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2009/09/23

秋口の夏の陣

友人達とサマーウォーズを観に行く。
ファミリー向けっぽかったが中の上ぐらいは楽しめた。

少年なのかボーイッシュ少女なのか判らなくて気持ちの持って行き所をどうべきかヤキモキするのを楽しむ感じで。


サマーウォーズを観た後、話の流れで各自ニコ動向けコンテンツを作ってアップしてみることに。
私はVOCALOIDでも使ってなんか適当に作る予定だけど、「ニコニコ動画」ってぐらいなんだから、やっぱ動画形式にしないと不可ないよなあ・・・。
それなりのクオリティに仕上げないと面白くなさそうだし。
でも映像は素人だしなあ・・・。
まあ適当に考えるさ。
ニコ動は、アカウントは持ってるけど殆ど見てないので、今何が流行ってるかとかあんまりよくは知らない。
因みに友人の話ではVOCALOIDは堅いらしいけど。
いっぺん、何も見ないで、自力で作れるものを作ってやろうと思う。
今のところフハッと割と鼻息荒めだけど、このモチベーションが維持できれば。


あとクローズアップレンズを買う。
ケンコーのNo.3の46mm用(→Amazon)。
GF1のパンケーキ用ですな。
内径34mmのライカ用レンズに付けられるようにステップアップリングを探したけど、34mmからのが一つも売ってなかった。

焦点距離の短い単焦点レンズに使っても十分に効果が得られるのか自信無かったが、どうやらそれなりに効果ありそう。
因みに遠くは全然撮れなくなる。
フォーカスを無限遠にするとカメラから450mmぐらいのところの被写体にピントが合う感じ。

↓これがクローズアップレンズ無しで・・・
HERCO_nomal
HERCO_nomal posted by (C)Ludwig D. Omen
カメラを構えてる位置は、被写体に対してレンズの先から130mmぐらい、撮像素子から170mmぐらい。

↓これがクローズアップレンズ有り。
HERCO_closeup3
HERCO_closeup3 posted by (C)Ludwig D. Omen
構える位置は、被写体に対してレンズの先から85mmぐらい、撮像素子から130mmぐらいか。
「レンズの先」というのはクローズアップレンズを装着することでレンズが5mm程度前に出た、その先のことをここでは意味している。
なのでパンケーキレンズの先からは90mmぐらい。

写真に写った対象が一辺1.4倍くらいの大きさになる感じ。
そこそこ寄れる。
オートフォーカスも利くし。
レンズを二重にしたらもっと寄れるそうなので、今度試してみてもいいかも。
寄るぜー、ちょー寄るぜー。

因みにこのピックはジミーペイジの使ってるヤツでお馴染みの。
まあジミーペイジは古いインチサイズのモデルのを大量にストックしていて、それを使ってるとかいう話をどっかで聞いた気がするけど。
私はたまにしか使わない。
タッチが独特で、私には一寸使い難い。

2006/12/30

第九、希望、表現的自由

私の音楽上のアイドルであるベートーベンの第九に乗せて自由(と平和)への希望を謳うカナダのドキュメンタリーがBSでやってたのを観た。
自動人形の如く「平和」を繰り返す単なる頭の悪い「平和主義」ではなく(つまり「君の頭の中は「平和」だなあ」というのではなく)、指揮者達による様々な解釈や政治的に悪く利用されてきた側面なども示してあって、それでも希望を持つのだと解り易く説得力のある形で主張するというような内容。
NHKは自らこういう種類の優れたドキュメンタリーを撮る力は無いが、たまに海外の優れたドキュメンタリーを流してくれる。
NHKに撮ることができるのは、せいぜい最新の映像技術を駆使した自然の美しい姿くらいだ。

その裏で、奇妙な信念を持った人達が思い付きの口から出任せを言っているその意見に対して細木数子がズバリ狂ったことを言って古館伊知郎がテキトウな合いの手を入れるという吐き気のする絶望的な番組があって、好対照だった。
数字しか気にならないような人達が番組を作っているらしい日本においては、政治的に馬鹿でなければテレビで意見を言うことはできないのだということが実感できる。
馬鹿な意見はまとめるのが簡単だし、他の馬鹿な意見ででも簡単に反論できてしまうという特徴がある。
番組を作る人にまともな普通の意見を探し出してきてまとめるぐらいの能力が潜在的にも無いとまでは言わないが、その顕在能力は皆無だ。
然し報道の自由に関するマスメディアの議論などを見る限り、潜在能力の方も疑わざるを得ないかも知れない。

試しに誰か民放のテレビに出る予定のある人、チョムスキー風にでもデューイ風にでも、或はべつに他のでもいいが、兎も角議論の余地はあるが或程度の説得力を持ったような仕方で(そして勿論現代の問題につながる仕方で)教育について話してみるといい。
私は恐らく放送されないんじゃないかと疑っている。
恐らく放送局の中の誰もそんなまともな意見を求めていないのだろう。

オウケイ。
丁度年末と頃合いもいい。
ベートーベンでも聴くがいい。
我々は表現的自由を持っている。
希望を持とうじゃあないか。

2006/05/03

out of place、everything's in its right place

何だか能く解らんが、すっげー気分が悪い。
体調の話。何か腹立たしいことがあったとかでなくて。
まあ腹立たしいことなんて、日頃私の新しく得る知識の少なくとも1/3を占めているので、腹立たしいことがあって気分が悪くなることは余りに日常的過ぎて大して魅力的な話題にはならない。
とうことで、普通に体がしんどい。
五月病?ゴールデンウィークなのに?多分違う。
胸が苦しい感じ。
知らん間に失恋でもしたのかな。
「無自覚な失恋」とはどういうことなのか、その例を考え出そうとするのは楽しい。
哲学やってる連中ってのは、まあ皆という訳じゃないんだろうけど、こういう奇妙な例をあれこれ考えるのが好きな人達なのです。

恒常的に吐き気があるのだけれど、熱がある訳でもないし。
うーん。やっぱココロ系がまた来たのかな。嫌だな。
面倒臭い。


そういやサイードに関する映画が公開されるらしい。
彼のことは結構好きなので、彼についての映画ってだけで一寸観てみたい気もする。
因みに上のリンクはウィキペディアだけど、今パッと見てみたら、ほう、彼もグールドが好きだったみたいね。
グールドはスゲーからな・・・まあいいや。
因みに映画の方は『out of place』という題名。リンクは映画のホームページ。
レディヘとは逆の仕方ね。直接的な題名。
同名の自伝があるのだけれど、これとそれとはどうやら別物っぽい。
ロードムービーってことだけど、どうなのかな・・・。

2006/05/02

カンブリア、質問、スーフリ

竹中平蔵(現在総務大臣やってる奴)曰く、
「吉田松陰の頃は改革やるっていうと殺される覚悟しなきゃならなかったのだけど、今では改革って言うと批判されることはあっても殺されることはないからね。自分のやりたいことをやりゃ良いんだ。今はそういうことができる社会だからね。」
と。(fromカンブリア宮殿、テレビ東京系)
まあ正確にこの通りではなかったとは思うけど、意味的にはそんなことを言っていたかと。
つまりこういうことだ。
「改革」とか言ってどんなにむちゃくちゃやって批判されても、殺されることはないんだから、自分のやりたいようにやりゃ良いじゃん、と。
なんてスーパーフリーな奴だ!
勿論厭味を言っているのです。

因みに「スーパーフリー(略称:スーフリ)」ってのは早稲田大学に昔あったイベントサークルで、その幹部等のメンバーが集団で強姦や暴行などやりたい放題やった咎で御用となったことで有名になったのだけど、当時メディアで「奴等、スーパーフリーとか言ってるけど、それは「自由」という概念を勘違いしているんだ」というような面白くもないギャグ(勿論皮肉を言ってるのです)がよく言われたんだけど、それに対して我々の仲間内では「否、そうじゃなくって矢っ張りスーフリの連中はある意味で適切なネーミングをしたんだ。やりたい放題やっていた連中は、自由を越えて何か訳の解らないものになってしまったんだ。」といって嗤ったものだ。こっちの方がギャグとしてまだ冴えてるだろ?
一応念のため言っておくと、「スーパーフリー」というサークルに属していた人が唯そのサークルに属していたというだけの理由で他者から不当に扱われるべきでないということぐらいは解ってますよ?断わっておかなければならないのだけれど、私は唯「スーパーフリー」という新しい(?)概念についてのみ話しているのです。
まあ兎に角、私が或対象に「スーパーフリー」という語を用いて語るときは、その対象が「やりたい放題、どうしようもないことをしている」という信念を私が持っており、その信念を表明しているということを意味しているのであって、その語は実在したサークル名としての「スーパーフリー」を意味しているではない。
・・・回りくどい。而も一寸間違ってるクサい。
要は「スーフリ状態」は「規範を無視してどうしようもない馬鹿なことをやりたい放題やっている状態」を意味する。
そして私が「スーパーフリー」という語をこの新しい(?)使用法で使用するときは、サークル「スーパーフリー」やそれに似たイベント系サークルに加入している人或は加入していた人で、特に罪がある訳でもない人を不当に軽蔑する為に使用しているのではない、と。

因みにこの「カンブリア宮殿」、それなりに良い番組らしく、注意して見れば、竹中平蔵が地方の人間なんかどうなってもいいと考えているということがよく解ったし、地方救済プランについて何も考えてはいないということも非常によく解ったし、彼がそれなりに的を射た質問をどのように逸らかすか(顕著な例で行くと、「その質問に答える前に、じゃああなた(質問者、地方公務員の人)はそのことをどう考えているのですか」と質問者に訊いたりとか)ということもよく解った番組であった。まあ肝心の質問は、逸らかされてそれっきりなんだけど。

質問といえば、『ご臨終メディア―質問しないマスコミと一人で考えない日本人』という本がある。
森達也と森巣博の対談。
森達也ってのは、ドキュメンタリーの『A』とか録った人で、森巣博ってのはあんまり知らないのだけど、自称博奕打ちの作家といった感じかな。まあアマゾンとかで各自調べて下さい。『A』は、面白いのでツタヤで借りて観ること。
で、この本。
対談なので、主張がきっちり理論化されて提示されている訳でもないし、話が逸れていったりするし、何か凄い白熱した討論とかきっちりした結論があったりする訳ではないのだけれど、現在の日本の新聞やテレビの報道が如何にうんこな状態にあるかについて、兎に角森達也氏と森巣博氏の視点から見るとどう映っているか、彼らの見解が能く解るように書かれている。
私も「ニュースを(あんまり)見ない若者」なのだけど、だってニュースなんか見ていると、吐き気がしてくるからね。
sorryにはまともな質問すらできないくせに弱いものいじめは率先してする記者とかのしたり顔なんかを見るのは非常に気持ちが悪い。
どうやらこの本によると、あの御方々は自分達がまともな民主主義を築く上で重要な役割を果たしているということをどうもご存じない御様子で、ってゆーか寧ろ自ら崩壊させていることすらお気づきでない御様子ですから。
わざとやってるのじゃないってところがうんこで泣ける酒とブルース。
自分が何やってるかも解ってないので、あの御仁方、良心の痛みようがないのだ。
うんこうんこ。

2005/09/19

スクールオブロック

レポートを手直しして更に駄目にして、飽きたので止めにした。

ギターを沢山弾いた。

映画『スクールオブロック』を観た。
ジャックブラックが好きなので。

「ロック即反抗也。」「定義上はね。」

2005/08/23

マンソン

ボーリングフォーコロンバインなどぼんやり観返す。
マリリンマンソンが聴きたくなった。
以前聴いたときには、音楽的には余りパッとした印象を受けなかったのだが。
恐らく私が音楽に求めているものが、マリリンマンソンのとは違ったのだろう。
思えば私は彼のCDを一枚も持っていない。
然し手に入れたら手に入れたでハマるとはあんまり思えないが。

然しまあ兎も角、ヘヴィーメタルや暴力映画やスト2やらエロ同人誌なんかが人に酷い犯罪を起こさせる主要で直接的な原因であるというようなことを、公衆の前で素面で真面目に臆面もなく事実として主張できる人が、この現代においても未だに大勢居るということが信じられない。ジョージB.を支持して票を入れる人が居るということよりも信じ難い。
私にとってはそれは唯間違っているだけでなく口に出して議論するまでもないようなことだという意識だったのに。

2005/07/25

シュール気味映画

又もや映画祭り。

『散歩する惑星』
スウェーデン映画?
SFらしい。が、SFっぽくない。
シュールで不安定でコミカル。
あんまり楽しめなかった。

『ファウスト』
多分チェコ。イギリスかも。監督がチェコ人。
チェコは、粘土や人形のアニメで好いものを沢山創っている。
話の内容は、ゲーテのあの『ファウスト』がテーマ。in現代。+普通の人。-グレートヒェンの愛。
普通の実写と粘土/人形アニメが混在している。
とってもシュールな雰囲気。
こちらは楽しめた。

2005/07/24

『スパイダー』

特に何もせず、ふらっと映画など見る。
『スパイダー』。
記憶の改竄の話。
監督や脚本家のインタビューも見たが、どちらもあまりぱっとしたことは言わなかった。作品のテーマが心理学的要素を多く含んでいるのも拘らず、脚本家の方は近代/現代の心理学を全く知らないような感じだった。何となくの印象でしゃべっている感じ。心や記憶に関する彼の認識は、中世的認識にダニエル・キイス風味を一寸加えた程度の認識が罷り通っている。監督の方がまだ一寸は勉強しているという感じだった。
同じ観るなら『メメント』の方が大部良い。
話の内容に関して言えば、全く斬新でもなければ、大して素的な物語という訳でもない。ぱっとした人間描写すらない。内容は、兎も角惨々たるものだった。
が、役者は中々よく頑張っていた。画的にも、好かった。
この映画、奇妙っぽい雰囲気をぼけーっと雰囲気だけで観るのには好いのかも知れない。内容について一切考えてはならない。