2005/12/31

カウントダウン、発表の

10文字しゃべるのに平均3秒掛かったとしよう。
例えば「あなたは私の何なのよ」で10文字。
或は「精神現象学的自己意識」でも10文字。
1分で200字。
30分で6000字。
若し10文字しゃべるのに平均2秒でよかったとしたら、30分で9000字。
6000字~9000字程度。
まあ途中で吃ったり冷や汗をかいたりパニックになったりするので、これの2/3ぐらいかな。
4000字~6000字。
そんなもんやったかなぁ。
確っかりまとめ切るかなぁ。

あれ、でも1時間しゃべらないといけなかったんだっけ?

2005/12/30

バラバラ脳味噌

只管スキャターブレインの、リフばかりを弾く。
レディヘでなくてジェフベックの方の。
以前覚束ない記憶を頼りに雰囲気コピーしたのが、今日何年かぶりに聴き返してみると、結構違っていたので、ちゃんと記憶を修正しておく。
9/8だったのね。何故か1音多く10/8でやってた。
而も正しいのは結構普通の運指でできるようなものなのだが、間違った記憶の方は結構難しくて、訓練になりそうな感じだったので、好んで楽しく(けれど間違った仕方で)弾いてたのでした。


大分前に買った録音出来るMP3プレイヤー、アイディア録音用に一番安いのを買ったのだが、コンパクトだし手軽に録音出来てまあそれは便利なのだが、一寸入力音が大きいとすぐに音割れするし、電話程の音質もなく、もう一寸ちゃんとした音質で録れるやつが欲しくなってきた。
モノラルでいいし、容量もそんなに要らないし、カセット程度の音質もあれば十分なのだが、何か良いのはないかと、買う金もないのに色々調べてみたりしたり。
うーん、iPodなあ、でも勿体無いなあ、等々と。


アマゾン→Jeff Beck "Blow by Blow"
アマゾン→iPod 仕様

2005/12/29

しゃーんなろー

そろそろ何か書き始めないと。
一日中、読むばかり。


どうでもいいことだけど、「しゃーんなろー」は「よっしゃーこんにゃろう」の音便形なんじゃないかと、今更ながら、風呂の中でふと気付く。

2005/12/28

あれかこれか (byキルケゴール)

SONAR4と5のそれぞれのアップデータが出た。
5のアップデータが出れば5に乗り換えようかと思っていたのだが、4のアップデータも出てしまうと、何故か5に乗り換えるのが凄く勿体無く思える。
まあ今は金がないのだからどうしようもないのだけれども、金が入った後どうしようか考えると、太平の眠りを覚ますSONAR4で夜も眠れず。
然し毎年ヴァージョンアップさせた方が一年間隔を開けてヴァージョンアップさせるよりも最新のヴァージョンのを手に入れる際に安くつく(毎年ヴァージョンアップした場合一回に20000円、二年で40000円。隔年だと一回で65000円。)、というケークウォークの術中にまんまと嵌っている私としては、出来るだけ最新のヴァージョンに保っておきたいのだが。
而も今回のSONAR5はなにやらかなり素的っぽいし。
然し20000円、ギタリスト換算で言うと、コンパクトエフェクター1.5台分ぐらいパワー(財布への打撃力)あるし。
因みに65000円なら素的なマルチエフェクター1台分のパワー。
うーん。
使用可能な金銭は、ジャンプコミックスの主人公のパワーみたいに「友情」や「強い思い」の力だけでは増えないので、あれもこれも、という訳にはいかない。


因みにアップグレードの価格はこんな感じです。

サウンドハウス↓
SONAR 5
 

2005/12/27

歯石

漫画、ワンピとナルト。
何だか面白くなってきちゃった。


歯の治療が終わった。
歯石がやたらと硬かったらしく、取るのにえらく時間が掛かった。

2005/12/26

ATOK、オンメモリ辞書

ATOK、オンメモリで辞書を使うのを止めたら、調子が良くなった。
やっぱメモリが不可なかったのか。
因みにATOKの調子が良くなったので、それに伴いスレイプニルも落ちなくなった。

2005/12/25

フジ子ヘミング、冬、アンデルセン

寒くなると、フジ子ヘミングなど聴きたくなる。
フジ子ヘミングは、「トップピアニスト」という感じでは全くないが、それでも、音に強い個性を持っている。
ポコポコいってて、曖昧な感じで。
水滴の水面に落ちるのをスーパースローで見るときの、その水面の形を見ているような、音。
或は暖かい部屋で、耳たぶがほっくりしている音。
或は、一音一音、ぬるい池の中をゆっくり上昇する気泡の、水面で、ポッ、と弾ける音。
何でもアンデルセンに出てきそうな音楽になってしまう。
なので、夏場に聴くのは少々鬱陶しいのだが、冬になって、孤独感が、冬という環境に合致して、丁度心地よくなる頃に、少し聴いてみたくなる。


私の言語の限界が私の世界の限界を意味している。」

2005/12/24

発表原稿など

師走、胃ばかり痛がっている訳にもいかず、書くべきものを書こうとするが、一筆たりとも進まず、参考文献ばかり眺める。

胃、痛くないときは空腹感に似た違和感が続く。

漫画、『さよなら絶望先生』を何回も読む。
何故なら手の届く所にずっと転がりっ放しだから。
何か、パラパラ読んでしまう。

2005/12/23

胃、炭水化物、空腹感

もう喰っても大丈夫。
何度か喉まで来たけど。
喉まで来る度に喉が焼けて痛い。
胃酸は一応分泌されてはいるようだ。
一寸多めに、かも知れないが。

ということで、胃が、未だビミョウな感じ。
自分で腹が減っているのかどうか判別できない。
胃がビミョウなので腹が減ってるのかどうかが判り難い。
然し炭水化物くらいは体にとって必要な気がするので、うどんや金平糖などを主に食す。

2005/12/22

胃液概念

「接吻とはどういう意味ですか」という問いに対して「ああ、それはキスのことで、接吻時の身体動作の特徴は云々」というふうに言葉を用いて答えるのではなく、実際に接吻して見せて言葉での説明を一切付け加えないとすれば、それは「接吻」という概念を説明したことになるのであろうか(因みに実際に接吻して見せている時のどの動作が「接吻」なのかということに関しては説明を受ける人はちゃんと理解していると仮定した上で)、ということを夢の中で考えているところで目が覚める。
朝も早かったし余り睡眠時間も長くなかったのだが、このことや他の嫌な事について考えることを停止できなかったので、再び眠りに入れず、起きることにする。
気分が悪かったので水だけ飲んで、パースの連続性の講義など読みながら時間を潰す。
家を出る時間になって、家を出、電車で引き続きパースを読むが、解り易い講義である筈なのに、途中から文字の意味が解らなくなり、不安になりながら文字を順番に眺め続ける。
水で胃液を薄めながら授業を受け、適当なことなど言って醜態を晒した後帰途に就く。
気分が悪かったが、晒した醜態の所為だろうと考えて、ボーっとパースの講義を翻訳した文字を眺めながら帰る。
帰ってカルビーのポテトチップスうすしおを喰う。
暫くして便器にぐちゃぐちゃになったポテトチップスであろうものと胃液をぶちまける。
勿体無え。が、臭いに閉口する。
水を飲んで、水と苦いものをぶちまける。
流石に痛い。
嘔吐物に赤いものが見当たらなかった分だけ取り敢えず安心する。
風邪をひいたようだ。
明日の用意の残っていたものを適当に済ませて、その後寝ることにする。
寝ゲロで死んでヒーローになれる程ロック界に業績を残していないので、ゲロ袋を用意して寝る。
が、目が覚めて、することもなく、ブログなど書き、再び眠くなるのを待つ。


アマゾン→パース 『連続性の哲学』

2005/12/21

無為

特に何をするでもなく。
レディヘのアムニジアクを聴いて、あーえーなー、等と思いながら、ぼんやり過ごす。
無為。
無為を原因とする不安。
不安からの逃避がうまく行かない。
頭を使いたくない。

2005/12/20

歯、腰

歯の銀の被せものが取れてしまったところ、再び銀を着けて貰った。
然しまだなんだかムズムズする気が・・・。


最近椅子の上で一夜を明かしたり、一日中座っていたりで、腰がじわじわと痛くなってきた。
私は慢性的に肩凝りなのだが、その上腰痛まで持ちたくないので、またそれにお腹も一寸不可ない感じに隆起してきたこともあって、そろそろちゃんと腹筋しなくては、と思いながらしない昨今。


サンレコと絶望先生を買った。
ここ最近のサンレコは私にとって有用な記事というのが少なかったのだが、今月号は読むべきところが多かった。ヘッドフォン特集とか。
絶望先生は、面白いねぇ。
かってに改蔵が読みたくなった。


アマゾン→絶望先生 2
アマゾン→かってに改蔵

2005/12/19

擬似7弦ギター

6弦ギターに7弦用の弦のセットをローBからハイBまで張って、四度下げギターにして遊ぶ。
弦のテンションを上げないとローBの音がぼやけてしまうので、取り敢ず弦高を上げてテンションを稼ぐ。
ディストーションをかけるとかなりヘヴィーな音になり、面白がってヘヴィーリフを刻みまくる。
然し6弦絡みのローポジションでコードを弾くと、音が潰れてしまうので余り汎用性はない。

てゆーか最近ギターばっかり弾いてるような気がする。
もっとやらなくてはならないことがあるというのに。

2005/12/18

テレキャスシンライン

テレキャスシンラインの弦を久しぶりに交換した。
以前はダダリオを使っていたのだが、ハイが少々耳障りだったのでアーニーボールの0.11からのに替えた。

それからナットがすり減っていたので、鉛筆の芯を削った粉とアロンアルファを混ぜたものをナットの溝に流し込んで弦高を調整する。
因みにこのナットの調整法、元々の牛骨ナットそのままよりも耐久性に優れるように思う。
それにチューニングも安定する気が・・・。

アーニーボールに替えたことで大分音が好くなった。それに弾きやすい。
矢張り私はダダリオの音をどうもイマイチ好きになれないようだ。
然しアーニーボールはすぐ錆びる!
やっぱ錆びにくさで選んでエリクサーかDRなんかにしたほうがいいのかな。
でもエリクサーはミッドがスカスカな感じがする。
DRは切ろうとして弾いても切れないくらい丈夫だし音も大体好いんだけど、どうも私の感覚からすると、一寸お高くて。エリクサーよりは安かったと思うけど。

で、レディヘの everything in its right place をオブラディオブラダ風に弾き語りしたり、ジェフベックのスキャターブレインを記憶を頼りに雰囲気コピーしてみたりして遊ぶ。
それから久しぶりにツェッペリンのステアウェイトゥヘブンを弾いたりした。
沢山ギターを弾いた。

今日は一日ゆっくり音楽を聴いて過ごそうと思っていたのだけれど。
音楽を聴くとギターが弾きたくなる。
これは、多分良い傾向なのだろう。
最近、再びロックミュージックをよく聴くようになったので、ギターを弾きたくなるのは多分その所為なのだろう。

2005/12/17

一曲丸々フリー素材な楽曲

このブログ上に公開していた曲、唯公開するだけじゃ余り面白くないので、フリー素材として自由に使えるようにしてみました。丸々使っても、勿論加工して使っても構いません。
但し面倒に巻き込まれるのは御免被りたいので、一応非商用限定。それに商用なら連絡頂ければもっとまともなもの創ります故。
と、まあ、一応そんな感じで。
でも使いたいと思う人居るのかな・・・。

因みにどうでもいいが、最近プロコルハルムの「A Whiter Shade of Pale」(この一曲限定)とコルトレーンのフリージャズの時期のがヘヴィーローテーション。
それからトーキングヘッズのライブDVDが観たい。スッゲー格好良い。

2005/12/16

ピロシキ君、賞を取る

『竹よ』という脚本で賞を取った泉寛介氏を祝って、彼と共に飯など喰い、酒など呑む。
たいへん宜しいことだ。
ようやたようやった。あんたはエエ子や。
彼は私の大学の同じゼミだった友人。
宴だ、さあ君たちも是非祝いたまえ。
因みに私は帰ってからも独りで祝いの酒を呑みました。
従って今は凄く眠い。
兎も角、なんと喜ばしいことか。

因みに彼の劇団のホームページ→baghdad cafe

2005/12/14

Sleipnir、Firefox、ATOK

なんだかスレイプニルの調子がイマイチなんだかどうか能く判らないが、スレイプニルでブログを書くと高い頻度で落ちるので、Firefoxを久しぶりに使う。
version 1.5になって、私には使い易くなった。
私はマウスに5ボタンのトラックボールを使っていて、そのボタンの一つを「閉じる」に割り当てているのだが、スレイプニルやオペラやその他のタブブラウザでは、「閉じる」ボタンでタブが閉じるのだが、以前のFirefoxではFirefox自体が終了してしまっていた。
が、1.5になって、「閉じる」ボタンを押してもちゃんとタブだけが閉じて呉れるようになった。
またCookieとか履歴とかブラウザを閉じる毎に消せるし、JavaやJavaScriptも簡単に有効/無効の切り替えが出来るし、一応ブラウザエンジンも別の物を使っていてIEエンジンへの攻撃は喰らわずに済むそうだし、IEよりはセキュリティ面でまあ優れているんじゃないかと。
別に他のIE以外のブラウザでも同じだけど。
因みにFirefoxは機能の拡張が色々開発されていて充実しているが、別に私はあんまり拡張機能を使っていないので、私には今のところこのことは大したメリットにはなっていないのだが、今後、私により便利に感じさせるような拡張機能ができればそれはメリットになることだろう。

というか私のATOK、最近不安定過ぎ。
このブログを書いている途中に機能停止しやんの。
ということで今はIMEを使っているのだが、勝手が違うのでかなりやり難い。
IMEは軽いが頭が悪いので、ATOKなら一発変換で済むところを、「shift」+「←」or「→」を使ったりして何回もやり直さなくてはならかったりする。大阪弁とか話し言葉の変換とか特に。
ATOK、バージョンアップで動作安定しないかな。

スレイプニルとATOK17

またスレイプニル、ブログ書いてる途中に落ちよゥ。
ということでまたIEを使っております。
或はブログを書くときだけはFirefox使おうかな。
因みにスレイプニルVersion2.20に重大な不具合があったらしく、今日ちゃんとVersion2.21にアップデートしたのだが。まあでもその重大な不具合と私の最近のスレイプニルの不調とは余り関係がないように見えたが。
何が悪いんか。
日本語入力にATOK17を使っているのだが、それがどうも悪さをしているような気がする。
このATOK17、IMEに比べれば便利は便利なのだが、如何せん動作が不安定。
起動にやたら時間がかかるし、高頻度でエラー出すし。
ATOK、動作さえ安定すればかなり好い線いくんだが、その辺は以降のヴァージョンアップで改善されているのか知ら。

2005/12/13

マーラー、ベートーベン、シラー、カント

マーラーは一つの部品で一つの主張をする。
従ってどの部分もそれぞれ各々自身の主張を持っている。
然しベートーベンの場合はそれぞれの部分同士が相補い合って初めて意味のある主張を成す。
一つの部分が他の部分の前提や条件になっている。
楽譜で見るところの部分と部分の「縦の」繋がりも意識しなくてはならない。
逆にブルックナーなんかは縦の繋がりは適当に無視して構わないが、或一定の塊がどう移り行くのかということに十分注意しなくてはならない。
シェーンベルクは全体を無視して事態もっと細切れにして、その細切れ同士の移り行く姿を見なければならない。

マーラーがシラーならベートーベンはカントだ。

なんでこんなこと考えてたんだっけ。
恐らく、私が風呂の中で次のように考えていたことがきっかけになっているのだろう。
つまり、例えば第一交響曲の出だしなど、マーラーが譜面に音符を記入しているとき、自分のイメージがそのような音符の並びになるのは誰から影響を受けてなのかを明確に意識していれば、もっと旋律をぼやかしてしまっていたかもしれない、というように。
マーラーは既存のモチーフをこねくり回す癖がる。
然しそれは、或は意識的にしていたのかも知れない。
マーラーの音楽の解り易いさは、或はその所為かも知れない。

2005/12/12

虫歯

デンタルフロスなどしていると、銀歯が取れた。
そして取れた銀が何処かに消えてしまった。
二時間程探したが、見つけられなかった。
跡地を見ると、そこは虫歯が隠れていた。
何かよくむずむずすると思っていたのだ。
虫歯ってこんなに黒いもんなのか、という程、虫歯の部分が黒かった。
いつ歯医者に行こうか・・・。

2005/12/11

墜ちる駿馬

スレイプニルがブログを書き込んでいる途中に度々落ちる!今日は二回も落ちた!沢山書いていたのに!ぷんすかぷん!
一応言っておくと、スレイプニルが悪いのか何か他のプログラムが悪さしているのか或はハード的な問題なのか、全然判らないのだが。でも何故か落ちやがる!
ということで只今久しぶりにIEを使用中。
また、最近ATOKの調子がよろしくない。しばしば勝手に機能を停止しやがる。
突然変換が出来なくなって、ATOKを使っているアプリケーションを終了させるまで復旧しない。
そういえばSonarも・・・。
ってことはもっと根本的な・・・。
メモリかな。メモリぐらいならまだマシなのだが。
それ以上は勘弁して欲しい。

2005/12/10

素的な生活

眠い。
沢山寝た。
寝て、起きて、飯を喰って、一寸ぼーっとして、寝て、起きて、飯を喰って、寝る。
中々素的な生活。

2005/12/09

酒とブルース

ブルース。
酒を呑みながら聴くときは、凄く沁みるのだが、素面の時はあんまりパッとしないというのが哲学の学生の間での専らの噂。
ロバジョンとかハウリンウルフとかマディー・ウォーターズみたいな古いやつは特に、酒でも呑まないとその良さが解らないようにさえ私には思える。録音の古い物に特有な低音域の欠如が酒にどっぷり浸かって疲弊した脳には丁度良いのかも知れない。
スティーヴィー・レイ・ヴォーンは、素面でも酒を呑んでも私には良さがイマイチ能く解らないのだが。まあ私は彼をあんまり好きじゃないのです。まともな神経を持ったギタリストで彼のことを好きにならない奴はいない、ということが彼の信奉者達によって言われるのを聞くが、そんなものは反吐が出るような全くの嘘っぱちです。というのは私がまともな神経を持っているという理由からこのことが間違っているということが導き出されるのではなく、或人の神経がまともかどうかは或一人の音楽家を好んでいるかどうかということによって推論できる程馬鹿単純なことではないからである。
ロリー・ギャラガーみたいなポップなブルースは、酒を呑まずに聴いた方が良く聴こえることが多いように感じるが。因みに私は、ブルースを学ぶ初期の段階においては、彼からブルースについての多くを学び取った。
ジミヘンは、特にライブ音源のは、べろんべろんのときの方が好い。
ジミヘン以降、ジミヘンの影響下にあるような種類のヘヴィーブルースのギタリストってのはストラトに太めの弦を張ってファズをかますものだ、ということが定式化されている感じがある。特にスティーヴィー・レイとかケニー・ウェイン・シェパードとか、モロに。
で、ジミヘン系列のブルースマンで現代一番好いのは、ドイル・ブラホール二世。
確かB.B.キングとクラプトンが一緒にやったCDで弾いていたと思う。私はまあクラプトンはあんまり好かんので聴いてないが。
この、ドイル、酒を呑まなくったって、ちゃんと素敵に聴こえる。
サウンドは、私には空間や生っぽさやダイナミクスが一寸足りないように感じられるようなサウンドなのだが、まあ、ブルースに何故か在りがちなビミョウな懐古主義的なサウンドということはなく、また何の捻りも無いストレートなブルースの表現様式だが、現代的でよく考えられているサウンドではある。
因みにケニー・ウェインは現代的なサウンドといものを、若し彼が目指しているのだとすれば、見当違いの仕方で間違った視点から目指してしまっているように見える。ギター弾きとしては素敵なので残念に思う。

2005/12/08

冬仕様の弦ゲージ

ギターの弦のゲージ、SGのを、最近は0.10を使っていたのだが、例しに0.09に戻してみた。
というのもこの前0.09のゲージの弦を間違って買って大量に余っているのが、一寸勿体無くなってきたから。
骨太にガチガチ弾いたりベンドを多用するような感じでまったりと弾く時には音にガッツが無さ過ぎるが、繊細で優しい音が必要なときは、0.11や0.10より0.09の方が適している。
あとアルペジオのとき、一つ一つの音にはっきり主張させる必要があるときより、コードの音の混ざり合う感じが重要視されるときにも、0.09のは適しているように思う。
冬に合う。
ハーモニクスが綺麗に出るような気がする。
あとテンションが弱いので、フィンガリングが楽になる反面、ピッキングの加減に対してより注意が必要になる。

2005/12/07

prime mover

まだ大分、脛の筋肉が痛い。
気を付けないと歩き方が妙な感じになる。

学校の図書館で要らなくなった本を貰ってきた。
『Representing Reality』という本 by Jonathan Potter。
題名に惹かれて。
でも読むかな。

テイラーの本、半分程読んだところの感想。というか結局議論がどうなるかについての予想。
人の「社会の中での承認を通して在る」という性質に関する語彙を以って、相対主義やニヒリズムに陥らずに、人間的な「個」について記述することは可能である、或は言い換えると、社会における関係性の中でのみ人は在ると言えるのだとしても、だからといって「個」が完全に消滅してしまったりせず、「個」という語が、最早 prime mover とか「社会とは無関係に在り、而も何らかの意味を持っているような「個」」というような感じの意味は成さないせよ、語として使用に耐えなくなる程に機能しなくはならず、或意味で社会の関係性の中に「個」を回復させることは可能なんだ、みたいなことがこの本にこの先書かれているんじゃないだろうかと。
まああくまで予想というか希望的観測というか。


アマゾン→チャールズ・テイラー 「ほんもの」という倫理―近代とその不安
アマゾン→Jonathan Potter, Representing Reality: Discourse, Rhetoric and Social Construction

2005/12/06

履き慣れない靴

やっと冬っぽくなったような。
去年は秋が非常に短かった印象があるが、今年は秋が結構長かったように感じる。

昨日の疲れが取れず、体調もイマイチだったので、休養を摂る。
私は、普段は、歩く分には何時間でも歩き続けられるのだが、どうも雨でずぶ濡れになって歩き続けたのが不可なかったようだ。
また履き慣れない靴だったこともあって、足の変なところが色々と痛い。

2005/12/05

京都、方角、歩行

雨の中、結婚式に参列してきた。
朝早く起きて、ばしっとスーツを着て、白っぽいネクタイをして、電髪のあたった髪をハードジェルでジェントリ風に撫でつけ、寒いので革のコートを着て、ラバーソールのドレスシューズを履いて、京へ出向く。傘を忘れる。
余り失礼の無いようにだけ気を付けて、テキトーにぼんやりする。
シャンパンとワインを呑み、料理を戴く。
私は、飲酒した上に寝不足で、食事とデザートの間に、ふっと寝てしまう。
いつの間にかデザートが目の前に用意されているのに驚く。

意外にも陽のある内に式諸々が終わったので、雨も上がったことだし、京でも散歩してみる。

私は太陽か星さえ出ていれば大体方角は分かるのだが、空が曇っていて太陽に位置がどこか分からず、大体の方角すら分からない。
というか今自分がどこにいるのかも分からない。
結婚式場のパンフレットに描かれていた簡略化された地図を見て、南西の方に阪急の河原町駅があるらしいという情報を得る。
取り敢ずは方向も定めず歩いていると東大谷なるところへ至る。
そこらへんから自然のある方へ適当に歩いていると、山へ入る獣道のような道が見つかったので、バリバリのスーツにドレスシューズ姿で山に入る。皮底でなくてラバーソールにしといて良かったと思う。
私は山道でも泥を撥ねささず歩く歩き方が出来るので、スーツでも特に問題ない。
写真など撮る。
或程度歩くと、睡眠不足と飲酒の所為で息が上がって来る。
序でに雨もパラパラ降り出す。
下山を余儀なくされる。
山を下りたら、知らないカップルに「清水寺は何処ですか」と訊かれる。
知らないが、少なくともこの上の山ではないという旨を伝える。
円山公園なる公園辺りで雨宿りするが、雨は強くなるばかり。
仕方無く雨に濡れながら歩くことにする。
歩いていると、見たことのあるでっかい神社(帰宅後そこが八坂神社だと知った)に出る。
その神社で雨宿りをしているうちに、確かこの神社の近くにコンビニがありそうな街並みがあったはずだと思い至り、その神社の正面っぽい門構えの門から出てみる。
が、外は昔ながらっぽい街並みだったので焦る。
が、野生の勘と人の流れを観る的確な直観を以ってその辺を適当にうろついていると、コンビニがありそうの街並みを発見する。っていうかいきなりコンビニを発見する。
ビニール傘が何故かジャンプ式のしかなかったので、仕方無くそれを買う。
取り敢ず、街並みから推察して、南西っぽい方角へ突き進む。実は北西だったのだが。
サギが居たので写真を撮る。
京阪の三条駅とその近くの京都市営地下鉄の三条京阪駅に至る。
その近くにあったブックオフに寄るが収穫無し。
京阪や市営地下鉄には乗らず、路線図から方角を無理矢理推察して、また南西目指して歩き出す。実際は北東だったのだが。
街並みに「東山」という文字を発見して俄に不安に襲われる。あれは確か京都の北東だったような。
また「河原町行き」と書かれたバスが自分とは逆の方向へ走っているのを観て不安は増大する。
「二条」という名の道路へ出て不安はピークに達する。確か京都の「条」は北から番号が振ってあったような。
一方で「まあ歩いてさえいれば必ず何処かに至るのさ」などと考えながら歩く。なんくるないさー。
運動すると人は快活になるのかも知れません。ビミョウな感じに。
京都市美術館、京都会館に至る。着物の人が沢山居るのを観る。
ここでまともな地図をやっと発見する。自分が真逆の方向へ歩いていたことを確信する。
意気消沈し、どうしていいのか判らなくなるが、兎に角来た方角へ引き返すしかなさそうなので、そうすることにする。
三条の駅に着くが、ここまで来たならもう一息、何となく初志貫徹、と、更に南西へと突き進む。
途中でタワレコがあったので、一応寄る。が、特に買うものもなく、すぐに店を出る。
道中、びっしょり濡れて豪く寒いし、慣れない靴で歩き回って相当疲労しているし、足痛いし、睡眠不足で、そういや酒も呑んだし、百回ぐらい、生まれてきてすいません(by太宰治)とか、色々と後悔する。
或限界を超して肉体的に疲労すると、人は心まで疲労するものです。
が、どうにか阪急の河原町駅に至る。
阪急百貨店を発見したときのなんと嬉しかったこと。
が、梅田まで特急で立ちっぱなしになる。急行なら座れたのだが、判断を誤った。
梅田に至るが、脛の筋肉が筋肉痛になり、ぺったんぺったんと、足に合わないでかい靴を履かされているかのように、確っかり歩けなくなる。
無駄に逆境に強い性格の所為で、折角梅田に来たのだからと、成城石井でハーブティーなど買い、タワレコに寄り、帰宅する。
もう動けません。一歩が痛い。


因みに写真はどれもピンぼけでした。

2005/12/04

Macallan

明日、恐らく雨の中ということになるだろうが、京都まで行って、親戚の結婚式に参列してきます。


それはさて置き、今日は二日酔気味の気分。
昨日の夜中、ウィスキー、何杯呑んだのだろうか。
酔っているときの心中を記録する為に、沢山文字を書いた。

2005/12/03

freedom to、freedom from

途中まで読んでいた論文を、読み始めてから余りに時間が経ち過ぎたので、また始めっから読み返していると、「freedom from」と「freedom to」の使われ方、私が思っていたのとは微妙に違うような使われ方をしていたのを発見してビビる。
ノートを取りながら読むことにする。


茶は最後の一滴までというが、茶の中でも紅茶に関しては、最近、最後の一滴まで入れない方が好いのではないかと思うようになってきた。
日本の水がヨーロッパのよりも柔らかい所為で、日本の水で淹れた紅茶はヨーロッパの水で淹れた紅茶よりも色や味が出易いと聞くが、若しそうだとすると、ヨーロッパの硬い水に合わしてブレンドされた茶葉を日本の柔らかい水で淹れると、ブレンドする人が想定しているよりも濃く出てしまうからなのかも知れない。
単に私の茶葉の量が多すぎるとか、或は抽出時間が長すぎるだけかも知れないが。
然し茶葉の量を多くして濃くしたのと、抽出時間を長くして濃くしたのと、最後の一滴まで淹れてしまうことで濃くしたのでは、少々味の雰囲気が違うような気もしないでもない。
どうすればどうなるかについての記述を集め、紅茶の味を自由に操れるようになりたい。
freedom to。

2005/12/02

雅楽

突如、何となく、雅楽が聴きたくなった。
東儀さんのとかじゃなくて、所謂、普通の、平安っぽい、トラディショナルな、雅楽。
然しどのCDが良いとかいう情報を私は持っていないので、またジャケ買いする勇気もなく、どうしたもんかと思案しているのだが。
ネットのアマゾンとかHMVとかで色々調べてみるが、これと決まらず。
うーん。私に金があれば。
私にジャケ買いする勇気がないのは、金銭的な問題に加え、つい最近チベット系のCDをジャケ買いして思いっ切り失敗したところであるからだ。
而もそのCD、中近東コーナーに置いてあって、私はそのつもりで買ったのだが。
ていうか思いっ切りジャケに「tibet」って書いてあったのだけど、まるっきり見落としていた私が悪いのです。
因みに中を見てみると、タイっぽい仏像とインドっぽいヒンズー教のサドゥーが写っている・・・。
ヒンズー教なら、仏も神の一つとして吸収していたと思うのだが、でもこの仏像はヒンズー教における神の一つとしての仏の像とは一寸様子が違って、矢っ張りアジア南方の仏教の仏像だと思うのだが。
サドゥーはサドゥーだし。
これを製った人はあんまりそんなことはどうでもよかったのだろうか。
まあそんなことは、無宗教な消費者たる私にとっては、音さえ良ければどうでもいいのだが、音が余りに残念な結果に終わっていたので、救いようがなかった。
ビミョウなテクノにビミョウな「エスニック」っぽいラインが乗ってるだけの、どうしようもないCDであった。
ジャケ買いは、金銭的に余裕があり心がおおらかであるのでないのなら、するもんじゃねえな、と。