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2021/10/05

メモを書く、Moleskine、思考回路

最近頭の調子は悪くなる一方で、とうとう自分の頭の調子が悪いことをウッカリ失念し出すぐらいになってきた。
只ずっと下降して行くのだけれど、たまに回復して多少頭が回ることもある。
何故か体の調子が悪いぐらいの方が頭が回ったり色々思い付いたりする。

ワクチンを打った翌日、コーヒー淹れるのに台所に立ってるとき、ヘロヘロになりながらも幾つか思い付いたことがある。
然し「ああ、然々のこと思い付いたけどメモらなければ10分で忘れるわ。でもメモるのメンドいし、あと10分で忘れるけどヘロヘロやしもうええわ。」ということで、忘れた。
何を思い付いたのかもう思い出すことができない。

最近は何か思い付いても、大体流れて行く。

昔は Moleskine の無地のノートに思い付いたことを書き溜めたりしていたのだけれど、ここ何年もそのノートを開いていない。
近年では思い付いたことはスマホにメモるようにしてたんだけど、私はスマホに文字を入力するのが遅いので、忘れるしメンド臭くなるしで結局ちゃんとメモれてない。
私はPCのキーボード入力も余り早くないし、手で文字を書くのも酷く遅いけれども(そして極度の悪筆)、スマホ入力よりはマシ。
なので Moleskine のノートを復活させようかと。
万年筆もここ最近使ってなかったので、それも一旦洗って復活させたろうと。

万年筆は分解洗浄した。
ペン先が引っ掛かる感じだったので、#15000の研磨フィルムでゴリゴリやってたら超極細のペン先が極細ぐらいになってしまった。

Moleskine のノートは、新しいのを Amazon で買った。
一時期紙質が少し悪かったと思うけど、新しいのは悪い時期のよりは良さげ。
20年ぐらい前のと比べると、昔のがシッカリしてる感じがする。

つうことで、文字でも書くことで頭の方もマシになればいいけど、まあダメだろうね。

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「思考回路」という語を聞く度に思い出す。
学生の頃、私がレポートか何かで「脳という回路」的な言葉を使ったとき、師匠に「脳が回路であるということを説明してください」的なことを言われたことがある。
これは哲学の学生が迂闊な断定を行ったときにその返しとしてよく出てくる言い回しである。
「おのれセーラームーン!」と逆恨みしたミラクルロマンス。

つうことで、セーラームーンのオープニングの曲をギターでジャズっぽく弾いたら面白そうと思ってギターを構えたところで、アリガチなんよなあと思って、なんか面倒臭くなったという話。

私はセーラームーンを通ってこなかったので、断片的な知識しかない。
月に代わってお仕置きよ、火星に代わって折檻よ、で、あとは知らん。
多分、準惑星ゴブリンに代わって鋸挽きよ、とかかだと思われる。
ペガサスに代わって流星拳よ、まであるかも知れない。
あと何と戦ってる人達なのかということも分かってない。
今 Amazon Prime Video でやってるので、ちゃんと観てもいいかも。
一応ウォッチリストに入れておこう・・・。

2011/10/14

漫画分類

ベッド脇にCDが堆く積もっている。
そいつを片付けようとしたのが運の尽き。
CDを片付けるためにはCD棚の前に積まれた漫画を退けなくてはならない。
漫画もそろそろ秀作/駄作の分類をして、駄作はダンボール箱にでも詰め込まなければ置き場が無い。

てことで、先ず漫画の分類。
積まれた漫画、特にここ一年程で増えた漫画を、判の大きさと面白さで分類する。
面白さの判断は大体のところ私的な感覚を基にしているが、「これは認められるべき」といったような公的な視点もそれなりに入る。てかどうしても入ってしまう。
まあそりゃそうか。
「純粋に私的な好悪の判断」といったようなことができる程、人間単純にはできていないように思う。
なんで、公的視点を如何にして排除するかとかいうような話なら、どんな感じで公的視点が混ざってるのか或は混ざっているべきか、とかいう話にすり替えればいいんじゃないですかね。

まあ自分だけの為のライブラリなんだが。

てことで、或程度は公的視点が入っている。
どうしたって混ざるぶんだけでなく、意識的にも多少混ぜている。
純粋な好悪だけでないことは判ってるし、意識的にも単なる好悪から少し距離を取っている。

え?自分だけの為のライブラリですよね?
だからそうだと言っている。

てことで分類。
私的にテッパンのは既に棚の定位置に収まっている(例えば、大:漫玉日記、中:あずまんが(新)、小:レベルE)。
一定以上面白くて巻数が増えたものも半分以上は棚に収まる(大:足洗邸、中:純潔のマリア、小:ハンター)。
少年誌系の巻数の多いものや多くなることが予想できるものは押入れの中に作られた棚へ(ワンピ、月光条例等)。
最近買ったけど一定以上ピンと来ないものはダンボールへ(大:じょしらく、中:ビリーバット、小:むろみさん)。
昔面白かったが最近そうでもなくなったものも棚から引っ張り出してダンボールへ(大:はるみねーしょん、中:ゆうやみ特攻隊、小:絶望先生)。
空いた棚のスペースに最近買ったものの中で「秀作」認定されたものが入る(大:星を継ぐもの、中:黄昏乙女、小:進撃の巨人)。
等々。

然し秀作/駄作の判断基準はよくブレるし、棚の空き容量とも相談しなければならない。
大:四百九十九人切り、中:アカンプリス、小:貧乏神が、辺りが悩みどころ。
面白いんだけど、空き容量を鑑みるとどうすべきか悩ましい。
貧乏神と巨人は現在大体同じぐらいの面白さ。
貧乏神は10巻ぐらい出てるけど巨人は5巻しか出てないので今のところ半分の容量だし・・・。
あと貧乏神は今後「ちょーすげー漫画」には多分ならないだろうけど、巨人はその可能性が無きにしも非ずだし・・・。
あと巨人の画、腰のラインがイカす。
とか。
という感じの、中間的なものが結構いっぱいある。

あと途中までしか読んでないものが何冊か出てきたりして驚く。
山田花子とかは私の脳内の「精神の充実したときでなければ読んではいけない」のコーナーに分類されているのだが、不十分な精神の時に途中まで読んで心が容量オーバーになってそのままになっていたようだ。

とういことで、部屋には漫画が散乱している。
どうしたものか・・・。

あ、一応、漫画を床に散乱させたあと、CDはCD用の棚に突っ込むことができた。
でももうすぐ容量オーバー。

2011/10/08

マリア

本屋に行って、「純潔のマリア」」(→Amazon)新刊出とるわ、と思って値段も見ずに適当に買ったら限定版で、結構高かった。
一緒に買った星野之宣の「スターダストメモリーズ」(→Amazon)、でかくてぶ厚いヤツと同じぐらいの値段だった。
スターダストメモリーズは値段を見て買うかどうかかなり迷ったぐらいだから、純潔のマリアもたまたま手に取ったのが限定版で他に通常版があるということが判ってたら、どっちを買うべきか迷うぐらいはしたかも。
でも結局限定版を買ってたような気もしないでもない。

「純潔のマリアって、未だ2巻なのか!
もう一寸出てたのかと思った。
濃いのね。
私はコーヒーでも漫画でも濃い方が好い。

2巻の感想。
漫画家マジすげー。
くっそー、マジ漫画家すげーな。
なんで私、ギターなんかチマチマ弾いてんだ。

昨日ジョブズが死んで意外と動揺したが、例えば石川雅之が死んだら私、多分結構絶望すんぜ?

2011/07/18

稗田礼二郎

弱そうな稗田礼二郎でお馴染みの井上淳哉版妖怪ハンター。
なんかフツーの漫画っぽい。
でもこれはこれで。
多分、これはこれで。
画は綺麗だし、やたらモノローグが入っている訳でもないし、稗田のカメラはデジ一だし。
当世風で読み易い。
でもなー。
諸星大二郎版を知っていると評価に困る・・・。
他の話もリメイクされるのかね。
他のも出たら買わないでもない。

2010/12/03

この水上悟志がすごい2010

水上悟志すげーな。
あれはなんかもう、なんかもうさあ。
兎に角読んでみるべきだ。
惑星のさみだれ(→Amazon)。
これで最終巻ですがね。
最初から最後まで鼻水の垂れるのが途切れること無く読むことができた。
センスが良いってのはこういうことなのか、と思う。
成程、これが漫画のセンスというものか。
幾ら讃えても讃え終わらない。
幾らでも讃えられる!

あとあずまきよひこも。
あの人はもう名人ですよ。
「おらが春」か「よつばと!」か、ぐらいの感じで。

漫画はよいね。
いやあ、日本語ネイティブでよかったよ。
勿論下らない漫画も山程あるけれど、こういう優れた漫画を原語で読めることが、日本語のできることのメリットだ。
一つの芸(或は芸術)が芸(或は芸術)として成りつつあるその最新の現場を見ることができる訳だ。
ラファエロや一茶やベートーベンや芥川はリアルタイムで見ることができなかったけど、漫画は読むことができる。
これは自慢できることだと思う。
有り難や有り難や。

2010/11/24

ハガレンとか

昨日は疲れて風呂も入らずそのまま寝てしまって、朝起きて風呂に入る。
風呂の中で今日が休日だということに気が付く。
危ねえ。

洗濯したりしてたらAmazonから荷物が届く。
例に拠って漫画を一冊ずつそれぞれ一つの段ボールに入れて送ってくる。
而もわざわざ千葉から送ってくるので一日タイムラグがある訳よ。
��因みに私は大阪在住。堺から出してくれればその日に着く。)
予約したものはお急ぎ便にならないのでお急ぎ便を使いたいときは発売日の朝に注文しなければならない。
そして注文したその日に届くこととなってても出荷が遅れてその次の日に届いて結局余り変わらなかったり。
在庫が無くて数日で出荷となってるものは数日置きに延期のメールが来て一月待っても出荷されない。
なんかもうさあ。
まあいつものことなんだけど、最近こういうのに高い頻度で当たる。
こりゃもうダメだ。Amazonは諦めよう。
これから文庫とか漫画ぐらいは普通に本屋で買おう。

ハガレン最終巻。
うーん、まあ最後はこんなもんか。
よくできてはいるとは思う。
全体としては良い漫画だった。
私が小さい頃に読んでれば、私の人生も多少変わったろうと思えるぐらい。
少なくとももう一寸色々真面目に生活したんじゃないかね。
あと多分、パタリロのような格好で何も無いところで手をパンパン叩いてただろうね。

これで買うべき漫画が一つ減った。

BILLY BATは矢張りおかしな感じになってきている気がする・・・。
扱ってる問題の所為で更に思慮の浅さが際立ってきてるように見えるんだけど、これはホントに大丈夫なのか?
場当たり的に、「これ言っとけばなんとなく賞賛されんじゃね?」的な型を如何に散りばめるかということばかりに神経を使っているかのように見える。
「なんか賞でも欲しいのかい」(by筋肉少女帯)的な。
未だ何かあると思いたいんだけど、期待してもいいのかどうか。

あと他にも色々。

2010/08/13

夏は夜、だった

ハガレンも次の巻で終わりか。
アレはよくできた漫画だねえ。

あと中村明日美子が、私の思っていたよりは得るものがあった。
ウツボラ。

進撃の巨人は、1巻買ってみたけど、未だ判断つかないな・・・。

結構漫画買ってるなあ。



2010/05/23

英雄

また好い時間に眠れなく。
福満しげゆきの「日常」の完全版(→Amazon)を読んだ所為だ。
どうせ青林工藝舎版に結末として数ページ加えられただけだろう、またコレクターズアイテムを買ってしまうのか、と高を括っていたら、続きがそれまでのと同じぐらいのページ数あった。
あと水上悟志の惑星のさみだれ(→Amazon)も。

脳味噌が興奮状態にある。
漫画すげーな。
勿論世の中には下らない漫画も山のようにあるけれど、漫画に福満しげゆきや水上悟志等々を生み出せる土壌のあることは、なんかもう有難味すら感じる。

2010/03/13

オート系

あー。
ハルシオンランチ(→Amazon)が意外にも凄く面白かった・・・。
そうか、私はこういうのも好きなのか。
余り漫画を増やしたくないので買うつもりはなかったんだけど、野中英治の「赤い空 白い海」(→Amazon)を買おうとしたときに何故か一緒に手に取ってしまった。
でも買ってよかった。

そして漫画が増え続ける。
漫画の仕分け作業も終わってないのに。

2009/07/25

火の鳥

火の鳥の雑誌サイズ版(→Amazon)が出てるので、これを機に揃えてやろうかと。
未だ最初の一冊しか手に入れてないけど。
火の鳥は、多分全体の半分ぐらいは読んでると思うけど、飛び飛びだし、うろ覚えだし、残り半分は全くの未知の世界だ。
そいつは勿体無い気がする。
そういやブッダも途中までしか読んでないような気がする・・・。
アトムは読んでない。
奇子とか、有名どころでも短いものは、そこそこ読んでるんだが。

やっぱテヅカはよいねえ。
やりおるわい。
そんなにバリバリ好きという訳じゃないけど。
私には寧ろ水木しげるとか諸星大二郎とかの方が好い。


あと、るくるくが終わってしまった。
ああ・・・。
あさりよしとおらしい終わり方だった。

2009/07/19

杉浦日向子

お香が随分と減ってきた。
京都にでも行くか。
然し夏場の京都は酷く暑いからなあ・・・。
大阪にも何かいいところがあればいいのだけれど。
よく探検していないので分からない。


漫画でも小説でも、近年の物語の締め方に慣れてしまうと、例えば水木しげる辺りには違和感を覚えるんじゃないかと思う。
話の切り上げ方が早いのかね。
スッキリはしないが、然しそれが面白くもある。
杉浦日向子の「百物語」(→Amazon)読後の感想。

2009/06/15

あずまんが大王

あずまんが大王新装版(→Amazon)、買ってきた。
大分加筆修されているっぽい。
昔のメディアワークス版と比べて、絵柄もそうだが、内容も微妙に違っているところがある。
台詞が省かれているところが多かったような。
メディアワークス版は当時、こりゃすげーと思って、隅から隅まで全て記憶してたぐらい繰り返し読んだが、その私でも結構楽しめた。
まあノスタルジー的な何かも幾らかはあるだろうけど。
単に書き下ろしが十数ページ付いただけとかでがっかりすることを覚悟して買ったのだが。
只のコレクターズアイテムには留まらない感じで非常に宜しい。

一つの源流となったものだし、個人的に大好きな漫画の一つだし、それだけでなく他人にも薦められるよくできた名作だとも思うので、こういう形で新しくなったり再び注目されたりするようになるのは気分が良い。
エキサイトする。
よいねえ、これはよいものだ。



2009/05/20

買い溜め

首が。
寝違えた。


買ったまま放ったらかしにしてた漫画に一応ざっと目を通しておく。
主にエマと蟲師。
エマは、あれはもう一寸ちゃんと読むべきものだった。
もう一回読まないと。

蟲師はまだあと2冊も残ってるよ。
「蟲師をあと2冊も残している、この意味がわかるか?」
まあ特に意味は無いけど。
悪くはない、悪くはないんだけどなあ。

2008/06/28

安倍吉俊

大好きな安倍吉俊の漫画を買ってきた!
回螺」。
高けーかった。
こんなに高いの買ったのは「V フォー・ヴェンデッタ」以来だ。
カラー漫画はなあ。
まあそれでも邦楽CD一枚より少ない金銭的負担で買えるわけだ。
30秒と聴いていられないような音と妄言戯言が一時間近く続く悪夢に3000円費やすことを考えれば、なんてお買い得なんだ。

芸術は値段ではない?
無論然り。
それが「芸術」という観点から見られる限りにおいては。
君がベートーヴェンのCDにどれ程金を注ぎ込もうとも、君が音楽を理解できないのであれば、べートーヴェンの音楽は君の手には決して入らない。
或はピカソを買うことがそのピカソの芸術を手に入れることではない。
「芸術」は、作品等の単純な売買では到底買うことができないのは誰もが知るところ。
然しベートーヴェンの演奏会のチケットにも、或はポロックの絵にさえ、大抵値札が付くものだ。
君はその値札にある金額を支払ってその「芸術」を買うのではない。

然しやっぱCD一枚3000円ってのは、この2008年の様々なテクノロジーの水準や、この2008年の音楽制作、製造、流通、販売等々に関わるコストから考えても、大分高過ぎると思う・・・。

因みに、未だ読んでない。
おとりおき。
読めるような精神状態になったら読もう。

2007/03/24

灰羽連盟、チロルチョコ、光のない闇

目の奥が、ズン、と痛い。
肩も重い。
血流がどこかで滞っているように思える。


アマゾンさんが灰羽連盟のDVD-BOXを買わないかと誘う。
今なら一万チョイですよ、と。
うーん。
私はアニメのDVDとか買ったこと無いのだけれど、これは買ってもいいかも知れない。
灰羽連盟ってのは、私の知ってるアニメの中では最高のアニメなのです。
私がこの商品に対してお金を支払うことで、このアニメを作った人達やそれに携わった人達に、幾らか、経済的な援助の一端を成せばいいと思う訳です。
そしてまたこういう優れた作品が出てきてそれをまた我々が観ることができるような仕組みを、維持したり発展させたりする助けになればと思う訳です。

作品の優劣と経済に関する概念とを安易に結び付けるべきではない、ということは勿論忘れてはならない。このことを理解するには、特に90年代後半以降に、「売れている」というだけの酷い音がCDに詰められ、「音楽」の名で呼ばれ、更に芸術に携わっているとは到底言えない、只歌ってるだけの人達が「アーティスト」と呼ばれ、これらの酷い、確信に満ちた、あからさまな詐欺行為によって、その時代を生きた多くの若者の音楽的希望という概念を消し去ってしまったということを思い出すだけでよい。
因みにこういった希望消滅後の希望の不在感が、「希望なんてものは近代の遺物でしかなく、もう希望なんて不可能なのだ」みたいな感じで、自分の絶望しているポーズがお気に入りの「ポストモダン」好きの著作家達によって現在利用されるに至っている、というのが、ぼんやりとした私の考え。(「ぼんやりとした」は「私」にかかっている)
因みに、希望が不可能なら絶望することは論理的には不可能だということを忘れてはならない。と同時に、感情的にはそれが可能ではあるということも忘れてはならない。
「光のない闇」は論理的には在り得ないが感情的にはあり得る。
因みに因みに因みに、「光のない闇」ってのは芥川龍之介の『歯車』だったかな?キリスト教徒の老人が「光のない闇などあり得ない、自分が闇の中にあると思うなら光を見ればいい」と主張するのに対して主人公は「でも光のない闇もあるでしょう」と主張してかみ合わない、という場面があるのです。そういや芥川の全集もそろそろ手に入れないと。

が、まあ兎も角、優れた作品を作るのに携わった人達には感謝したいものだし、その感謝の表現として、金銭的概念を用いようとしてしまわなくもない。
まあ然し実際のところは、その一万円の内の多くの部分は、私の意図から外れた所へ流れるのだろうし、その流れた金が次の新しい素敵作品を生むのを阻む可能性だってある訳だが。

まあそれは兎も角、一巻ずつ買って揃えるのは死ぬ程金が掛かるが、一万円ならなんとか出せなくもない。
恐らくその世界では格安なんだろうなあ。
されど一万円。
1000円のクラシックの廉価盤10枚分。
「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の彼が一人分。
チロルチョコが・・・って、チロルチョコって今幾ら?
まあ一万円ではギターは(殆どの場合)買えないことを考えると、安いかも知れない。
あのダンエレクトロでさえ買えない。
BOSSのエフェクター約一個分か。
あー、買うかなー。

2006/12/23

げんしけん終わる

論文、ニ三言進む。
もう駄目だ。


げんしけんが終わった。
結構呆気ない感じで終わった。
一つの詩が完結した。
一つの枠組みができた。
我々は、一つの時代が形成されたところを見た訳だ。
今後恐らくは幾つも出てくるであろう、おたくに言及する種類の漫画は、全て『げんしけん』と比較される。

アマゾン→『げんしけん』、木尾士目

2006/08/25

げんしけん

げんしけんはようできたお話や。
最新刊が、昨日、発売日で。
大分前にアフタヌーンで連載が終わったと聞いていたので、これが最終巻になるだろうと思っていたのだが、どうやらあともう一巻、12月頃に出るのだそうです。
どうやら単行本用に書き下ろしを加えて、量を増やしているようで。

眠いのでまあそんな感じで。


アマゾン→げんしけん

2006/06/07

ヨコハマ、エマ、福満しげゆき

このブログ、「アクセス解析」ってのが付いてて、何人が記事を見たのかってのが分かるようになっているようです。
で、なんか最近すげー勢いでアクセス数が伸びてるんだけど、カウントの仕方が変わったのかな。
でもシーサーからそういうアナウンスは無かったしなあ。
私の記事は、個人的な上にしょーもないことばかりなので、別に人が読むに値するとは思えないし、書いてることが以前と変わった訳でもないので、なんか変だ。


じゃあそんな訳で、漫画の話でも。

エマヨコハマも終わって了った。
素敵漫画だった。
思えばどちらもにわ氏の紹介によって知ったものだ。
その節は。メルボクメルボク。因みにメールボックスじゃなくてメルシーボクーです。

ヨコハマは12年もやったそうな。
すげーな。
12年前なんて生まれてねーよ。

・・・要らん嘘つきました。

私が漫画を読み出したのは大学に入ってずっと経ってからで、つまりまあ大分長じてからで、結構最近のことなのです。
そのことが、自分が「頭のてっぺんが開き(げんしけん)」きってないんじゃないかという劣等感の種に、多分、なっているのです。
で、私が漫画を読み始めたのは、確か古本屋でワンピースを、ナケナシの金で大人買いしたのが始まりかと。
「クソお世話になりました」でボロボロボロ、世の中にはよきものがあるのだな、という感じで。
その頃は、多分、ボーボボが「つけもの」を以て、マグネシウムのような鮮烈な輝きを持って現れた頃かと。
その輝きは、「ハジケリスト」という語彙だけ遺し、マグネシウムらしく、一瞬にして尽きてぼろぼろになってしまうのだけれど。

それから、梅田のジュンク堂に、福満しげゆきの10年前の漫画の復刻が500冊限定で売ってたのを買った。
『10年たって彼らはまた何故ここにいるのか・・・』
彼の最近の漫画に用いられているモチーフが既に出ていて、興味深い。
まだ旅立ってもいないのに』は、若しかしたら、これの焼き直しとして描かれたのかも知れない、という風にも読めないでもない。
彼の漫画に一度ドキドキさせられた経験を持つなら、手に入れておいて間違いはないだろう。
コレクターズアイテムみたいでなんか嫌なんだが、残念なことに、どう考えても非常に面白い。
逆効果っぽい小粋さを以て、シリアルナンバーがついている。
4月20日発行で、私ので205/500番だったので、まだ在庫はあるんじゃないかと思う。
バイナウ。


最近、また歯が抜けたり砕けたりする夢を見る。

2006/04/21

施川ユウキ

施川ユウキ二冊!

って、なんか漫画のレビューブログみたいになってきたなあと思う昨今。
まあ何だって構わないけど。
方向性が先にあって、そこに私が合わせなきゃならないってのはイマイチ気に食わないが、テキトーに好き勝手やったのを後から見返してみるとそこに何らかの方向性が見えてくるってのは、まあ別に構わない。
まあ何だっていいのだ。
別にレビューのつもりで書いてる訳じゃないし。
「面白い」とか「イマイチ」とかしか言ってない訳だし。
私はそこまで馬鹿でもないので、「面白い」とか「ショボイ」とか書くだけでは何かまともな批評を書いたつもりにはなれない。
まあ書くことが無いのでテキトーにやってるだけなのだ。
ちゃんと批評として書くときはちゃんと考えて書きますよってに。
私が「面白い」と書いたということは単に私がそれを面白いと思ったということぐらいしか意味していないということには注意すること。
つまり、その漫画自体に「面白い」という性質が備わっているかのように扱ってもいい、ということを私が是認しているということを意味しているのではない。
誰が見たって面白いということを意味しているのではないし、それがどう面白いのか、ということについて語ることができるだけの用意が私にあるということを意味しているのでもない。

まあそんな感じで施川ユウキの話でも。

サナギさん』と『もずく、ウォーキング!』。
いつの間にやら発売されていたみたいね。
すっげー面白い。
すっげー面白い。
因みに『サナギさん』がツッコミの中学生の話、『もずく』が考える犬の話。

2006/04/19

印象の変化を言語化する

ハヤテのごとく!』が意外にも結構面白いんじゃないかという気になってきた。
一巻だけ読んで、あんまりピンと来ないなあと思っていたのだけれど、蒐集癖のある私は一巻だけ持ってるのも気持ち悪くなってその後のものも買ってきて読んだのだけど、そうしたら、こりゃ結構面白いんじゃないかという感想を持つようになった。
「これは是非とも読むべきだ」というような部類には入らないけれども、楽しく暇つぶしができる部類には入るかと。
・・・ってからあんまり評価変わってないような。
うーん。でも一寸印象は好くなったんだけどな・・・。
印象がどう好くなったかは一寸表現し辛い。

「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。」

一応言っておくと、勿論この引用の使い方間違ってることぐらい判ってますよ。
「エポケー=ぼけーっとすること」みたいに。

じゃあまあそんな感じで。