音が必要なときは、0.11や0.10より0.09の方が適している。
あとアルペジオのとき、一つ一つの音にはっきり主張させる必要があるときより、コードの音の混ざり合う感じが重要視されるときにも、0.09のは適しているように思う。
冬に合う。
ハーモニクスが綺麗に出るような気がする。
あとテンションが弱いので、フィンガリングが楽になる反面、ピッキングの加減に対してより注意が必要になる。

2005/12/07

prime mover

まだ大分、脛の筋肉が痛い。
気を付けないと歩き方が妙な感じになる。

学校の図書館で要らなくなった本を貰ってきた。
『Representing Reality』という本 by Jonathan Potter。
題名に惹かれて。
でも読むかな。

テイラーの本、半分程読んだところの感想。というか結局議論がどうなるかについての予想。
人の「社会の中での承認を通して在る」という性質に関する語彙を以って、相対主義やニヒリズムに陥らずに、人間的な「個」について記述することは可能である、或は言い換えると、社会における関係性の中でのみ人は在ると言えるのだとしても、だからといって「個」が完全に消滅してしまったりせず、「個」という語が、最早 prime mover とか「社会とは無関係に在り、而も何らかの意味を持っているような「個」」というような感じの意味は成さないせよ、語として使用に耐えなくなる程に機能しなくはならず、或意味で社会の関係性の中に「個」を回復させることは可能なんだ、みたいなことがこの本にこの先書かれているんじゃないだろうかと。
まああくまで予想というか希望的観測というか。


アマゾン→チャールズ・テイラー 「ほんもの」という倫理―近代とその不安
アマゾン→Jonathan Potter, Representing Reality: Discourse, Rhetoric and Social Construction

2005/12/06

履き慣れない靴

やっと冬っぽくなったような。
去年は秋が非常に短かった印象があるが、今年は秋が結構長かったように感じる。

昨日の疲れが取れず、体調もイマイチだったので、休養を摂る。
私は、普段は、歩く分には何時間でも歩き続けられるのだが、どうも雨でずぶ濡れになって歩き続けたのが不可なかったようだ。
また履き慣れない靴だったこともあって、足の変なところが色々と痛い。

2005/12/05

京都、方角、歩行

雨の中、結婚式に参列してきた。
朝早く起きて、ばしっとスーツを着て、白っぽいネクタイをして、電髪のあたった髪をハードジェルでジェントリ風に撫でつけ、寒いので革のコートを着て、ラバーソールのドレスシューズを履いて、京へ出向く。傘を忘れる。
余り失礼の無いようにだけ気を付けて、テキトーにぼんやりする。
シャンパンとワインを呑み、料理を戴く。
私は、飲酒した上に寝不足で、食事とデザートの間に、ふっと寝てしまう。
いつの間にかデザートが目の前に用意されているのに驚く。

意外にも陽のある内に式諸々が終わったので、雨も上がったことだし、京でも散歩してみる。

私は太陽か星さえ出ていれば大体方角は分かるのだが、空が曇っていて太陽に位置がどこか分からず、大体の方角すら分からない。
というか今自分がどこにいるのかも分からない。
結婚式場のパンフレットに描かれていた簡略化された地図を見て、南西の方に阪急の河原町駅があるらしいという情報を得る。
取り敢ずは方向も定めず歩いていると東大谷なるところへ至る。
そこらへんから自然のある方へ適当に歩いていると、山へ入る獣道のような道が見つかったので、バリバリのスーツにドレスシューズ姿で山に入る。皮底でなくてラバーソールにしといて良かったと思う。
私は山道でも泥を撥ねささず歩く歩き方が出来るので、スーツでも特に問題ない。
写真など撮る。
或程度歩くと、睡眠不足と飲酒の所為で息が上がって来る。
序でに雨もパラパラ降り出す。
下山を余儀なくされる。
山を下りたら、知らないカップルに「清水寺は何処ですか」と訊かれる。
知らないが、少なくともこの上の山ではないという旨を伝える。
円山公園なる公園辺りで雨宿りするが、雨は強くなるばかり。
仕方無く雨に濡れながら歩くことにする。
歩いていると、見たことのあるでっかい神社(帰宅後そこが八坂神社だと知った)に出る。
その神社で雨宿りをしているうちに、確かこの神社の近くにコンビニがありそうな街並みがあったはずだと思い至り、その神社の正面っぽい門構えの門から出てみる。
が、外は昔ながらっぽい街並みだったので焦る。
が、野生の勘と人の流れを観る的確な直観を以ってその辺を適当にうろついていると、コンビニがありそうの街並みを発見する。っていうかいきなりコンビニを発見する。
ビニール傘が何故かジャンプ式のしかなかったので、仕方無くそれを買う。
取り敢ず、街並みから推察して、南西っぽい方角へ突き進む。実は北西だったのだが。
サギが居たので写真を撮る。
京阪の三条駅とその近くの京都市営地下鉄の三条京阪駅に至る。
その近くにあったブックオフに寄るが収穫無し。
京阪や市営地下鉄には乗らず、路線図から方角を無理矢理推察して、また南西目指して歩き出す。実際は北東だったのだが。
街並みに「東山」という文字を発見して俄に不安に襲われる。あれは確か京都の北東だったような。
また「河原町行き」と書かれたバスが自分とは逆の方向へ走っているのを観て不安は増大する。
「二条」という名の道路へ出て不安はピークに達する。確か京都の「条」は北から番号が振ってあったような。
一方で「まあ歩いてさえいれば必ず何処かに至るのさ」などと考えながら歩く。なんくるないさー。
運動すると人は快活になるのかも知れません。ビミョウな感じに。
京都市美術館、京都会館に至る。着物の人が沢山居るのを観る。
ここでまともな地図をやっと発見する。自分が真逆の方向へ歩いていたことを確信する。
意気消沈し、どうしていいのか判らなくなるが、兎に角来た方角へ引き返すしかなさそうなので、そうすることにする。
三条の駅に着くが、ここまで来たならもう一息、何となく初志貫徹、と、更に南西へと突き進む。
途中でタワレコがあったので、一応寄る。が、特に買うものもなく、すぐに店を出る。
道中、びっしょり濡れて豪く寒いし、慣れない靴で歩き回って相当疲労しているし、足痛いし、睡眠不足で、そういや酒も呑んだし、百回ぐらい、生まれてきてすいません(by太宰治)とか、色々と後悔する。
或限界を超して肉体的に疲労すると、人は心まで疲労するものです。
が、どうにか阪急の河原町駅に至る。
阪急百貨店を発見したときのなんと嬉しかったこと。
が、梅田まで特急で立ちっぱなしになる。急行なら座れたのだが、判断を誤った。
梅田に至るが、脛の筋肉が筋肉痛になり、ぺったんぺったんと、足に合わないでかい靴を履かされているかのように、確っかり歩けなくなる。
無駄に逆境に強い性格の所為で、折角梅田に来たのだからと、成城石井でハーブティーなど買い、タワレコに寄り、帰宅する。
もう動けません。一歩が痛い。


因みに写真はどれもピンぼけでした。

2005/12/04

Macallan

明日、恐らく雨の中ということになるだろうが、京都まで行って、親戚の結婚式に参列してきます。


それはさて置き、今日は二日酔気味の気分。
昨日の夜中、ウィスキー、何杯呑んだのだろうか。
酔っているときの心中を記録する為に、沢山文字を書いた。

2005/12/03

freedom to、freedom from

途中まで読んでいた論文を、読み始めてから余りに時間が経ち過ぎたので、また始めっから読み返していると、「freedom from」と「freedom to」の使われ方、私が思っていたのとは微妙に違うような使われ方をしていたのを発見してビビる。
ノートを取りながら読むことにする。


茶は最後の一滴までというが、茶の中でも紅茶に関しては、最近、最後の一滴まで入れない方が好いのではないかと思うようになってきた。
日本の水がヨーロッパのよりも柔らかい所為で、日本の水で淹れた紅茶はヨーロッパの水で淹れた紅茶よりも色や味が出易いと聞くが、若しそうだとすると、ヨーロッパの硬い水に合わしてブレンドされた茶葉を日本の柔らかい水で淹れると、ブレンドする人が想定しているよりも濃く出てしまうからなのかも知れない。
単に私の茶葉の量が多すぎるとか、或は抽出時間が長すぎるだけかも知れないが。
然し茶葉の量を多くして濃くしたのと、抽出時間を長くして濃くしたのと、最後の一滴まで淹れてしまうことで濃くしたのでは、少々味の雰囲気が違うような気もしないでもない。
どうすればどうなるかについての記述を集め、紅茶の味を自由に操れるようになりたい。
freedom to。

2005/12/02

雅楽

突如、何となく、雅楽が聴きたくなった。
東儀さんのとかじゃなくて、所謂、普通の、平安っぽい、トラディショナルな、雅楽。
然しどのCDが良いとかいう情報を私は持っていないので、またジャケ買いする勇気もなく、どうしたもんかと思案しているのだが。
ネットのアマゾンとかHMVとかで色々調べてみるが、これと決まらず。
うーん。私に金があれば。
私にジャケ買いする勇気がないのは、金銭的な問題に加え、つい最近チベット系のCDをジャケ買いして思いっ切り失敗したところであるからだ。
而もそのCD、中近東コーナーに置いてあって、私はそのつもりで買ったのだが。
ていうか思いっ切りジャケに「tibet」って書いてあったのだけど、まるっきり見落としていた私が悪いのです。
因みに中を見てみると、タイっぽい仏像とインドっぽいヒンズー教のサドゥーが写っている・・・。
ヒンズー教なら、仏も神の一つとして吸収していたと思うのだが、でもこの仏像はヒンズー教における神の一つとしての仏の像とは一寸様子が違って、矢っ張りアジア南方の仏教の仏像だと思うのだが。
サドゥーはサドゥーだし。
これを製った人はあんまりそんなことはどうでもよかったのだろうか。
まあそんなことは、無宗教な消費者たる私にとっては、音さえ良ければどうでもいいのだが、音が余りに残念な結果に終わっていたので、救いようがなかった。
ビミョウなテクノにビミョウな「エスニック」っぽいラインが乗ってるだけの、どうしようもないCDであった。
ジャケ買いは、金銭的に余裕があり心がおおらかであるのでないのなら、するもんじゃねえな、と。

2005/11/30

生活リズム

生活リズムをつけましょう。
12時に寝て、8時に起きる。
8時間睡眠。
これで、そろそろヤバくなってきた心身、色々と良くなって呉れればいいのだが。
もう一寸快活な人間になりたい。

2005/11/29

マタイの受難曲

頭の働く憂欝より頭の働かない憂欝の方が苦痛は少ないのかも知れない。
と思ったが、憂欝の苦痛さ加減は、多分端的に憂鬱さ加減によって決まってくるのだから、頭が働くとか働かないとかは憂欝の苦痛さ加減には余り関係のないことなのかも知れない。
然し、頭の働く働かないは、憂欝の質には関係してくる。
ということで、今は頭の働かない憂欝。
従って今自分が何を言っているのか、自分でも余り明確に解っていない。
例えば「端的に」という言葉遣いがこれでよかったのかについて能く考えられない。
考えることが出来ない。タイプもよく打ち間違える。

陽のあるうちは、バッハのマタイでも聴きながら、日光が差し込んで、幸福だったのだが。
それから、メモによると、「世界は、概念的構造を持つような種類の「事実」の総体である」ということとクオリアとの関係について考えて、結局「矢っ張りここでもクオリアは要らない」という結論に至ったようで。
それからどうしたのか。
思い出せない。

寝よう。
ウィトゲンシュタインの日記でも読みながら。
就寝は、寝てしまうことにさえ成功すれば、今日という日を強制終了させられる、非常に素的なコトである。

ルートヴィヒな一日

このブログの左右の書籍に関する紹介の記事、最近読んだものの紹介というスタンスではなく、本当に私が好いと思っているものだけを特選で書くようにした。
左右の記事の更新頻度から考えると、その方が適切だと思ったから。
因みに画像をクリックするとアマゾンの商品ページへ行って、そこからアマゾンで買えるようにしてあるので。
で、誰かがアマゾンで商品を購入したら、アマゾンから私に、ようやった、と報酬が支払われるというスンポーで。


ジュンク堂をぶらついていたら、スーパー胸キュンなものを見つけてしまった。
『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』!
結構でっかい本なのに2000円!買うしか!
因みに訳は『ウィトゲンシュタインはこう考えた』の鬼界彰夫。
ウィトゲンシュタイン哲学の解釈者というよりは只のウィトゲンシュタインファンである私は、『反哲学的断章』も持っていて、例えば「ブルックナーは映画に合うけどブラームスは合わない」みたいな記述を見つけてそうだろうそうだろう能く心得ていらっしゃると、哲学に余り関係ないところでニヤニヤしたもんだが。
この『哲学宗教日記』は1993年に新たに発見された、1930-1932年と1936-1937年の日記の翻訳+αだそうである。
ペラッと見てみたところ、全体の半分のページ数が日記本体に充てられ、残りの2/3が非常に有用で丁寧な注(哲学的には、日記本体よりこの注の方が役に立つかも知れない)、その残りが訳者の解説となっている。
ヤバいな。時間あんまり無いのに読んじまいそうだ。

序でに、テイラーの本が売ってあり、テイラーはそのうちチェックしないとと思っていたので、余り所持金に余裕がない中で、思わず買ってしまう。
ローティがこの本の帯でえらい賞めていた。
因みに帰りに電車の中で一寸読んだが、未だ彼を評価出来るようなところまで見えていない。
まあ八割ローティニアンの私は、彼が賞めてるようなものについて、矢っ張り好いな、と思う可能性も高いんだろうけど。別にローティに無理して抗う理由もないし。無理して迎合する必要も感じないが。

それからクーリエジャポンも買ってみたが、あれ、期待したよりは、予想通り、良くなかったが、別に読むに値しないよ、とは言えない程度には読めた。期待と予想は別のものであるというところを見落とさないこと。
各国の記事の翻訳を載せているのだが、その国のメジャー処を集めているという感じで。ワシントンポストとか。タイムズとか。そういったクラスの記事を集めているので、まあ分かり切ったことだったのかも知れないが、私が欲しいバリバリのジャーナリズムに基づく情報は見受けられなかった。それに、当然のことながら、何を載せるかについてはクーリエジャポンの編集に懸かっている訳だし。世界を知るというよりは、或は世界に支配的な傾向を知るというよりは、編集者が読者に世界についてどう認識させたいかが解る程度なのかも知れない。
これならロイター通信の方が役に立つ。而も只。
英語圏に関して言うと、インターネットの方が役に立つ情報は余っ程多い。
但し私は英語も微妙な上、他の言語はまるで駄目なので、英語圏以外の記事は一寸は役に立ったのかも知れない。勿論役に立ってないかも知れないが。
兎に角、編集に「アメリカだけが「世界」でしょうか」と言ったことで背負う期待に応えられるだけの信頼性や内容はあるのかという問いに対しては、まあ残念ながら全くちっとも微塵も、と答えられるが、では、この編集はほんの少しでも信頼に足るものなのかどうか、という点に関しては、微妙なところで、判断出来なかった。
別に判断するまでもなく、大した内容を持っていないのだから、どうでもいいと言えばどうでもいいのだが。


アマゾン→ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記―1930-1932/1936-1937
アマゾン→ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン 反哲学的断章―文化と価値
アマゾン→鬼界彰夫 ウィトゲンシュタインはこう考えた―哲学的思考の全軌跡1912‐1951
アマゾン→チャールズ・テイラー 「ほんもの」という倫理―近代とその不安
アマゾン→COURRiER Japon

2005/11/28

片付けられない男

私の部屋の収納力の範囲を超えつつある漫画、一生読み返さないであろうと思われるもの、段ボール一個分、隔離した。
従って段ボール一個分の収納スペースが、確保された。
然しそれでも尚本棚の一角を山積みになって占領し続けるあのジャンプコミックスどもをどうにかしないと。
然しハンターハンターも最近は余りパッとしないワンピースも、素的な漫画には違いないしなあ、と、片付けられない男の憂欝な午後。

あと、文庫本。こいつらをどうにかせねば。
京極夏彦のを買うようになって、あれは分厚いので、一気にヤバくなってきた。
今ばっと見渡してみたところ、三島由紀夫なんて、私は彼が嫌いなので、一生読み返さないと思うのだが。
桐生操も全然面白くないので、恐らくもう読まない。あんなもの読むくらいならならイェイツとか読むだろうし。
金田一耕助とかポアロとかも、犯人知ってるしトリック解っているし、恐らくもう読まないだろう。
乱歩とか夢野久作も一回読めば十分な感じだし。
こういう系統はもういいや。
でも京極のは、読み返したりしそう。
ポオも要るな。
文芸は、鏡花とか藤村辺りは微妙な。
独歩辺りは、手元に置いておきたい。
文芸系は結構残りそう。
哲学のは流石に置いとこう。まがりなりにも哲学やってる訳だし。
えーっと、ハーバーマス、デューイ、パース、プ・・・。
プラトン・・・。
ニ、ニーチェとかはちゃんと置いときたいと思ってるんですよ?

2005/11/27

創りませう

Pianoised
Pianoised

「一日仕事でお手軽アンビエントミュージック或はSEを創りませう」第三段。
ピアノのインプロで。
インプロは楽ネ。
音色を決めて弾いて、後からエフェクトをちょいとかけたりするだけ。
二時間もあれば全体の作業が終わる。

またもや音楽としての体を成すしているとは余り言えないような内容だが。
アンビエントっぽいのはもうこんなもんでいいだろう。
飽きてきた。
三曲アップ出来ればもう急ぐ必要もなかろう。
というか色々他にしなければならないことがあるし。

次は普通ので。

��2007/04/06追記:ここにアップした音楽は、自由に使って頂いて構いません。その際私に一言連絡する必要もありません。自由に引用したり、批判したり、改変したり、改変したのを他のところでアップしたり、公的な場で演奏したり、それを誰かに売ったりしたって一向に構いません。]

2009/06/03追記:
より態度を明解にする為に、上の楽曲はCreative Commonsライセンスを宣言します。
「帰属」のみです。
帰属というのはCCに拠ると:
あなたは他の人に対してあなたの著作物を――またそれを元にした派生作品を――複製・頒布・表示・上演することを認めます。しかし、その際にはあなたに対してクレジットを与えることを条件とします。
或はWikipedeaに拠ると:
その作品の利用に関しての著作者の表示を求める
ということですが、まあべつに上の楽曲の利用時に著作者(私)名の表示をしなくても構わないです。

Creative Commons JP:
http://creativecommons.jp/

Wikipedeaのクリエイティブ・コモンズの項目
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%BA

Creative Commons License
This 作品 by Ludwig D. Omen is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

2005/11/26

マリーアントワネット

修士論文の発表を聴いてきた。
私も一年後このくらいのレベルの発表をしなければならないのかと今からビビっている。
よいしょ一割。本音六割。
ダークマター三割。
というか一月中頃に私も発表があるのだが。
未だ原稿に手を付けていないが、自由と決定論についてでもやろうかと思う。
やっとデネットさんの言っていることを理解したし。
ということで、公開処刑にならないようにする程度に頑張ります。

2005/11/25

もう嫌だ

書いたものが、今、消えてしまった。
沢山書いたのに。

2005/11/24

京へも行かず

朝、目が覚めて、何となく、紅葉の京にでも行こうかと思ったが、人多そうだし、面倒臭いので止めることにする。
じゃあ何処かお買い物にでもとも考えたが、余り自分の残り少ない財を削りたくなかったので止しておく。
ということで家でのんびり、パンなど食み、昼寝などし、夢見などする。
のんびりしている暇はない筈なのだが、大して頭も働かず、一日、のんびり、或は正確には、ぐったりする。
酒でも呑みたい気になったが、アセトアルデヒドを酵素で以って脱水素するまでが面倒なので止める。

人の曰く、我思う、故に我在りと。

我思い悩む、故に我実存せず。

2005/11/23

薄れ往く財

お買い物。漫画とCD。失われる金銭。

漫画。
『あおくび大根』
主人公が大根、という漫画。
そして別に大根でなくても良さそうな漫画。
因みにこの大根、わびさびを心得ているという噂。
噂は、あくまで噂。
『やさぐれぱんだ』
パンダと男がくだらない話をしているだけの、大体4コマの漫画。
遠回しに言うと、「面白い」とはどういうことかということを考えさせられる漫画。
より直接的に言うと、面白いのか面白くないのか判らない漫画。
『僕の小規模な失敗』
『まだ旅だってもいないのに』の人の。
著者自身の憂鬱な昔話。
因みに私は『まだ~』の方が好みでした。
その他に、ハガレン。
限定版に付いてくる4コマは、面白いので、限定版の方を買うこと。

CD。
パーセル。
彼は、イギリスのバロック音楽の人で、歌曲を沢山描いた人。
それからセリア。
ノルウェーの、ジャズ調のポップミュージック。


金がいよいよヤバくなってきました。
私は何人の諭吉さんを闇に葬れば気が済むのだろう。


アマゾン→やさぐれぱんだ
アマゾン→僕の小規模な失敗
アマゾン→あおくび大根
アマゾン→鋼の錬金術師 12
アマゾン→Silje Nergaard "Nightwatch"
アマゾン→パーセル

2005/11/22

蒲団

朝の眠気の抜け難い季節と相成り候。
朝早く起きて色々やるつもりで早めに目覚ましをセットしたが、起きあがって了うのに時間がかかり、結局いつもと変わらないぐらいになってからやっと、蒲団から脱出することに成功する。
そういう季節。

蒲団といえば花袋のモンモン小説。

蒲団の恋しかる季節と相成り候。


アマゾン→田山花袋『蒲団・一兵卒』

2005/11/21

Penrose

また「アップロードして楽しもう」のお時間がやって来ました。

Roger Penrose
Roger Penrose

またつまらぬものを作って了った。
お遊び程度。
またミックスも、ちょー適当だし。
つまらない曲にはつまらない名前を付ける。
ペンローズという人は、私にとって、「心」に関する彼の著作が「頑張って読んだけどパッとしませんでした」或は「つまらぬものに時間をかけてしまった」或は端的に言うと、「がっかり」の代表、という人。
因みに一応彼の名誉の為に言っておくと、彼は数学者としてはちゃんとしている人らしい。

ヒップホップのを練るのに飽きて、素材の一部を転用して、ぱぱっと仕上げてみました。
まあ一日でできるものといったら、こんな程度のものか。
こんなものなのか・・・。


こんなことしてるから為すべきことが何もできなくなるのだ。

��2007/04/06追記:ここにアップした音楽は、自由に使って頂いて構いません。その際私に一言連絡する必要もありません。自由に引用したり、批判したり、改変したり、改変したのを他のところでアップしたり、公的な場で演奏したり、それを誰かに売ったりしたって一向に構いません。]

2009/06/03追記:
より態度を明解にする為に、上の楽曲はCreative Commonsライセンスを宣言します。
「帰属」のみです。
帰属というのはCCに拠ると:
あなたは他の人に対してあなたの著作物を――またそれを元にした派生作品を――複製・頒布・表示・上演することを認めます。しかし、その際にはあなたに対してクレジットを与えることを条件とします。
或はWikipedeaに拠ると:
その作品の利用に関しての著作者の表示を求める
ということですが、まあべつに上の楽曲の利用時に著作者(私)名の表示をしなくても構わないです。

Creative Commons JP:
http://creativecommons.jp/

Wikipedeaのクリエイティブ・コモンズの項目
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%BA

Creative Commons License
This 作品 by Ludwig D. Omen is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

2005/11/20

ヒップホップ

既に土曜も終わりか。
また何もできずに時間を諾々と無為に費やして了った。

一寸、ヒップホップっぽい曲を創ってみている。
今朝見た夢で、女の子達が彼女達のお気に入りのヒップホップミュージシャンが載っている雑誌を私に見せて、「こんな音楽どう思う?」みたいに訊いてきたので、私は「あー、どうせこんなのだろ?」と言ってパッとイメージしたのを聴かせたのだが(夢の中では、私は自分の頭の中の音のイメージをそのまま他人に聴かせることができた)、そのイメージしたものが意外にも格好良かったので、私は夢の中で(女の子達を打ち遣っておいて)そのイメージを膨らませていると、目が覚めた。
起きてからもそのイメージを覚えていたので、一応メモとして SONAR に打ち込んでおくことにした。
打ち込んでいるうちに、単に在り勝ちなヒップホップに終始するだけは面白くなくなってきたので、色々付け加えているうちに、曲として成り立ちそうになってきてしまった。
勿体無いのでちゃんと創ってしまおうかと悩んでいるところ。

2005/11/19

電髪、HMV、GNX

髪を切って、パーマをあてた。
ボサボサ系になった。

難波で、以前から狙っていた、中古のデジテックのマルチエフェクターのGNX-2が売ってあって、而もかなり安く売っているのを発見するが、現在の私には財布と相談出来るだけの財力も無く。
以後の機会に。

帰りに心斎橋に寄る。
久しぶりにHMVを覗いてみると、物凄くしょぼくれてしまっていた。
スペースの広いこと。
何故こんなに商品数を減らしたのだろうか。
あの場所から撤退するつもりなのか知ら。
数年前まではかなりお世話になっていた店なので、少し悲しくなった。

2005/11/18

クロマティ高校、まだ旅立ってもいないのに、サンレコ

漫画とサンレコを買ってきた。

サンレコは、チャーが表紙で。ベースを持って。

漫画、『クロマティ高校』、『まだ旅立ってもいないのに』。

クロ高は、まあいつも通りの素的さとして。

ジャケ買いで買った『まだ旅立ってもいないのに』が。
これは・・・。
ヤバい。
青春の苦しいいとこだけ抽出したような。無力な。
その幽玄っぷりは、漫玉級。


アマゾン→魁!!クロマティ高校 15 刑事編
アマゾン→まだ旅立ってもいないのに
アマゾン→御緩漫玉日記

2005/11/17

終わらぬこと

そろそろ寒くなってきた。
この身体は気温の変化は如実に影響するようにできているようで。
少し発熱する。
まあ生活に支障はない程度だが。
眠さと絡まって、微妙に浮遊感がある程度。
軟弱な肉体にゲンナリする。

で、ほぼ徹夜な感じで。
持ち前の集中力の無さで、明日の用意が終わらない。
大して面白くもないテレビでも観てニヤニヤしたり。
何となく本を読んでしまっていたり。
集中力と計画性が欲しい。
私に特に欠けているもの、言語能力、行動力、計画性。
その他、色々。

2005/11/15

また無為

眠くなった。
寝る。
眠いうちに寝る。

部屋の酸素

何もできず、只管ぼーっとする。
部屋の空気が底に溜っている。
空気の中に在っては、スピーカーから雑音ばかり流れ、音楽が流れない。
文字が見えるが、文章はない。
そこに在るべき有意味性を、溜った空気が全て吸収してしまう。
酸素が足りない。
動けなくなる。
酸素が勿体無い。
鼻から肺へ空気が浸入する。
横隔膜を使って肺から空気を出す。
然し次に吸う空気も鼻から肺へ浸入する。
沈み、溺れる。
部屋の空気にトプンと浸けられる。
有意味性が空気に溶け出してしまう。
何もできず、只管ぼーっとする。

2005/11/14

無為

何もできず。
どのようにして時間が過ぎたのか理解出来ない。

2005/11/13

初アップ

そっとしておいて呉給え。

音楽配信とやらをしてみたくなって、パッと創ってアップしてみました。
あんまり好くない・・・。
しかもアップロードする容量の上限が5Mまでだったようで。音質は悪いです。
degrade
セキュリティー設定の所為で見れない人は、→ http://omen.up.seesaa.net/musik/degrade.mp3
お粗末。

ということで別に聴かなくったっていいです。
アップ出来ただけで満足です。

��2007/04/06追記:ここにアップした音楽は、自由に使って頂いて構いません。その際私に一言連絡する必要もありません。自由に引用したり、批判したり、改変したり、改変したのを他のところでアップしたり、公的な場で演奏したり、それを誰かに売ったりしたって一向に構いません。]

2009/06/03追記:
より態度を明解にする為に、上の楽曲はCreative Commonsライセンスを宣言します。
「帰属」のみです。
帰属というのはCCに拠ると:
あなたは他の人に対してあなたの著作物を――またそれを元にした派生作品を――複製・頒布・表示・上演することを認めます。しかし、その際にはあなたに対してクレジットを与えることを条件とします。
或はWikipedeaに拠ると:
その作品の利用に関しての著作者の表示を求める
ということですが、まあべつに上の楽曲の利用時に著作者(私)名の表示をしなくても構わないです。

Creative Commons JP:
http://creativecommons.jp/

Wikipedeaのクリエイティブ・コモンズの項目
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%BA

Creative Commons License
This 作品 by Ludwig D. Omen is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

2005/11/12

送別

チョムスキーが地団駄を踏む夢を見る。

また涙を流しながら覚醒する。
悲しい夢を見たのだろう。


陽が落ちて、東京へ出る人を送る送別会に赴く。
早めに家を出て、ジュンク堂が梅田のヒルトンホテルにできたのに寄ってみることにする。
ヒルトンホテルのロビーでハープとフルートのデュオが演奏しているのを聴きながらエスカレーターを上がり、5階のジュンク堂に入る。
ジュンク堂にしては結構狭かった。
会社帰りの人をターゲットにしているような印象を受ける。
特に買うべきものもなく、まあこんなもんかとひやかして、待ち合わせ場所に向かう。

送別会の出席者と合流し、少し酒を呑む。

2005/11/11

財力が削られていく恐怖

何となくカサビアンが聴きたくなって、買いに、タワレコに行く。
ケイトブッシュとボールドオブカナダとビョークを序でに買ってしまう。
ボールドオブカナダはそのうち買おうと決めていたのだが、ケイトブッシュとビョークは買わないつもりにしていたのに、何となく勢いで買ってしまった。
ビョークの、初回盤限定価格1980円というのが売ってたので、それで勢いづいてしまった。
他にも買うべきものは幾らでもあったように思うが。勢い、あな怖ろし。
財力が削られていく恐怖。
「所持金を考慮に入れて、目的の、カサビアンだけ買う」ということが何故私には出来ないのだろう。
いつも、あれもこれもと、そんなに欲しくもなかった筈のものまで買って、出費がかさむ。
要らないものを買わずに、財を温存して、「グードによるベートーベンピアノソナタ全集」みたいな高価だがどう考えたって欲しいものを買えばいいのに。
ジャケ買いとか衝動買いは、金の無いときは、自分が何を求めているのか分らないときとか、欲しいものは全て手に入れた後で更に新しい刺激が欲しいときにすればいいのだ!

まあケイトブッシュもビョークも、想像してたよりもまあ好かったので、今回は可として。
もう一寸不自然で「実験的」な感じになってるのかと思ったのだが。流石にそんなことはなかった。

因みに「実験的」ということに関して言うと、思うに、全く実験を経ていない、既に誰かのやったことの権威に毒されたように只何となく諾々とした態度で作られた、在り来たりの音の羅列の単なる一ヴァリエーションに過ぎないような、音楽として聴くに堪えないようなものの持て囃されることがある昨今、一方で、唯実験することのみに終始していて、兎に角実験精神に関しては賞賛に値する程力強いかも知れないが、音楽としての価値に欠けるものも確かにあり、またその音楽的価値の無さを打ち遣っておいてその実験性さえ十分にあれば、音楽なんてどうでもいいと考えている人達によって、宛も音楽として素晴らしかのように持て囃されるということも確かにある。推敲面倒い。つまり「実験」という言葉を付け加えれば何だって誉れ高いものとして許されるんだと考えている節のある人達が居る。また「実験的である」とか「難解である」という音楽に関する属性が、それ自身音楽の価値を高めるものなのだと思い込んでいる節のある人もいる。
こういった人達は「実験」という語の使用の仕方を(「実験」という語に何か全く新しい特別な意味でも与えているのでない限りは)端的に間違っているのである。
私が上で括弧付きで「実験的」と書いたのは、このような考えを揶揄してのことである。
私が音楽に関して実験精神を重んずるのは、その実験精神が音楽を、新しく、刺激的で、自分の表現しようと求めていることを巧く表現出来るようにし、より良くする、等々の場合があるからであり、音楽を自分がしようと求めていたように出来なかった実験は、無意味だった実験或は失敗した実験なのであるということを忘れてはならない。実験なんてお家でやって呉れ、と。芸術家が求めるべきは実験そのものではなく実験することで得られることが求められているような成果の方である。例えばこのような文脈において「芸術家は実験そのものを求める」と言ったとき、この文中の「実験」という語の意味するところは、一般的に使用されている「実験」という語の字義に反している。つまりこの文は、「実験」という語に事前に新しい(そして元の意味から掛け離れたような)定義を与えておくことをしないのなら、単にトンチンカンなことを言っているだけなのだ。


そういえば明日、梅田にジュンク堂の新店舗がオープンするらしい。
行かなくちゃ。


序でにSONAR 5のアップグレードの予約の受付が一寸前から始った・・・。
また金が・・・。
不具合修正パッチが出る頃まで、買うのは一寸待とう。


サウンドハウス→SONAR 5
ジュンク堂→ホームページ
アマゾン→KASABIAN
アマゾン→Kate Bush "Aerial"
アマゾン→Bjork "Medulla"
アマゾン→Boards of Canada "The Campfire Headphase"

2005/11/10

対立候補を設計する

受けた授業のアツさの影響で、哲学熱が盛り上がり、ヒュームの因果論を批判するにはどうするだとか、シガーロスはどのように駄目なのかについての記述の仕方だとか、新しい語彙の発明云々とか、決定論と自由とかの話をする。
帰りの電車で独りになって、『遠野物語』を読みながら、論駁し難い決定論というのを色々考えてみて、プラグマティックな態度を出来るだけ使わずにそれに反駁してみたりする(私の意識はマルチタスク)。
英雄になりたければ、自分の倒した敵の強さを誇張すればいいのだ。
神の素晴しさをアピールする為には最後に必ず神に負ける存在として措定されている悪魔を可能な限り強力なものとして措定すればいいのだ(by京極堂)、或は、アメリカの力強さをアピールするには実際の軍事力は中東の中で才弱クラスであったイラクを強大な驚異として宣伝すればいいのだ(例えばbyチョムスキー)。
ということで(?)論駁した物理的決定論に説得力があればある程、私の議論は誉れ高きものとなる、というスンポーで。
然し私が英雄や神やおさるのジョージと違う点は、物理的決定論を確っかり論駁し切れるものとして設計していないので、若しかしたら論駁出来ないかもという不安がつきまとうところ。


アマゾン→ハンス・アウグスト・レイ 『おさるのジョージ』(絵本)

2005/11/09

ストリンドベリが欲しい話

BOOK OFF で本を買った。ハードカバー。
BOOK OFF で漫画やCDじゃなくて普通のハードカバーの本を買うことなど殆ど無いのだが、京極夏彦のとかあった(定価の半額で)し、村上春樹のと柳田邦男のが100円になってたので、一寸買ってみても良いかなという気になった。
因みに私が今読んでいるものの一つに「圀」の方の柳田圀男のがある。『遠野物語』。民俗学文学(?)の古典。

そういえば、ストリンドベリのとか何処かに売ってないかな。
昔、岩波文庫で出てたやつとか・・・。


アマゾン→京極夏彦 『豆腐小僧双六道中ふりだし』
アマゾン→京極夏彦 『ルー=ガルー ― 忌避すべき狼』
アマゾン→村上春樹 『スプートニクの恋人』
アマゾン→柳田邦男 『犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日』
アマゾン→柳田圀男 『遠野物語―付・遠野物語拾遺』

2005/11/08

さよなら絶望

漫画を買った。
ナルトとワンピースと絶望先生。

ナルトとワンピースは殆ど惰性で買っている。

因みに同じジャンプコミックスのボーボボは、以前集めていたのだが、苦痛に耐えられなくなった。
蒐集癖のある私でさえ買うのを止めたぐらい、私にとっては読むのに苦痛を伴う。
一巻を読んだときは「おお、これは新しい!」と思ったのだが。

絶望先生は何となく買ってみた。
因みに私は『かってに改蔵』は読んだことないのだが。あれ描いた人らしい。まあ私は知らんのだが。
で、これが結構、ぼけーっと読むには丁度良いぐらいの面白さ。
私は漫画をぼけーっと読むのも好きなので、丁度良い。


アマゾン→NARUTO 巻ノ30
アマゾン→ONE PIECE 巻39
アマゾン→さよなら絶望先生 1

2005/11/07

実らず

色々してみたものの大した実りの無かった一日。
あー、眠くなっちゃった。寝ようかな。
酒でも呑もうかな。呑みたくないな。
少し眠ろうかな。

2005/11/06

陰摩羅鬼

「筋肉痛で動けず」の第二日。
本日の予定、本来なら大学の学園祭でも見に行き、序でに漫画でも買ってくる手筈になっていたのだが、筋肉痛が痛かったのと京極夏彦が面白過ぎて気が付いたら夜になっていた所為で、結局「学園祭行きます」という約束を反故にして了う。済まぬ。
まあ行ったところで、私の識らない人ばかりだろうし、イベント時のみ顔を出すような、よう識らん、何か「先輩」なる者が、のうのうと闖入することで場の和を乱すのは不本意だし、また場の和に悪い干渉を持たずにとけ込む自信もない、否、そもそもそんなこと恐れるまでもなく、私にはそんな存在感など無いのだから、居なくても・・・云々、と、言い訳になってない言い訳をしておきます。

京極堂シリーズ、面白いねー。
謎解き好きにはイマイチなんだろうけど。私は大分好きです。
段々、トリックに酔いしれッぽさ或は犯人当てクイズッぽさが無くなってきている。
私にとって、これはこれで好いこと。
因みに、今回は儒学をやるハイデガーなムイシュキン公爵みたいな元伯爵が出て来る話。
じゃあ京極堂はデリダ?


アマゾン→京極夏彦 『陰摩羅鬼の瑕』

2005/11/05

ストレッチマン

筋肉痛で椅子の上から余り動けず。
歩くにしても、奇妙な歩き方になる。
助けてストレッチマン!

然しストレッチマンは助けに来ないので、テレビでも観ながらぼーっと過ごす。

2005/11/04

サッカー、ティムバートン

スティーナを聴きながら北西へ向かう。

大学院の有志、数人、河川敷でサッカーをしてきた。
途中で、近くでボールを蹴っていた中学生くらいの少年二人を仲間に入れ、チームに分かれ、ミニゲームをする。
我々オジサン達は、先ず兎に角体力が無く、少年達に手加減して貰いながらもボロボロにやられ(私は少年達と違うチームだった)、それでも一応少年相手に守ったり攻めたりしなくてはならないので、私など何度も足が痙りそうになるのを適当に往なしながら、皆ゼイゼイ言ってやる。
首の筋肉が自分のイメージしているのより弱いので、首が十分固定されず、ヘディングの飛ばないこと。足首の筋肉も同様、カーブの曲がらないこと。

サッカーと極度の疲労を堪能し、夕暮れ、帰途に就く。
途中、極度の疲労にも拘らず、例の逆境好きな病の所為で難波にでも寄りたくなるが、特に買う物も無く、これといった目的が見出せなかったので止めておく。

帰ってきて、何か出来る筈もなく、映画など観る。
『ビッグフィッシュ』。ティムバートン。
ティムバートンのはどれも素的。ジョニーデップとのコンビのやつが特に。
何故なら私はジョニーデップも好きだから。『コープスブライド』も『チャーリーとチョコレート工場』も観たいぞ!
因みに『ビッグフィッシュ』はユアンマクレガーが出ている。
荒唐無稽なお話を自分の経験したこととして息子に語ってきた親父が「お話そのもの」になる話。その荒唐無稽なお話の内容を素的な映像にしてみせた、というところがこの映画におけるティムバートンの素的なところ。


アマゾン→Stina Nordenstam "the world is saved"
アマゾン→Tim Burton "Big Fish"

2005/11/03

デネットさん

物理的決定論、物理的決定論、物理的決定論、物理的、物理、物、ブツ、ブツ、ブ・・・。
やっぱ、私、あんまりよく解ってないっすよ、デネットさん。
ということで、既に何度もやり直したことをもう一度やり直す。
物理的決定論の話以降の話は大体解るんだけど、物理的決定論のところの話がよく解らない。
一番の問題は、私に物理的決定論についての興味があんまり無い、というところ。

2005/11/02

ピックなど

昨夜、眠い目を擦ってすべきことを終え、蒲団に入ると、これが眠れない。
朝までに音楽を沢山聴く。
フランツフェルディナンドは、あれは好いね。2曲目が好い。相変わらず私は3曲以上続けて聴くのは辛いのだけれど。
あと、シルヴィアンのカンファをヘッドホンで大音量で聴いたり。

朝になって授業に出かけ、ドイツ語の文法が読み取れず、すごすご帰ってくる。
帰りがけに弦とピックとエスカッションを買う。
弦はアーニーボールの0.10のセットと0.11のセット。この前間違って買って大量に(9セット)余っているアーニーボールの0.09-0.42のは、結局無理には使わないことにした。従って欲しい人には一杯のコーヒーと交換で。因みに綺麗な女の人限定。
ヤローは・・・面倒臭いから缶コーヒーでいいや。二本。
ピックは最近お気に入りの JAZZ Ⅲ の赤いやつ。黒いのとは、同じナイロン製の筈なのに、えらくトーンが違うのだが。それから JAZZ Ⅲ の XL series の赤いやつとも何か違う気がする。因みに黒いのはヘヴィーな音楽をやるときによく使う。
因みにジムダンロップの、JAZZ とかデルリン製のやつとか分厚めのピックはどうも裏表の貼り合わせがずれていることが多く、手に取って確っかり選ばないと不可ない。気にしない人は別にいいのかも知れないが、私のようにピックで音を変えるという目的を持っている者にとっては、通販なんかでは一寸買い辛い。
ピックに関して、私は他に Ibanez のポールギルバートのが気に入っている。1.00より少し厚い厚みや、弦のタッチ、速弾きだろうがカッティングだろうが幅広いプレイに使える点、ざらつかないトーンなど、私好みなのだが、如何せん摩耗が早い。ガンガン弾くと一曲弾いただけで駄目になる。その点ジムダンロップのデルリン製のやつは摩耗に強いのでガンガン弾くときに使える。
それから、エスカッション。SGに少し高めのやつを付けることにした。
これでもう少しカッチリ固定できるようになったのではないかと。


新居昭乃の新しく出るCDの、内容が発表された。→ここ
・・・殆ど知ってく曲ばっかりやん。普通のベスト盤みたいな感じだったか。
ということで3000円も出して買うものかどうか、迷ったのだが、そういえば初回盤にはライブのDVDが付いてくるのか。
くそー。やらしーなー。買うしかないのかー。
輸入盤とかないのかな(反語的)。

2005/11/01

眠くなることについて

眠い・・・。
夜ちゃんと眠くなることは私にとって普段はまあ好いことなのだが、すべきことをやってるときに眠くなるのは余り素的なことではない。

素的なこととは。
20世紀少年

2005/10/31

ロウソクの光で見る音楽

無いはずの暇をあることにして曲を創る。
ロウソクの光で見ているような音楽。
八割方完成。あとは最後のひと閃きを待つのみ。
デモなのに一部の音に相当拘ったりしているから作業が遅いのなんの。
一つのトラックに対してリバーブとコンプとEQをそれぞれ2種類ずつ使ってるようなトラックがあったり。20バンドぐらいあるグライコプラグインが欲しい。あと物凄くスパッと切れるハイパス/ローパスフィルターとか。
かといって物凄く手抜きなトラックがあったり。
まあ全体の音数が少ないのが救い。でも閃き方次第では増えるかも。
そんなことしてるから面倒臭くなって飽きてしまうんだろうけど。
でもボク我慢するよ!

2005/10/30

芸術の秋

秋。
芸術の秋。
ということで、勉学もそこそこに曲でも描いてみる。
今週は珍しく余り忙しくないし。
あー、楽しーなー。と、自分に思い込ませながらする。
頭の中で曲を創っていくのは楽しいんだが、いざSONARに打ち込んでいくとなると実際には面倒臭い。
まあSONAR4になってから細かい編集作業が結構楽にはなったのだが。
だからボク我慢するよ!

因みにSONAR5はフリーハンドでオートメーションが描けるようになる。
一応SONAR4ではMIDIのピッチベンドぐらいはフリーハンドで描けるのだけれど。
私は昔 YAMAHAのXG warks を使っていて、それで XG warks ではMIDIのヴォリュームとかもフリーハンドで描けたのだが、あれは便利だった。
例えばヴァイオリンとかフィドルなんかでは弓を強く当てて粘っこく擦るように弾くとき、ヴォリュームが一番大きくなるのが普通より遅かったりピッチが揺れたりするのをMIDIで再現するときなんかに役に立つ。
SONAR4ではそんなヴォリューム操作一々やってられないのでタイミングをずらしたりしてそれっぽく聴こえるようにする。
それとか、ヴォーカルのミックスとかオートメーションをフェイダーを使ってリアルタイムに記録させていくよりも波形を見ながらフリーハンドで描けた方が作業効率は良いんじゃないかと思う。

サウンドハウス↓
SONAR 5
 

2005/10/29

秋は夕暮れ

今日は、「記述」「物語」「イデオロギー」の使用の仕方の何処が同じで何処が違うのかを明確にして考えないとないと不可ないなあ、ということを考えた。
つまり大して何も考えなかった。
能くこんなに何も考えずにいられるなあと、我なら感心する。


草の匂いが秋になった。


それから昨日ぐらいに、大分以前に書いていた日記もこっちに移せるようになったので、移した。
左の「過去ログ」がやたらと増えているのはその所為。

2005/10/28

Fairuz、Ellen Allien、Sigur Ros、Franz Ferdinand、Opeth

朝、身体はそんなに悪くなかったので、授業に赴いてみる。
度々しんどくなったが、何とか授業を受け、帰途に就く。
時々逆境に強くなる困った性格の所為で、帰りがけ、しんどさを圧してタワレコに寄る。
CDを買うのに脂汗を流す。
FairuzEllen AllienSigur RosFranz FerdinandOpethなど。
アラビアンポップの Fairuz が一番好かった。
エレクトロ/テクノの Ellen Allien は突出した点もないがまあ聴ける、という感じ。付属のビデオクリップに期待していたが、それも余り面白くなかった。太った人が腹をラケットにつくねをボールにしてピンポンしているビデオクリップ。因みに音は丸めでもっさりしている系。
Sigur Ros はあんまり好きじゃないんだけど。Dirty Three の新作でも買おうと思ってぶらぶらしていると試聴出来るのを発見し、視聴したのだがあんまりぱっとせず、で、同じ試聴機に入っていたのがこれ。前作より更にしょうもなくなっている気がしたが、Dirty Three の新作よりは好かったこともあって、何となく勢いで買ってしまった。矢っ張り私は Sigur Ros なら MOGWAI とかマイブラの方を聴きたく思う。
Franz Ferdinand。「悪くない」という程度でこれも特にキラリと光る物がなかった。一曲ずつ聴く分にはまあ楽しめるのだが、三曲以上連続で聴くと飽きてしまう。まあパーティなんかのバックグラウンドミュージックとしては良いのではないだろうか。私のように独りでじっくり聴くことが多い人間には、一枚通して聴くのは余りピンと来ない。
あーでも Jamiroquai は大好きやねんけどなあ。
Opeth。ゴシック寄りのデスメタル+α。彼らはデスメタル一直線というよりは、結構色んな音楽をちゃんと聴いているっぽいので気に入っている。


因みに体の方は寝たり起きたりで。頭もあんまり働かないので起きたらパソコン触ってる感じで。

2005/10/27

Kritik der Menschenkraft

風邪を圧して書きたいことがある。

人間力を高める?
ソースはここここ
糞みたいな響きを持つ言葉だ。口から糞を吐くようなものだ。
能く酒も呑まずこんな言葉で口を汚せるものだと感心している。
而もこの語がどんな意味内容を持っているのかが全く以って明確でないし、メタファーとして良く出来ている訳でも、詩的美しさがある訳でもない、実にカスみたいな言葉だ。

ニートとは社会から疏外して扱われてもしょうがない存在である、或はニートとは人として不十分な存在である、というような物語を社会に更に広める目的に対しては素晴らしく効果のある言葉だろうけれど。

私の拙い社会分析では、「人間力」なる訳の分からん力が足りないから人がニートになる、或はニートの人を就業或は就学させる為には「人間力」なる訳の分からん力が必要である、というのは余りに短絡的な思考であり、或程度正しかったとしてもことのごく小さな一面を誇大して考えているだけであるように思える。
重要な点として、社会に対して希望がない点、例えば、権威主義的イデオロギーが若い世代にとって馬鹿げたものであるとして広く理解されている反面、実際の社会では未だにそのような権威主義が猛威を振っており、若い世代の人間がそのような「馬鹿げたことが罷り通っている社会」に対して希望を持つことを諦めている、というような物語を若者世代が自分達について広く物語っている点、自らが自動機械や単なる歯車でないと知っていながら就業すればその歯車になるほか無いという物語が社会についての物語としていよいよ重要な部分を占め始めた点、或は青春時代の殆どを「先の見えない不況、自己責任」ということに関する物語が語られた時代に生きており、社会に対して希望を持つということがどういうことか理解出来ない、という点、があり、また自分が自分の社会の一員であるという物語が力を失い、社会と自分を切り離して考える物語が疏外の物語として重要な位置を占めるようになってきた点、それらの点が、ニートの問題を考えるときに重要な点となるのではなかろうかと思う。また、社会の側がニートを社会から疏外するような物語をいよいよ露骨に敵意を持って物語るようになってきたという点も重要であると思う。「ニートは人間力が足りない」とか。「ニートは親の財産を喰って生きる穀潰し、働かざる者喰うべからず」とか。その影響を受けてニートである人はますます生き難くなる物語を自分に対して物語ってしまい、ますます動きにくくなるという悪循環が始まっているんじゃなかろうか。
ニートであるまさにその人がニートになったのは、その人自身に負う分も幾らかはあるだろうが、そのことは兎も角として、ニートに関する問題がまさにそのような社会問題になったことには寧ろ社会の方に問題があるのであり、また個人の問題に分析してしまうだけでなく社会の問題として扱われるべきだと思う。
推敲が面倒臭いから文が矢鱈長くなってしまって文の構造が見えにくくなる愛嬌。
まあ簡単に言うと、単純に日本社会がニートに対して物語っている物語とニートである人が自分自身に対して物語っている物語の傾向性を分析してみるだけでも、「人間力」なんて差別的でないなら意味不明な語を持ち出してくるよりは一寸はマシなことが言えるんじゃないか思う。

「人を励ます」という動機は多くの場合「善いこと」に数えられるが、一方で実際に人を励ますときには一寸は考えてしないと不可ない、ということは常識的真理であったように思うのだが。私が間違っているのだろうか(反語)。

うん、腹と頭が痛くなって来た。

2005/10/26

計画的、早寝

最近一寸無理をするとすぐに身体から「いやムリっす」というレスポンスがあるような体になってしまった。
普通人は何処か一箇所くらい一寸悪くしても、それなりに生きていけるようにできているものなのだが。
ということで、恐らく何処か一箇所だけ悪いというよりは寧ろ、全体的に一個の生命体として免疫力が低下しているのだろう。
喰う物は一応酷い時期よりは余っ程改善されている筈だから、生活リズムがなってないのが不可ないのだろう。
というかここ何日もまともに寝てないのが不可ない。
何の苦行やねん。

要早寝。
そして一寸は計画的に生きること。

2005/10/25

やばい。
異様にしんどいので今日はもう寝ます。
もう朝は冷え込む時期なのに窓を開けっ放しにして寝るのはどうも関心しなかった一日。

2005/10/24

カラオケ

神戸に赴き、友人に会い、カラオケなどする。
フリータイム、3人で6時間半程歌う。
カラオケなのにまあまあ良いマイクを使っていたので結構歌い易かった。
ヴァレンシアの『ガイア』など、普段は入ってそうで入ってない歌が色々入っていたので、嬉々として歌う。

因みに私の歌の得意分野はジャズやブルース的なものなのだが、そういうのはカラオケには余り入っていない。入れて欲しい。せめてスタンダードくらい。まあスタンダードも幾つか入っている機種もあるようだけど。今日のは入っていなかった。
あとジェフバックリーを是非。

またルナシーやら伊藤真澄やらマイケルジャクソンの物真似をする。
伊藤真澄の物真似が一番似ていたかと。
あ、ジャミロクワイ歌うの忘れてた!

カラオケ面白いな。


序でに漫画を買い、飯など喰い、帰ってくる。

2005/10/23

ICO再び

今日もICO。
ムズけーかった。
が、どうにかクリアしました。

手を引いて、守って戦って、なのに、なんて切ない。

2005/10/22

ICO

ICO
えらい名作という噂。
にわ氏に一年かそこら借りっぱなしなのを、やっと今日初めてプレイしてみる。
まあぶっちゃけ、借りてたことを忘れていたのだ。
というのも、そろそろ返さなくちゃと思ったのだが、折角「これはいいぜ」と言って貸して貰ったものを、「全然やりませんでした」と言って返すのも礼に反するかと。
というか一年も借りっぱなしというところで既に余っ程礼に反しているかと。
ということで、一応返す前に一度プレイしてみることにする。
面白ければ返した後にでも自分で買えばいいのだ。中古なら多分1000円も出せば手に入るだろう。
で、やってみたのだが、面白い。影ちょー怖ぇ。
そして意外にムズい。
ムズく感じるのは、まあ私は普段ゲームは殆どしないからなんだろうけど。
どのくらいムズいかというと、女王登場から全く先に進めない、というくらい。
これから私はどうすればいいんだ、途方に暮れて御座候。

2005/10/21

ガムラン、インソムニア、音楽理論

今週も疲れた・・・筈なんだが、何故か眠くならない。
あー、また例のあの病かねぇ。
ビビりながら生きる。
違ったらいいのだけれど。


それから、ジャワのガムランのCDを買った。
「ガムランっぽい」ような音楽のCDなら沢山持っているのだが、ほんまもんのガムランはこれが初めて。
因みに生ガムランは昔バリに行ったときに聴いたことがある。
ケチャじゃなく。
それから日本でも、「遠戚の友人」ぐらいの微妙な間柄の人がやってるのを一度聴いたことがある。
そのときは私は今より更に若造だったので、音楽を楽しむというよりはポリリズムの分析に終始していた記憶がある。
今回はちゃんと楽しもうと思う。
まあ兎も角あの人達、多分、私が知っている音楽認識の仕方とは違う音楽認識の仕方を知っていらっしゃるようだ。
単なる無秩序な音の羅列が音楽ではないのは、音楽が音楽である為には、多かれ少なかれ、或は意識的なものであれ無意識的なものであれ、その音の塊の構造に何らかの規則性、或はもっと言うと、社会で或程度通用している規則としての「規範」性、がないと不可ないからである。
ならそのガムランの世界で成り立っているような規範を、ラーニングしない手はない。

音楽の規範性ということについて序でに言っておくと、芸術家は新しい規則を発明することが可能ではあるが、その規則がその「音楽」やその芸術家にとって完全に私秘的なものであるときには、その規則は規範とはならないので、その括弧付きの「音楽」は今や音楽であるとは言えない。
歴史や社会を完全に超越したという意味で「完全に新しいもの」或は「完全にオリジナルなもの」こそ芸術家の目指すべきものだという幻想は、捨て去るべきである。
そんなものは仮に存在するということが可能であると言えたにせよ、どのみち無意味なものである。
それに換わるものとして、「十分に新しいもの」或は「十分にオリジナルなもの」というような言葉を使用するように私は勧める。
まあ心配しなくても、人間に「完全に新しいもの」なんて、原理的に創造できやしないんだ。
何故ならその「新しいもの」の新しさが完全性を持ったその時点で、その「新しいもの」は何の意味も持たないものになるからであり、或はその「新しいもの」が何を意味しているのかとかどう新しいのかということについて原理的に理解不能になるからであり、或は言い換えると「新しいもの」という言葉が戯言や叫び声としては機能するかも知れないが意味を持つ言葉としては機能しなくなるからである。

まあそれでも尚、新しい規則の発明は芸術家の重要な仕事の一つであるという私の信念に変わりない。単にその規則が「完全に新しい」規則であるということが全く意味を為さない、というだけのことで。

従って学ぶことを恐れるな。

2005/10/20

計画性、行動力

今週くらい早く眠れると思ったのだが。
そうは甘くない。
為すべきこと未だ終わらず。

然し一応徹夜は避けられそうな。

早く寝たいと身体が申して御座います。

行き当たりばったりの人生。
計画性と行動力が欲しい。

2005/10/19

古本の前の持ち主

古本を沢山買う。
文庫本が一冊50円也。
見た目が汚いが、私好みの近代小説も数が或程度揃っており。
15冊買って750円也。
新書一冊分の直段。
買った本の中には『万葉・古今・新古今』という本も入っているのだが、恐らく前の持ち主が高校生のときにでも使っていたのだろう、学年クラス名前出席番号が、本の、端っこだが能く解るところに、ボールペンで思いっ切り書いてある。
本屋さんよぅ、名前書いた本売るなよぅ、何か危なさそうだろっ・・・って、そんなことも確認せずに買ってる私も私だが。
因みに名前が女性の名前だったので少々色めくが、この本の印刷された年と学年を考えると、私より十幾つか年上らしいということが解る。
てことは○○歳位の女の人か・・・うん、未だ私は若い・・・而もどうせ美人とかじゃないんだろう・・・。よしっ、対象外ということにしよう!
などと誠に勝手なことを連想ゲームしてニヤニヤする。

って矢っ張り、知らん人のプライベートなことが一寸分かっちまったじゃねえか・・・。

名前と年とが分かったくらいで強請のネタにでもなる訳ではないが、然し自分の名前が書いてあり、学生時代に使っていた品で、思い出の一つでも思い起こさせそうな品が、私のような何か訳の分からんアホっぽい他人の手に渡るのは、あんまり好い気のしないことなのではなかろうかと。

私が古本をそんなに好きではないのは、古本は多かれ少なかれ以前には誰か知らない人の持ち物であったということが、言い換えると以前そういう所有物としての本を自分のものとして読んでいた人が居るということが、どう無視しようとしても能く解ってしまうところである。
従って純粋にテキストから得られる情報だけでなく、もっと他の私にとって重大に影響を及ぼす情報として、前の持ち主の情報が否応なしに私の中に吸収されてしまうような感覚が好きではないからだ。
私がもっと人との関わりを積極的に求めるような体質であったら、或はこのことは好いことだったのかも知れないが、残念ながら私は常にATフィールド全開な感じなので。

2005/10/18

ホリック、ガンダムさん

漫画。
買ってきた。
XXXHOLiC機動戦士ガンダムさん

ホリック。
クランプ的な因果応報やアヤカシもの。
魅力は画。
話も、段々面白くなってきそうな感じ。

ガンダムさん。
ガンダムのギャグマンガ。
おバカなシャアとツッコミのララア、思春期のアムロ、アッガイ萌えなど。
兎に角ガンダムネタなので、ガンダムについて幾らかの知識は要るが、然し少し知っていさえすれば、楽しめるんじゃないかと。

2005/10/17

雨ニモ負ケズ

昨日から哲学会という慣れぬ響きを持つ場に緊張気味に赴き、発表討論を聴き、飯を喰い、酒を呑み、一泊し、少し睡眠を摂り、また発表討論を聴き、飯を喰い、夕刻帰宅する。

帰宅後、疲れてしまってエポケーっとしながらサンレコでも読むうち時間が潰れる。
土日が潰れ、今週の用意が何もできていない。
うーん。
というか、私にも再来月かその次の月辺り発表があるという噂。
勿論用意は全然できていない。
うーん。

雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、
もっと用意周到な人に私はなりたい。

2005/10/15

モーツァルトとベーム

何もできなかった・・・。
ぼんやりモーツァルトでも聴きながら只管ぼーっとする。

モーツァルトはベームのがいいねー。ベームってのは指揮者の。
録音は古いけど。流石に巨匠と言われてるだけのことはあるんだろう。
一つの音が始るときアタック感がない。一つの音が終わるときに余りプツッと切って了わず、スタッカートさえ僅かにフェイドアウトしてる感じ。
だから全然ズンズンガンガンという感じがない。大地や鼓動の力強さとは無縁。
その代り、流れるよう。音が一続きになっている。
川が途中でプツプツ切れてるのは変だ。

それでまた、モーツァルトの、何処まであるのか端が見えないような広がりが、能く解る。
うわ、広っ、端っこ見えねーや、みたいな。
単に音で、ここまで見せられるのだから、スゲー人はやっぱスゲーんだなと思う一日。

モーツァルトは昔は嫌いだったんだけどねー。
好きじゃない、ではなく、嫌い、だった。
面白くなかった。軟弱だと思った。
筋肉肉体に関するものだけが人間の芸術に関するものであり得る思っていたから。
その頃からベートーベンが好きだったのは、ベートーベンの筋肉と筋肉の動きに因って作り出される表情が好きだっただけだった。
因みにベートーベンは私のクラシックのアイドル。
然しモーツァルトの良さが段々解るようになってくるくらいに私の音楽理解が変わってくると、ベートーベンの見方も変わってきて、別の良さが見えてくる。

だから音楽を色々聴くのは止められない。それらは私の世界認識の仕方を増やすことで変えて呉れる。


って、こんな内容、もう一つの方の音楽レビューブログに書けばよかった・・・。
ということで今度暇なときにそっちにコピペしときます。

2005/10/14

記述間の翻訳不確定性

さて、このブログの記録メモという側面の最たるものを。
人間の或振る舞いが道徳的である為には、ということに関して、思ったことなど。
忘れないうちに。迷走気味に、飛ばし飛ばし、私的言語で書くと。

私は物凄くプラグマチストなもんで。プラグマチズムの語彙で物事を記述するのが好きなのです。で、何でも先ずプラグマチックなもののとらえ方から出発してしまうという癖がある。
因みに「プラグマチズム」ってのは何かってことは今日は説明しません。チョー面倒臭い。私はナチュラルボーンプラグマチストなので、そりゃ魚になんで泳げるのか訊いてるようなもんだ。私のプラグマチズムはローティに影響を受けていて、それでローティのにかなり近いものなので、まあローティ読んで下さい。『偶然性・アイロニー・連帯』がお勧め。まあ簡単にだけ説明しとくと、プラグマチストというのは、ウィトゲンシュタインの「ザラザラした大地に戻れ」という言葉が好きな人達のことで・・・?
ハイ、テキトーに言いました。面倒臭いんだって。色んな側面があって。

まあ兎も角、私にとってプラグマチズムとは、それによって議論のスタート地点に立つ為のものであって、プラグマチズムそれ自身のみによって議論に何らかの解決を与えることが出来る、というようなものではない。ということで、取り敢ずスタート地点まで行ってみよう。

好い/悪いを判断する道徳判断についての議論で、例えば、行為性或は動機を重視するのか結果を重視するのかというような議論について。
結果重視ってのは、動機の良し悪しや有無は兎も角、いい結果をさえ引き起こせば、それは道徳的に正しいことをしたんだと言える、というような立場。それに対して行為性重視ってのは、道徳的に正しいことをしたんだ、と言える為には行為性が必要で、行為性無しには道徳的正しさは成り立たないんだ、というような、カントっぽい感じの議論。
因みに「行為」ってのは「或行動について、そうしようと意識してそうすること」みたいな感じ。そうしようという明確に意識された動機がある。だから、反射や無意識的な行動は勿論のこと、或ことをしようと意識したんだけど違うように行動してしまったってのも、ここでは行為ではない。
因みに、行為に関するこの種の定義は込み入った議論をするときには一寸素朴すぎるように思えるが。例えば「ランプが点くのが見えたらできるだけ早くボタンを押してください」と言われた被験者の意識や行動や反応時間について込み入った議論をするときとか。然しまあこれで十分、という場合も多い。

で、プラグマチックな観点から見てみましょう、と。
その判断の対象となっている個々の(一般的な、ではなく)事柄について記述しようというとき、実際は、「行為性」や「結果」に関わる語彙で記述されるよりもっと沢山の種類の語彙によって記述される記述の仕方が可能なんではないかと。で、それらの別の記述の仕方で記述された個々の記述の関係について言っておくと、それらの間には翻訳不確定性テーゼが働く限りで翻訳可能である(何故なら同じような事柄について記述されているのだろうから)、ぐらいの関係なので、それらの記述のうちどの記述が重要なのかについて議論することが可能であり議論することが可能であるということは、合意されていない状態から、議論の参加者の共通認識まで掘り下げるなどして、合意にまで達する可能性があるということである。
なので、ここで、どの記述が重要なのかについての議論が起こる。
プラグマチズムが主に面倒を見るのは一応はここまでであり、またここでやっと議論を始めることができる。そういう意味で、プラグマティズムは、それによって議論のスタート地点に立つ為の物なのである。

で、議論が旨く行けば、議論の参加者の間で合意が得られる。(因みに言っておくと、勿論、誰が議論に参加すべきか、誰の間での合意が必要か、というようなことも、議論の余地があることである。)
またその後、他で議論してた人達の合意内容とこの合意内容が衝突する場合には、またそこで新しい議論を始めることができる。我々は新しい記述の仕方を幾らでも発明することができるのだから、何か語って語り尽くされるなんてことは無い。
というように議論が続いていく。


・・・読み返してみると、あんまり大したこと言ってねーな。
あ、でもこの違う語彙で記述された記述の間に翻訳不確定性テーゼが機能するとか言っていいのかというのはもう一寸考えないと。
でもメタファーとしては・・・まあまあ面白いんじゃねーかね自画自賛。
因みに自画自賛ってのは悪い意味で使われると思うんだが。然し私は言っておく。芸術家に対して。
自賛できない絵なんか描くんじゃねー!


で、重要な点の一つは、プラグマ「ティ」ズムなのかプラグマ「チ」ズムなのか、どっち、という話。

2005/10/13

新しい眼鏡

ハイ、すいません、徹夜です。
ハイ、私が悪いのです。
今日朝起きてやろうとしたことが、寝てしまって、出来なかったのです。
言い訳がましいですか?言い訳をしてるのです。


新しい眼鏡を手に入れた。
装備すると、コンタクト装備時より気楽さのパラメータが3上がる。
魔力が2上がる。
特技「セブンに変身」が使えるようになる。
目の大きさが4下がり、回避率が5%下がる呪い。


それから、Sleipnir 2.00 の正式版がでました。
わーい。

2005/10/12

おいっちに

最近の腹の突出振りには辟易させられる。
腹をへっこめよう計画開始。
蟲か?蟲いっとくか?
すいません、それだけは。
ということで、腹筋でもしてみることにする。
おいっちに。おいっちに。
痙る。
・・・やっぱヨガか?

2005/10/11

副腎皮質

ムーンライトソナタ(第一楽章)な季節と相成り候。
然し私の部屋からは月が見えない。
従ってこの気分の幽玄さは月の美しさの所為に非ず。
昨日飲んだドリエルの所為。
或は黄金糖と氷砂糖を喰い過ぎた所為。
プロザックとインシュリンを呉れ。
或は一杯の温かい紅茶を。

ナザレのイエスの曰く、求めよ、さらば与えられん、と。
然し私は言っておく。
求めよ、さもなくば得られず、と。
求めよ、得んとせよ、と。

従って茶を淹れよ。


早くトレンチコートな季節にならないだろうか。
そうしたら、何処か歩こう。
見通しの良い道が好い。
前を向いて。

2005/10/10

ピックアップの配線改造週間最終日

ギターを改造しましょう週間最終日。
テーマは「SGのピックアップにシリアル-パラレル-タップ2本同時切り替え用のロータリースイッチを取付けましょう」。
因みにこのSGは以前からリアのトーンポットを外してタップスイッチが取付けてあった。
その前はシリアル-パラレルの切り替えスイッチを付けていたのだけれど。
そのタップスイッチを今回3アクションのロータリースイッチに交換してしまおうと。
それからこういうスイッチ類は、楽器屋で買うより電子パーツショップで買った方が1/3(ギターによく使うもの)~1/10(ギターには珍しいもの)くらいの値段で手に入ることが昨日判明した。

序でに言っておくと、トーンポット(に付いているコンデンサ)は外すだけで大分音が変わる。ギブソンに特有の鼻をつまんだような中域が強調された艶々な音が好きな人は外さないようにしましょう。逆にもっとビリビリしたハイまで出したい人は外してしまいましょう。
付けておけば艶とガッツがある感じに。外せばギンギンアグレッシブな感じに。
私のようにSGみたいな生音からして中域強調型のギターを使っている場合は、外してしまえば、まあどこでも使いやすい音にはなるかと。まあ私のアンプのセッティングに関しては、殆どの場合ハイを削るのだけれど。然しエフェクターを通す前でハイを落とすのとアンプで落とすのでは出音は全然違ってくる。その辺はお好みで。
私の感覚では、トーンポットを付けてハイを落とした方が艶やかな感じは出るが、アンプで弄った方が飽和感のある音を作り易いような気がする。
私の場合は、リアではもっとハイが出て欲しかったしリアのトーンポットは殆ど使った例しがなかったので、リアは外している。フロントはピックアップの特性上(ダンカンのJazzはかなりハイが出る)、これ以上ハイが出る必要がなかったし、トーンポットは結構使うので外さないでいる。

で、元々トーンポットがあった場所にできたスペースに、今回はロータリースイッチを取付けてやろうと。

まあタップもパラレルも以前使ったことがある音なので、別段新しい訳でもなく。
でもまあどちらもすぐに切り替えられるというのは魅力。
因みにパラレルの音ってのは、多分グレッチのフィルタートロンがパラレルだたと思う。あの、ブライアンセッツァーのに付いてるやつ。ジェットとかによく付いてる黒いシングルのじゃなくて。違ったかな?まいっか。実際音は全然違うんだろうし。
センターがリバースでないストラトのハーフトーンとかムスタングの両方のスイッチをフェイズアウトさせずにオンにするのも、回路的にはパラレルみたいなもん。
然しピックアップ同士の距離がパラレルの場合は近いので、音は一寸違うが。
まあ音的には、「ノイズの無いシングル」と言った方が近いかも・・・。じゃあタップ要らねーじゃんって話になるなー。
でもタップとパラレルはやっぱ一寸、質感が違うからなー。説明し難い。シングルとハーフトーンの間みたいな音?

それから、「回す」という動作は、瞬時に切り替えたいときなど、思ったより時間がかかって手間取ることが解った。
矢っ張りスイッチはトグル式の方がやり易い。
然し見た目は、こっちの方が格好良い。
私はガスの元栓に付いているようなノブを付けている。
なんかカチカチできそうで、機械っぽくて格好良い。





2005/10/09

空白むピックアップ交換

日本橋のパーツショップで4PDTのON-ON-ONのトグルスイッチを手に入れる。
ディマジオの1/10の直段。
序でに4回路3アクションのロータリースイッチも手に入れる。
SGもシリアル-パラレル-タップの切り替えができるようにしようかと。
これもまあ似たような直段。多分これも、楽器屋を通して買うと10倍近くふっかけられるんじゃないかと。
それからヴァイオリン用のピックアップに改造する為の100円くらいのブザーを買ってくる。
楽器屋でパーツを買うのが馬鹿らしくなる。
ギター工房やリペアショップの人達なんかはどうしているのだろうか。

頼んでおいたピックアップも届いたので、早速付けてみる。
1ヴォリューム1トーン(トーンはフロント専用)にする。
これでピッキングのとき邪魔になるボリュームポットを一つ下に移動させることができる。
またピックアップセレクターをリア-リア+フロント-フロント-フロント+センター-センターの順に切り替わるようにする。
つまりフロントとセンターの配線を換える。
勿論二つのハムバッカーは、2個同時にシリアル-タップ-パラレルの切り替えができるように4PDTスイッチを導入する。
スイッチはヴォリュームポットとトーンポットの間に穴を開けてそこに付けることにする。

これで万能ストラトのできあがり。

見違えた。
JB jr.はかなりガッツのある音。ディストーション向け。
little'59は甘くてぶっとい。オールマイティ。特にタップ時やパラレル時の音がかなり使える音!
SGに付いてるCustom + Jazz の組み合わせに比べると、こちらは中音域重視。CustomもJazzも結構ハイが出る。

只管ヘヴィーブルースを弾きまくる!
そして空が白む。