2006/04/30

机上、付箋、堆積

あんなに大量にあった付箋がもうなくなってしまった。

勿論、それだけ多くの本を読んだということではない。
それからそれだけの付箋を消費したということでもない。
単に私の机の上が汚すぎて付箋が見当たらないというだけである。
机の上を片付ければ何処かから出て来るんだろうけど。
でも汚すぎて、一寸片付ける気になれない。
読みかけの本が大量に積み重ねられていたのが雪崩ていたり、ピックやら10円玉やらCDやらゴミやらがその隙間を埋めていたり。

2006/04/29

SONYのイヤホン

二年程愛用していたSONYのカナル式イヤホン(→これ)が、少し前、断線してしまった。
頑張って繋ぎ直してもいいのだけれど、緑青が生じていて気持ち悪かったり、結構汚くなってるし、まあ繋ぎ直しても体裁良くはできないだろうということで、そろそろ買い換えてみようかと。
私は電車に乗るとき大抵音楽を聴いてていたいので、イヤホンは必需品。
電車の中で聴くので、普通のイヤホンよりも、遮音性に勝れるカナル式のが好い。
因みにパイオニアのカナル式のやつ(→これ)も持ってるのだけれど、電車で聴くには音が生温過ぎる。
私は特に低音を求めてる訳ではないので、音がもっこりヌルくなるよりは、高音が普通にちゃんと出てくれた方が有り難い。
それに今まで使っていたのに比べると、好み云々というよりも明らかにグレードダウンな音。
暫くはこれで凌いでいたのだが、出来ればもう一寸良さげなのが欲しい。
ということで、SHUREのとかSONYの五月に新しく出るお高いやつ(→これ)など候補に上げて思い悩んでいたのだが、SONYの新しいやつは、高いし、或程度音漏れするし遮音性もそんなに高くないらしく、電車で聴く感じじゃなさそうということで、結局SONYの断線したやつの一寸安いヴァージョン(→これ)を買うことに。
ネットで色々調べたところによると、数値的なスペックは同じだったし、それ系の掲示板なんかをちらちら見たところによると、音質は変わらないとのこと。

で、買ってきた。
前のは白だったのだけど、黄ばんだりして見た目が結構汚くなるので、黒いのにした。
前のに比べて造りや素材がなんか微妙にチャチい気もするが、「微妙に」だし、まあこんな程度の差異だけで1000円ちょい安いのなら、断然安い方を買って正解だったと感じる、という程度。
音的には、今パッと聴いた感じじゃ、前のとの違いは判らなかった。
「あああれっぽいな」という感じ。
まあ違いが判らんのだから、仮に厳密には違っていたって、別にその違いはさほど重要な意味は無いので、これでいいってことなのだ。

2006/04/28

春眠、MiND

やっべー。
寝過ごした。
春眠暁を覚えなさ過ぎた。
本など読んでいたら寝てしまっていた・・・。
春眠あな恐ろし。

因みに犯人はサールのMiND
舞-HiMEかよ。
因みにこれは心の哲学の入門書です。
別にサールは好きくないのだけれど、表紙が格好良いのと結構分厚い割に安いという理由で手に入れることとなった。
因みに表紙はこんなの↓
MiND
まだ始めの1/4ぐらいしか読んでないけれど、現時点の感想を言うと、かなりよくまとめてあるんじゃないかと思う。
一寸意外。
結構解り易く書かれてあるし、入門書としてはかなり良いのじゃないかと。

2006/04/27

春眠暁を覚えず

眠い。
ずっと寝てたのに。
もう寝ますよってに。

2006/04/26

心の哲学モドキ

「私が時間t1の時点でAという心的状態にあったとしよう。
更にそのときの私の脳の物理的状態がA'であったとしよう。
それからt2にはBという心的状態にあり、同時にB'という脳の状態であり、またt3には・・・云々。
では、t1000000のときに私の脳の物理的状態がA'であることが判明したとき、そこから私の心的状態がAであることを推論することは妥当であるか。」
さて、私がAという心的状態にあるということは、誰が言いだしたことであろうか。
誰が、「オーメンは今Aという心的状態にある」と決めたのか。
誰がそう記述したのか。
オウケイ、ここでは仮に私がそうしたんだとしよう。
私は私の腹痛を騙されやすい人達に悟られないように振る舞うことができるが、そのとき確かに私の腹は痛く、私が自分の心的状態について報告しなくては不可ないときには少なくとも「私は腹が痛い」と報告するし、その報告は、私の演技に騙された周りの人が何て言おうと、正しい報告なのだ。
確かに私は私自身の心的状態の記述についてそこそこの権威を認められている筈なので、私が記述するのが妥当だろう。
でも本当に私に権威を持たせてしまってよかったのか。
少女Hは少年Kのことが好きなことは誰の目にも明らかだが、H自身は自分の気持ちに気付いていない、或はHは自分自身がKのことが好きだということが明確に意識に上ったことはないく、Hはいつも「あいつ(K)は嫌な奴だ」と言っているという萌えシチュにおいては、誰の記述がHの心的状態についての記述として妥当なものなのか。
Hの心的状態についての正しい記述は、恐らく周りの人による記述の方だろう。
然し我々はHの「あいつは嫌な奴だ(と私は思っている)」という報告は偽る意図のない正直な報告であるということは知っているので、Hは意識的には兎に角Kのことを嫌な奴だという信念を、兎に角彼女の意識の上では、持っているということを、その報告によって知ることができる。
ほう、しまった、話がややこしくなりそうだ。
信念というのは、その信念を持っている人がその信念の内容についてちゃんと意識して是認していなければならないっぽいが、心的状態はその心的状態に在る人がその人自身そのような心的状態にあるということを必ずしも意識できるている必要はないっぽい。
やばい、そろそろ綻びそうだ・・・。
で、じゃあ、この場合、心的状態と脳の物理的状態とを対応付ける目的には、Hの内省による報告を取るべきか周りの人によるHの心的状態についての記述を取るべきか、或はどっちも必要なのか、或は・・・云々という問題がある。

まあ兎に角、私が言いたかったのは、「心的状態」とはどういうことを指しているのか、そして、或心的状態についての記述がそれで正しいということはどのようにして成り立つのか、更に、正しい記述は一つに決定できるのか、もう一寸考えないと不可ないねーってことでした。


そろそろ書くの面倒臭くなってきたので私の議論のこの先の展開の方向だけ言って了えば(ここで議論を止めるのもちょいときたねーやり方な気がするが)、私はまあここでも物語チックでプラグマチックで意味の外在主義っぽいアプローチなんかをする訳です。
それから人の心を自分の脳の中に閉じこめておくのに抗ったり。なんかこう書くと胡散臭いけど。
で、茂木健一郎(クオリア大好きっ子)にたいなのも養老さん(唯脳論)みたいなのも全然駄目だなあ、みたいな話になるのです。

・・・なんかイマイチおもんねーな。
パンチが足りん。

2006/04/25

復活祭

ヘテロ楽団復活。
まったりと慣らし運転。

自分達の曲もそれなりにしつつ、お遊びでMr. Big とかレディヘなんかもやったりしたり。
何曲かMP3レコーダーで録音したのだけれど、Mr. Big のDaddy...が自分達の曲より、音量バランスなど、結構格好良く録れてたり。
我々にはロックが足りない・・・。ということで、次はロックでも創ろうか。
因みにSONYの小型のマイクで録音したのだけれど、低音が全然録れなかった。
やっぱそれなりに録ろうと思ったら、もう一寸デカいマイク使わないとダメっぽい。次はAIWAを使ってみよう。
家に帰ってからSONARに取り込んで補正する。


パンを喰って舌をガッツリ噛む。
スゲー血が出た。
めっちゃ痛いし。
なんか舌がエグレてるし。
ビビった。
ビビってネットで舌の外傷について調べてみたら、どうやら放っときゃ治るらしい。
ということでティッシュを咬みながら放っといて、SONARで今日録音してきたやつの音質補正などしながら寝てしまっているうちに、どうやら血は止まったようだ。
然し依然として舌に何かが当たるとそれなりに痛いので、飯が喰い難いし、飲むのも痛い。

2006/04/24

容積

明日の用意。
機材の質量を可能な限り削減することに。
ギターとチューナーとチューブスクリーマーとケーブル二本とピックのみ・・・だったらどんなに楽か!
ブルースバンド恋しや荷造り。
どうやら私の運命は、私の荷物をキャリーケースとギターケース一つづつに収めることを、どうしても私にさせないつもりらしい。
いいだろう、それならこっちにも考えがある!

否、実際は考えがないから困っているのだけれど。

2006/04/23

無為

よく寝た。
昨日夕方頃帰ってからそのまま寝て、起きて漫画を読んでブログを書いて、すぐ寝て、夕方起きた、というぐらい、よく寝た。
人間、能くこんなにも寝れるもんだ。
ということで何も書くことが無く。
Medesuki, Martin & Wood のDVDをまた見た、というくらい。
もう一寸何かしたと思うんだけど、忘れた。

2006/04/22

セバスチャン

私の前に私の進むべき道が延びているのではない。
只、後に誰かが私の足跡と到達点とを見て、私の足跡が私の歩むべきだった道とぴったり重なっている、とか、その道を私が歩んだことは必然だったんだ、と、したり顔で言うだけである。

誰か似たようなことを言ってたような・・・。


髪を切った。
テーマは「セバスチャン」。


序でに漫画も買ってきた。
プーねこ』と『ハツカネズミの時間』。
両方二巻目。
それぞれまだ暫く出ないんじゃないかと思っていたのだけれど、てゆうかもう出ないかもと思ってたのだけれど、私の予想していたより大分早く出た。

2006/04/21

施川ユウキ

施川ユウキ二冊!

って、なんか漫画のレビューブログみたいになってきたなあと思う昨今。
まあ何だって構わないけど。
方向性が先にあって、そこに私が合わせなきゃならないってのはイマイチ気に食わないが、テキトーに好き勝手やったのを後から見返してみるとそこに何らかの方向性が見えてくるってのは、まあ別に構わない。
まあ何だっていいのだ。
別にレビューのつもりで書いてる訳じゃないし。
「面白い」とか「イマイチ」とかしか言ってない訳だし。
私はそこまで馬鹿でもないので、「面白い」とか「ショボイ」とか書くだけでは何かまともな批評を書いたつもりにはなれない。
まあ書くことが無いのでテキトーにやってるだけなのだ。
ちゃんと批評として書くときはちゃんと考えて書きますよってに。
私が「面白い」と書いたということは単に私がそれを面白いと思ったということぐらいしか意味していないということには注意すること。
つまり、その漫画自体に「面白い」という性質が備わっているかのように扱ってもいい、ということを私が是認しているということを意味しているのではない。
誰が見たって面白いということを意味しているのではないし、それがどう面白いのか、ということについて語ることができるだけの用意が私にあるということを意味しているのでもない。

まあそんな感じで施川ユウキの話でも。

サナギさん』と『もずく、ウォーキング!』。
いつの間にやら発売されていたみたいね。
すっげー面白い。
すっげー面白い。
因みに『サナギさん』がツッコミの中学生の話、『もずく』が考える犬の話。

2006/04/20

想像力の限界を予め規定される

主人公とその恋人か何かが街中でデカい声で痴話喧嘩みたいなことをしてるとしよう。
物語では、二人が何故そのように痴話喧嘩するに至ったのかが、読者が理解できるように、前もって何かしら描かれている。
で、まあ二人は痴話喧嘩してる訳だが、如何せん街中故、周りの人が二人を見る訳だ。
それがどのように見られるのか、痛々しいものを見るように、とか、うるせえなと迷惑そうに、とか、そういうことも、物語では描かれている。
然しその周りで観ている人達それぞれのペルソナは、決して描かれない筈である。
そうすることで物語の作者は、無意識的にであれ、周りで見ている人達それぞれの物語を読者の想像力の及ぶ範囲の外へ追い遣るのである。
自分がごく簡単な仕組みの所為で想像力を十分に発揮できていないのを発見するのは悲しいことである。
これが例えばフィクションでなくノンフィクションとして描かれたものだったらどうだろう。

「大衆」が存在するとしたら、それはどう足掻こうと「個人」へと還元し切ってしまわないものとして存在しているのだ。

ビアスの『月明かりの道』も芥川の『藪の中』も、或は『ハヤテのごとく!』も、つまり一つの出来事を複数の視点から見ることができたとしても、何の慰めにもならないだろう。

然し、ドーキンス流に言えば、このことを知ったヒトは、このことに抵抗することができる。これは慰めになるだろう。
慰めにならないのなら詩人は必要ない。

2006/04/19

印象の変化を言語化する

ハヤテのごとく!』が意外にも結構面白いんじゃないかという気になってきた。
一巻だけ読んで、あんまりピンと来ないなあと思っていたのだけれど、蒐集癖のある私は一巻だけ持ってるのも気持ち悪くなってその後のものも買ってきて読んだのだけど、そうしたら、こりゃ結構面白いんじゃないかという感想を持つようになった。
「これは是非とも読むべきだ」というような部類には入らないけれども、楽しく暇つぶしができる部類には入るかと。
・・・ってからあんまり評価変わってないような。
うーん。でも一寸印象は好くなったんだけどな・・・。
印象がどう好くなったかは一寸表現し辛い。

「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。」

一応言っておくと、勿論この引用の使い方間違ってることぐらい判ってますよ。
「エポケー=ぼけーっとすること」みたいに。

じゃあまあそんな感じで。

2006/04/18

M, M, & Wの話

オルガンジャムバンドのMedski, Martin & Woodのベスト盤。

M, M & W
因みに上のリンクは普通盤かな?値段的には限定盤っぽいんだけど・・・。
タワレコでは普通盤が2000円一寸、限定盤が2800円ぐらいだったかと。

ボーナストラックとDVDが付いてる限定盤を一寸前に買ったのです。
普通盤は殆どThe DropperとCombusticationとUninvisibleとEnd of the World Partyから選曲されているのでそれを持ってるブルーノート以後のM, M, & Wのファンは特に必要ないかと。
私にも必要ないかと思っていたのだけど、限定盤にDVDが付いてることを知って、勢いで買ってしまった。
会計を済ませてから物凄く後悔したのだけれど、DVDの内容がまあまあ素的だったのでまあ或程度後悔が軽減された。
DVD、ライブの映像が入ってるのだけれど、ああ、こんなふうにやってるんだな、ということがよく解る感じ。
ドラムが結構確っかり観れるので、ドラマーとかドラム好きの人にはいいんじゃないかと思う。

まあそんな感じで。

2006/04/17

目の奥

右目の上の奥がズンと重い。
なんだろう。
寝てるときに打ちでもしたのか。
或はFFやりすぎたか。
白目が、両目共充血している。
瞼も腫れぼったいのでずっと泣いていたかのような顔だ。
うーん。

2006/04/16

レベルが上がる

また遊んでしまった・・・。
FFの話。
結構長い時間やってしまった。
一寸ぐらいのつもりで云々。
なにやってんだか。

でも行き詰まった。
先に進めない。
レベルばかり上がる。
FF12、多分、結構金欠な感じで装備も余り揃わないまま進めていくようになってると思うんだけど、なんか先に進めないのでそこそこ金持ちになってしまった。

2006/04/15

ワーグナー、ストラヴィンスキー、デジキャラット

やってしまった・・・。
ニーベルング全曲集、アルテノーバの。

der Ring das Nibelungen
der Ring das Nibelungen

アルテノーバってのは廉価盤レーベルなんだけど、一寸前からタワレコではアルテノーバセールをやっていて、タワレコ買ったら更に安いのです。

13枚もあるよ・・・。
絶対全部は聴けん。対象をひとまとまりのものとして捉えることに関する私の能力の限界を遥に超えている。
実際に上演するときには、全部演るのに四日ぐらい掛けなならんらしいし。
ってゆーか、各序曲ぐらいが聴ければよかったのだが。

まあニーベルング全集買っといて言うのもナンだけど、私はワーグナーってイマイチ好かんのよね。
私がワーグナーを好かんのは、「ほれ美少女だ、猫耳も付けてやる、萌えろよ」という態度の萌え漫画或はアニメに私が萌えられないことや、「ほれキラキラした音だろう、リバーブもかけてやったぞ、感じろよ、そして癒されろよ」という態度の癒し系音楽に私が癒されないどころか苛立たしささえ感じることと同根であるのだと思う。因みに「癒し系音楽」というのは、その音楽に対する蔑称だと思う。
ワーグナーの音楽ってのは、大部分の「ほれ、ほれ、ほれ」というハッタリと少しの芸術とでできているように私には見える。
そのミエミエ感とか押し付けがましさとか、そういう感じが鬱陶しい。
アイヴスやストラヴィンスキーぐらいちゃんと「これはハッタリですよ」って言って確りわざとやってくれれば、つまりより一般的な例を挙げるとつんくとかデジキャラットのようにやってくれれば、そしてわざと明示的にハッタリをカマすことを一つの技巧として確立させてやるというぐらいの意気込みでやってくれれば、或は別の次元で面白くなる可能性もあるけれど、ワーグナーのハッタリは只のハッタリでしかないように見える。
まあつんくもデジキャラットも私はあんまり好きくないが。
ワーグナーの音楽は、ハッタリの部分が折角の音楽の邪魔をして見え難くしている。
然し音楽家がハッタリ技巧について学ぶにはもってこいだと思う。
我々ワーグナーより後に生まれてしまった音楽家は、ハッタリ技巧の一つや二つ知っておかなければやっていけないような気がする。
ワーグナーの後には純粋にロマン主義的な音楽は成立し難くなってしまった。
ブルックナーもマーラーもシェーンベルクも、ワーグナーをさぞ恨めしく思ったことだろう。知らんけど。


という私的言語で綴られる日記。

2006/04/14

お肌のターニングポイント

眠い。
が、あんまり寝てられない。
然し或程度寝なければならない。
でもあんまり寝てられない。
寝なければ明日に響くのに。

そんな感じで私のお肌は下り坂。

野菜ジュースを飲もう。

2006/04/13

季節外れの夏休み

また遊んでしまった・・・。
夏休みが終わりそうな小学生の気分。
因みにFF12の話。
でもすべきことは或程度片付けたからまあよいのだ。

2006/04/12

冬目景、マッカラン、ドリエル

睡眠導入の為に、効かないと知りながらも酒類を試す。
呑みながら、冬目景の『羊のうた』を読み返す。
素的漫画。
ちょーやべー。
冬目景の漫画は、どれも話の筋とか物語構成なんかは大したことはないのだけれど、人物画と雰囲気だけで物凄いものを描く。
私は冬目景を賞賛したいのだけれども、生憎今は良い言葉が思い付かない。
私が何か思い付いたとしたら、それが私が思い付く限りでの最大限の賛辞となるだろう。
兎に角こいつはモンスターだぜ・・・。(米国風)

で、結局朝まで呑むことに。
貴重な命の水を大分消費してしまった。
ウィスキー、私はMacallanのファンなんだけど、以前まで安く仕入れていた店が何か変な店になってしまって、今ではなかなか安く手には入らないのです。
成城石井は高いしなー。

直段の割に美味いバランタインの普通のやつとか膳とかまでランクを落とせば1000円程度売ってるところがあって、安く手に入るんだろうけど。
カナディアンクラブも狙い目。
狙い目っつってもまあ単に私の好みの話なので、真に受けないように。
私はブラックニッカとか嫌いだけどそれが好きな人も居るように。
その人が「ブラックニッカはコストパフォーマンスが高い」と言ったとしても私は共感できないように。

まあそんな感じで、Macallanを常時安売りしているようなところを探しているのだけれど、あんまり見当たらない。
因みにMacallan(12年物、一番オーソドックスなやつ)ぐらいが私の酒類に対する金銭感覚の限界です。
それ以上のランクの物(一葉さんがどう足掻いても必ず一人はやられるくらい)は、払う金の分だけ美味いのかどうか解るくらいまでに私の舌が肥えていない。

まあそんな感じで、今日はもう一度ドリエルでレッツゴー。

2006/04/11

朦朧、酒類、雨音

ドリエルを咽んでも結局寝付けず。
陽が昇るまで蒲団の中で只悶々とする。
而も寝起きが悪くなるし起きてからも頭がすっきりしない副作用。

今日は酒類でも試してみよう。
まあ一寸酒でも呑みたい気分なのです。
この軟弱な精神力はこの薄っぺらな才にさえ追いつかないのだ。
こりゃ参った。
一寸小マシなワインがあればいいのだけれども、生憎今はウィスキーしか置いていない。

雨音の心地良い季節と相成り候。
雨はよいねー。
空気中の花粉を叩き落として呉れる。
窓を開けて、まあ息でもしてみようかという気になる。

2006/04/10

ドリエル

ドリエルを咽んだ。
最近超遅寝遅起きの逆転生活リズムだったので、一寸修正しようと。
で、今は眠くなるのを待っているところ。
丁度膝の力が抜けてきているところ。
でもドリエル咽むと結構明日に響いたりするからなあ。
切り札的に使ってます。

2006/04/09

FF12

私はあんまりゲームやらないのだけれど、ファイナルファンタジーは或程度やるのです。
ということで、一寸前にFF12買ったのだけど、やり出すと時間を忘れてやってしまうので、あんまりやらないように自粛しながらぼちぼちやってるのです。
FF12、話の展開が丁度良い具合に鬱陶しいのでそんなにハマらずに済んでいる。

2006/04/08

批判理論

何が嫌いなのかについて聞くよりも何が好きなのかについて聞く方が心地が好いんだと思う。
また「・・・はここが駄目だ」という意見よりも「・・・はここが良い」という意見の方が支持を得易いのだろう。
批評家は、どうでもいいことでも無理矢理にでも褒める技術が必要なんだろうと雑誌等のレヴュー欄なんかを覧てると思う。
批評の為の語彙というよりも寧ろどうでもいいことを何か素的なことのように褒め称える為の語彙が創られてゆくところを見るのは楽しい。

私はあんまり正直ではないが、正直である方が良いとは思っているので、なれないものが多い。

勿論皮肉を言っているのです。

2006/04/07

Boot Camp、Leopard、PC/AT

とうとうAppleがやりやがった・・・。
ソースはここなど。
どうやらIntelMacのハードウェアでWindows XPが動かすことができるようになるらしいソフトウェアであるBoot Campのベータ版がAppleのホームページで公開されている。
エミュでなくて、ちゃんとデュアルブートで動く!
次期Mac OS X、10.5のレオパードで実装される予定だそうだ。
やべえよ。風がビンビン来てやがる。(アトリ)
くっそー、来年の春ぐらいに、そのとき金があれば、Vistaで一台組もうかと計画してたのに。
こりゃMac Miniかなー。
Macいいなー。ノートとかすっげーカッチョいいし。高いけど。
Vistaが出ればVistaも動くようにするのかな。
ってゆーかWindows機でMacが動くようにならんかな。
Windows機を自分で組むかDELL辺りで買うかして、そこでMacのOSだけ買ってきたのが動けば、大分安くつくのに。
でもWindows機でMacが動くなると、Macの魅力の一つである純正主義によるハードの信頼性に関わる部分とかが犠牲になるかも知れない。
デバイスのメーカーがMac用のデバイスドライバとかも作らないと不可なくなったりするんだろうな。

うっわー、Macがすっげー魅力的に見えてきた。


それから野菜ジュースを飲んだ後に牛乳を飲むとチョコレートの後味がすることを発見する。

2006/04/06

エスプレッシブ

花粉は未だ飛び散っているようだ。
例年この時期って花粉って飛んでるもんやったかねえ。
そういやこの時期はいつも花見なんかで、鼻炎薬を咽みながら酒呑んで大丈夫なもんなのかドキドキしていたという記憶がある。
じゃあまだなんだろう。
暫くは薬漬けの毎日。


エスプレッソに大量のミルクと大量の砂糖を入れる実験をする。
というかミルクにエスプレッソを入れたという感じ。
マグに五分目くらいにミルクを入れ、チンして、砂糖をどっさり入れて、そこにエスプレッソを滴らした。
駅の売店で瓶に入ってるコーヒー牛乳の味がする。
コーヒー牛乳は好きなんだが、なんか微妙な気分。
折角のエスプレッソが。

2006/04/05

無為

何もしなかった。

どうも生きている感じがしない。

2006/04/04

血豆、太陽光、六分咲き

指先にできた血豆が黒くなった。
なんか癌細胞っぽくって気持ち悪い。

花粉症の薬を食み、学校へ向かう。
どうやら私の学校は今日が入学式だったらしく、人が沢山いて驚いたが、皆の晴れ晴れした気分の所為で人混みの鬱陶しさを感じないことにも驚く。
まあ天気も良くって太陽光が効いて私のダークフォースが働かなかった所為もあるだろうが。
今年の授業、どうやら思ってたより多く授業を取らなければならなくて一寸ビビる。

花見。
六分咲きの桜の樹の下でポテトチップスをつまみ、酒など呑む。

2006/04/03

まくらのそうじ、せっしょうなごん

枕を洗った。
枕カバーじゃなくて枕そのもの。
私の枕の綿は化学繊維でできていて、丸洗いできる。
風呂場で湯を少し溜めて、洗剤を入れて、只管踏み続ける。
昔ながらのワイン造りでブドウを踏むみたいに。
意外にも結構な労働。


因みに昨日のは、私が言葉足らずで一寸解り難かったかも知れないので一応言っておくと、勿論アレを字面通りに取っては駄目ですよ。
例えば「政府は一部の金持ちや企業や政治家の幸福のみを追求する為にあるのではなくて、金持ちも貧乏人も含めた全ての市民の幸福を等しく追求しなくてはならない。政府は一部の人の為に存在しているてその人のいいようにしていい機構なのではなくて、全ての市民の為に存在していて全ての市民に拠って存在しているのだ。」ということは常識だが、一旦実際にその常識を現実のものとしようと考えると、この場合だと政府を私物化してる連中とそのおこぼれを頂戴している取り巻き連中、或はそのおこぼれを頂戴していると不幸にも勘違いしている取り巻き連中から、その「常識を実行に移そうとする」思想は「危険思想」として扱われる、ということを、昨日の話は意味しているのです。
他にも例えば「戦争は不可ない」とか「選挙の票を操作すべきでない」とか「アルカイダとイラクとの繋がりは結局何だったのだ?大量破壊兵器は見つかったのか?という質問する権利がある」という常識をおさるのジョージ関係に絡めて言うと、「危険思想」になったりするね。9.11のときのアメリカのマスコミとかでは特にね。

2006/04/02

危険思想

危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である。
��芥川龍之介『侏儒の言葉』)

これがエイプリルフールネタだとしたらどんなによかっただろう。


↓因みに私が毎年楽しみにしているエイプリルフールネタ
窓の社

2006/04/01

東京都教育委員会

以前有害なナショナリズムについて書いた序でに。
卒業/入学シーズンの気の滅入る話。

東京都教育委員会は・・・。
本当にどうしようもない。
毎年この時期は口が開きっ放しで喉が渇くのだが、喉の渇きが段々酷くなってきているように思える。
何がしたいのかも解らない。
そんなことをすれば自分の住んでいる国が一寸でも善くなるとか、単に何か思い違いでもしていらっしゃるのだろうか。
或は自分の住んでいる国の善さに関する系は非常に複雑だと考えていらっしゃり、「中国の蝶の羽ばたきがフロリダのハリケーンを惹き起こす」式に、自分達の面に泥を塗りたくっておいて、これがどうして善くなるのか解らないが、でも回り回って結局善くなるんだ、とかいう奇妙な妄想でも抱いておいでなのだろうか。
常識、而も特に不合理でもない常識から逸脱した訳でもないようなことを主張した人を停職処分にしたり減給したりする何か合理的な理由でもあるのだろうか。
いちびってやってるなら兎も角、一応普通の合理性を以って為された主張に対して、何だか気に喰わないからというだけでは十分に合理的な理由とは到底呼べないし、気に喰わない奴はやっつけていいという法(地方公務員法)解釈があったとしても、気に喰わない奴を気に喰わないからやっつけるということを正当化するのには、そういう決まりですからってだけじゃ、この場合未だ不十分だ。そんなもん決めた奴が悪いのだとしたら?
確か日本って、日本国憲法が最高法規だったよな?
私が終に発狂したかして、或は何か重大な勘違いをしていて、実は最高法たる日本国憲法なんてものはこの国には無かったのか?
私の鮮明な記憶では、学校でこのことを習った筈なのだが、どうやら私はとうとう頭が変になったらしい。
だって、「教育委員会」という名前まで名乗っている人達、従って自由について教えることに大きく関わっている(筈の)当のその人達が、「自由」という語の使用の仕方とか「自由」という概念について、それがどういうことなのか、なんにも分かってないないなんてこと、まさかある訳ないよね?
松本智津夫の子供が松本智津夫の子供だったというだけの理由で入学拒否する学校があったり。教科書を広げて、一体何を教えるつもりでいるんだろうか。それじゃ、教科書に載っていることは教えられないじゃないか。だって自分達が何一つ解ってないのだから。
特にこの時期は学校の方角から嫌な臭いがする。

あ、そうか!あの人達は、自分を犠牲にして更に周りを道連れにしてまで、反面教師の役割を買って出たのか!
子供達にこんな愚かな大人になるなよと。
気付かなかったよ!
確かに救いようがなく酷いので傍ら痛くなってくる!

勿論皮肉を言っているのです。
何だか胸糞悪い嫌な世界だ。