古くはスペンサーが思い付き、近くはE.O.ウィルソン辺りが(間接的に)人柱となってモヤモヤを明確化したおかげで議論がはかどり、どこがどんなけ悪いかが一層明確になってからというもの、とっくの昔に打ち捨てられたと思ってた社会進化論なんだが、その一番ダメなヴァージョンのが巷間のサブリミナルにいよいよ流行しているように私には見える。
実際どうなのかね・・・。
実際そうだったとして、何がこの流行を引き起こしたかってのに少し興味がある。
けどその話はまた頭がまとまれば。
とっ散らかってるからね。
てことで、以下私の頭のとっ散らかってることの他の好例。
生物進化論のスキームを使った種類の「進化」ということで言ってる「進化」は「進歩」を含意しないことと、あと適応や進化にはそこそこ多くの時間が掛かることがよく忘れられがち。
生物進化論のスキームを使うなら、或ものが進化したということのみからそれが善いものになったなんてことは少しも導き出せないし、「それは適応している」ということそれ自身が「それは善い」ということを少しも含意していない。
休火山が突如噴火して今まさに焼けつつある森の中の生き物達がその燃え盛っている状況に「適応する」という考えが馬鹿げていることは誰にでもすぐ判ると思うんだけど、人間社会についての文脈でパッと(ダーウィン風の)「進化」とか「適応」とかが出てきても疑問に思う人は少なそうに思える。
「進化」とか「適応」という語が必ずしも生物進化論のスキームを用いたものとしての「進化」や「適応」であるという訳でもないので、まあややこしいかね。
単に前と比べて良くなったことを「進化」とも言うし、単に状況により合うようになることを「適応」と言うし。
うーん、「進化」とか言った本人の意図も曖昧だしそれを聴く方も曖昧な感じで、イロイロアレコレを経て結局変な社会進化論が出来上がってるという感じ?
あと変な功利主義も混じってる気がするんだよなー。
功利主義そのもののおかしさに加えて更に「最大多数の最大幸福」の二つの「最大」の使われ方のいつもより増してビミョウなヤツとかご都合主義の更に進んだヤツとか、まああと時間の概念の欠落したヤツとか。
貧民ジェノサイドか人口爆発で全て解決する感じの「最大多数の最大幸福」。
我々人間の生産手段だとか社会的ルールだとかが、例えば刻々と変化する社会的状況においてその時々に合わせてどういった訳か進化的に適応する、なんて馬鹿げた想念は社会進化論の飛び切り低級なヤツにでも投げ与えてどっかに遣ればいい。
まあ低級でなくても私の知る限りの殆どのヴァージョンの社会進化論は多かれ少なかれ、生物進化論そのものへの誤解とその用語の適用の仕方における誤解の両方に依って成り立っているように見えるんだけど・・・。
どうかね。
あ、まだ色々書けそう。
でも眠い。
2012/02/29
2011/11/15
When the levee breaks, we 99% will have no place to stay.
少し一般化して言ってみよう。
人を殺す自由も一つの自由だ。
但、それは適用されるべきではないということが誰の目にも明らかである種類の自由であり、取り立ててその価値を再考しなければならない程のものでもない。
自由の中には適用すべきか適用すべきでないか、価値があるか価値が無いのか、倫理や道徳に適うのか適わないのか、有用であるか無用であるかがビミョウなところにあるものも沢山あるし、恐らくは殆どがそうだろう。
我々は色々な自由の中から何が採るに値する自由なのかを判断乃至選択しなければならないし、場合に拠っては新しい自由を創造しなければならない。
また常にその為の議論の余地はある。
選択の基準として「他人様に迷惑を掛けない限り」という指針が有名だが、それは数多くの(ときに相反する)指針の内の一つに過ぎないと私は考えている・・・が、このことについては暫く問わず。
自由とは、他の総ゆるものがそうであるように、人間を無関係にして「真なる一なる世界」に拠って予め規定された不可謬な真理でもなければ、その御前に額づいて直視することの憚るべき何か神聖なものでもない。
「自由」という字面や言葉の響きに騙されて無批判に諾々と受け入れないで欲しい。
例えば「自由貿易」ひとつ取っても色々な種類の「自由」があり得る。
或文脈で「自由貿易」という言葉が出てきたとして、そこで謂われている「自由」が実際にはどういったことを指すのか、それが採るに値する自由なのか、よく検めてみる必要は常にある。
TTPに因って、環太平洋のどこの国のどこの地域の人間でも平等に暴力や貧困から遠ざけられたり例えば現在の日本の平均的な医療や教育や生活水準を享受できるようになるなら誰も大した文句は言わないだろう。
或はグローバリズムパワーか何かでタイの(HDD工場だけでなく)必要な箇所により高性能な堤防を築き、水没地域の排水を速やかにできるようにでもなるのか?
然し実際には、the 1%達やそれに類する者がアメリカの半分より幾らか多くの比率とその他の環太平洋地域の恐らくはもっと大きな比率の富を独占することをより楽にするだけではないのか?
これは一体どういった種類の「自由」なんだ。
日本政府はここでもまた防波堤の役目を放棄した。
いつものことだと言って諦念顔をするには余りに取り返しがつかな過ぎるのではないのか。
防水仕様の安いノートPCとかあればいいのに。
或はAndroidのとかiPadとかのタブレットコンピュータ。
生活防水ぐらいでいいのだ。
風呂で使いたい。
と思ったら、iPad用の防水ケースとかあんのね。
イヤホンも使えるっぽい。
一寸タブレットが欲しくなってきた。
そういや日本橋、主な電子パーツ屋(マルツ、千石、パーツランド、共立)が結構近いところにかたまっているのな。
楽でいいや。
人を殺す自由も一つの自由だ。
但、それは適用されるべきではないということが誰の目にも明らかである種類の自由であり、取り立ててその価値を再考しなければならない程のものでもない。
自由の中には適用すべきか適用すべきでないか、価値があるか価値が無いのか、倫理や道徳に適うのか適わないのか、有用であるか無用であるかがビミョウなところにあるものも沢山あるし、恐らくは殆どがそうだろう。
我々は色々な自由の中から何が採るに値する自由なのかを判断乃至選択しなければならないし、場合に拠っては新しい自由を創造しなければならない。
また常にその為の議論の余地はある。
選択の基準として「他人様に迷惑を掛けない限り」という指針が有名だが、それは数多くの(ときに相反する)指針の内の一つに過ぎないと私は考えている・・・が、このことについては暫く問わず。
自由とは、他の総ゆるものがそうであるように、人間を無関係にして「真なる一なる世界」に拠って予め規定された不可謬な真理でもなければ、その御前に額づいて直視することの憚るべき何か神聖なものでもない。
「自由」という字面や言葉の響きに騙されて無批判に諾々と受け入れないで欲しい。
例えば「自由貿易」ひとつ取っても色々な種類の「自由」があり得る。
或文脈で「自由貿易」という言葉が出てきたとして、そこで謂われている「自由」が実際にはどういったことを指すのか、それが採るに値する自由なのか、よく検めてみる必要は常にある。
TTPに因って、環太平洋のどこの国のどこの地域の人間でも平等に暴力や貧困から遠ざけられたり例えば現在の日本の平均的な医療や教育や生活水準を享受できるようになるなら誰も大した文句は言わないだろう。
或はグローバリズムパワーか何かでタイの(HDD工場だけでなく)必要な箇所により高性能な堤防を築き、水没地域の排水を速やかにできるようにでもなるのか?
然し実際には、the 1%達やそれに類する者がアメリカの半分より幾らか多くの比率とその他の環太平洋地域の恐らくはもっと大きな比率の富を独占することをより楽にするだけではないのか?
これは一体どういった種類の「自由」なんだ。
日本政府はここでもまた防波堤の役目を放棄した。
いつものことだと言って諦念顔をするには余りに取り返しがつかな過ぎるのではないのか。
防水仕様の安いノートPCとかあればいいのに。
或はAndroidのとかiPadとかのタブレットコンピュータ。
生活防水ぐらいでいいのだ。
風呂で使いたい。
と思ったら、iPad用の防水ケースとかあんのね。
イヤホンも使えるっぽい。
一寸タブレットが欲しくなってきた。
そういや日本橋、主な電子パーツ屋(マルツ、千石、パーツランド、共立)が結構近いところにかたまっているのな。
楽でいいや。
2010/12/07
違法にする
著作権法が変わって、色んなことが違法となりそう。
DVDをリッピングして私的にバックアップすることまで違法としようってんだからどうかしてる。
著作権という概念がどんどんアサッテの方向へ行こうとしている。
例えば著作権法違反に引っ掛かる著作物データのダウンロードが違法とされたら、Wikileaksのリークデータをダウンロードすることが違法になるまでどのくらい掛かるかね。
私が俗世の埒外にでもあるなら「そいつは見ものだ」と一笑に付すことができたんだろうけど。
打ち下ろすハンマアのリズムを聞け。
著作権管理団体等々が滅びても映画や音楽は滅びないだろう。
或は寧ろ、と私には思える。
DVDをリッピングして私的にバックアップすることまで違法としようってんだからどうかしてる。
著作権という概念がどんどんアサッテの方向へ行こうとしている。
例えば著作権法違反に引っ掛かる著作物データのダウンロードが違法とされたら、Wikileaksのリークデータをダウンロードすることが違法になるまでどのくらい掛かるかね。
私が俗世の埒外にでもあるなら「そいつは見ものだ」と一笑に付すことができたんだろうけど。
打ち下ろすハンマアのリズムを聞け。
著作権管理団体等々が滅びても映画や音楽は滅びないだろう。
或は寧ろ、と私には思える。
2010/07/07
皮肉が好きなんだ
選挙か。
昼頃、箕面方面に、何故かやや緊張気味の声で「桂きん枝です・・・、桂きん枝です・・・、がんばります」的なことを大音量で只管繰り返す街宣車が通る。
この時期だから・・・選挙か?
きん枝がか?
然し選挙にしては、まあ政見は最早期待できそうもないにしても、党名も「この度参議委員選挙に立候補致しました・・・」的な文句も無し。
選挙活動じゃないのかなあ・・・。
ということは、「只大音量で候補者名や政党名を繰り返すだけの選挙活動とは名ばかりの、政治的に価値の無い、騒音公害としての選挙カー」を皮肉る活動とか?
選挙に出馬した人の名前や政党名を只管大音量で繰り返すことは、選挙に出馬する訳でもない人とか団体とかが、この機に只管自分の名前だとか団体名だとかを大音量で繰り返すことと同じこと(つまり同じぐらい馬鹿げたこと)だ、ということを表現しているのか?
それなら納得できる。
そういう皮肉は嫌いじゃない。
上手くやればアートと呼べるようなものにまでなるかも知れない、とすら思う。
そうだ。
選挙に時期には、大勢で自分(或は自分の好きなミュージシャンの名前でもいい)の名前とか所属してるサッカークラブ(或は自分の嫌いな食べ物)の名前だとかを大音量で繰り返したら、面白いんじゃね?
それで街宣車の後ろをぞろぞろついていったり。
でもきん枝がか?
余りに不審だったのでググってみたら、桂きん枝が参院選に民主党から比例で出てるんだそうだ。
てことは、アレは選挙活動の一環だったのか。
選挙活動のなんでもアリさ加減は、もうここまで来てるのか。
なんじゃそら。
絶望感を味わうには丁度良い。
昼頃、箕面方面に、何故かやや緊張気味の声で「桂きん枝です・・・、桂きん枝です・・・、がんばります」的なことを大音量で只管繰り返す街宣車が通る。
この時期だから・・・選挙か?
きん枝がか?
然し選挙にしては、まあ政見は最早期待できそうもないにしても、党名も「この度参議委員選挙に立候補致しました・・・」的な文句も無し。
選挙活動じゃないのかなあ・・・。
ということは、「只大音量で候補者名や政党名を繰り返すだけの選挙活動とは名ばかりの、政治的に価値の無い、騒音公害としての選挙カー」を皮肉る活動とか?
選挙に出馬した人の名前や政党名を只管大音量で繰り返すことは、選挙に出馬する訳でもない人とか団体とかが、この機に只管自分の名前だとか団体名だとかを大音量で繰り返すことと同じこと(つまり同じぐらい馬鹿げたこと)だ、ということを表現しているのか?
それなら納得できる。
そういう皮肉は嫌いじゃない。
上手くやればアートと呼べるようなものにまでなるかも知れない、とすら思う。
そうだ。
選挙に時期には、大勢で自分(或は自分の好きなミュージシャンの名前でもいい)の名前とか所属してるサッカークラブ(或は自分の嫌いな食べ物)の名前だとかを大音量で繰り返したら、面白いんじゃね?
それで街宣車の後ろをぞろぞろついていったり。
でもきん枝がか?
余りに不審だったのでググってみたら、桂きん枝が参院選に民主党から比例で出てるんだそうだ。
てことは、アレは選挙活動の一環だったのか。
選挙活動のなんでもアリさ加減は、もうここまで来てるのか。
なんじゃそら。
絶望感を味わうには丁度良い。
2010/03/20
持って回った言い方
皮肉を言う為に、わざわざ曖昧で遠回しな言い方をするのも一つの手法だ。
或はちゃんと書くのが面倒臭いということを隠す為に、皮肉を言った風を装うのも一つの手法だ。
私は大抵後者。
気を付けるように。
我々が我々自身、民主主義の徒であることを望むなら、例えばアグネスチャンがどんなに間違っている(と我々が信じる)ことを主張しようとも、彼女が彼女自身正しいと信じていることを主張している限り、彼女の口に蓋をすることは許されないばかりか、彼女の口に蓋をしようとする人から彼女を守らなければならない。
若し我々が我々自身民主主義の徒であることを望むなら、彼女もまた言論の自由やら表現の自由やらを持っているとみなさないことには始まらない。
彼女の主張について下らないだとか間違っているだとかと主張する権利を我々が持っているのと同じだ。
序でに自分自身間違っていると信じている嘘を主張する権利は無いだろう。
それは「権利」という語の語意に反するように思える。
そうやってやっと、「広く会議を興し万機公論に決す」為の、その前提条件の一つを揃えることができるのだ。
若し彼女が彼女自身民主主義の徒であることを望むなら・・・そんなことはどうすれば可能なんだろうか・・・。
ああ、ニュースピークか。
条令に非常に大きな恣意的解釈の余地を空けておくことでいつでも脅しに使えるようにしておいたり(口に蓋)、存在の確認されていない因果関係を宛も疑いの余地無く存在するかのように扱うことで(嘘)、多くの都議会議員達もまた自分達自身、民主主義から背を向ける為の道をせっせと切り開こうとしているようだ、ということが最近ネット上で報されている。
下らな過ぎて腸捻転でも起こしそうだ。
或はちゃんと書くのが面倒臭いということを隠す為に、皮肉を言った風を装うのも一つの手法だ。
私は大抵後者。
気を付けるように。
我々が我々自身、民主主義の徒であることを望むなら、例えばアグネスチャンがどんなに間違っている(と我々が信じる)ことを主張しようとも、彼女が彼女自身正しいと信じていることを主張している限り、彼女の口に蓋をすることは許されないばかりか、彼女の口に蓋をしようとする人から彼女を守らなければならない。
若し我々が我々自身民主主義の徒であることを望むなら、彼女もまた言論の自由やら表現の自由やらを持っているとみなさないことには始まらない。
彼女の主張について下らないだとか間違っているだとかと主張する権利を我々が持っているのと同じだ。
序でに自分自身間違っていると信じている嘘を主張する権利は無いだろう。
それは「権利」という語の語意に反するように思える。
そうやってやっと、「広く会議を興し万機公論に決す」為の、その前提条件の一つを揃えることができるのだ。
若し彼女が彼女自身民主主義の徒であることを望むなら・・・そんなことはどうすれば可能なんだろうか・・・。
ああ、ニュースピークか。
条令に非常に大きな恣意的解釈の余地を空けておくことでいつでも脅しに使えるようにしておいたり(口に蓋)、存在の確認されていない因果関係を宛も疑いの余地無く存在するかのように扱うことで(嘘)、多くの都議会議員達もまた自分達自身、民主主義から背を向ける為の道をせっせと切り開こうとしているようだ、ということが最近ネット上で報されている。
下らな過ぎて腸捻転でも起こしそうだ。
2009/08/31
「我笛吹かば、汝等踊る」「我等踊らば、その過剰なるに自ら驚く」
ここ最近ポリティカルな話題に触れなかったことを、酷く後悔している。
今更もう遅い、という気持ちになる。
我々は4年前とほぼ同じ過ちを繰り返した。
ほぼ同じように笛が吹かれ、ほぼ同じように踊った。
政策ではなく単に「政権交代」の為に票を入れることや、選択肢が実質二つしかないなどと思い込むことは馬鹿げている、なんてことを、今から言ったってもう遅い。
或は小選挙区制度の弊害とか、或は「地方分権」や「脱官僚主義」が実際のところ意味していることがより詳細に分析されるべきとか、或は・・・今はもう何を言っても力が入らなくて参る。
選挙が始まる前に何も言わなかったことを酷く後悔している。
私は駄目な奴だなあ。
じゃあ遅くて4年後に会いましょう。
できればもう少し早く。
今更もう遅い、という気持ちになる。
我々は4年前とほぼ同じ過ちを繰り返した。
ほぼ同じように笛が吹かれ、ほぼ同じように踊った。
政策ではなく単に「政権交代」の為に票を入れることや、選択肢が実質二つしかないなどと思い込むことは馬鹿げている、なんてことを、今から言ったってもう遅い。
或は小選挙区制度の弊害とか、或は「地方分権」や「脱官僚主義」が実際のところ意味していることがより詳細に分析されるべきとか、或は・・・今はもう何を言っても力が入らなくて参る。
選挙が始まる前に何も言わなかったことを酷く後悔している。
私は駄目な奴だなあ。
じゃあ遅くて4年後に会いましょう。
できればもう少し早く。
2009/08/02
レバレッジ上限規制
やっとFXのレバレッジの上限が制限されることになった。
然し最大25倍まで(2011/08以降)。
金融庁曰く、今回の規制の目的は顧客保護ということらしい。
レバレッジ規制と聞いて(顧客保護ではなく)カジノ資本主義の話を思い出したんだけれど、25倍もあれば、経済の不安定化或は不確実性の増大の材料としての投機を抑制するには至らないんじゃないかと感じる。
少しはマシになるかも知れないけれど。
どうなんだろうかね。
この規制によって投機の影響を抑制できるか、ということについて私が或程度まともな結論を出す為には、私はもう少し色々勉強しないと不可ない。
まあ顧客保護としてはそれなりに効果がありそうだ。多分。
が、顧客保護という論点は、投機家にとっては特に、余り魅力的ではないだろう。
投機家達が存在しない金が使えるカジノでお遊技に興じる影響で、誰かが真面目に働いていようが関係無く窮死する運命を辿らなければならなくなる、というような可能性が減るかと思ったのだけれど、そう甘くはないか。
或はその不安定の影響で誰かが普段より多く儲けて、偶然にもその合計が安定しているときと変わらないということもあるかも知らないが、その場合でも、FXはゼロサムだと考えるのは余りに視野を限定し過ぎている。
働けど働けど我が暮らし楽にならざる上にその日暮らし。
この件について、ネットを散策していると、どうも、政治は最も貧しい人にも人間らしい生活を約束するものでなければならないと考えている人は殆どいないんじゃないかという気分になってくる。
あと素人投資家向けのHow to本なんかを読むと。
曰く、賭博に参加するのも市場を賭博場に変えるのも、兎に角自己責任の問題らしい。
まあなんて自己の巨大なことでしょう。
まあ金融庁が顧客保護という論点を提示してしまったので、迂闊にもそれに単純な形で引っ張られてしまっているだけなのかも知れない。
或は単に、工業先進国たる日本の、義務教育ぐらいは受けて、少なくとも食うには困らない程度の生活ができている、世界的には非常に幸運に恵まれた人のことについてしか想像できていないだけかも知れない。
まあカジノ化の話は、単にFXのレバレッジだけの問題ではないしな。
これを機にトービン税も導入したらよかったのに。
てか寧ろトービン税。
因みに・・・
・スーザンストレンジ、「マッドマネー」(→Amazon
)
・ガルブレイス、「不確実性の時代」(→Amazon
)
辺りの話を念頭に置いてます。
が、私がこれらの全てにコミットしている訳でもないし、これらの話を十分に理解しているということを意味しているのでもない。
どうも自分自身嫌になる程、頭が悪くて困る。
いつも言ってるけど、謙遜でなくてマジで。
まあ自己申告するまでもなく、私の下手な文章を読めば解ることか。
やべー。きたー。憂鬱なアイツが。
ヌルッときたぜ。
ということで、真面目にこういった話について何か少しでも理解したければ、上のような本を自分で読むべきだ。
多分私は色々間違っている。
ので、一応参考文献を提示して責任逃れを試みる。
「しかし まわりこまれてしまった」
ああ・・・ですよね・・・。
然し最大25倍まで(2011/08以降)。
金融庁曰く、今回の規制の目的は顧客保護ということらしい。
レバレッジ規制と聞いて(顧客保護ではなく)カジノ資本主義の話を思い出したんだけれど、25倍もあれば、経済の不安定化或は不確実性の増大の材料としての投機を抑制するには至らないんじゃないかと感じる。
少しはマシになるかも知れないけれど。
どうなんだろうかね。
この規制によって投機の影響を抑制できるか、ということについて私が或程度まともな結論を出す為には、私はもう少し色々勉強しないと不可ない。
まあ顧客保護としてはそれなりに効果がありそうだ。多分。
が、顧客保護という論点は、投機家にとっては特に、余り魅力的ではないだろう。
投機家達が存在しない金が使えるカジノでお遊技に興じる影響で、誰かが真面目に働いていようが関係無く窮死する運命を辿らなければならなくなる、というような可能性が減るかと思ったのだけれど、そう甘くはないか。
或はその不安定の影響で誰かが普段より多く儲けて、偶然にもその合計が安定しているときと変わらないということもあるかも知らないが、その場合でも、FXはゼロサムだと考えるのは余りに視野を限定し過ぎている。
働けど働けど我が暮らし楽にならざる上にその日暮らし。
この件について、ネットを散策していると、どうも、政治は最も貧しい人にも人間らしい生活を約束するものでなければならないと考えている人は殆どいないんじゃないかという気分になってくる。
あと素人投資家向けのHow to本なんかを読むと。
曰く、賭博に参加するのも市場を賭博場に変えるのも、兎に角自己責任の問題らしい。
まあなんて自己の巨大なことでしょう。
まあ金融庁が顧客保護という論点を提示してしまったので、迂闊にもそれに単純な形で引っ張られてしまっているだけなのかも知れない。
或は単に、工業先進国たる日本の、義務教育ぐらいは受けて、少なくとも食うには困らない程度の生活ができている、世界的には非常に幸運に恵まれた人のことについてしか想像できていないだけかも知れない。
まあカジノ化の話は、単にFXのレバレッジだけの問題ではないしな。
これを機にトービン税も導入したらよかったのに。
てか寧ろトービン税。
因みに・・・
・スーザンストレンジ、「マッドマネー」(→Amazon
・ガルブレイス、「不確実性の時代」(→Amazon
辺りの話を念頭に置いてます。
が、私がこれらの全てにコミットしている訳でもないし、これらの話を十分に理解しているということを意味しているのでもない。
どうも自分自身嫌になる程、頭が悪くて困る。
いつも言ってるけど、謙遜でなくてマジで。
まあ自己申告するまでもなく、私の下手な文章を読めば解ることか。
やべー。きたー。憂鬱なアイツが。
ヌルッときたぜ。
ということで、真面目にこういった話について何か少しでも理解したければ、上のような本を自分で読むべきだ。
多分私は色々間違っている。
ので、一応参考文献を提示して責任逃れを試みる。
「しかし まわりこまれてしまった」
ああ・・・ですよね・・・。
2009/06/30
外ウマスパゲッティモンスター
私が選挙が大切だと言うとき、私は大体の場合において、普通選挙の選挙権について言っているのだ。
或は政治参加の一形態について言っているのだ。
政治に関して我々パンピーにできることの全体について言っているのでは勿論ないし、少なくとも椅子取りゲームの外ウマに乗った気になることを言っているのでは断じてない。
これらのことは慎重に区別されてしかるべきだと思う。
選挙や政治を、即ちどっかの政党が政権を取ることだと勝手に置き換えているのを耳にすると、死にたくなる。
死ねばいいって?まあ待て待て、私の信仰している亜流(否、本当はこれが正統なのだ!)空飛ぶスパゲッティモンスター教では、自殺は御法度なのだ。多分。創造主たる空飛ぶスパゲッティモンスターの意志に反するとかじゃね?
アレだ、空飛ぶスパゲッティモンスターのミートボールの部分から最初に女が作られ、続いて女の鼻クソから男が作られたってヤツだ。
甘辛いヌルッとしたソースのかかったミートボールの半固形状の鼻クソに似ていることはこのことの有力な証拠となっている。
鼻クソを食うことに対して多くの人が抱く罪の意識は実はここからきているという訳だ。
Sinですな。ラプチャーラプチャー。まあナンプラーみたいなもんだ。
鼻クソ食ったらそのうち時が来ればスパゲッティモンスターに苅られる。食わなかったら救済。
ホラ、こんな感じで全て説明できる。
ハイこれ真理。学校で教えるように。
あとオナンって奴が自分の鼻クソをさあ・・・。
ああ、なんか面白くなってきちゃった。
私もなかなかの悪趣味だ。
まあそれは兎も角として、我々の選択肢がたった二つだなんてことはあり得ない。
このことは覚えておいて損は無いと思う。
或は政治参加の一形態について言っているのだ。
政治に関して我々パンピーにできることの全体について言っているのでは勿論ないし、少なくとも椅子取りゲームの外ウマに乗った気になることを言っているのでは断じてない。
これらのことは慎重に区別されてしかるべきだと思う。
選挙や政治を、即ちどっかの政党が政権を取ることだと勝手に置き換えているのを耳にすると、死にたくなる。
死ねばいいって?まあ待て待て、私の信仰している亜流(否、本当はこれが正統なのだ!)空飛ぶスパゲッティモンスター教では、自殺は御法度なのだ。多分。創造主たる空飛ぶスパゲッティモンスターの意志に反するとかじゃね?
アレだ、空飛ぶスパゲッティモンスターのミートボールの部分から最初に女が作られ、続いて女の鼻クソから男が作られたってヤツだ。
甘辛いヌルッとしたソースのかかったミートボールの半固形状の鼻クソに似ていることはこのことの有力な証拠となっている。
鼻クソを食うことに対して多くの人が抱く罪の意識は実はここからきているという訳だ。
Sinですな。ラプチャーラプチャー。まあナンプラーみたいなもんだ。
鼻クソ食ったらそのうち時が来ればスパゲッティモンスターに苅られる。食わなかったら救済。
ホラ、こんな感じで全て説明できる。
ハイこれ真理。学校で教えるように。
あとオナンって奴が自分の鼻クソをさあ・・・。
ああ、なんか面白くなってきちゃった。
私もなかなかの悪趣味だ。
まあそれは兎も角として、我々の選択肢がたった二つだなんてことはあり得ない。
このことは覚えておいて損は無いと思う。
2009/06/05
「自主規制」について
オウケイ、AmazonでLogicoolのトラックボールをポチッたぜ。
Google ReaderのフロントエンドにGoogle Desktop上で動くGoogle謹製のやつを使ってるんだけど、スクロールバーの操作性がよろしくない。
マウスのスクロールに対して大きく反応し過ぎるし、スクロールバーをドラッグしても、ドラッグ中に再読込がかかったりすると変なとこに飛ぶし。
あとキーボードの十時キーとかで操作できるといいんだけど。
それ以外は大体好い感じ。
Google ReaderのフロントエンドにGoogle Desktop上で動くGoogle謹製のやつを使ってるんだけど、スクロールバーの操作性がよろしくない。
マウスのスクロールに対して大きく反応し過ぎるし、スクロールバーをドラッグしても、ドラッグ中に再読込がかかったりすると変なとこに飛ぶし。
あとキーボードの十時キーとかで操作できるといいんだけど。
それ以外は大体好い感じ。
2008/09/29
族議員(またの名を)
紅茶にミルクを入れ過ぎた・・・。
でも美味い。
飲みながら書く。
選挙カー。
住宅街をノロノロと移動する。
ホントどうかしてるよ、奴等!
また繰り返すぜ。
政治的活動の名の下に、只名前を連呼し、合間に当たり前の当たり障りの無いことを言う。
政策について話す訳でもなく。
何かについての批判を展開する訳でもない。
自分の名前を連呼して、騙され易い人達に対して既知感に由来するぼんやりとした好感を押し売りしようとしているだけだ。
只の心理トリック以上のなにものでもない。
政治的活動のふりをしているだけで、政治的に何の役にも立っていないだけでなく、人を馬鹿にした行為だし、明らかにうるさ過ぎる。
暴走族の連中は夜中に走るが、センセイ方の奴等は昼に走る。
他に違いがあるとすれば、動く金の単位ぐらいだ。
少なくともどちらも政治的活動とは認められるべきものではない。
確かにどちらも「主張」を微量含んではいる。
そしてどちらも歓迎されるべき主張の仕方とは言い難いし、どちらも「我が」という私的な主張であり、公的には取るに足る主張ではない。
煩さも多分大体同じぐらいだ。
音量は選挙カーの方が多分上だろう。
慥か選挙カーで何dB以上出してはいけないとかいう法律か何かがあった気がするが・・・。
その基準が甘過ぎるのか、その基準が実際には守られていないのかは知らないが。
問題はそこではない。
政治家が選挙に向けて有権者を説得しようとするときに、只心理学トリックを使って自分に票を入れさせようとするだけで、例えば自らの政策を説明するというような理性的で人間的な説得の方法を採らないことが問題の一つのポイントだ。
もう一つは、やっと気温が下がって窓を開け放って気持ちいい日曜の昼間をぶちこわす、音量の煩過ぎること。
奴らは窓を開けてるのを狙ってるんだろうけど。
祭りじゃねーんだから。
奴等は祭りのつもりかも知れないけれど。
これが日本に一般的な選挙活動だとすると、「日本は政治が三流だ」と自ら言い続けて一向に改善しないのも能く理解できる。
誰も政治の話をしないのだから、誰も政治のことが分からない。
恐らく大体の人が、誰が何をするつもりなのか結局分からないまま投票用紙に名前を書かなければならない。
政治家は居ないのか。
括弧付きの「政治家」はすぐに見つけることができるが。
我々有権者には幾つか方法がある。
一つは「あずまきよひこ方式」、即ち、名前を連呼するだけの立候補者をリストアップして、その候補者に票を入れないようにすること。
然しこの方法は、結局毎回白票を投じなければならないようになる可能性があるし、余り直接政治に関わるような方法とは言えない、という問題点がある。
それと、それなりに大人数が「この方式を採用するぞ」と宣言しないと、余り効果が見込めない。
そこで提案なんだが、「選挙の立候補者が選挙カーで活動するとき、自分の名前を10分間に2度以上言っては不可ない。自分の所属する政党の名前を5分間に2度以上言っては不可ない。罰則有り。」という感じの法律を作ってはどうだろう。
実際馬鹿馬鹿しい法律だが、この際或は必要なんじゃないのか?
あと音量の規制は、残念ながら、強化すべきだろう。
少なくとも奴らが政治的に有意味な発言ができるようになるまでは。
できれば、候補者が政治的に有意味な主張をし、その主張が有権者に受け入れられて初めてこの候補者が当選するような選挙システムを考案できればいいのだが。
それが選挙に関する普通の民主主義の一部だ。
それでやっとスタート地点に立てる訳だ。
我々はスタート地点にも立っていない。
選挙管理委員会を使った他人の椅子取りゲームに参加しているだけだ。
而もその椅子取りゲームの勝った負けたが我々の生活に重くのしかかっている!
よく勘違いしている人が居るようだが、日本は確かに民主主義国家ではあるが、そのことが正しいとすれば、絶対王政辺りに比べればそれなりに民主主義国家であるという程度において、だ。
この場合の「民主主義国家である」ということは、十分に民主主義が行き渡っているとか、理想的な民主主義を体現しているというようなことを全く含意していない。
それどころか、普通「日本は民主主義国家である」という言葉からぼんやりとイメージするのよりは全然民主主義とは言えない、ぐらいに思っておけばいいだろうと思う。
普通に「日本は民主主義だ」「平等だ」「自由だ」と言うときイメージしているものに未だ少しも辿り着けていない。
例えば、教育を受けている途中の少年少女達には信じられないかも知れないが、未だに差別主義者がテレビで堂々と差別発言をして、それで大の大人の誰もそれを差別発言だと思わないようなことだって、非常に頻繁にある。(差別発言は、多くの場合、発言した人がそれを差別的だと認識していない点に問題があるものだ。例えばニートの自虐ネタがネタとして苦笑できることは、他人がニートを社会のゴミ扱いして嗤う(のを見て笑う)こととは違う。)
ニートに引きこもりにアキバに外国人にロリコンに貧乏人に精神病に・・・キリが無い・・・に対する。
少年少女よ、よく感じ、よく勉強し給え、或は大人になってもその程度の理解力と想像力という悲惨が待っている。
未だに精神病について、テレビ局の、まともな理解に基づく番組の作れないことには驚きだ。
おっかなびっくりで、更に間違っている。
「奴等は弱い、我等は強い、差別することを恐れるな」と自らの自尊心と支配欲とを鼓舞する訳だ。
唯それだけの為に。
報道とか。
反吐が出る。
報道の自由とは、曰く、2+2が5になると放送したり出版したりする自由だ。
人が自由から逃走するのを助ける逃がし屋としては確かな腕を持っている。
でも美味い。
飲みながら書く。
選挙カー。
住宅街をノロノロと移動する。
ホントどうかしてるよ、奴等!
また繰り返すぜ。
政治的活動の名の下に、只名前を連呼し、合間に当たり前の当たり障りの無いことを言う。
政策について話す訳でもなく。
何かについての批判を展開する訳でもない。
自分の名前を連呼して、騙され易い人達に対して既知感に由来するぼんやりとした好感を押し売りしようとしているだけだ。
只の心理トリック以上のなにものでもない。
政治的活動のふりをしているだけで、政治的に何の役にも立っていないだけでなく、人を馬鹿にした行為だし、明らかにうるさ過ぎる。
暴走族の連中は夜中に走るが、センセイ方の奴等は昼に走る。
他に違いがあるとすれば、動く金の単位ぐらいだ。
少なくともどちらも政治的活動とは認められるべきものではない。
確かにどちらも「主張」を微量含んではいる。
そしてどちらも歓迎されるべき主張の仕方とは言い難いし、どちらも「我が」という私的な主張であり、公的には取るに足る主張ではない。
煩さも多分大体同じぐらいだ。
音量は選挙カーの方が多分上だろう。
慥か選挙カーで何dB以上出してはいけないとかいう法律か何かがあった気がするが・・・。
その基準が甘過ぎるのか、その基準が実際には守られていないのかは知らないが。
問題はそこではない。
政治家が選挙に向けて有権者を説得しようとするときに、只心理学トリックを使って自分に票を入れさせようとするだけで、例えば自らの政策を説明するというような理性的で人間的な説得の方法を採らないことが問題の一つのポイントだ。
もう一つは、やっと気温が下がって窓を開け放って気持ちいい日曜の昼間をぶちこわす、音量の煩過ぎること。
奴らは窓を開けてるのを狙ってるんだろうけど。
祭りじゃねーんだから。
奴等は祭りのつもりかも知れないけれど。
これが日本に一般的な選挙活動だとすると、「日本は政治が三流だ」と自ら言い続けて一向に改善しないのも能く理解できる。
誰も政治の話をしないのだから、誰も政治のことが分からない。
恐らく大体の人が、誰が何をするつもりなのか結局分からないまま投票用紙に名前を書かなければならない。
政治家は居ないのか。
括弧付きの「政治家」はすぐに見つけることができるが。
我々有権者には幾つか方法がある。
一つは「あずまきよひこ方式」、即ち、名前を連呼するだけの立候補者をリストアップして、その候補者に票を入れないようにすること。
然しこの方法は、結局毎回白票を投じなければならないようになる可能性があるし、余り直接政治に関わるような方法とは言えない、という問題点がある。
それと、それなりに大人数が「この方式を採用するぞ」と宣言しないと、余り効果が見込めない。
そこで提案なんだが、「選挙の立候補者が選挙カーで活動するとき、自分の名前を10分間に2度以上言っては不可ない。自分の所属する政党の名前を5分間に2度以上言っては不可ない。罰則有り。」という感じの法律を作ってはどうだろう。
実際馬鹿馬鹿しい法律だが、この際或は必要なんじゃないのか?
あと音量の規制は、残念ながら、強化すべきだろう。
少なくとも奴らが政治的に有意味な発言ができるようになるまでは。
できれば、候補者が政治的に有意味な主張をし、その主張が有権者に受け入れられて初めてこの候補者が当選するような選挙システムを考案できればいいのだが。
それが選挙に関する普通の民主主義の一部だ。
それでやっとスタート地点に立てる訳だ。
我々はスタート地点にも立っていない。
選挙管理委員会を使った他人の椅子取りゲームに参加しているだけだ。
而もその椅子取りゲームの勝った負けたが我々の生活に重くのしかかっている!
よく勘違いしている人が居るようだが、日本は確かに民主主義国家ではあるが、そのことが正しいとすれば、絶対王政辺りに比べればそれなりに民主主義国家であるという程度において、だ。
この場合の「民主主義国家である」ということは、十分に民主主義が行き渡っているとか、理想的な民主主義を体現しているというようなことを全く含意していない。
それどころか、普通「日本は民主主義国家である」という言葉からぼんやりとイメージするのよりは全然民主主義とは言えない、ぐらいに思っておけばいいだろうと思う。
普通に「日本は民主主義だ」「平等だ」「自由だ」と言うときイメージしているものに未だ少しも辿り着けていない。
例えば、教育を受けている途中の少年少女達には信じられないかも知れないが、未だに差別主義者がテレビで堂々と差別発言をして、それで大の大人の誰もそれを差別発言だと思わないようなことだって、非常に頻繁にある。(差別発言は、多くの場合、発言した人がそれを差別的だと認識していない点に問題があるものだ。例えばニートの自虐ネタがネタとして苦笑できることは、他人がニートを社会のゴミ扱いして嗤う(のを見て笑う)こととは違う。)
ニートに引きこもりにアキバに外国人にロリコンに貧乏人に精神病に・・・キリが無い・・・に対する。
少年少女よ、よく感じ、よく勉強し給え、或は大人になってもその程度の理解力と想像力という悲惨が待っている。
未だに精神病について、テレビ局の、まともな理解に基づく番組の作れないことには驚きだ。
おっかなびっくりで、更に間違っている。
「奴等は弱い、我等は強い、差別することを恐れるな」と自らの自尊心と支配欲とを鼓舞する訳だ。
唯それだけの為に。
報道とか。
反吐が出る。
報道の自由とは、曰く、2+2が5になると放送したり出版したりする自由だ。
人が自由から逃走するのを助ける逃がし屋としては確かな腕を持っている。
2008/09/01
紫式部、或はナボコフ
アグネスチャンは、あれは酷いな。
空想と現実の区別が付いていない人も本当に居るもんだなあ。
私は今まで彼女に注意を払っていなかったので、彼女については、なんかネット上で色々言われているようだけれど日本ユニセフ協会に名前を利用されてるのかなあ、ぐらいの感想を持っていただけなのだけれど、実際に彼女自身があれ程酷いことを言ってる人だったのか。
昨日深夜眠れずテレビを点けたら、彼女が講演していたので、観てみた。
途中まで観てその他者に対する想像力の余りの欠如に拠る憎悪を見て吐き気がしたので消してしまったが。
アウシュビッツは終わらないばかりか繰り返される。
その前にBSか何かでチョムスキーが教育と民主主義についてのインタビューに答えていたのを、殆ど見逃してしまったのだけれど、最後の方だけ観ることができたのだが、それと好い対照となっている。
私がバアッと聴いた感じ、チャンの主張というのは、ロリコン的表現を法的に規制するとき、その表現媒体がどういったものであれ、或はその表現が実在する子供についてのものであろうとなかろうと、その規制が子供を性の道具として扱っているような表現に対して適応される場合(またその場合に限り?かどうかは私には判らなかった。余りの暴論に、浅はかで浅ましいことに、腹が立って耳が曇って聴き逃したのかも知れない。然しここはチャンの議論の性格を特徴付ける為には重要なポイントなんだけど。)、その表現を規制する法は表現の自由を実際に傷つけるかどうかは兎も角、表現の自由を傷つける意図は無いので、十分な正当性を持つ、というものだ。
勿論これには実在しない子供を扱うポルノ表現が実在する子供を扱うポルノにまつわる被害の一つの原因となっている、という(単なる連想ゲームにしか見えないような)因果関係が存在する、ということが前提として含まれている訳だ。
あそう。
確かに議論に慣れていない人や今までこの問題に関心を持って考えてこなかった人には、感情的に受け入れ易い物言いかも知れないし、結構多くの人がこれを受け入れてしまうだろうということは想像が付し、マスメディアがこれを扱う場合はチャン方式の感情的に受け入れやすい方を選んだり、こういった議論の訓練を全く受けていないコメンテーターが適当なことを言って世論がそれに乗っかって、日本流に「合意がでっち上げられ」、法律制定というシナリオも容易に想像できる。
嗤いながら首を絞める手にグッと力を入れる。
弱い者を殺すことで征服感と優越感を味わう。
蟻を潰すように。
ありはわるいやつらだからいいんだ。
自分の首を絞めることをためらわないのはそれが自分の首だと判っていないからだ。
感覚も麻痺しているんじゃ、もう遅かろう。
現代では飢饉でなくても誰かがにやけた人身供養の捧げものにされ続けなければならないのだ。
これまでも続いてきたし、いつまでも続く。
ずっとだ。
最近ではパラサイトシングル、引きこもり、ニート、少年犯罪、ネット、オタクとアキハバラ、犯罪を犯した者(被害者の観点からのみ)・・・に次ぎロリコンと来る訳だ。
うんざりだ。
うんざりだ!
然しそれでも私はチャンのしたような差別主義を或は嫌悪感を表現することそれ自身を法的に規制すべきではないと思う。
特定の人達の名誉を著しく傷つける行為としては規制され得るかも知れないが、あのような嫌悪感の表明(例えば「あいつらマジキモイし犯罪者予備軍だから法律作って『あいつらを罪を犯すことから護ってやろうぜ』」といったような。これはニートについてよく謂われたことだ。)だけでどうなるのかは私の法学の知識不足。
そういうふうに「表現すること」は悪趣味なものとして社会に受け取られて糾弾されるなりするべきことであって、それに国家或はそれに類する力が介入することで、表現することが違法であり処罰の対象であるものとして扱われるようにするべきではない。
権力が表現を規制しだすと取り返しのつかないことになるだろう。
勿論差別を無くす方向に努力しなければならないのは私が言うまでもない。
一応注意しといて欲しいが、これは彼女のように大真面目に差別主義を唱える人物が(差別主義者は大抵いつだって大真面目だ)世の中には何かカンフル剤か緩衝液かのようなものとして一人は必要だということを私は言っているのではない。
それから明らかに間違っていることを正しいことのように主張すること、或は嘘の主張をすることを「表現の自由」の一つとして認めている訳でもない。
単なる嫌悪感の表明は辛うじて容認できたとしても、その嫌悪感が(特にそれを単なる嫌悪感だということを知った上で)誰かの人間性を否定したり誰かを差別する正当な理由となると主張することは容認できない。
それから序でに言っておくが、私自身は、自身の将来等についての十全な判断力を認められていない実在の子供をポルノに出したりそれを流通させることについては法的な規制が必要だと思う。
また単純所持だけで違法となるような法律を作るべきではないと思う。
社会が間違ったことを程々に糾弾しなければならない、という点は注目すべきだ。
社会にその能力がないことを嘆くのも、それはそれで気持ち好いかも知れないけれど、そういう社会にしなければならないということを忘れては不可ない。
まともな民主主義の基礎の一つだ。
その為には普通教育が必要だし、その他色々なものが必要だ。
我々は色んなことを知っていなければならない。
他者の苦痛についての知識然り。
虐げられている人々についての物語然り。
虐げている方の人についての物語然り。
それらを統合する理性や想像力然り。
等々。
どれが抜け落ちても片手落ち。
これは表現の自由を擁護する理由の一つとなり得る。
然しそんなことは一つでしかない。
こんな駄ブログでは書き切れないような沢山の理由が表現の自由を支えている・・・。
美的観点から言うと、例えばブルースなんざ、ちびっ子の頃聴いても退屈なだけだろうが、それなりに長じてからは、あの単純な形式の中に無限の感情の機微を見出すことができるようになる。
或はベートーベンの大フーガなんて、音楽を聴き慣れていない人が聴いてもあのゴリゴリヌラヌラとした醜い人間の美しさを理解することは殆どできないだろうが、ちゃんと聴けばそれに圧倒されるものだ。
或は三島の文学然り。私は嫌いだが、あれはあれで一つの到達点だ。
ラファエロにピカソ。
単純な美しさだけが美ではない。
我々は皮脂やら涙やら鼻水やら唾液やらその他の粘膜やらの、湿り気を帯びてヌラヌラとした醜いような美しいようなものを持っているのだ。
自由な表現者の目は、鑑賞者の目を新しい次元へ導くことで豊かにする。
豊かな目は人間についての知識を増やし易くしるし、想像力を助ける・・・。
そして新しい目を持った表現者はどこにいるか解らないし、どこからでもヒョッコリ出てくるものだ。
出易い環境と出難い環境の差はあれど。
ヌラヌラした人間臭のする美しさが大事なのだ。
ブルースも聴けるようになる訳だ。
自由とは2+2=4だと言う自由だ。
2+2=5と言う自由ではない。
これが容認されなければ他のことは一切容認されない。
表現を規制するチャン案や最近の知識と考えの無い国会議委員の案では、間違っていたことに気付いたときには取り返しのつかないことになっている可能性が大きいとか、法を悪用されないようにするプランが示されていないとか、誰が規制の基準(例えば或表現を「子供を性の対象としてしか見ていない」表現だと判断する基準)を決めるのか、どう決めるのか、そもそもそれを決めるのか(任意に判断されるのか)、といったことに関する実務上の問題点多数もある。
表現を取り締まることでチャンが思っているような効果が本当に期待できるのか、期待できるという理由は何なのか、ということが明確でない、という点も実際上の大いに問題だ。
実在する子供を扱うポルノにまつわる悲劇や被害が、チャンの謂う所の「子供を性の対象としか見ていない」ような表現の実在しない子供を扱うポルノによってもたらされる、という因果的関係付けに只の連想ゲーム以上の正当性があのか、或はその因果関係を正当なものだと言う為の、単なる感情論や山勘でない、ちゃんと理解すれば誰でも納得できることが見込まれるような正当な理由を提示する用意はあるのか。
そして、結局のところ、唯、自分が持っていない(或はそう思っている)性的嗜好に対する嫌悪感、或はもっと一般的に、自分には説明できないものに対する嫌悪感から、なんとなく言ってるだけなんじゃないのか、という疑いを晴らすことは未だできていない。
そもそも規制することはまともな民主主義に適うことなのかという、理念上の問題もある。
未だ色々問題点はあるが、キリがない。
問題点というよりは駄目な理由と言った方が正しいか。
駄目だ、寝る。
空想と現実の区別が付いていない人も本当に居るもんだなあ。
私は今まで彼女に注意を払っていなかったので、彼女については、なんかネット上で色々言われているようだけれど日本ユニセフ協会に名前を利用されてるのかなあ、ぐらいの感想を持っていただけなのだけれど、実際に彼女自身があれ程酷いことを言ってる人だったのか。
昨日深夜眠れずテレビを点けたら、彼女が講演していたので、観てみた。
途中まで観てその他者に対する想像力の余りの欠如に拠る憎悪を見て吐き気がしたので消してしまったが。
アウシュビッツは終わらないばかりか繰り返される。
その前にBSか何かでチョムスキーが教育と民主主義についてのインタビューに答えていたのを、殆ど見逃してしまったのだけれど、最後の方だけ観ることができたのだが、それと好い対照となっている。
私がバアッと聴いた感じ、チャンの主張というのは、ロリコン的表現を法的に規制するとき、その表現媒体がどういったものであれ、或はその表現が実在する子供についてのものであろうとなかろうと、その規制が子供を性の道具として扱っているような表現に対して適応される場合(またその場合に限り?かどうかは私には判らなかった。余りの暴論に、浅はかで浅ましいことに、腹が立って耳が曇って聴き逃したのかも知れない。然しここはチャンの議論の性格を特徴付ける為には重要なポイントなんだけど。)、その表現を規制する法は表現の自由を実際に傷つけるかどうかは兎も角、表現の自由を傷つける意図は無いので、十分な正当性を持つ、というものだ。
勿論これには実在しない子供を扱うポルノ表現が実在する子供を扱うポルノにまつわる被害の一つの原因となっている、という(単なる連想ゲームにしか見えないような)因果関係が存在する、ということが前提として含まれている訳だ。
あそう。
確かに議論に慣れていない人や今までこの問題に関心を持って考えてこなかった人には、感情的に受け入れ易い物言いかも知れないし、結構多くの人がこれを受け入れてしまうだろうということは想像が付し、マスメディアがこれを扱う場合はチャン方式の感情的に受け入れやすい方を選んだり、こういった議論の訓練を全く受けていないコメンテーターが適当なことを言って世論がそれに乗っかって、日本流に「合意がでっち上げられ」、法律制定というシナリオも容易に想像できる。
嗤いながら首を絞める手にグッと力を入れる。
弱い者を殺すことで征服感と優越感を味わう。
蟻を潰すように。
ありはわるいやつらだからいいんだ。
自分の首を絞めることをためらわないのはそれが自分の首だと判っていないからだ。
感覚も麻痺しているんじゃ、もう遅かろう。
現代では飢饉でなくても誰かがにやけた人身供養の捧げものにされ続けなければならないのだ。
これまでも続いてきたし、いつまでも続く。
ずっとだ。
最近ではパラサイトシングル、引きこもり、ニート、少年犯罪、ネット、オタクとアキハバラ、犯罪を犯した者(被害者の観点からのみ)・・・に次ぎロリコンと来る訳だ。
うんざりだ。
うんざりだ!
然しそれでも私はチャンのしたような差別主義を或は嫌悪感を表現することそれ自身を法的に規制すべきではないと思う。
特定の人達の名誉を著しく傷つける行為としては規制され得るかも知れないが、あのような嫌悪感の表明(例えば「あいつらマジキモイし犯罪者予備軍だから法律作って『あいつらを罪を犯すことから護ってやろうぜ』」といったような。これはニートについてよく謂われたことだ。)だけでどうなるのかは私の法学の知識不足。
そういうふうに「表現すること」は悪趣味なものとして社会に受け取られて糾弾されるなりするべきことであって、それに国家或はそれに類する力が介入することで、表現することが違法であり処罰の対象であるものとして扱われるようにするべきではない。
権力が表現を規制しだすと取り返しのつかないことになるだろう。
勿論差別を無くす方向に努力しなければならないのは私が言うまでもない。
一応注意しといて欲しいが、これは彼女のように大真面目に差別主義を唱える人物が(差別主義者は大抵いつだって大真面目だ)世の中には何かカンフル剤か緩衝液かのようなものとして一人は必要だということを私は言っているのではない。
それから明らかに間違っていることを正しいことのように主張すること、或は嘘の主張をすることを「表現の自由」の一つとして認めている訳でもない。
単なる嫌悪感の表明は辛うじて容認できたとしても、その嫌悪感が(特にそれを単なる嫌悪感だということを知った上で)誰かの人間性を否定したり誰かを差別する正当な理由となると主張することは容認できない。
それから序でに言っておくが、私自身は、自身の将来等についての十全な判断力を認められていない実在の子供をポルノに出したりそれを流通させることについては法的な規制が必要だと思う。
また単純所持だけで違法となるような法律を作るべきではないと思う。
社会が間違ったことを程々に糾弾しなければならない、という点は注目すべきだ。
社会にその能力がないことを嘆くのも、それはそれで気持ち好いかも知れないけれど、そういう社会にしなければならないということを忘れては不可ない。
まともな民主主義の基礎の一つだ。
その為には普通教育が必要だし、その他色々なものが必要だ。
我々は色んなことを知っていなければならない。
他者の苦痛についての知識然り。
虐げられている人々についての物語然り。
虐げている方の人についての物語然り。
それらを統合する理性や想像力然り。
等々。
どれが抜け落ちても片手落ち。
これは表現の自由を擁護する理由の一つとなり得る。
然しそんなことは一つでしかない。
こんな駄ブログでは書き切れないような沢山の理由が表現の自由を支えている・・・。
美的観点から言うと、例えばブルースなんざ、ちびっ子の頃聴いても退屈なだけだろうが、それなりに長じてからは、あの単純な形式の中に無限の感情の機微を見出すことができるようになる。
或はベートーベンの大フーガなんて、音楽を聴き慣れていない人が聴いてもあのゴリゴリヌラヌラとした醜い人間の美しさを理解することは殆どできないだろうが、ちゃんと聴けばそれに圧倒されるものだ。
或は三島の文学然り。私は嫌いだが、あれはあれで一つの到達点だ。
ラファエロにピカソ。
単純な美しさだけが美ではない。
我々は皮脂やら涙やら鼻水やら唾液やらその他の粘膜やらの、湿り気を帯びてヌラヌラとした醜いような美しいようなものを持っているのだ。
自由な表現者の目は、鑑賞者の目を新しい次元へ導くことで豊かにする。
豊かな目は人間についての知識を増やし易くしるし、想像力を助ける・・・。
そして新しい目を持った表現者はどこにいるか解らないし、どこからでもヒョッコリ出てくるものだ。
出易い環境と出難い環境の差はあれど。
ヌラヌラした人間臭のする美しさが大事なのだ。
ブルースも聴けるようになる訳だ。
自由とは2+2=4だと言う自由だ。
2+2=5と言う自由ではない。
これが容認されなければ他のことは一切容認されない。
表現を規制するチャン案や最近の知識と考えの無い国会議委員の案では、間違っていたことに気付いたときには取り返しのつかないことになっている可能性が大きいとか、法を悪用されないようにするプランが示されていないとか、誰が規制の基準(例えば或表現を「子供を性の対象としてしか見ていない」表現だと判断する基準)を決めるのか、どう決めるのか、そもそもそれを決めるのか(任意に判断されるのか)、といったことに関する実務上の問題点多数もある。
表現を取り締まることでチャンが思っているような効果が本当に期待できるのか、期待できるという理由は何なのか、ということが明確でない、という点も実際上の大いに問題だ。
実在する子供を扱うポルノにまつわる悲劇や被害が、チャンの謂う所の「子供を性の対象としか見ていない」ような表現の実在しない子供を扱うポルノによってもたらされる、という因果的関係付けに只の連想ゲーム以上の正当性があのか、或はその因果関係を正当なものだと言う為の、単なる感情論や山勘でない、ちゃんと理解すれば誰でも納得できることが見込まれるような正当な理由を提示する用意はあるのか。
そして、結局のところ、唯、自分が持っていない(或はそう思っている)性的嗜好に対する嫌悪感、或はもっと一般的に、自分には説明できないものに対する嫌悪感から、なんとなく言ってるだけなんじゃないのか、という疑いを晴らすことは未だできていない。
そもそも規制することはまともな民主主義に適うことなのかという、理念上の問題もある。
未だ色々問題点はあるが、キリがない。
問題点というよりは駄目な理由と言った方が正しいか。
駄目だ、寝る。
2008/06/06
下地
当たり前のことを忘れないでおくことは必要だ。
例えば、色々なバリエーションのある民主主義の中でもコアとなる部分、或は当然受け入れられなければならないような部分を。
単なる個人の自由(これはしばしば「利益」と読み替えられる)の追求だけでなく平等や相互扶助或は弱者への配慮も、とか。
基本的人権の尊重然り。
エリートがその他の衆愚をコントロールすべきだ、とか、更に衆愚はコントロールしや易いように愚かな状態に留めておくべきだ、といった考えに反対すべきだ、ということだとか。
或は人を理不尽に或は不当に苦しめたり、或は将来を奪ったり殺したりすることが、(それが国家や漠然とした「社会全体」や大企業といった個人の能力を大幅に超えた存在によって為されるときには特に)何かしょうがないことなんだなんてことあり得ない、ということは、確っかりと肝に銘じておいて損は無いだろう。
もう一つ。
60年代や70年代の、新左翼や東大の安田講堂やベトナム反戦運動の時代の若者と現代の若者を比べて、ああ今の若者は、と端的に思ってしまって嘆息するのは適切でない。
なんかこうやって嘆息を吐いて見せるの、流行ってるのかね?
当時の若者にはそれ以前の人達の敷いた下地があったことを忘れてはならない。
現代の若者がどうしようもない腰抜けだと端的に思って絶望すべきでない(こんなことを言われると、80年代まで息が続かずに結局その後のらりくらりと過ごした君達中年や御老人はどうなんだと皮肉の一つでも言ってやりたくなるが、まあ言ったところで不毛なので兎も角として)。
可能性はある。
但し、もう一度下地作りからやり直さなければならないが。
今度はできればもう少しは洗練された仕方で。
芸術のお出ましだ。
例えば、色々なバリエーションのある民主主義の中でもコアとなる部分、或は当然受け入れられなければならないような部分を。
単なる個人の自由(これはしばしば「利益」と読み替えられる)の追求だけでなく平等や相互扶助或は弱者への配慮も、とか。
基本的人権の尊重然り。
エリートがその他の衆愚をコントロールすべきだ、とか、更に衆愚はコントロールしや易いように愚かな状態に留めておくべきだ、といった考えに反対すべきだ、ということだとか。
或は人を理不尽に或は不当に苦しめたり、或は将来を奪ったり殺したりすることが、(それが国家や漠然とした「社会全体」や大企業といった個人の能力を大幅に超えた存在によって為されるときには特に)何かしょうがないことなんだなんてことあり得ない、ということは、確っかりと肝に銘じておいて損は無いだろう。
もう一つ。
60年代や70年代の、新左翼や東大の安田講堂やベトナム反戦運動の時代の若者と現代の若者を比べて、ああ今の若者は、と端的に思ってしまって嘆息するのは適切でない。
なんかこうやって嘆息を吐いて見せるの、流行ってるのかね?
当時の若者にはそれ以前の人達の敷いた下地があったことを忘れてはならない。
現代の若者がどうしようもない腰抜けだと端的に思って絶望すべきでない(こんなことを言われると、80年代まで息が続かずに結局その後のらりくらりと過ごした君達中年や御老人はどうなんだと皮肉の一つでも言ってやりたくなるが、まあ言ったところで不毛なので兎も角として)。
可能性はある。
但し、もう一度下地作りからやり直さなければならないが。
今度はできればもう少しは洗練された仕方で。
芸術のお出ましだ。
2008/05/28
原油高
私に必要なものがやっと判った。
有酸素運動だ。
しばらく自転車をこぎ続けると、次の日、脳と体の調子が良い。
そういや最近の原油高(或はガソリン高)の報道において、原油高とイラク戦争との関係について言及しているのを私は観たことがないのだが。
我々の国が、アメリカを窘めるどころか「後方背支援」の名目で参戦しているところのイラク戦争との関係。
私が余りテレビを観ない所為で見逃しているのか。
或は余りに当たり前のことで言うまでもないということか。
然し普通の人にとっては、原油高とイラク戦争との結びつきは、9.11(チリじゃない方)とサダムフセインとを結びつけたようなぼんやりとしたイメージでしか結びついていないんじゃないかと思うんだけどなあ。
あっても精々例の暫定税率の話ばかりだ。
そういやなんでかなあ、と疑問に思った。
序でに。
そういや最近のテレビで流行のネット叩きケータイ叩きは、ホリエモンの買収騒動の反動とか情報産業シェア(?)のようなものをネットやケータイに奪われつつあることへのテレビ業界の不安感の表れだろうか。
非常に悪趣味なのをよく最近目にするようになったのだが。
なにかにつけて、ケータイやらネットやらを結びつけたがるように見える。
而も理路整然と明示的にというよりは、なんとなくの悪いイメージだけ暗示的に結びつけているように見える。
まあこれは私の印象に過ぎないので、実際のところどうなのかなんてことは能く解らんのだが。
これは間違った関連付けだろうか。
確かにこういった種類のマスメディアの悪趣味な振る舞いは今に始まったことではない。
何に牙を剥くか判らない。
私の目が疑念で曇って了っているのだろうか。
或は買収に反抗するときに見せた理念らしきものとは逆に、所詮はテレビ局も単なる営利企業に過ぎなかったということだろうか。
それは兎も角として。
我々は・・・上手く言えないが、バブルや昨今の政治にまつわる責任(或は呪い)だけでなく、マスメディアの責任までおっ被っていると最近感じる。
あの人達が見せかけの中立性で自らの発言に関する責任から逃れようとするのとは対照的に。
有酸素運動だ。
しばらく自転車をこぎ続けると、次の日、脳と体の調子が良い。
そういや最近の原油高(或はガソリン高)の報道において、原油高とイラク戦争との関係について言及しているのを私は観たことがないのだが。
我々の国が、アメリカを窘めるどころか「後方背支援」の名目で参戦しているところのイラク戦争との関係。
私が余りテレビを観ない所為で見逃しているのか。
或は余りに当たり前のことで言うまでもないということか。
然し普通の人にとっては、原油高とイラク戦争との結びつきは、9.11(チリじゃない方)とサダムフセインとを結びつけたようなぼんやりとしたイメージでしか結びついていないんじゃないかと思うんだけどなあ。
あっても精々例の暫定税率の話ばかりだ。
そういやなんでかなあ、と疑問に思った。
序でに。
そういや最近のテレビで流行のネット叩きケータイ叩きは、ホリエモンの買収騒動の反動とか情報産業シェア(?)のようなものをネットやケータイに奪われつつあることへのテレビ業界の不安感の表れだろうか。
非常に悪趣味なのをよく最近目にするようになったのだが。
なにかにつけて、ケータイやらネットやらを結びつけたがるように見える。
而も理路整然と明示的にというよりは、なんとなくの悪いイメージだけ暗示的に結びつけているように見える。
まあこれは私の印象に過ぎないので、実際のところどうなのかなんてことは能く解らんのだが。
これは間違った関連付けだろうか。
確かにこういった種類のマスメディアの悪趣味な振る舞いは今に始まったことではない。
何に牙を剥くか判らない。
私の目が疑念で曇って了っているのだろうか。
或は買収に反抗するときに見せた理念らしきものとは逆に、所詮はテレビ局も単なる営利企業に過ぎなかったということだろうか。
それは兎も角として。
我々は・・・上手く言えないが、バブルや昨今の政治にまつわる責任(或は呪い)だけでなく、マスメディアの責任までおっ被っていると最近感じる。
あの人達が見せかけの中立性で自らの発言に関する責任から逃れようとするのとは対照的に。
2008/05/22
18%
なんか六月ぐらいになると色々と魅力的な新商品が出そうで恐ろしい。
ATOMが出たら低価格PCとか買ってしまいそうだし、iPhonも出そうでやばい。
そろそろメインマシンも替えたい気もしなくもないし。
煩悩にまみれてるぜ!
買えないけど。
やっぱ宝くじか・・・。
10枚3000円もするのか・・・。
そういや政府が基礎年金を税金で賄うとしたら消費税が何%になるのかの試算をやってみたそうだが、その試算によると、年金を一律支給して更に既に年金を納付した実績のあるひとはそれに応じて幾らか増額する、という場合で消費税が18%ぐらいになるそうだ。
多くて18%。
まあどういう計算をしてるのか、私は詳細を見てないので判らないのだが、私は「18%でいいのか」という感想を持った。
適当に新聞など眺めてる感じでは、消費税率の増率に因る個人消費の減少或は経済全体の停滞分とか計算に入れてないような気がする・・・。
どっかに「消費税率1%につきナン兆円で計算すると」的なことが書いてあった気がする。
奇妙な競争原理に自ら身を置いてテンポラリーな人気取りに必死なマスメディアでは、消費税が多少上がることにも殆ど「そんなん払えるかー」とか「国民の理解が得られるだろうか(反語)」的な意見しか報道されていないが、私は18%という数字を「思ったより安い」と感じたのだが。
今の日本のマスメディアが「国民の理解」とかいう言葉を使うとアンニュイな気分になる。
消費税の増税は所得税等の累進っぷりをもっと増やすことの次ぐらいに良い案だと思うのだが。
取り敢えず既に十分持っていてる或はこれからのアテもある御方はいざ知らず、今から積み立てていった分を大分後からもらわないと不可ない我々富裕層でない若人にとっては、社会保険やら年金ってのは死ぬ程大事なものなのだ。
貧しければ貧しい程。
エラい人にはそれが解らんのです。
特にその人が既に十分持っていて、それを更に増やすことに躍起になっているときには。
序でに消費税率を上げるときは、所得の低い老人により多く分配する仕組みを考えるといい。
あと税の収支がもう一寸クリアになると更によろしい。
これが最も重要か。
色々思うところはあるが、もう眠い・・・。
いつもの言いっ放しで。
ATOMが出たら低価格PCとか買ってしまいそうだし、iPhonも出そうでやばい。
そろそろメインマシンも替えたい気もしなくもないし。
煩悩にまみれてるぜ!
買えないけど。
やっぱ宝くじか・・・。
10枚3000円もするのか・・・。
そういや政府が基礎年金を税金で賄うとしたら消費税が何%になるのかの試算をやってみたそうだが、その試算によると、年金を一律支給して更に既に年金を納付した実績のあるひとはそれに応じて幾らか増額する、という場合で消費税が18%ぐらいになるそうだ。
多くて18%。
まあどういう計算をしてるのか、私は詳細を見てないので判らないのだが、私は「18%でいいのか」という感想を持った。
適当に新聞など眺めてる感じでは、消費税率の増率に因る個人消費の減少或は経済全体の停滞分とか計算に入れてないような気がする・・・。
どっかに「消費税率1%につきナン兆円で計算すると」的なことが書いてあった気がする。
奇妙な競争原理に自ら身を置いてテンポラリーな人気取りに必死なマスメディアでは、消費税が多少上がることにも殆ど「そんなん払えるかー」とか「国民の理解が得られるだろうか(反語)」的な意見しか報道されていないが、私は18%という数字を「思ったより安い」と感じたのだが。
今の日本のマスメディアが「国民の理解」とかいう言葉を使うとアンニュイな気分になる。
消費税の増税は所得税等の累進っぷりをもっと増やすことの次ぐらいに良い案だと思うのだが。
取り敢えず既に十分持っていてる或はこれからのアテもある御方はいざ知らず、今から積み立てていった分を大分後からもらわないと不可ない我々富裕層でない若人にとっては、社会保険やら年金ってのは死ぬ程大事なものなのだ。
貧しければ貧しい程。
エラい人にはそれが解らんのです。
特にその人が既に十分持っていて、それを更に増やすことに躍起になっているときには。
序でに消費税率を上げるときは、所得の低い老人により多く分配する仕組みを考えるといい。
あと税の収支がもう一寸クリアになると更によろしい。
これが最も重要か。
色々思うところはあるが、もう眠い・・・。
いつもの言いっ放しで。
2008/03/25
Vested Interests First
ホームページができたそうなので、それを記念して。
Culture First?
Vested Interests Firstの間違いじゃなくって?
結局実質的にどうしたいのかが全く理解できない。
iPod課金制度で既得権益を更に拡張しようとしているということ以外は。
彼らの考えていることは、文化についてではなく、結局のところ自分の老後の暮らしがどの程度より贅沢にできるのか、ということだけなんじゃないのかと疑ってしまう。
得た金で、文化の新しい担い手を育成するのに使用することを宣言している訳でもなく。
例えば小学校の図書館にツェッペリンのCDとCDプレイヤーを買ってあげるとか。
奨学金にするとか。
貧しい国の「人間の安全保障」の発展の為に何かするとか。
そんな活動では全くない。
既存の知的財産権をより現代的なものにしようという運動でも全くない。
例えばどうすれば創造的な芸術家が創造的に活動でき、それでいて経済的にもうまくいくようにできるのかといったことを研究する訳でもないし、ちょろっとでも考える訳でもない。
要するに実際にしていることは、私的録音録画補償金制度推進運動唯一点のみだ。
そもそも私的録音録画補償金制度で発生する金がどこにいくのか、どう使うつもりかということについても全く触れられていない。
因みに私自身は、私的録音録画補償金が芸術の発展に使用されるのなら何も文句は無い。
例えば上に挙げたような用途に、その効果のちゃんと期待できるような仕方で使用されるのなら。
彼等のやっていることがどうやったら未来の文化についてのそれなりにまともな希望に繋がるのか、私には全く理解できない。
そもそも「はじめに文化ありき」の意味が説明されていない!
「はじめ」とは何に先行しているのか、何の「はじめ」なのか?
「文化」という語で何を指しているのか?
それに「はじめに文化ありき」と「私的録音録画補償金制度」との関係は?
補償の正当性と有効性は?
例えば違法コピーが減少すれば本当は金を受け取るべきだった人がちゃんと金を受け取ることができるようになるの?
それはどのくらいの金額と計算できるの?
そして本当にその人に金を渡すべきなの?
何も説明されていない。
てゆうか、著作物や著作権(特に音楽は!)と経済活動との関係において他に見直すべき点は山程あるんじゃないかと思うのだが。
行動理念について見てみよう。
「文化の振興こそが、真の知財立国の実現につながることについて、国民の理解を求めるとともに、その役割を担っていくことを表明します。」:
「真の知財立国」が具体的に一体どういったものなのか、どこにも書かれていない。
それはLinuxやコピーレフトのソフトウェアを無視する国のことかも知れないし、糞みたいなCDが3000円もするこの国のことかも知れない。
創造的な芸術家が喰えず、名ばかりの「アーティスト」が使い捨てにされ、大手流通や知的財産権の管理代行業者がより楽に、そしてより安定的にボロ儲けすることができるような国のことかも知れない。
これだって知財立国だ。
「知的財産」に芸術的創造性は特に必要無い。
或はCDを買った人がそのCDを買うことでそのCDの著作者に対する支持を表明しかつその著作者に対して経済的援助を与えているかのような錯覚に陥らせるような国のことかも知れない。
勿論、芸術家が育ち、人々が多様な美を受け入れ可能な状態にあり、また人々が創造的であり、他者に対する想像力に富み、思想や私的領域における性的嗜好によって人を差別しないようなまともな国で、かつ経済活動もうまくいく仕組みを持った国のことなのかも知れない。
まあどうせ何も考えていないんだろうけど。
当然「文化の振興」が一体何を指しているか、どういうことをするつもりなのかは書かれていない。
まあどうせ私的録音録画補償金制度のことを指してるだけなんだろうけど。
そして、「文化の振興」がどのようにして「真の知財立国の実現」につながるのか、結局具体的なことは何一つ書かれていない。
因みにこれをまともに表現しようとすると、恐らく論文が一本書けるだろうというそれなりに難しいテーマだ。
だからといって何も書かないのでは何も解らない。
騙され易い人が只ぼんやり「はあ、そんなこともあるもんかなあ」と思うということが期待される、という程度だ。
そもそもまともな説明の無いものにどうやって理解を示せと仰るのだろうか。
「経済の発展や情報社会の拡大を目的としたどんな提案や計画も、文化の担い手を犠牲にし進められることのないよう、関係者並びに政府の理解を求めます」:
文化の担い手とは我々人間のことだ。
人間の中に文化の担い手でない者など居ない。
そもそも誰かが犠牲になることが解っている提案や計画が推し進められるのなら、それには誰であっても当然反対すべきだ。
然し「文化の担い手」としての我々と、例えば「道徳的存在者」としての我々は、まあ根は同じかも知れないが、一応区別して記述ことが可能だ。
つまり「文化の担い手」は「人間」というよりは「文化的活動に従事する者としての我々」だ。
文化的活動に従事す時間があれば家畜の如く働いた方が例えば国民総生産量が増えると期待されるから、てめーら豚みたいに働けや、といった提案に反対する、というなら、勿論私もこれには大賛成だ。
或はまさか、「文化の担い手」という語でほんの一部の著作者のことを意味しているなんてことはないだろうね?
まさか、「ネットとかなんか発展してるみたいで違法コピーもなんか防げないらしいし、取り敢えずなんかiPodとか儲かってるみたいだし、どうせおまんらコピーしてネットに流すの分かってんだから、そこからコピーの補償金とか取ったらいいんじゃね?一寸政府に圧力かけてくるわー。」と言ってるのではないよね?
「知財先進国の経済発展を支えるのは、市場を賑わす種々の製品だけでなく、文化の担い手によって生み出される作品やコンテンツの豊かさと多様性でもあることを強調します。」:
上の「経済発展」と「作品やコンテンツの豊かさと多様性」との実際の関係が私にはよく解らない。
作品やコンテンツが豊かで多様性に富んでいることが知財先進国の経済発展を支えるという訳だが。
この「作品やコンテンツ」が何らかの「売り物」だと考えるのでなければ、こんなことは多分言えないよね・・・?
少なくともその多くが「売り物」でなければなければならないように思えるのだが。
どうだろう?
「作品やコンテンツなどの創作物を単なる「もの」としか見ない我が国の昨今の風潮を改めるべく云々」と書いてあるが、彼等はどうなのだ?
てゆうか「単なる「もの」」って何?
売り物も物理的対象も創作物もまあ兎も角「もの」ではあるよねえ。
例えば「人間は単なる「もの」ではない」という主張は普通は「人間は単なる物理的対象ではなく、道徳的存在者であり道徳的に扱われるべき存在なのだ云々」というようなことを言ってる訳だ。
然しこの場合どう解釈すればいいのだろう。
連中は創作物を単なる売り物としか見ないでやんの、ということだろうか?
若しそうすれば、彼等の主張は殆ど矛盾してはいないか?
或は多くの場合は「売り物」として見てもいいけどごく希にそれ以外の何かとして見てもいい、ということだろうか?
或は売り物であるかないかに拘らず、作品やコンテンツなどの創作物が豊富で多様なら知財先進国の経済が発展するという何らかの理論があるのかも知れない。
その理論をどうか提示して呉れ。
「文化を守り、育てていくために。
いま、何が必要か。何が起こっているのか。
私たちはCulture Firstで、考えます。」
とあるが、結局何も考えていないということはよく理解できた。
「文化=Cultureが重要視される社会の実現を求めます」とあるが、求めると言うだけなら只だ。
そういう社会の実現を本当に目指すなら、もっとちゃんと考えにゃならん。
彼等のようにぼんやり思うだけなら、より悪くなること以外は何も変わらない。
まあ実際は何も目指してないからそれでいいのか。
オウケイ、しょうがないので私が代わりにCulture Firstについて考えてあげよう。
はじめに文化ありき:
人間は、社会の中に「人間」として生まれ落ちる。
単なる動物としてではないし、「もの」とか「物理的対象」としてでもない。
我々を人間として扱うという文化を既に持った社会の中に、人間として、つまり道徳的に扱われるべき存在として生まれるのである。
文化は言語的に表現され得、表現的自由とは・・・云々。
一応、古いけど、スラッシュドット。
あとITmediaの記事とか。
私のと論旨は違うが。
そういやGIGAZINEの児童ポルノ関連もう一個。
序でにスラッシュドット。
日本もこうなるんだろうなあ。
嫌だな。
あいつはオタクだから性犯罪を犯す可能性が他の人より高いに違いないとか素面で謂われるようになるんだろうな。
あいつはロリコンだから気を付けろとか。
ロリコンは不治の病で再犯率(何の?)が50%だとか。
あいつは精神病院に通院してるから近づくなだとか。
パラサイトは引き籠りでニートで、なんか兎に角社会の役に立ってなくて、キレて家庭内暴力だー、とか。
若者はなんかみんな自分以外は馬鹿だと思っていて、すぐキレるとか。
それで児童ポルノ撲滅にロリコン排除がしれっと組み込まれたり。
地元に精神病院が建つことに反対する市民運動が起こったり(ああ、市民よ!)。
私も、あいつは漫画(と音楽も入れといて欲しい)オタクだし、声もなんか聴き取り難いし、見た目と目付きと態度と頭が悪いから、近づいたらなんだかヤバイ、ぐらいに思われてるかも知れない。
なんだか臭い、とか。
そして誰もいなくなった。
日本は、他者を排除して個別化していくんだろうなあ。
などと感じなくもない昨今。
まあ私は元来孤独が持病だからあんまり変わらないけど。
芸術に陽が当たる日は未だ遠い。
芸術家がアレじゃあ、もう全然駄目だ。
こういったことについて、芸術にできることは非常に沢山あると思うのだが。
Ecce Homo。
Culture First?
Vested Interests Firstの間違いじゃなくって?
結局実質的にどうしたいのかが全く理解できない。
iPod課金制度で既得権益を更に拡張しようとしているということ以外は。
彼らの考えていることは、文化についてではなく、結局のところ自分の老後の暮らしがどの程度より贅沢にできるのか、ということだけなんじゃないのかと疑ってしまう。
得た金で、文化の新しい担い手を育成するのに使用することを宣言している訳でもなく。
例えば小学校の図書館にツェッペリンのCDとCDプレイヤーを買ってあげるとか。
奨学金にするとか。
貧しい国の「人間の安全保障」の発展の為に何かするとか。
そんな活動では全くない。
既存の知的財産権をより現代的なものにしようという運動でも全くない。
例えばどうすれば創造的な芸術家が創造的に活動でき、それでいて経済的にもうまくいくようにできるのかといったことを研究する訳でもないし、ちょろっとでも考える訳でもない。
要するに実際にしていることは、私的録音録画補償金制度推進運動唯一点のみだ。
そもそも私的録音録画補償金制度で発生する金がどこにいくのか、どう使うつもりかということについても全く触れられていない。
因みに私自身は、私的録音録画補償金が芸術の発展に使用されるのなら何も文句は無い。
例えば上に挙げたような用途に、その効果のちゃんと期待できるような仕方で使用されるのなら。
彼等のやっていることがどうやったら未来の文化についてのそれなりにまともな希望に繋がるのか、私には全く理解できない。
そもそも「はじめに文化ありき」の意味が説明されていない!
「はじめ」とは何に先行しているのか、何の「はじめ」なのか?
「文化」という語で何を指しているのか?
それに「はじめに文化ありき」と「私的録音録画補償金制度」との関係は?
補償の正当性と有効性は?
例えば違法コピーが減少すれば本当は金を受け取るべきだった人がちゃんと金を受け取ることができるようになるの?
それはどのくらいの金額と計算できるの?
そして本当にその人に金を渡すべきなの?
何も説明されていない。
てゆうか、著作物や著作権(特に音楽は!)と経済活動との関係において他に見直すべき点は山程あるんじゃないかと思うのだが。
行動理念について見てみよう。
「文化の振興こそが、真の知財立国の実現につながることについて、国民の理解を求めるとともに、その役割を担っていくことを表明します。」:
「真の知財立国」が具体的に一体どういったものなのか、どこにも書かれていない。
それはLinuxやコピーレフトのソフトウェアを無視する国のことかも知れないし、糞みたいなCDが3000円もするこの国のことかも知れない。
創造的な芸術家が喰えず、名ばかりの「アーティスト」が使い捨てにされ、大手流通や知的財産権の管理代行業者がより楽に、そしてより安定的にボロ儲けすることができるような国のことかも知れない。
これだって知財立国だ。
「知的財産」に芸術的創造性は特に必要無い。
或はCDを買った人がそのCDを買うことでそのCDの著作者に対する支持を表明しかつその著作者に対して経済的援助を与えているかのような錯覚に陥らせるような国のことかも知れない。
勿論、芸術家が育ち、人々が多様な美を受け入れ可能な状態にあり、また人々が創造的であり、他者に対する想像力に富み、思想や私的領域における性的嗜好によって人を差別しないようなまともな国で、かつ経済活動もうまくいく仕組みを持った国のことなのかも知れない。
まあどうせ何も考えていないんだろうけど。
当然「文化の振興」が一体何を指しているか、どういうことをするつもりなのかは書かれていない。
まあどうせ私的録音録画補償金制度のことを指してるだけなんだろうけど。
そして、「文化の振興」がどのようにして「真の知財立国の実現」につながるのか、結局具体的なことは何一つ書かれていない。
因みにこれをまともに表現しようとすると、恐らく論文が一本書けるだろうというそれなりに難しいテーマだ。
だからといって何も書かないのでは何も解らない。
騙され易い人が只ぼんやり「はあ、そんなこともあるもんかなあ」と思うということが期待される、という程度だ。
そもそもまともな説明の無いものにどうやって理解を示せと仰るのだろうか。
「経済の発展や情報社会の拡大を目的としたどんな提案や計画も、文化の担い手を犠牲にし進められることのないよう、関係者並びに政府の理解を求めます」:
文化の担い手とは我々人間のことだ。
人間の中に文化の担い手でない者など居ない。
そもそも誰かが犠牲になることが解っている提案や計画が推し進められるのなら、それには誰であっても当然反対すべきだ。
然し「文化の担い手」としての我々と、例えば「道徳的存在者」としての我々は、まあ根は同じかも知れないが、一応区別して記述ことが可能だ。
つまり「文化の担い手」は「人間」というよりは「文化的活動に従事する者としての我々」だ。
文化的活動に従事す時間があれば家畜の如く働いた方が例えば国民総生産量が増えると期待されるから、てめーら豚みたいに働けや、といった提案に反対する、というなら、勿論私もこれには大賛成だ。
或はまさか、「文化の担い手」という語でほんの一部の著作者のことを意味しているなんてことはないだろうね?
まさか、「ネットとかなんか発展してるみたいで違法コピーもなんか防げないらしいし、取り敢えずなんかiPodとか儲かってるみたいだし、どうせおまんらコピーしてネットに流すの分かってんだから、そこからコピーの補償金とか取ったらいいんじゃね?一寸政府に圧力かけてくるわー。」と言ってるのではないよね?
「知財先進国の経済発展を支えるのは、市場を賑わす種々の製品だけでなく、文化の担い手によって生み出される作品やコンテンツの豊かさと多様性でもあることを強調します。」:
上の「経済発展」と「作品やコンテンツの豊かさと多様性」との実際の関係が私にはよく解らない。
作品やコンテンツが豊かで多様性に富んでいることが知財先進国の経済発展を支えるという訳だが。
この「作品やコンテンツ」が何らかの「売り物」だと考えるのでなければ、こんなことは多分言えないよね・・・?
少なくともその多くが「売り物」でなければなければならないように思えるのだが。
どうだろう?
「作品やコンテンツなどの創作物を単なる「もの」としか見ない我が国の昨今の風潮を改めるべく云々」と書いてあるが、彼等はどうなのだ?
てゆうか「単なる「もの」」って何?
売り物も物理的対象も創作物もまあ兎も角「もの」ではあるよねえ。
例えば「人間は単なる「もの」ではない」という主張は普通は「人間は単なる物理的対象ではなく、道徳的存在者であり道徳的に扱われるべき存在なのだ云々」というようなことを言ってる訳だ。
然しこの場合どう解釈すればいいのだろう。
連中は創作物を単なる売り物としか見ないでやんの、ということだろうか?
若しそうすれば、彼等の主張は殆ど矛盾してはいないか?
或は多くの場合は「売り物」として見てもいいけどごく希にそれ以外の何かとして見てもいい、ということだろうか?
或は売り物であるかないかに拘らず、作品やコンテンツなどの創作物が豊富で多様なら知財先進国の経済が発展するという何らかの理論があるのかも知れない。
その理論をどうか提示して呉れ。
「文化を守り、育てていくために。
いま、何が必要か。何が起こっているのか。
私たちはCulture Firstで、考えます。」
とあるが、結局何も考えていないということはよく理解できた。
「文化=Cultureが重要視される社会の実現を求めます」とあるが、求めると言うだけなら只だ。
そういう社会の実現を本当に目指すなら、もっとちゃんと考えにゃならん。
彼等のようにぼんやり思うだけなら、より悪くなること以外は何も変わらない。
まあ実際は何も目指してないからそれでいいのか。
オウケイ、しょうがないので私が代わりにCulture Firstについて考えてあげよう。
はじめに文化ありき:
人間は、社会の中に「人間」として生まれ落ちる。
単なる動物としてではないし、「もの」とか「物理的対象」としてでもない。
我々を人間として扱うという文化を既に持った社会の中に、人間として、つまり道徳的に扱われるべき存在として生まれるのである。
文化は言語的に表現され得、表現的自由とは・・・云々。
一応、古いけど、スラッシュドット。
あとITmediaの記事とか。
私のと論旨は違うが。
そういやGIGAZINEの児童ポルノ関連もう一個。
序でにスラッシュドット。
日本もこうなるんだろうなあ。
嫌だな。
あいつはオタクだから性犯罪を犯す可能性が他の人より高いに違いないとか素面で謂われるようになるんだろうな。
あいつはロリコンだから気を付けろとか。
ロリコンは不治の病で再犯率(何の?)が50%だとか。
あいつは精神病院に通院してるから近づくなだとか。
パラサイトは引き籠りでニートで、なんか兎に角社会の役に立ってなくて、キレて家庭内暴力だー、とか。
若者はなんかみんな自分以外は馬鹿だと思っていて、すぐキレるとか。
それで児童ポルノ撲滅にロリコン排除がしれっと組み込まれたり。
地元に精神病院が建つことに反対する市民運動が起こったり(ああ、市民よ!)。
私も、あいつは漫画(と音楽も入れといて欲しい)オタクだし、声もなんか聴き取り難いし、見た目と目付きと態度と頭が悪いから、近づいたらなんだかヤバイ、ぐらいに思われてるかも知れない。
なんだか臭い、とか。
そして誰もいなくなった。
日本は、他者を排除して個別化していくんだろうなあ。
などと感じなくもない昨今。
まあ私は元来孤独が持病だからあんまり変わらないけど。
芸術に陽が当たる日は未だ遠い。
芸術家がアレじゃあ、もう全然駄目だ。
こういったことについて、芸術にできることは非常に沢山あると思うのだが。
Ecce Homo。
2008/03/17
リアルと二次元の区別をつけるべきだ
何度も言うが。
リアルと二次元の区別をつけるべきだ。
或は事実と妄想の区別をつけるべきだ。
http://www.unicef.or.jp/special/0705/index.html
「ロリコンエロ漫画(リアルの児童ポルノではなく)によって性犯罪増加が助長される」とか端的に考えしまっている合理性と想像力の不十分な妄想家は。
勿論、言うまでもないが、児童の性的虐待から切り離せない児童ポルノは確っかり取り締まられるべきだ。
君は「ニートとかオタクとかはキモいから撲滅すべきだ」とかと殆ど同じような反吐が出ることを言っているのだということを自覚すべきだ。
君が弱者を救おうとするかのように振る舞うのは、他の者を罰してやろうだとかやりこめてやろうだとかして、同じような欲求を持っている人達の中でも反省の不十分な人達に対する人気取りをするときだけだ。
或は不安を煽って、騙され易い人達に対する人気取りか。
君のしていることは、ニュースとは名ばかりの視聴率至上主義のエンターテインメントとかあの地獄好きの占い師と同じだ。
全く以て醜くおぞましいことだ。
余りに酷い。
あ、あれか?
戒律に厳しいキリスト教か何かで、頭の中でエロい妄想をしても姦淫の罪を犯したことになるとかそういうことか?
序でに天に代って地獄に落としてやるわよとかそういうことか?
結局のところ日本ユニセフ協会(募金を募ってマージンを取って残りをユニセフに渡すという団体。ユニセフの名誉の為に言っておくが、ユニセフとは別なのだそうだ。)は、性的虐待を受けている子供達のことについて何か少しでも勉強しようとかどうすればいいか考えようとか、そんなことは全くしていないということが明らかになったばかりか、表現の自由や、ロリコン且つ普通の判断力を持った普通の人達についても全く何も考えていないということも明らかになった。
寄付さえ集まればいいのだろう。
因みに寄付金は、税金と同様に、それが何に使われるかがいつも問題だ。
例えば自分の渡した寄付金や税金が自分の与り知らぬところで、どこかアメリカの言いなりにならないような国の民主的政権を倒す援助に使われたり言いなりになる独裁者を援助するのに使われる、というのもよくありがちな話だ。
或は300円もする白い樹脂製の腕輪の「ホワイトバンド」の為に支払った300円の中の一文たりとも世界の貧困層への物資の提供には使われないとか結局その金がどう使われてるのか解らないとか。
因みに当時他の似たような樹脂製の腕輪は100円で手に入れることができた。
あれは当時私も、普通に腕輪が白いのが格好良いと思って、それがどういうものか意識せずに、他の樹脂製の腕輪より高いけど300円ならまあいいやと、タワレコでCD買う序でに買ってしまい、あとで恥ずかしい思いをした思い出がある。
白い包帯を巻くべきだった。
税金の場合は仲間を集めて政府に文句を言って使い道を変えさせるという時間と労力のかかるプロセスを経なければならないが、寄付金の場合はそれよりは多少楽だ。
考え無しに寄付すべきではないし、考えの無い団体に寄付すべきでもない。
このことについては:
・スラッシュドットのタレコミ
・GIGAZINEの記事
が詳しいので参照されたし。
リアルと二次元の区別をつけるべきだ。
或は事実と妄想の区別をつけるべきだ。
http://www.unicef.or.jp/special/0705/index.html
「ロリコンエロ漫画(リアルの児童ポルノではなく)によって性犯罪増加が助長される」とか端的に考えしまっている合理性と想像力の不十分な妄想家は。
勿論、言うまでもないが、児童の性的虐待から切り離せない児童ポルノは確っかり取り締まられるべきだ。
君は「ニートとかオタクとかはキモいから撲滅すべきだ」とかと殆ど同じような反吐が出ることを言っているのだということを自覚すべきだ。
君が弱者を救おうとするかのように振る舞うのは、他の者を罰してやろうだとかやりこめてやろうだとかして、同じような欲求を持っている人達の中でも反省の不十分な人達に対する人気取りをするときだけだ。
或は不安を煽って、騙され易い人達に対する人気取りか。
君のしていることは、ニュースとは名ばかりの視聴率至上主義のエンターテインメントとかあの地獄好きの占い師と同じだ。
全く以て醜くおぞましいことだ。
余りに酷い。
あ、あれか?
戒律に厳しいキリスト教か何かで、頭の中でエロい妄想をしても姦淫の罪を犯したことになるとかそういうことか?
序でに天に代って地獄に落としてやるわよとかそういうことか?
結局のところ日本ユニセフ協会(募金を募ってマージンを取って残りをユニセフに渡すという団体。ユニセフの名誉の為に言っておくが、ユニセフとは別なのだそうだ。)は、性的虐待を受けている子供達のことについて何か少しでも勉強しようとかどうすればいいか考えようとか、そんなことは全くしていないということが明らかになったばかりか、表現の自由や、ロリコン且つ普通の判断力を持った普通の人達についても全く何も考えていないということも明らかになった。
寄付さえ集まればいいのだろう。
因みに寄付金は、税金と同様に、それが何に使われるかがいつも問題だ。
例えば自分の渡した寄付金や税金が自分の与り知らぬところで、どこかアメリカの言いなりにならないような国の民主的政権を倒す援助に使われたり言いなりになる独裁者を援助するのに使われる、というのもよくありがちな話だ。
或は300円もする白い樹脂製の腕輪の「ホワイトバンド」の為に支払った300円の中の一文たりとも世界の貧困層への物資の提供には使われないとか結局その金がどう使われてるのか解らないとか。
因みに当時他の似たような樹脂製の腕輪は100円で手に入れることができた。
あれは当時私も、普通に腕輪が白いのが格好良いと思って、それがどういうものか意識せずに、他の樹脂製の腕輪より高いけど300円ならまあいいやと、タワレコでCD買う序でに買ってしまい、あとで恥ずかしい思いをした思い出がある。
白い包帯を巻くべきだった。
税金の場合は仲間を集めて政府に文句を言って使い道を変えさせるという時間と労力のかかるプロセスを経なければならないが、寄付金の場合はそれよりは多少楽だ。
考え無しに寄付すべきではないし、考えの無い団体に寄付すべきでもない。
このことについては:
・スラッシュドットのタレコミ
・GIGAZINEの記事
が詳しいので参照されたし。
2007/10/13
すばらしい新世界
12種類の歪みを選択できるRat。
やっちまった。
12接点のロータリースイッチを使って。
整流用やらファストリカバリーのやらゲルマニウムやらいろんな種類のLEDやら二重化したのやらで12パターンぐらいすぐできることを知る。
10個10円のバーゲンのダイオードが大活躍。
で、やっぱりLEDが好い、ということが判明した。
ガリガリしている。
光って奇麗だし。
余りアニメを観なくなってしまって久しいのだが。
最近アニメの放送中止がテレビ業界のこの秋流行のファッションのようだ。
テレビ局のダメさ加減は深夜のアニメにまで侵透しているのか。
非常に残念だ。
人が鉈で切り殺されたとすればその人が殺されたのはひぐらしがないたりするアニメの所為ですとでも宛も認めているかのようだ。
いや、或は本当に認めてしまっているのか。
殺人犯がビョークのCDを持っていてもニュースにならないが、一昔前で言うと、マリリンマンソンなら何故か意味有りげにそのことが報道されるというアレか。
日本で言うと「バトルロワイヤル」。
性犯罪者の部屋から大量のエロ本が押収されました(他の押収物は兎も角)とかいうアレだ。
宛も人がマリリンマンソンを聴いたりエロ本を読んだりすれば、その結果として、その人が殺人鬼になったり性犯罪者になったりする可能性が上がるとでも言いたげな感じで。
なんと貧弱な想像力!
そりゃ悪魔っぽいものが好きならマンソンぐらい聴くさ。
エロ本ぐらい読むさ。
併し当に「マンソンを聴く」ことに因って或は当に「エロ本を大量に買い込む」ことに因って、人が殺人鬼や性犯罪者になる可能性が上がったり殺人や性犯罪が実際に引き起こされるとどのようにすれば言えるのか、是非ともその説明を聴きたいものだ。
つまりこういうことだ。
まあ今更私が説明する程のことでもないのだが、まあ書いてみよう。
例えば。
ここに任意に選択された10万人のティーンが居たとしよう。
私はこの子供等にメカニカルアニマルズを一枚ずつ渡し、よく聴くように言って聞かせる。
更にもう10万人ティーンを用意しよう。
この子等には何もしない。
これを繰り返す。
さて、前者の10万人と後者の10万人との間に、殺人者になった比率の十分な差は見られるだろうか。
若し前者が明らかに殺人者になった比率が高ければ、メカニカルアニマルズはそれに何か影響してそうだと推測できる。
若し大した差が見られないか或は後者の方が比率が明らかに高かった場合、メカニカルアニマルズは無関係か或は何か肯定的な影響がありそうだと推測できる。
マリリンマンソンを聴けば殺人鬼になる可能性が高くなると考えるということは、上の二つの実験結果の内の前者の方の結果になると考え、更にその推測を推測以上のものに変える証拠か何かを掴んでいるということだ。
或殺人鬼がマリリンマンソンを好んで聴いていたということは何も説明しない。
上記のような実験が為されていないか或は期待した程の結果を出していないときには、マリリンマンソンと「殺人鬼になる」ということとの間に因果関係については、単に「その殺人鬼はマリリンマンソンが好きだった。若しかしたらカントリーミュージックが好きだったかも知れない。」とでも考えた方が良さそうだ。
因みにジョージBという殺人鬼はカントリーミュージックを「支持」しているらしいという話を聞いたことがある(不確か)。
関係無いけど序でに言っておくと、マリリンマンソンのギタリストは実際にカントリーミュージックファンだ。
・・・と、以上のことをを踏まえた上で、是非とも説明を聞きたい。
で、そしてそういう解り易い(が正しくはない)説明ができなければ、「普通の人が」とか「温和しい子が」と言って驚いて見せるという、パターン化されていて解り易い。ニュースってのは、なかなか気の利いたエンターテインメントじゃないか。
人が殺されていようと、或は人を殺してしまった人がいようと、正確な報道などどうでもいいのだろう。
バラ色の陶酔感に包まれて、なんて素晴らしい新世界。
そして風邪が悪化している。
膝が、雲の上を歩く感覚だ。
やっちまった。
12接点のロータリースイッチを使って。
整流用やらファストリカバリーのやらゲルマニウムやらいろんな種類のLEDやら二重化したのやらで12パターンぐらいすぐできることを知る。
10個10円のバーゲンのダイオードが大活躍。
で、やっぱりLEDが好い、ということが判明した。
ガリガリしている。
光って奇麗だし。
余りアニメを観なくなってしまって久しいのだが。
最近アニメの放送中止がテレビ業界のこの秋流行のファッションのようだ。
テレビ局のダメさ加減は深夜のアニメにまで侵透しているのか。
非常に残念だ。
人が鉈で切り殺されたとすればその人が殺されたのはひぐらしがないたりするアニメの所為ですとでも宛も認めているかのようだ。
いや、或は本当に認めてしまっているのか。
殺人犯がビョークのCDを持っていてもニュースにならないが、一昔前で言うと、マリリンマンソンなら何故か意味有りげにそのことが報道されるというアレか。
日本で言うと「バトルロワイヤル」。
性犯罪者の部屋から大量のエロ本が押収されました(他の押収物は兎も角)とかいうアレだ。
宛も人がマリリンマンソンを聴いたりエロ本を読んだりすれば、その結果として、その人が殺人鬼になったり性犯罪者になったりする可能性が上がるとでも言いたげな感じで。
なんと貧弱な想像力!
そりゃ悪魔っぽいものが好きならマンソンぐらい聴くさ。
エロ本ぐらい読むさ。
併し当に「マンソンを聴く」ことに因って或は当に「エロ本を大量に買い込む」ことに因って、人が殺人鬼や性犯罪者になる可能性が上がったり殺人や性犯罪が実際に引き起こされるとどのようにすれば言えるのか、是非ともその説明を聴きたいものだ。
つまりこういうことだ。
まあ今更私が説明する程のことでもないのだが、まあ書いてみよう。
例えば。
ここに任意に選択された10万人のティーンが居たとしよう。
私はこの子供等にメカニカルアニマルズを一枚ずつ渡し、よく聴くように言って聞かせる。
更にもう10万人ティーンを用意しよう。
この子等には何もしない。
これを繰り返す。
さて、前者の10万人と後者の10万人との間に、殺人者になった比率の十分な差は見られるだろうか。
若し前者が明らかに殺人者になった比率が高ければ、メカニカルアニマルズはそれに何か影響してそうだと推測できる。
若し大した差が見られないか或は後者の方が比率が明らかに高かった場合、メカニカルアニマルズは無関係か或は何か肯定的な影響がありそうだと推測できる。
マリリンマンソンを聴けば殺人鬼になる可能性が高くなると考えるということは、上の二つの実験結果の内の前者の方の結果になると考え、更にその推測を推測以上のものに変える証拠か何かを掴んでいるということだ。
或殺人鬼がマリリンマンソンを好んで聴いていたということは何も説明しない。
上記のような実験が為されていないか或は期待した程の結果を出していないときには、マリリンマンソンと「殺人鬼になる」ということとの間に因果関係については、単に「その殺人鬼はマリリンマンソンが好きだった。若しかしたらカントリーミュージックが好きだったかも知れない。」とでも考えた方が良さそうだ。
因みにジョージBという殺人鬼はカントリーミュージックを「支持」しているらしいという話を聞いたことがある(不確か)。
関係無いけど序でに言っておくと、マリリンマンソンのギタリストは実際にカントリーミュージックファンだ。
・・・と、以上のことをを踏まえた上で、是非とも説明を聞きたい。
で、そしてそういう解り易い(が正しくはない)説明ができなければ、「普通の人が」とか「温和しい子が」と言って驚いて見せるという、パターン化されていて解り易い。ニュースってのは、なかなか気の利いたエンターテインメントじゃないか。
人が殺されていようと、或は人を殺してしまった人がいようと、正確な報道などどうでもいいのだろう。
バラ色の陶酔感に包まれて、なんて素晴らしい新世界。
そして風邪が悪化している。
膝が、雲の上を歩く感覚だ。
2007/05/15
停止、退行
すべきことも余り進まず。
例の彼は歴史に自分の名前さえ残ればそれが汚名だとしても良いと考えているのだろうか。
或は憲法を彼の言うように変える必要があり、而もそれが今特にしなくちゃいけないことだと本気で考えているのだろうか。
心が折れそうだ。
反対派や批判精神を持った知識人の心を折る為の新手のレイプか!
内閣支持率は50%前後あるが、その理由のトップは「他の内閣よりは良さそうだから」で、政策を支持しているから内閣を支持しているという人は少ない、ということがまだ救いか。
因みに不支持の理由のトップは「政策に希望が持てない」。
��確かNHK調べだったかと)
数字の上っ面だけ見ると、政策に対して積極的態度を以て内閣の支持不支持を決めている人は今の内閣を支持しない傾向にあるように、無理矢理見ようとすれば見えなくもないかも知れないかも知れないかも知れない。
ということで、独り勝手にそう思うことにしよう。
そうでもしないと心が折れそうだ。
例の彼は歴史に自分の名前さえ残ればそれが汚名だとしても良いと考えているのだろうか。
或は憲法を彼の言うように変える必要があり、而もそれが今特にしなくちゃいけないことだと本気で考えているのだろうか。
心が折れそうだ。
反対派や批判精神を持った知識人の心を折る為の新手のレイプか!
内閣支持率は50%前後あるが、その理由のトップは「他の内閣よりは良さそうだから」で、政策を支持しているから内閣を支持しているという人は少ない、ということがまだ救いか。
因みに不支持の理由のトップは「政策に希望が持てない」。
��確かNHK調べだったかと)
数字の上っ面だけ見ると、政策に対して積極的態度を以て内閣の支持不支持を決めている人は今の内閣を支持しない傾向にあるように、無理矢理見ようとすれば見えなくもないかも知れないかも知れないかも知れない。
ということで、独り勝手にそう思うことにしよう。
そうでもしないと心が折れそうだ。
2007/01/11
青空文庫、著作財産権、正当な権利団体
青空文庫が著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名運動を始めた。
著作人格権ではなく、或著作物に対して、それを読んだり聴いたり観たりというように利用するのに、対価を要求する権利(著作財産権)を、著作者にその権利を譲渡された者が、著作者の死後50年間保有することが認められてきたのを、70年に伸ばそうという権利団体の格好をした利権団体とアメリカ政府の要請に対し、それを認めないように日本政府に要請するのに国会に署名を提出する為の署名活動。
なんかバナー貼ってくれと書いてあるから貼っておこう。

簡単に言うと、自らの巨体を活かして今まで著作者の権利を巧みにかっぱらってお腹いっぱい喰ってきた人達が未だ喰い足りないと言ってるのに対して、あなたもう十分でしょうという署名活動だ。
まとも民主主義にコミットしている市民なら、今までさんざん儲けてきた人がお金を更に得る為のシステムよりも、未だお金を儲けていない芸術家や著作家達がより自由に創作活動に従事できるようにする為のシステムにコミットすべきだということは一目瞭然に判るだろう。
確かに権利団体の保護は著作家達にとっても著作物の享受者達にとっても当然重要であるし、その団体が他人の著作物を自分の懐を暖めるだけの為に利用するだけの団体、言い換えると他人のまわしで相撲を取ってるだけの団体であるとは私は決して思わない。
然しそれは、その団体が後者のシステムとして機能しているときに限られる。
それから他国と連携することもまた大事だが、それは正義に基づいているときに限られる。
おさるのジョージが戦争を始めたからといって、単にそれに歩調を合わせる為にそれを支持するのは、単に愚かな行いであるに過ぎないことを思いだそう。
我々は議論することができる。
それは他者の明らかな愚行を諫めることができるということも含意している。
私は最近、余りにも簡単に他者に委譲できてしまう(それによって余りにも簡単に著作者の利益が搾取されてしまう)著作財産権という考えを捨てて、著作人格権に根差した形で、それでも芸術家が生活していくことを可能とするような団体の形成の可能性について結構真面目なアイディアがある。
希望の無い左翼知識人は健全な左翼知識人とは言えない。
それは私のような知識人候補生(私は結局候補生止まりだったが)にも言えることだ。
そのアイディアは、規模がでか過ぎて、そして詰めが甘すぎて、未だ十分な実現性を持ってはいないが、もし我々著作家で芸術家で著作や芸術の享受者で潜在的に著作者となる可能性を持っている者達、即ち市民全体が、十分に芸術と自由について希望を持って団結することができたなら、私のアイディアは現実味を帯びてくる。
・・・詰めが甘くて問題があるので一寸恥ずかしいし、眠いので、その内容についてはまた今度、気が向いたときに。
著作人格権ではなく、或著作物に対して、それを読んだり聴いたり観たりというように利用するのに、対価を要求する権利(著作財産権)を、著作者にその権利を譲渡された者が、著作者の死後50年間保有することが認められてきたのを、70年に伸ばそうという権利団体の格好をした利権団体とアメリカ政府の要請に対し、それを認めないように日本政府に要請するのに国会に署名を提出する為の署名活動。
なんかバナー貼ってくれと書いてあるから貼っておこう。
簡単に言うと、自らの巨体を活かして今まで著作者の権利を巧みにかっぱらってお腹いっぱい喰ってきた人達が未だ喰い足りないと言ってるのに対して、あなたもう十分でしょうという署名活動だ。
まとも民主主義にコミットしている市民なら、今までさんざん儲けてきた人がお金を更に得る為のシステムよりも、未だお金を儲けていない芸術家や著作家達がより自由に創作活動に従事できるようにする為のシステムにコミットすべきだということは一目瞭然に判るだろう。
確かに権利団体の保護は著作家達にとっても著作物の享受者達にとっても当然重要であるし、その団体が他人の著作物を自分の懐を暖めるだけの為に利用するだけの団体、言い換えると他人のまわしで相撲を取ってるだけの団体であるとは私は決して思わない。
然しそれは、その団体が後者のシステムとして機能しているときに限られる。
それから他国と連携することもまた大事だが、それは正義に基づいているときに限られる。
おさるのジョージが戦争を始めたからといって、単にそれに歩調を合わせる為にそれを支持するのは、単に愚かな行いであるに過ぎないことを思いだそう。
我々は議論することができる。
それは他者の明らかな愚行を諫めることができるということも含意している。
私は最近、余りにも簡単に他者に委譲できてしまう(それによって余りにも簡単に著作者の利益が搾取されてしまう)著作財産権という考えを捨てて、著作人格権に根差した形で、それでも芸術家が生活していくことを可能とするような団体の形成の可能性について結構真面目なアイディアがある。
希望の無い左翼知識人は健全な左翼知識人とは言えない。
それは私のような知識人候補生(私は結局候補生止まりだったが)にも言えることだ。
そのアイディアは、規模がでか過ぎて、そして詰めが甘すぎて、未だ十分な実現性を持ってはいないが、もし我々著作家で芸術家で著作や芸術の享受者で潜在的に著作者となる可能性を持っている者達、即ち市民全体が、十分に芸術と自由について希望を持って団結することができたなら、私のアイディアは現実味を帯びてくる。
・・・詰めが甘くて問題があるので一寸恥ずかしいし、眠いので、その内容についてはまた今度、気が向いたときに。
2006/11/18
ミルトン・フリードマン逝く
ミルトン・フリードマンが死んだねえ。
人間の自由ではなく、より力のある人間がその力を気の赴くままに行使する自由という意味での「自由」主義経済に政策的理論的基盤を与えた人で、市場至上主義経済の信奉者達のアイドルで、まともな自由主義や社会民主主義の反アイドル的存在だった人。
サッチャーとかレーガンとか利己的で貪欲な大企業とか「不採算事業」と「税金の無駄遣い」とを混同して更に不採算事業は切っちゃえみたいな感じで国と企業の特性を混同しているような人達にはかなりモテたが、一般的に左翼知識人からは無視されるどころか嫌悪された人。
彼やその取り巻きの業績のお陰で、南米の都市部の周りにはスラム街が形成されたし、イギリスの水道料金は上がったし、地方のJRの料金は高かったり、他の重要な問題をそっちのけにして郵政民営化法案が国会を通った、という感じ。
そうか、彼は死んで了ったのか。
彼が死んで世界が一寸は良くなったりする訳でもないし、この奇妙な自由主義の流れが止まる訳でもないだろうし、まさか彼の死を喜ぶべきでもないしその理由もないが、兎に角我々は重要な代名詞或はメタファーの指示対象を一つ失った訳だ。
人間の自由ではなく、より力のある人間がその力を気の赴くままに行使する自由という意味での「自由」主義経済に政策的理論的基盤を与えた人で、市場至上主義経済の信奉者達のアイドルで、まともな自由主義や社会民主主義の反アイドル的存在だった人。
サッチャーとかレーガンとか利己的で貪欲な大企業とか「不採算事業」と「税金の無駄遣い」とを混同して更に不採算事業は切っちゃえみたいな感じで国と企業の特性を混同しているような人達にはかなりモテたが、一般的に左翼知識人からは無視されるどころか嫌悪された人。
彼やその取り巻きの業績のお陰で、南米の都市部の周りにはスラム街が形成されたし、イギリスの水道料金は上がったし、地方のJRの料金は高かったり、他の重要な問題をそっちのけにして郵政民営化法案が国会を通った、という感じ。
そうか、彼は死んで了ったのか。
彼が死んで世界が一寸は良くなったりする訳でもないし、この奇妙な自由主義の流れが止まる訳でもないだろうし、まさか彼の死を喜ぶべきでもないしその理由もないが、兎に角我々は重要な代名詞或はメタファーの指示対象を一つ失った訳だ。
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