2007/12/31

うめたてち

ここ数日、私の家が震度1ぐらいで断続的に揺れ続けている。
始めは私の三半規管が悪いのだと思っていたのだが、実際に揺れている。
沈むんじゃねえか?このうめたてち。
或はこのマンションが倒壊する兆しなのか。
何故か今日の9時以降揺れを感じることが少なくなったが。
どうなってんだ。
こういうことが結構あるんだが。
沈むんじゃねえのか、このうめたてち。


窓を開けると湿気を帯びた冷気がこの瘴気の立ち籠める部屋に入ってきて風呂上がりの熱の冷めぬ体に心地好い。
茶でもひとつ点てるか。

2007/12/30

焙じ茶

一日中、特に何をするでもなく、何を考えるでもなく、茶を飲み続ける。
主に焙じ茶。
今日中にやっておきたいことは結構あったのだが。
只管体内の水分を循環させている。
水でスポンジを洗浄するように茶で体内を洗浄しているかのようだ。

2007/12/29

パラノイド・ボーカロイド

ついにボーカロイドの鏡音リン/レンをインストールした。
けど未だ使っていない。

ボーカロイドはMEIKOやKAITOのときから気になっていたのだが、どうも声質が使えない或は使いたくない感じだったので、導入できずにいたのです。
初音ミクも声質がイマイチ気に入らなかったのだが、然し技術としては純粋に面白そうなので、初音ミクが出て他にも二種類出すと知ったときには、どれかは試してみようとずっと待っていたのです。
もう一種類が出る前に、もう待てないと痺れを切らして買ってしまった。

Cubaseなどでなかなかブゥシッなアクティベーション方法を採って見所のある製品を台無しにする傾向にあるように感じられるYAMAHAが一枚噛んでるので、ボーカロイドもうしうんこなアクティベーション方法を採ってたらどうしようと思ったが、まあ一見したところ、普通っぽい。
PCIカードとかハードディスクとかのハードウェアを何か一つ登録しなければならないが、まあ特に問題無さそうに見える。
然しこれ、例えばハードディスクを登録したとき、ハードディスクが御臨終なさって新しいハードディスクにOSを再インストールしたときとかどうなるんだろう。
単にもう一度アクティベーション作業が必要になる、とかなら問題無いのだけれど。
「意外と高い技術」と「詰めの甘さ」でお馴染みのYAMAHAブランドでございやす。
どうもイマイチ信用ならん。

私がこれを萌え用途に使うのはなんだかアレゲなんで。
これで死ぬ程暗い歌を歌わせてやる!


MacのVMware Fusionにデスクトップ版のLinuxのどれを導入すべきか、色々試してみる。
一応UbuntuとFedoraとopenSUSEを試す。
UbuntuとFedoraはVMware Toolsをインストールできたのだが、何故かopenSUSEにはインストールできなかった。
まあ多少頑張ればできたのかも知れないけれど、なんか面倒臭そうだったのでやめた。
openSUSEのUIが一番格好良かったので、VMware Toolsが簡単にインストールできればほぼopenSUSEに決まりだったのだが、VMware Toolsは一応入れておいた方がよさげだったので、他にすることにした。
あとのUbuntuとFedora、まあどっちでもよかったのだけれど。
「Debian」か「Red Hat」か。
どうせPHPとかRubyとかのコードを試すぐらいの用途にしか使わないのだから、まあどっちでもいいのだ。
結局、見た目でFedoraにした。
・・・のだけれども、やっぱ容量の少なくて済むUbuntuも捨て難い。
うーん。
Debian Desktopという手もある・・・。
という感じで一日が過ぎる。

因みにVMware Fusionを使うときにはLeopardのSpacesがちょー便利だ!
これ無しには考えられない。

2007/12/28

信楽焼

レディヘ。
朝霧の巫女。
何年も待ったものが。
我が手中に。
朝霧はもう何年だ?
もう出ないと思った。

序でに色々他に本やら漫画やらCDなど買う。

無印の信楽焼のスープカップもまた一つ買った。
取っ手無しの黒を持っていて、抹茶の茶碗にしているのだが、今日買ったのは取っ手有りの白。
ミルクティを入れる。
マグの代わり。

まあそんな感じで。

2007/12/27

書庫管理システム

書庫管理システム、売ってないかなー。
USBバーコードリーダ付き、10000円ぐらいで。
漫画とか、漫画とか、漫画とか、本とか、あと漫画とかがどこにあるか判らない!
まあ私の場合、漫画の詰まった段ボール箱が山のようにあって、何か読み返したくなったときにはその山の中から目的のものを探さなければならなず、それに非常な困難を伴う。
で、書庫管理システムを使うのだ。
バーコードリーダ(か何か)でピッと本のバーコードとかISBN情報とかを読んで、その情報を元にアマゾンとかからその本についての情報を引っ張ってきて、引っ張ってきた情報にどこに(何番の段ボール箱に)なおしたのかについての情報(とか色々)を加えて、をDBで管理する訳だ。
バーコードリーダでISBN情報がピッと取得できさえすれば、結構簡単に作れそうなんだがなあ。
バーコードリーダ無しでISBNを直打ちしてもいいのかも知れないけれど、そうすると多分大分面倒臭い。
バーコードリーダっぽいものを使うというのがミソ。
漫画とかの場合、ピッと読んで何巻から何巻までというのを入れるだけでそのタイトルのすべての情報を取得できたりすると更に楽になる。
大学の研究室の本の貸し出し管理システムとかも簡単に作れそう。
簡単に作れそうなので、作ったとしたら値段も安いものとなるだろう。
そしてあると多分便利。
DBにXMLを使ったり、まあそうでなくてもXMLを吐き出す機能とかがあれば、web上で色々できそうで面白そう。
「Ludwigの書庫」みたいな感じでweb上に公開して、ジャンルで分けたりアルファベット順や購入日順とかでソートしたりして、書名をクリックするとおすすめ度とかレビューとかが見れたりする訳だ。
AJAX!

というようなことを風呂の中で考える。

2007/12/26

生きた人間、或はウィンストン・スミス

手帳に書き綴る私の字は非常に小さく、それは宛もアメリカのサイコサスペンスに出てくるサイコキラーの手帳のようなのだ。
それに私は人付き合いが苦手で内向的で漫画が好きで芸術なんかを愛してるもんだから、私がアメリカ映画に出たとすれば、必ずサイコキラーにならなくてはならない。
大団円を迎える為には、面倒臭いことに、サイコキラーは人を殺さなくちゃならないし、そして最後に正義の警察か誰かに銃で撃ち殺されなければならない。
そこに生きた人間は存在しない。

或は人間を「凶暴な異常者」に仕立て上げたり或は「凶暴な異常者」が遍在しているものとして記述したがる偽物のジャーナリズムのおかげで、我々は、他者に無関心で居るか無関心を装うか、或は他者の「異常」性にのみ関心を向け、お互いを監視し、それでいて自分はできるだけ「普通」に見えるように振る舞うように強いられる。
私のようなチキンハーツは従順にそれに従ってしまう。
我々には、人間が全うな意味での「人間」でなくていいのだ。

そういう訳で、人前で手帳を広げるのは少々勇気が要る。
残念ながら私にはその勇気は無い。
手帳の内容でも読まれた日には、私は恥ずかしさの余り、自殺する勇気ぐらい楽に得ることができるだろう。

私は公衆便所に籠もり、鍵をかけ、ウィンストン・スミスの格好で手帳を開き、大体次のように書き綴る:

2007.12.25
曇っている。空が。
ねずみ色。
ねずみ色の世界。
隣の男が私の肘にずっと当たっていて、私の脇の筋肉が痺れてきている。
脂の臭い。
肺に工事の粉塵を吸引する。
道路沿い信号待ちの花壇にペットボトルや空き缶が突き刺さっている。
同時にバナナの皮が肥料になりかけている。
私には喰っていける保証など無いが、然し今月喰って未だ少し遊べるぐらいの金銭的余裕はある。
だからまあ、君達人類、生きた人間の幸福を、今日ぐらいは、折角だから、祈ってやることもやぶさかではない。
メリークリスマス!

2007/12/24

ハッカ油

北海道で買ってきたハッカ油を生理食塩水のお湯に入れて鼻うがいをしてみる。

おおう。
これは。
なんか嗅覚に悪そうだ!

ハッカ油を入れたお湯を飲んだりその水蒸気を鼻から吸入する方が効果がありそうに思える。
やっぱ鼻うがいはなー。
なんかなー。

未完

人差し指の皮膚が弱い。
ここ数日で目覚ましく回復しているように見えるのだが。
へこんでいたところが盛り上がってきた。
然し兎に角皮膚が弱い。
未だギターは、まともには弾けない。


久しぶりにちゃんと音楽を聴いた。

チェリビダッケとミュンヘンフィルのベートーベン第九は好くなかった。
録音もあんまり好くなかったし、上から目線で優しく語りかけてくるような演奏も違う気がする。

MOGWAIのWe're No Hereの最初のギターの音(静かなとこ)の低音成分が素晴らしい、ということが解った。
低音成分が十分にあって、その状況に最適であるおかげで、非常に艶っぽくクリアに聴こえる。
録音したりミックスしたりするときに、こういった部分に気を使えるかどうかで、その曲をつまらないものにするか素晴らしいものにするかが変わる可能性が大いにある。
気をつけなければ。


紅茶飲んで寝よう・・・。

2007/12/23

無為

特に無し。
買い溜めた漫画など読んで過ごす。
あー。

2007/12/22

年忘れ

忘年会的なことがあり、酒を呑む。
一年ぶりぐらいに普通に酒を呑んで、酔った。
かなり控えめの呑んだつもりなのだけど、思ったよりダメージがある。
大分弱くなっている。


まあそんなことより。
福満しげゆき。
やばい。
もうみんな兎に角読むといいよ。

2007/12/20

しげゆき

今日は早く寝れそうだ!
11時には。
8時間睡眠を摂ることができる。
常にこう在りたいものだ。


明日ぐらいに福満しげゆきの新刊がでるそうな。
うわあ。
最近見ないと思ったらモーニングで描いてたのか。
買いに行かなくちゃ。
レディヘの新譜並みに待ち遠しい。

第一話、或は最終話

お寝坊さんで遅刻しそうになったよう。
10分で用意したね。
普段の1/9の時間ね。
焦ったね。
そりゃもう、焦ったさ。
曲がり角でパンを咥えた女の子とごっつんこしそうなくらいにね!

ということくらいしか書くことの無い一日。

強いて言うなら、iPodを忘れて一日憂鬱だったことも加えておこう。

2007/12/19

封印

人差し指、未だ皮膚が大分弱い。
少なくともギターを弾くのに十分ではない。
キーボードを打つのにも違和感がある。
てゆうか、人差し指抜きでキーボードを打つのに慣れ過ぎている。
もう少し封印しておくべきか。

2007/12/18

北海道

帰ってきた。
北海道は、寒かった。
大阪の如何に暖かいことか。
雪道の滑るのが面白かった。

履いて行った靴が合わず、歩けなくなる程に痛くなったので、札幌で靴を新調したりした。
或程度の靴擦れぐらいは覚悟してはいたのだが。
やっぱ安全靴を前以てちゃんと探しとけばよかった。

二条市場で、料理としてのバランスについて何か考えようとすることをまるっきり止めたらしい、只豪華に見える(そして実際に高価な)海鮮丼を喰って吐きそうになる。
確かに素材は佳かった。
佳い食材を単にネタ的に使用することは非難されるべきことだ。
所詮は素人料理だったということか。
怒りに身を任せて抗議の意味を込めて残せばよかったのだろうが、勿体無いの精神或は貧乏性が災いし、怒りに身を任せて全部喰ってしまったのが不可なかった。

小樽でオルゴールやグラスを見る。
小樽のグラスは、佳いものがあればと思ったが、財布の紐を解く気になるようなものは見つからなかった。
然し展示されていたヴェネツィアングラスはなかなかのものだった。

公的/私的の区別について話しながら帰ってくる。

そんな感じで。


眠い。

2007/12/15

トニオ

in 北海道。
ちょい高級めの居酒屋で食事などする。
海の幸がなまらうめぇ。
すいません、北海道の海鮮、ナメてました。
うンまぁーい。
喰えば喰う程腹が減ってくるぅっ!

2007/12/14

北へ

ちょっくら北海道まで行って参ります。
まあそういうことで。

2007/12/13

トレッキングシューズ

只管眠い。
何故か最近丁度好い時間に寝ても、4時間もしないうちに目が覚めて、それから寝られなくなる、ということが続いている。
日中は常に眠い。
今週末から来週辺りは時間的にも結構寝れなさそうなのになあ。
今のうちに全快にしとこうと思っていたのだが。
一寸ヤバめ。


靴を買った。
恐らく数日間しか履かない靴を。
安全靴がよかったのだが、安全靴を色々揃えてるような店に買いに行くような暇がなさそうだったので、トレッキングシューズにしておいた。
ふらりと入った店で一番安いトレッキングシューズを買ったのだが、意外と結構な出費になってしまった。
まあもう少しイロを付ければチョイとシティーな感じなのが買えたのだが、どうせ買ってもあんまり履かんだろうと思って、一番安いのにしておいた。
一応天然皮革なので、脂と墨とサッカー少年時代に培った靴磨きテクで、実際よりも少々高級っぽく見せて見栄を張ってはみているのだが。

2007/12/12

ツルハシ

私的メモ。

デュシャン達が壊したものの上に傷一つ無いツルハシを持って立ち、「あはは、壊したぞ」と言うことが我々のすべきことなのではない。
そんなことはイマドキの(或は今更の)ポストモダン気取りの著作家達に任せておけばいいのだ。
「我々が神を殺したのだ」とは訳が違う。これを混同してはならない。

或は。

殆どのポップアートは、一度登場したら次の瞬間から「アート」の部分をカギ括弧でくくってしまわなければならない。

序でに。

90年代後半にCDをそれなりの枚数売っているポップミュージシャンを押し並べて「アーティスト」と呼ぶようになったのが全ての間違いだったのだ。
誰もそれらの音楽の殆どを「アート」だとか「芸術」だとか呼ぶことができなかったにも拘らず。
このことが、私達が「音楽」の文脈に対して希望を持てなくなったことの大きな原因のひとつなのだ。

以上のことを踏まえて。

「芸術」という言葉を我々の手に取り戻さなければならない。
適切な仕方で
つまり、第一に「自由」や「創造」や「(他者への)想像力」や「人間」や「合理性」や「社会」といった言葉を含み、かつ或程度首尾一貫しているような記述が必要なのだ。


指の話。

左手の人差し指の指先を一ヶ月程保護し続けた結果、指先の表皮が「赤ちゃんのお肌みたーい」になってしまった。
その指で隣の指に触れると、隣の指の表皮が思いの外ゴツゴツしていることを知る。
子供の頃触れた大人の手の皮膚の感じだ。
結構、自分、ピチピチの気でいたのだが。
もう若くはないということか。

因みに指先はもう少し保護し続けなければならないようだ。

2007/12/10

フランジ

フランジを買い足すべきか。
否か。
然し買うにしても何を。
フォームか。
サイズは。

なんでそれぞれ1500円で5個入りとかばかりなんだ。
色々入ったお試しセットとかがあれば。

isolator earphones

ETYMOTIC RESEARCHのER6iを手に入れた。
電車の中で聴く為の遮音性を最優先して。
で、一寸聴いてみたところ、かなりハイがキツい。
ローは普通に出ている。
それから圧縮音源ならまあ大丈夫だが、普通のPCMだとハイの高いところに違和感がある。
圧縮音源を入れたiPodなら、まあ丁度良い感じにはなる。
装着感だが、私の耳にはかなりキツく、まともに聴こえるところまで押し込むと余りにも痛かったので、これは耳を痛めると思い、フランジの先の一個を切り落としたのだが、そうすればまあ痛みは無くなった。
音質もさほど変わらなかった。
が、遮音性は多少落ちた。
まあしばらく鳴らして慣らしておけば多少良くなるかも知れぬとて、rage against the machine的なものをかけ続けている。

あとなんで本体をこの素材でこの形に設計したのか解らない。
本体から出ているコードは補強も何もされておらずかなり弱そうだ。
また耳から外すときに本体をつまむのだが、その本体に耳の脂が付いたり指が乾燥していたりするとツルツル滑って耳から抜きにくいことこの上無い。
結局多くの人はこの弱いコードの方を引っ張ってしまうだろう。
これは断線させる為の設計としか思えない。
何かこの部分を補強する良いアイディアがあるといいのだが。
音響にも多少影響ありそうだしなあ。
本体に滑り止めのキズを粗めのヤスリか何かで入れるか、或は何かゴム的なものでコードと本体の接合部分を包むような感じで補強できればいいのだが。
エポかなあ。でもエポはなあ。

2007/12/09

ディオ

起きたら陽が沈んでいた。
逆ザ・ワールドかっ!
無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁっ!!

その後特筆すべきことも無く。
茶でも飲んで寝るとしよう。

2007/12/08

「語ることはできない、只示されるだけだ」みたいな感じで

私的メモ。
若し全体論を採ったとして、その全体の中の一つ或は一塊の信念やら命題やらの正しさや有意味性を確かめたり説明したりするときに、その根拠として必ずしもメタ「全体」的な或は全体そのものを支えている唯一つの証拠や理論を持ち出してくる必要が無いことを認めれば、話は大分楽なる。


指が結構治ってきた。
全治後一ヶ月といったところか。
そろそろ曲でも。
最近、一曲を仕上げて「これが現在の私の限界です」と言うという自分の姿をよく想像する。
言ってみたいもんだ。

2007/12/07

視覚インターフェイス

MacBookのモニタ、画面に対して垂直より少し斜め下から見ないと色が判別し難いのは、そういう仕様なんだろうか。
白過ぎるのだ。
と思ってシステム環境設定を開くとディスプレイのカラー補正という項目があったので、それで適当に補正してみると、結構マシになった。
でも少々赤が強くて毒々しくなってしまったので、もう一寸いじる必要がありそうだ。

Macといえば、Spacesがかなり便利。
デスクトップLinuxでも同じような機能はあるけれど。
MacBookのディスプレイはそれ程広くないので、平行していろんな作業をしたりしてウィンドウを沢山立ち上げたりするときは、Exposeもまあ便利なんだが、Spacesなら作業ひとまとまり毎にデスクトップを割り当てられて、更にそのデスクトップ間を簡単に移動できるというのがちょー便利。

まあそんな感じで。

2007/12/06

風邪は多分大したことにもならず大体治ったっぽい。
ここ数年体が不可ないのでこじらすと嫌だなあと思っていたが大丈夫だったようだ。
然し喉の奥辺りが少々よろしくない。
妙な咳が出るので、はちみつレモンでも飲んで。


指先、傷口付近の死んだ表皮がカピカピになってその下の組織から一部剥離していたので、ピンセットでベリと剥がしてみると、下に一応新しい皮膚らしきものができていた。
余りの治癒の遅さに心配になっていたのだが、未だ弱々しいけれど一応それなりに快方には向かっているようだ。
剥がした古い皮膚の分、指先がへこんでいる。

2007/12/05

環境

頭痛え。
風邪か。
この季節はなー。
寒くなってくるとなー。

Macの環境。
色々考えた結果、メーラーはMacの標準の「Mail」を使うことにした。
Thunderbirdは拡張機能が沢山あって色々カスタマイズできる点は好いのだが迷惑メール対策機能が兎に角ウンコだし、EntourageはiCalとの連携もできたり結構使えそうなのだがインターフェイスが猥雑で美しくない。
「Mail」はカスタマイズ性には劣るが、見た目がすっきりしていてよろしい。
でも「Mail」のスパムフィルタも微妙な感じなんだよなあ。
届くメールの8割9割がスパムなので、スパムフィルタの精度は重要。
もしかしたら後々考え直してEntourageにするかも知れぬ。

で、Macで使うテキストエディタはどうしようか迷っている。
VimとかEmacsとか一寸真面目に使ってみようか知ら。
開発環境となるとEclipseがあるからいいんだけど、起動が遅いので、さあプロジェクトやぞというときにしか使えない。
テキストファイルの中身を一寸のぞいてみようとか、一寸編集しようとか、コード書こうという時には軽量だが必要な機能がそろっているようなテキストエディタがあると好い。
Mac標準のテキストエディタじゃ一寸辛い。
なんかMacの定番みたいなのがあれば。
勿論フリーで。

2007/12/03

忘却

ホーリズムと反物理主義或は多元主義とのおいしい関係について、風呂の中で何か考えたように思えるのだが、忘れてしまった。
他にももう一つ何か考えた筈なんだけど。忘れてしまった。
最近こういうことが多いので、忘れないように念入りに繰り返し考えたのだが、やっぱり忘れてしまった。
夢を思い出せないのに似ている。
そして夢の中では現実が夢のようなのだ。

私には夢と覚醒が三段階になっているのだ。
つまり:
寝てるとき(夢)→現在(中間的状態)→風呂の中(覚醒)
という訳だ。


序でに。
「私の人生は今私の目の前を飛んでいる蝶が見ている夢なのかも知れない」と想像することに何の啓発的意味があるのか全く理解できない。
因みに「全く理解できない」というのは言葉のアヤで、要するに私はそれを全く無意味か或はものごとの間違った理解に基づいて立てられた問題であると考えている、という訳だ。

2007/12/01

ビタミンパワー

就寝前に咽むビタミン剤、それなりの効果はありそう。
十分に疲労していれば、夜中目が覚めることは無さそうだ。
目覚めもビミョウに良くなっている気もしなくもない。
日中活動するのも、想定いていたよりは前日からの疲労の引き継ぎが少なかった気もしなくもない。
然しビタミンパワーが切れると一気に疲労感が増すかのように感じられる。
手がプルプル震えるくらい。
それからいつもより余分に腹が減る気がする。
という訳で、若しこれらの所感が本当にビタミン剤が原因となっているものなのなら、ビタミン剤を就寝前に飲むことは、その日を乗り切れば後は考えなくてもいい、というようなときには有効かも知れない。