2016/04/30

製図ペン狂時代

またペンの病気が始まった。
最近殆ど手で書くということをしていないにも拘らず。

シャーペンは、製図ペンがなんか好きなのです。
色々となんとなく尤もらしい理由を付けることはできるだろうけれど、まあなんか製図ペンが好きなのです。
見た目とか気分とかの問題が大。

普段家ではrotringの600を使っている。
軸まで金属製で重みがあり、見た目的にも触った感じも操作感もシッカリした感じがある。
造りや機構自体もかなりシッカリしてて、例えばペン先はローレット部まで一体モノだし、そのパーツ自体に芯送り機構がネジ留めされている。
rotringのこれよりお高いヤツもあるけれど、ペン先収納機能とかが付いて機構的に複雑さが増して故障やらガタつきグラつきの原因となる。
rotring 600がマジ最高。
でも一本2,000~2,500円ぐらいするので、乱暴に扱うような用途には一寸腰が引ける。

乱暴に扱う用途には今までrotring 300を使っていた。
床で線を引いた後そのまま床に転がしといたりする用。
でも300って600の素晴らしさを知っていると結構粗が目立つ。
ペン先部が別パーツで使ってるうちにネジが緩くなってくるし。
ローレット部が樹脂製だし。
そんなにHeavy Dutyではない。
形は同じなのに高級感は全然無い。

つうことで、rotring 600まで高くなくて300よりもうちょいマシな、荒っぽ使う用の製図ペンが欲しい。

候補は
・三菱鉛筆 製図用uni
・STEADTLER 925
・rotring 500
製図ペン比較
製図ペン比較 posted by (C)Ludwig D. Omen

uniは最近買ったが他は結構古い。
こう並べてみると、uniとrotringは対極の特徴を持っていて、その調度中間にSTEADLERがある、という感じがする。

uniはローレット部が太めで摩擦は弱め、またペン先からローレットまでの距離は長く、重心がペン先に近くて全体重量は軽め。
rotring 500はローレット部が細くて滑り難く、ペン先からローレットまでの距離は短く、重心はペンの中心付近。
STEADTLER 925は丁度その中間だが重量だけは一番重い。
軸径滑り難さペン先端-ローレット距離重心重量価格帯
三菱鉛筆 uni9.018.5ペン先側軽い500
STEADLER 9258.75中間17.0中間重め1,200
rotring 5007.812.0ペン中央中間1,200



製図ペン ペン先比較
製図ペン ペン先比較 posted by (C)Ludwig D. Omen

製図ペン 重心比較
製図ペン 重心比較 posted by (C)Ludwig D. Omen

uniは比較的滑り易いが油ギトギトの指でもツルツル滑ってしまうというようなことは無い。
軸が太いのでゴツイ感はあるし、軽い割に重心がペン先側なので、それはそれで結構安定する気がする。
でもたまに硬度表示の部分が指に当たって少しだけ鬱陶しい。
STEADTLERも似たような位置にあるがこの部分が金属なので気にならない。
然しuniは樹脂な上にローレット部より径が若干大きいので指に触る。
でもまあ不満という程のことでもない。
あとuniは他より安いので、乱暴にガシガシ使う用途には合ってる。

然しrotring 500と比較するなら、やっぱrotringの方がいい。
機構的には600とは少し異なるが大体似たような構造で信頼できるし。
ローレットの滑り難さは折り紙つきだし。
ローレット部とペン先が近いので必要があれば深く持つことができるし。
あとなにより、私はrotringのこのシリーズに慣れている。
軸の細さや重量バランスにも慣れている。

つうことでまあ、やっぱrotring 300の後釜は500かなあ。
uniの倍程度の値段だけど。
uniで不満かと言われると、別に不満という程の不満も無いんだけどなあ・・・。

そういや三菱鉛筆の筆記用具って、イマイチ格好良いのが無い。
まあ普通の「書けりゃいい」ヤツはそれでもいいのかも知れないけれど、一寸高いヤツでも大分ダサい。
Power TankとかJetstreamとか機能的には素晴らしいんだけれど。

2016/04/16

リモンチェッロ

甘い酒は呑み過ぎるの法則。

リモンチェッロを買ってきて呑む。
Coppoの。
甘くてスッキリ爽やかで美味しい。
同じレモン系でもシトロンジェネヴァは余り好きじゃないけど、リモンチェッロは私には好い。

冷凍庫で冷やすのが良いのだけれど、一度栓を開けてから冷凍庫に横に寝かせて入れてると、中身が膨張して次冷凍庫を開けた時栓から少し零れてて焦る。
冷凍庫に立てては入らないので、しゃあなしで冷蔵庫で冷やしてるのだけれど、ストレートで呑むには冷えが弱い。
ヌルっとした味が強調されて、まあ悪くはないけれど冷凍庫で冷やしたのと比べると劣る。
なので炭酸水で1:1で割って呑んでる。
ビターズを少し垂らすのも好い。
すげー呑み易いので結構カパカパ呑んでしまう。
リモンチェッロ自体はアルコール度数30%ぐらいなので、炭酸で割ってもしっかり目のワインぐらいのアルコール度数がある。
スプリッツァーぐらいの感覚で呑めてしまう。

なので結構足に来る。

2016/04/07

痩身

走る。
私の回復力やら生活やら健康やらを考えると週一ぐらいで走るのがいいかと思うのでそうしたいところなのだけれど、結局ダルかったり雨が降ったり面倒くさかったりで月一ぐらい。基本面倒臭いが原因。
バイク乗るようになって日常の運動量が急激に減り、結構デブってきたこともあって、先月辺りまでは全然走れなくなっていたのだけれど、それに比べれば今日はまだマシだった。
でも少し前の多少走れてたときに比べても未だ全然な感じ。
体重を落とさんとなあ。
取り敢えず10kgぐらい落とせばベスト体重ぐらいの感じ。
やっぱ週一ぐらいで走らんとダメんだんだろうなあ。

ジム通いすっかなあ・・・。

あと食事。
夜とか、買ってしまったものを勿体無くて食べてる感じなんよね。
多分これが一番悪い点だと思う。
買う量を減らすか、捨てる勇気を持つか。

2016/04/01

哲学的ゾンビの存在証明

よし、未だ4/1だな。

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哲学的ゾンビの存在が科学的に証明された。
結局のところ、デカルトが正しかったのだ。
心とは、我々の言語的乃至物理学-生理学的振る舞いについてのものではなく、「意識」というそれ自体独立した体系であったのだ。
「私」とは脳内の物理的なニューロン発火パターンによって接続された意識のことである。
例えば「見る」ということは、光が視細胞を刺激し、その興奮が神経を伝わって大脳の視覚野で画像処理された後、その処理された画像を意識が取得することに因る現象である。
意識は大脳というカルテジアン劇場の中に存在している小人である。
デカルトは後の哲学者から「ではその小人の意識はどうなっているのか」と批判されてきたが、結局のところ、小人それ自体が意識なのである。

これに因って、例えば直接的な知や所与に至る道筋が開けた。
つまりカント的色眼鏡の存在が明らかになり、それについて研究することができるようになった。
哲学の悲願であるところの、偏見を取り除くということへの道が開かれた。
我々は本当の意味での正しい知識を得ることができるのだ。
カント的色眼鏡の問題が解決すれば世界それ自体へのアクセスが可能となるので、例えば翻訳の不確定性は取り除かれるであろうし、また事実判断と価値判断とを正しく分けることができるようになり、それらの間の関係を解明したり科学から道徳を削ぎ落とすことが可能となる。

或は例えば人間と同じように振る舞うだけのアンドロイドは草薙素子的ゴーストを持つことはない、ということができ、従ってそのようなアンドロイドに対する人道的扱いについて考える必要が無くなった。

或は我々は中国語の部屋の住人である。
「理解しているかのような振る舞い」から「理解している振る舞い」を分けることができるということが証明された。
手を挙げるということから手が挙がることを正確に分けることが可能であるということが証明された。
我々は振る舞いではない。我々は世界ではない。我々は意識なのだ。

我々はカルテジアン劇場の前でコントローラーを握っている、「世界」というゲームのプレイヤーである。
普段、「プレイヤー」という概念はゲームの世界でのキャラクターを指すこともあればそのキャラクターを操作しているコントローラーを握っている人物のことを指すこともあり、それらを区別すことがない。
然し一寸目を向けるだけで、それらを区別することができる。
我々は、同様に、一寸目を向ければ、この世界の「プレイヤー」と意識の「プレイヤー」とを区別することができる。
つまり、この世はゲームなのだ。
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というような感じで、議論の飛躍や専門用語の無駄な羅列や「ポストモダン」調の話し方というような、人を騙すテクニックをできるだけ頭悪い感じで色々使ってみました。
書いてて頭が痛くなるぜ。

因みに風邪っぽくてマジでフィジカルに頭は痛い。

そういや私の頭髪が抜け落ちてトランプみたいな髪型になっているという酷い夢を見た。
なので今年のエイプリルフールネタはトランプ絡みでと思っていたのだけれど、余り良いのが思いつかなかった。
トランプが大統領に選出されることが統計学的に確定している、とか。一寸やめて欲しいけど。