2005/10/19

古本の前の持ち主

古本を沢山買う。
文庫本が一冊50円也。
見た目が汚いが、私好みの近代小説も数が或程度揃っており。
15冊買って750円也。
新書一冊分の直段。
買った本の中には『万葉・古今・新古今』という本も入っているのだが、恐らく前の持ち主が高校生のときにでも使っていたのだろう、学年クラス名前出席番号が、本の、端っこだが能く解るところに、ボールペンで思いっ切り書いてある。
本屋さんよぅ、名前書いた本売るなよぅ、何か危なさそうだろっ・・・って、そんなことも確認せずに買ってる私も私だが。
因みに名前が女性の名前だったので少々色めくが、この本の印刷された年と学年を考えると、私より十幾つか年上らしいということが解る。
てことは○○歳位の女の人か・・・うん、未だ私は若い・・・而もどうせ美人とかじゃないんだろう・・・。よしっ、対象外ということにしよう!
などと誠に勝手なことを連想ゲームしてニヤニヤする。

って矢っ張り、知らん人のプライベートなことが一寸分かっちまったじゃねえか・・・。

名前と年とが分かったくらいで強請のネタにでもなる訳ではないが、然し自分の名前が書いてあり、学生時代に使っていた品で、思い出の一つでも思い起こさせそうな品が、私のような何か訳の分からんアホっぽい他人の手に渡るのは、あんまり好い気のしないことなのではなかろうかと。

私が古本をそんなに好きではないのは、古本は多かれ少なかれ以前には誰か知らない人の持ち物であったということが、言い換えると以前そういう所有物としての本を自分のものとして読んでいた人が居るということが、どう無視しようとしても能く解ってしまうところである。
従って純粋にテキストから得られる情報だけでなく、もっと他の私にとって重大に影響を及ぼす情報として、前の持ち主の情報が否応なしに私の中に吸収されてしまうような感覚が好きではないからだ。
私がもっと人との関わりを積極的に求めるような体質であったら、或はこのことは好いことだったのかも知れないが、残念ながら私は常にATフィールド全開な感じなので。