2008/12/31

ライブ、放哉、石田彰

年末ライブ。
二人組のエレクトロなユニットでやったのです。
私がPCでAbleton Liveを、相方がAKAIのMPCを中心にして、それぞれKAOS PADやらヴァイオリンやら口琴やらおもちゃの楽器やらを詰め込む感じで。
その場のノリで音を出したり出さなかったりする訳だ。

然し大きく失敗してガンヘコミ。

半年前の、私の一番最初の計画では、20分程度のソナタ形式或はそれに準ずるものを一曲描く筈だった。
つまり数個の音型的テーマとその反復とか展開などが含まれる、一つの曲だ。
一つのテーマに雅楽の、蘭陵王の陵王乱声のテーマを取り入れることが計画されていた。
それで聴いてる人を片っ端から薙ぎ倒していく筈だった。
3ヶ月前の二番目の計画では、それが全く頓挫してしまって、代わりに20分程度の組曲にすることになっていた。
複数個の曲を一つの概念的或は物語的テーマでまとめあげる訳だ。
然し実際には、1ヶ月前になってやっと、てんでバラバラの、ループ素材を適当に作って並べただけの味気ない曲が幾つか用意できただけだった。
まあこれなら特に覚えたり練習したりする必要もない。
序でに言っておくと、声を取り入れることがテーマ。
例えばビートニク風に詩を朗読するとか。
ビート風の詩の朗読はずっとやりたかったんだ。
あとクラブミュージックで一般的に使われている技法はできるだけ使わないように心掛けた。
ささやかな、余りにささやかな抵抗だ。
あとは機材でなんとか適当に誤魔化して形を保つ、ということが目標となった。

流石にこれでは、やっても恥をかくだけだと思い直して、昨日の夜中ノソノソとベッドの中から這いずり出てきて、尾崎放哉の句「死ぬ事を忘れ月の船漕いで居る」を中心として、放哉の句集から幾つか自由律の句を選び、序でにたまたま録画していたキャシャーンのアニメの「死を恐れる青年よ、生きるとは何かを見に行こうじゃないか」と石田彰の声(かっけー)で言ってるのをサンプリングして編集し、それから詩を新たに6編書き上げた。
放哉の句と私の詩6編で、「死の想起→人間性の否認→疎外→異議申し立て→人間性と生活の回復→社会的希望の獲得」というような話の道筋を作り上げた!
これを石田彰の声の台詞がまとめている訳だ。
私スゲエ。
音は駄目でも、これでなんとかそれなりのものにすることができた筈だ。
私は満足して2時間程寝ることができた。

ライブ。
ウィダーインゼリーとリポビタンDとアリナミンVを取り敢えず体に流し込んで、ステージに立つ。
全6曲。
最初の4曲で「死の想起→人間性の否認→疎外」までをできるだけ平坦に足場の脆弱な感じでやって、1曲挟んで、最後の曲で「異議申し立て→人間性と生活の回復→社会的希望の獲得」まで一気に行く。
音も最後に詰め込まれる。

という予定だったが、二人の間の意思疎通の失敗の所為で、一曲の演奏時間がそれぞれ思ったより少しずつ伸びてしまい、時間的に最後の曲ができなくなってしまった。
私はやりたいことの半分もできずに終わってしまった。
ああ・・・。

序でに本番の出音が凄く悪かったり、自分が思っていたようにはうまく演奏したりうまく相方の意図を汲めなかったこと等もあって、ガンヘコミな訳です。
「幾ら悪くてもこれ以上は悪くなることはないだろう」と想定していたボーダーラインより悪かったのだ。
テラヘコむよ。
ペタヘコむよ。
ここまで失敗感のあるのは久しぶりだ・・・。

2008/12/30

そういや明日ライブです

あーやべー。
明日ライブだよ・・・。
すっかり忘れてた。

あれもこれもやってねーよ。
EQ調整とか。
音量/音圧調整とか。
新しいネタ仕込みとか。
鏡音の双子とか。
色々やろうと思ってたのに・・・。

また徹夜か。
いつもだ。
いつも前日の夜中だ!

まあ面倒臭いからこのままいくか。
じゃあまあそういう感じでよろしく。
ビジュアル系風に言うと憑髏刺躯。
クラシカルに夜露死苦。
テクノ風だと4649。

2008/12/29

徒然なるままに寝暮らし

今日はいろいろしようと思ってたのになあ。
ああ、私は怠け者だなあ。
奇妙な体勢で座って、役に立たない本をぺらぺら眺めながら、くだらないことばかり考えて、人生を無駄なものにすべく勤しんでいる。
何かあるとすれば、変なところがしびれたりするぐらいのもんだ。

寝て暮らしたい。
金やら地位やら名誉やらも欲しくなくはないが、どちらかというと寝て暮らしたい。

2008/12/28

誤魔化す

風呂上がりに、閉め切ったナマ温い部屋の窓を開けて冬の夜のよく冷えた空気を取り込むのは、なかなか気持ちいいものだ。
露天風呂に似ている。


ライブでヴァイオリンを使えるか試してみた結果、それなりに誤魔化しが利きそうだという結論に達した。
意外にいけそうだ。
判る人には、私が全く技術の無い初心者で適当に誤魔化していることが判って寧ろムカムカする、というぐらいにはなんとか誤魔化せそうだ。
本来的な技術は進歩せず誤魔化す技術ばかり上手くなっていく・・・。
まあ嘘と誤魔化しは元々私の得意分野だからな。
判る人には済まないが。

お望みなら私の表面を嘘っぱちで塗り固めて諸君を幸せな気分やら英雄的な気分にでもしてあげましょう。
或は癒し?
簡単だ、よく知っている。

2008/12/27

ハンドヘルドポインティングデバイス

机の無い環境で、膝の上でネットブックを使いたい。
然しAspire Oneのトラックパッドは使い難い。
マウスを太腿で操作するのは少し悲しい。

やっぱMSIのにしとけば・・・。

しょうがないのでハンドヘルドの小型のトラックボールを買ってきた。
Data LandのJr.TRACK2(→Amazon)。
普通は手に持って使う用なのだが一応据え置き型としても使える点は好い。
が、ポインタの速度をOSの設定で最速にしても、死ぬ程遅い。
而も遅いからといって細かい作業ができる訳でもない。
そりゃねーよ。
まあネットブックの狭い画面ならなんとか使えそうな気もしなくもないが、私のデスクトップの1920x1200のモニタでは到底使い物にならない。
まあデスクトップ用には長年愛用しているMicrosoftのトラックボールがあるので、ネットブックでしか使わないだろうけど・・・。
あとボタンの位置がビミョウに使い難い・・・。
ポインティングデバイスとして余りよくできたものだとは言い難いが、まあそこそこ安かったし、取り敢えずはこれで満足しておくか・・・。
またキリのない(金銭的な意味で)旅に出なければならなくなるのはゴメンだ。


トラックボールといえば・・・。
私の愛用しているMicrosoftのTrackball Explorerは、随分前に発売中止になってるのよね。
私には凄く便利なんだけど・・・。
形状もそうなんだけど、自由度の高いボタン割り当てができることと、多ボタン(5ボタン)であることと、有線であることが特に。

ケンジントンのEXPERT MOUSE(→Amazon)は4ボタンで少々心許ないし、LogicoolのTRACKMAN(→Amazon)はカスタマイズ可能な多ボタンだけれども無線なので電池を交換したりしなければならないのが少々面倒だ・・・。
まあMicrosoftのも、他のに比べてゴミが詰まり易いという欠点はあるのだが。

ということで、今使ってるのが壊れるとしばらく途方に暮れなければならなくなる。
まあケンジントンのにしてもLogicoolのにしても、すぐ慣れるとは思うけれど・・・。
或は別途ランチャ的な何かを導入するとか。

まあ何かしらのトラックボールを使うようにするさ。

トラックボールじゃないなんて信じられないという体になってしまった。

まあトラックボールは、細かい直線を描いたりするのは、マウスに比べて苦手だけれど。
逆に、長い距離を移動するのにマウスをカタカタ持ち上げたりする必要もないし、長時間使用しても(身体的な意味で)省エネルギーだし、設置スペースが狭くても問題無いし、ドラッグしたまま制止したりするのも楽だ。

2008/12/26

Christmas Steps

ああ、クリスマスだったからか。
そういうことか。

無縁。

12/25という日付を見てもピンと来ない。
もう何をしたらいいのかも分からない。

クリスマスと言えば、マライヤキャリーでもワムでもなくて、どちらかというとMOGWAIのChristmas Stepsな感じだ。

明日残り物のケーキでも買ってくるか・・・。

2008/12/24

ウンコな議論

ああ、いつも通り、フランクファートはあんまり関係無いですが。

真面目な本にどうしようもない乱暴な議論があると読むのが苦しくなる。
或事柄についての何種類かの議論を、宛も一人の人が言っている一つの議論であるかのように扱って、それをねじれているだの矛盾してるだのと言って非難するのを主題としているような本を読むと、苦しくて死にたくなる。
窓から放り出されて地面に叩き付けられるのは、私か本か。

例えば「最近の若者は・・・と考えている」だとか「新自由主義の批判者は・・・と言う」だとか、まあ「ポストモダン」でも「プラグマチスト」でも何でもいいのだけれど、そういうふうに言うときの「・・・」の部分に複数の議論を混ぜこぜにして、それでその後それに対する自分の反論を展開する訳だ。
そしてその「若者」やら「新自由主義の批判者」やらはその件について全員まるっきり間違っていてその中の誰も何一つ正しいことを言っていないかのように扱われる。
二つの全く立場の違う議論を一つの議論であるかのゆに扱えば、そりゃ矛盾して見えることもあるさ。

そのどこが間違っていてそこまでが受け入れ可能なのかというような議論をしないで済ましていたりするので、こういう乱暴な一般化に、書いてて気付かないのだろう。
喩えばチョムスキーとかローティではなくてカタカナで書かれるような最初から駄目なものとして定義されている「サヨク」を批判することで(ああ、論点先取の罪も犯している)、左翼思想全体を批判したことにしているようなものだ。
フロイトの夢判断がビミョウだからと言って「無意識」の功績を無視してフロイト全体或は精神分析の全てが間違っているかのように言ったり。
或は近代的な「人間」という概念を支えているものの一部が機能不全になったり間違っていることが判ったということ即ち「人間」という概念全体が死んだと言うのと同じようなものだ。

ここでは間違った一般化が当たり前のように行われている!
こういう間違った一般化によって、弱いものを一寸潰しただけで、強大なものや影響力のあるものに立ち向かって勝ったぞと誇らしげに言うことができるようになる訳だ。
或はトカゲをドラゴンと呼んで踏みつぶしているようなものだ。
一見して矛盾しているのが判るような阿呆っぽい議論に反論するのは簡単なので、余り深く考えずとも本が一冊書けるというスンポーだ。
哀れなドンキホーテ。

一般化というのは、議論を解り易くしたり、或は議論を永遠に続けるのを避けつつどこかで結論を出す為には、確かに必要な作業だ。
然しこの作業で間違うと、殆どの場合その議論は空虚なものとなる。
結論や主張が支持できる支持できない以前の問題になってしまう。


自分が何を批判しているのかはっきりさせておくことは重要だ。
またどういうことが最近の議論の的となっているのかも一応知っておきたいところだ。
という訳で、最近発売された新書の中で、日本の最近の社会学系だとか思想系の(と思われる)本を、幾つか適当に見繕って買ってきて読んでるのだが。
外ればかり引いて、稔りの期待できない苦行となっている。

2008/12/22

口内炎

口内炎が痛い。
ここ三日間ぐらい。
右の頬の奥。
今日朝起きたら歯茎と咽と舌の付け根辺りまで違和感が拡がっている。
夜には唇の辺りまで何か変だ。

スパ王が上手く食べられない。
カラムーチョがしみる。
あれか?食べ物か?食べ物が偏っているのか?

そういう訳で、塗り薬を買ってきた。
説明書を読むと、「使用期限を過ぎた製品は使用しないでください。」とある。
ふむふむ。
続けて、「なお、使用期限内であっても、開封後はなるべくはやく私用してください。(品質保持のため)」とある。
オウケイ、えーと。
「なるべく早く使う」というのは、何を意味しているのだろう。
どういう事態が想定されているのだろう。
一度に大量に使えとか、使わなくていいときにも使えとか、そういうことでないのだとすれば、どうやって「なるべく早く使う」ことができるのだろう。
例えば四人家族の場合、一人毎に薬のチューブを一本ずつ用意するのでなくて家族で一本を共有するとか。
或は似た効能の薬を二本買ってきたとして、その二本を平行して使わずに、一本ずつ使い切っていくとか。
そういうことか?

まあそんなことはどうでもいいけど。

本当に普通の口内炎なんだろうか。
なんかずっと右の顔の神経が緊張しているような感じがするのだが。
あと薬を塗って改善された気がしない・・・。

シリーズ風呂の中:言葉遊び編

簡単にできる筈の事態をややこしくしておくことは、フランス語で書かれたポストモダンが日本(或は他の国やフランス国内でも事情は大体同じらしいが)に輸入されておかしな具合に流行して以降、現在にかけて、元々希望も無いくせに絶望した振りをしていることでお馴染みの、「ポストモダン」気取りの無能な著作家達のおまんまの糧となっている。
能ある鷹は爪を隠すらしいが、毒の無い蛇が同じ地域に棲む毒蛇に酷似した模様をしていることもあるそうな。
宜しい、私も無能、ここは一つ乗ってみよう・・・。

ああ、因みに私は「本家」のデリダやらフーコーやらに対しては批判的な立場を採ってはいるが、彼らを「真面目な批判の対象」とするぐらいには、私は彼らには友好的な態度を採っていると思う(でもデリダはあんまり好きじゃない。できればあんまり関わり合いになりたくない)。

・・・。


無意識を意識化することはできる。
では無意識を意識することはできるのか。

「無意識を意識化する」と言うとき、意識は「無意識」をその対象としようとしているのだが、無意識を意識「化」する、というときには、それが無意識である時点と意識化された時点をくらべつると、意識化された時点の方が後にくる訳だ。
つまり意識に「化」という語をくっつけることによって、「意識化」は未来のことについて言及していることになる。
そういう訳で「無意識を意識化する」ということは、まあ可能だ。
或は少なくとも原理的に或は悟性の上で(?)不可能という訳ではなさそうだ。
同様に、「無意識を意識することができる」と言うとき、日本語の文法上、「意識することができる」はそれが「無意識」である時点から見て未来のことを言っている場合がある。
然し今回は、それが「無意識」である時点と「意識できる」時点は同時であるという風に考えよう。
これも日本語の文法上可能な解釈だ。
では、この場合、「無意識を意識することができる」は、何か矛盾しているように聞こえる。
無意識は意識された時点で「意識」になってしまうからだ。
従って、無意識を意識することはできない。

では次の場合はどうだろう。
我々の目の前で、箱を持った少年が、「この箱の中にはカブトムシが入っている、けれどもそれを確認する術は原理的に一つも無い」と言ったとしよう。
普通なら、「この少年が言ったようにその箱の中身を確認する術は原理的に一つもないということを本当だとして一旦受け入れた場合、この少年の「(その)箱の中にカブトムシが入っている」という命題(或は「信念」だとか「発話内容」だとか)は何か意味があるのか」とかなんとかということが議論の対象になる訳だ。
然し今回は、「この少年の持っている箱、その箱を、我々は普通意識することができるか」という風に問うてみよう。
どうか普通に、構えず、フツーに、考えてみて呉れ給え。
答えは普通、唐突な「哲学的」疑念が思い浮かんでしまったり何か障害を考えない限り、「Yes」となる筈だ。
我々は箱の中身の如何に拘わらず、少年の抱えた箱そのものについては、我々はそれを見るなり触るなりしてそれを認識し、意識上へ持ってくることができる。
まあ普通のことですな。

ではこの構造を前の「無意識を意識することができるか」という問題に当て嵌めてみよう。
「無意識」を「箱(ブラックボックス)」として考える訳だ。
そうすると、「無意識を意識することはできない」と考えるのは馬鹿らしく思えるかも知れない。
つまり「無意識の内容」については、その無意識を持っている個人が同時にそれを「意識」することは、「無意識」の語義上、不可能であるように思えるかも知れないが、「無意識」をなんだか能く解らないが自分自身には今現在意識されていない心の動きみたいなものとして考えると、その、今現在の「無意識」というブラックボックス言わば「外箱」について意識できないというのはおかしい。
例えば「私がいま然々と考えている或は振る舞っているのは、私の無意識下での出来事が何か関係しているに違いない」という風に考えることはできるし、このときその人は「無意識を意識している」と言えるのではないのか?


・・・というふうな言葉遊びを使って、何か推理小説のトリックでも作れないだろうかと風呂の中で空想して楽しむ。

2008/12/21

Live on Aspire One

Aspire OneでAbleton Liveを使う。
色々やってみた結果、8トラックぐらいを上限にした方がよさげ。
8トラックでマスターにリミッターをかけて20~30%ぐらいのCPU使用率。
8トラックで、全トラックを一度センドを通して、センドの方にリミッターをかけてからマスターに落とすと35%程度のCPU使用率。
Core2Duo3GHzのマシンではこの程度では殆どCPU使用率が上がらないことを考えると、ATOMはこの分野では大分非力なんだろう。
余り多くのエフェクトとか重いインストゥルメントは避けた方がよさそう。
16トラックは一寸怖い、というか感じか。
ということで、或程度まとめられるWaveデータはまとめておくようにしないと。
エフェクトはできるだけかけ終わった状態でエクスポートしておくとか。
それでギリギリ使える感じか。

やっぱ真面目に使うならMacBookを使った方がよっぽどいい。
まあでもAspire Oneの方が持ち運びが楽だし。

2008/12/20

VNC

メモ。

デスクトップマシンをリモートで管理したり操作したりするのにも色々方法があるが、VNCを使うのも一手かと。
Windows機をサーバとした場合には、速いという噂のUltraVNCが使える。
試してみたが、サーバ側のCPU使用率が結構高くなる。
圧縮率が高いのだろうか。
RealVNCの方が、処理は軽いようだ。
まあRealVNCは、あんまり便利機能が付いてないけど。

因みにLAN内でVNCを使った場合は、タイムラグを殆ど気にしなくてもいいレベルで使えるようだった。
RealVNCでもUltraVNCでも、体感速度は殆ど変わらない。
無線LANでも速度的には問題無し。
まあローカルならCPU切替器を使った方が、とも思うが、一画面内に複数の物理マシンの画面を表示できることで得られるアドバンテージもあるだろう。
或はサーバが離れた位置にあるときとか。

切替器は新しく買ったら高いし。

2008/12/18

認証解除

うおお。
認証かけっぱなし。

「ブログを認証制にしたりして認証かけたら、認証制を始める前までにRSS登録してた場合どうなるんだ?」という疑問が唐突に沸き起こり、試しに自分のブログで認証かけてみて、記事を書いて投稿して、予め自分のブログのRSSを登録しておいたGoogle Readerで確かめてみよう、と思ってしまったのです。
半分寝ながら。
で、認証をかけて、ブログの記事を書こうというところで面倒臭くなって、その日はそのまま寝たのだが、それがここ数日ずっとそのままになっていた。
記事投稿は普通に今まで通りできるので、忘れたまま気付かなかった。
自分のブログのページを開いてみたらなんかパスワードを求められるので、またシーサーのメンテか何かかと一瞬思ったのだが、そういや以前認証かけたまま忘れてたな、ということを思い出したという訳だ。
確認するもんだね。

ループ

ループは人間を堕落させる・・・。
適当に打ち込めば一瞬でなんだか曲っぽくなってしまう恐怖。
中身の有る無しに関係無く。

やっぱ何かを弾かんといかんかねえ。

人が演奏するということは、何か特別なことだ。
多分。
ループ特有の音楽的価値を見出すことができたとすれば、多分「人が演奏する」ということそれ自体或はそれについてまわっている諸観念に対する反抗という形で、というぐらいだろう。
否、それは言い過ぎか。
言い過ぎた。

併し例えば、バトルズがライブでは、PC上で単にループをこねくり回してるだけだとしたら、それ程面白くはないと思うんだ。

2008/12/16

メモリの安いという話

Shuttleのベア、電源ファンが一際大きな音を出しているということで、ファンを交換する。
取り敢えず、Scytheの「MINI-Kaze ULTRA 20mm厚」というのとADDAの「薄型超静音タイプ」(10mm厚)というのを買ってくる。

手持ちの12V電源を使って風量と音の大きさを比べてみたところ、音の大きさは大して変わらなかったが風量はScytheのの方がありそうだった。
まあ10mm厚と20mm厚の差だろう。
因みに元々Shuttleのベアに付いていたのとScytheのとを比べてみたところ、風量は元々付いてたのの方が若干強いかも、というぐらいだったが、音の大きさは、なんでこんなに違うのか解らない、という程違った。

ということで早速、半田付けをして、Scytheのに交換した。
動かしてみると、凄く静かになっている。
全然違う。
こりゃ好い。


メモリがなんだかスゲー安いなあ。
SSDも凄い勢いで値下がりしている・・・。
やっぱAspire OneじゃなくてEEE PCにしとけばよかったかな。
EEE PCならメモリ2GBまで乗せられるし・・・。

ということで、Shuttleのベアの電源用のファンを買う序でに、メモリも、ノート用の1GBのを買ってくる。
てゆうか40x40mmの一寸マシなファンより1GBのノート用のメモリの方が安いぐらいだ・・・。

で、今さっき交換してみたのだが。
Mac OS X 10.5.6が出たのでアップデートしてる間に、Aspire Oneのメモリをちゃっちゃと増設しようと思って中を開けてみたのだが、なんと面倒臭そうな。
取り敢えず裏面の二種類の長さのネジを全部外しても開かず、ゴム足の下にネジが隠されていたのでそれを外しても駄目で、じゃあキーボードの下かと思ってキーボードを苦労して外してみたらまた幾つかのネジがあって(而も長さが違う)、それを外すと天板が外れ、更に基盤のネジ(またもや長さが違う)を全て外して基盤の裏にアクセスできるようにしなければ、メモリを交換することはできない。
ほぼ全分解。
なんか、Aspire Oneのメモリ交換は面倒臭い、という話はネット上のニュースなどで聴いてはいたが、確かになかなか面倒臭い。
全部終わるまで30分程かかった。
勿論Macのアップデートはとっくに終わっている・・・。

XPでメモリ1GBといえば、数年前ならどちらかというと贅沢な感じだったのだが。
或は「1GB以上使うアプリなんてそうは無いだろう、だから1GB以上は普通は必要無いだろう」ぐらいに思っていたのだが。
最近では1GBではなんだか心許ない気さえする。
64bit OSが一向に流行らなくてドライバなどの揃い切らないWindows機での、32bit OSのメモリ4GB(実質3GB程度)の上限が鬱陶しくさえ思える。
早くメインストリームが64bitに移行しないかな。
そういえば、ウチで一番メモリ積んでるのは、今これを書いてる、MacBookだ。
チップセット上限の4GB。
メインのWindowsには、4GB載せでも無駄なので、1GBx2と512MBx2の計3GB載せてる。
最近の私の使い分けでは、Mac上ではあんまり大したことしないんだけどな・・・。
オーバースペックだ。
或はやっぱMacをメインにすべきか。

てゆうかいつの間にやらPCがやたらと増えたな・・・。
ここ最近、一年か半年ぐらいで。
ああ、だから金が無いのか。
貯金が増えないと思たぜ。
そうか。
そうだな。

そういや数年前は「10万もあればそれなりのマシンが組める、安くなったものだ」ぐらいの感覚だったが最近では「5万もあればそれなりのマシンが組める、安くなったものだ」という感じになってきた。
なんだかこんな感覚になると、自分が年寄りになったみたいだ。
未だもう少しの間ぐらいは、若者でいられるつもりにしてるんだが・・・。

2008/12/14

リズム

早く寝よう。
そうすれば生活リズムも良くなりそうな気がする。
私に筋肉と生活リズムがあれば、色々なものが好転しそうな気がする。
先ずは心身の健康とか・・・。

ドリエル的な薬を咽んで、思考と身体に力が入らなくなるのを待つばかり。
徐々に体の力が抜けていく感覚は、嫌いじゃない。

Fedora

オウケイ、Fedoraだ。
Fedoraが一番好い。
そういうことにしよう。

今日一日かけて、色々とLinuxディストリビューションを試したが、Fedoraが一番しっくりきた。
なんでかな・・・。
使用感とかかな。
あと一番長く使ってるし。
あと青っぽい色とかか?

なんとなくMacOSに似てるのかも知れない。

まあ実際、当面は、Wineで遊べさえすればなんでもいいのだが。

それから色々調べた結果、昨日買ってきたベアで一番大きな音を出しているのは40x40mmの電源用のちっちゃいファンだ。
これを静音のに替えたら大分快適になるんだろうけど、手元に40x40のファンが無い。
ということで、80x80mmの、余ってる静音ファンを外付けにでもしてもようかと。
でも結構面倒臭そうだな・・・。
まあ、今度PCパーツ屋に行ったときにでも40x40のを探してみよう・・・。
その方が現実的だ。


それから武梨えりは本当に急病だったとアナウンスされたようだ。
ええと・・・
http://www.ichijinsha.co.jp/information/index.html
これ。

一瞬、それはよかった、と思ったが、よくはないな。
馬鹿げている中傷(正当な批判でなく)に心を折られたのでなくてよかったけど、病気は全然よくない。

2008/12/13

Linux

早速Shuttleのベアを買ってきて、Core2Duoで組む。
結局33000円程度。
起動してみると、音が多少ある、という感じ。
設置の仕方次第ではどうにでもなりそう。
まあATOMのを選んでおけば、殆ど無音だったんだろう。
多分。

昔のが爆音過ぎたのだ。
Pen4やらPenD時代には、どう頑張っても爆音になってた。
ビデオカードにも爆音ファンが付いてたような時代。

OSは、Windowsは高いから、Linuxを使う。
取り敢えずFedoraを落としてきてインストールする。
Macが使えたらいいのだけれど・・・。

が、どうしても、多ボタンマウス用設定ツールが、何故かインストールできずに困り果てる。
首を突っ込んで取り組むのも面倒臭いし・・・。

Ubuntuにしときゃよかったかな。
何かと情報も揃ってるし。
使い勝手も大体解ってるし。

或はOpenSUSEがいいのだが、ダウンロードするにもサーバが死ぬ程遅くて、未だダウンロード中。
トレント使った方がよかったか。
後5日で最新版がリリースされるので、或はそれを待ってもいいか。
OpenSUSEは海外で強いっぽくて、英語の情報はかなり沢山手に入るんだけど。
あんまり英語ができないからなあ。
英米系哲学やってた人間にはあり得ないぐらいのできなさ。
毎日が辛かった・・・。
辛くても努力しないのが私クオリティ。

あー、やっぱUbuntuかな・・・。
遊び用にするには手堅過ぎて嫌なんだけどな・・・。
あと色が嫌い。

2008/12/12

ATOMかCore2Duoか

お遊びサーバ兼お遊びデスクトップ用に。
OSはOpenSUSEかFedoraを使うとして、DVI付きベアボーンを使う場合、ATOM330で組んでもCore2Duoで組んでも何故か大して値段が変わらない・・・。
あれ?
どこかに落とし穴が?

一寸待てよ・・・。
ATOMの場合。
ベアはShuttleのCPU付き、23000円也。
HDD2.5インチ、5000円也。
メモリ2GB、3000円也。
計31000円ぐらい。

Core2Duoの場合。
ベアはShuttleの、14000円也。
CPU、E7300(2.66Ghz)で12000円也。
HDD3.5インチ、4000円也。
メモリ2GB、3000円也。
計33000円ぐらい。

DVDは外付けで。

んー。
何か忘れてるのか?

ATOMは只管安いようなイメージがあったのだけれど、そうでもないのか?
或はDVI付きベアという条件が何か影響を?
ATOMがデュアルコアの方だからか?
或は私のATOMに対するイメージが間違っている?
これならCore2Duoで組んだ方がよっぽど・・・。

ATOMで組んだPCはCore2Duoのに比べて、消費電力が劇的には変わる訳ではない感じだとは聞くし。
低発熱だからファンレス仕様にできて静音とかそういうことか?
でもATOMで組んでしまったら、後々CPUだけ替えるということができないんだよな・・・。

単にファイルサーバとかならATOMで全然問題無いんだけどなあ。
GUI動かして遊ぶとなるとなあ。
ここはCore2Duoにすべきなのか・・・。
でも何かエンコーダとかを走らしたりする訳じゃないし・・・。

ああ。

2008/12/10

滞る

うちのWi-Fiが死ぬ程重い。
何故だ。


ケーキ喰った。
美味かった。
味覚は正常だ。


惑星のさみだれ(→Amazon
��買ってきた。
意外と面白し。
なかなか楽しめた。


然し面白味に欠ける生活。
「あーやべー」などと言って頭を抱えるも、何がやべーのか理解に苦しむ。

目線

嫌なことばかり考えているのか、或は考えたこと全てが嫌なことのように思えるのか判らない。
目線を上げるのが辛い。
光も音も煩わしい。
多分これは悪いことだ。


私の好きな漫画家が体調不良で無期眼の休載になった話。
「かんなぎ」の武梨えり。
取り敢えず→GIGAZINE
非道いな、どこのミザリーだ。
若し作者の、気に病んでのことなら、まあ気に病むことはないとはないと思うんだけど、まあ気に病むものなんだろうなあ。

なんだか最近、ここ2巻分ぐらい、私の視点からは、只の萌え漫画みたいな感じになってしまって、私の感じていた良さについては精彩を欠いているように見えて、どうかなと思っていたところなので(或は萌え的には多分寧ろ成功していたのだろう)、まあ確り休むなり悶えるなりして、良くなって頂いて、早く続きが読みたいものだ・・・。

私の感じていた良さというのはつまり・・・。
例えば、若い衆の祭りか何かの用意などでワイワイと忙しくしているのを、或達者な老人がぼうんやりと眺めているとしよう。
その老人は、そのときその祭りの準備について自分の立場を関連付けて認識していて、それを受け入れて、何かしらの満足したような心持ちになるのだ。
その老人の満足について考えてみて呉れ給え。
解らないだって?
うん・・・、私も解らない。
言葉にし難いなあ。
兎に角、何か静かな、キラリと光るものがあったんだ・・・。
否、最近のでもたまにチカチカしていることはしているんだけれど。

私がもう少し頭がマシなら或は何か言えたかも知れない。


嫌なことばかり考えている。

面白いことでも考えよう・・・。

例えば。
私は漫画は買いまくっているが、フィギュア的なものを殆ど持っていない。
顔が私によく似ているということで友人に頂いた、「おじゃる丸」の星野さんのキンケシみたいなの(これもフィギュアというのか?)が、スピーカーの上に一体乗ってるぐらいだ。
ああ、よく似ている。

フィギュアを買わない理由は、まあそれ程欲しいと思わないという趣味レベルの理由や、或は一度買い出したら私の蒐集癖の所為で高くつきそうで敬遠しているという金銭的な理由や、そもそも買っても置く場所が無いという理由があるが、一つには、人の形をしたものの目線が嫌だという理由がある。
私の部屋には他にもピカソ展か何かで買ってきた人物画のポスターが貼り付けてあるが、あれはそれ程気にはならない。
キリスト教徒には、部屋にイエスの磔になっている像を掛けておく者もあると謂うが、あれは常に父やら子やら精霊やらの目を意識することで自らを戒めるという効果を狙ってのことなのだろうか。
私なら裏表逆向きにでも掛けそうだ。

・・・。
ああ、少しは楽になった・・・。

2008/12/09

疲労

なんだか酷く疲れた・・・。
なにをするでもなく。
目の前に置いてあるBERKINのiPod Touch用のケースの柄にさえ疲労を感じる。
前を見るのも面倒臭い。

風呂に入ると酷くなって、シャワーを浴びながらずっと動けずにいた。
いったい私は何がそんなに気に入らないのだろう。

2008/12/08

RSS広告廃止

iPod Touch用にLivedoorのRSSリーダーを使うようになって、試しに自分のブログも登録してみたのだが、広告が死ぬ程ウザい。
美観(若しこのブログに「美」なるものが見出せるとしたら)を損ねる。
一件の記事投稿に対して、記事に関係無い二件の広告が付いてくる。
今時珍しい、誰の役にも立たない広告、而も記事の二倍の件数。
なんかの拍子にRSS広告機能をオンにしてしまったみたい。
ということで、RSSでの広告機能を切った。
多分ちゃんと切れたと思う。

という報告。


あと私のチェックしてる漫画家の、その月の新刊が表示されるサービスを使ってみた。
MyReleas
これはなかなかのものだ。
漫画をよく読むようになって、何を読んで何を読まなかったか忘れがちで、買い忘れもあるかも知れない。
が、これで買い忘れが無くなるかも。
蒐集癖のある私のこと、一度買ったものは、よっぽど面白くないものでなければ買い続けるのをよしとしているので、印象の薄いのがあれば数巻買ってその後忘れてしまうのは「主義」的な何かに反する。

そういえば、今思い出したが、クランプのホリックはずっと忘れている。
でも、もうあれはどうでもいいや。
画の線が好きだけど、内容は私には一向に面白くない上になんだか腹の底が見えて嘘臭くって読むのが辛いし、何巻まで買ったか思い出せないことだし。

メモリ・リーク

最近よく私のiPod Touchのアプリがメモリ不足で落ちることがあったのだけれど、あれ、電源ボタン長押しで電源を一旦落とすとメモリが解放されて、メモリ不足が改善されることがある。
どこかにメモリリークでもあるのか?
Objective-Cって触ったことないけど、C++みたいにメモリ解放のタイミングとかは自分で決めないと不可ない系だっけ?
慥かガーベッジコレクションがあったと思うんだけど・・・。
まあ多分、iPod Touchのメモリ管理の方が、アプリを起動して終了するのを完全には終了させず、それでメモリを喰っていくという仕様なんだろう。
何か意図でもあるんだろう。


最近酷く阿呆になってきている気がする。
ああ、私の話ですよ?
ものを考えなくなってきている。
不可ない傾向だ。
元来聡明さに欠けるのに、更に悪くなる。
ものを考える習慣が無いのだ。
色んなことに無神経になって醜態を晒すだけでなく、ものが考えられなくなる。
リークしている。
脳味噌がリークしている。
ああ、漏れ出てしまう・・・。

芥川の自殺の原因に、内蔵がずっと悪くて治らなかったことで相当参っていたことやら女性関係やら気遣いのし過ぎや生活上の問題等で神経が磨り減らされたことなど、まあ他にも色々挙げられるが、一つには、発狂することを酷く恐れて、自分がもうすぐ発狂するのではないかとずっと不安だった、ということもある。
当時の「発狂した人」の社会的な扱われ方を直接的には考慮に入れないとしても、芥川の他人に世話になるのに恐縮し過ぎる上に、見栄っ張りの自尊心を捨てきれなかったというだけでなく、今までのように考えられなくなるということは、元々頭の良い芥川だけでなく、なかなか凡人に満たないことにいつも苦い思いでいるような私にも恐ろしいことだ・・・。
恐怖を感じる。

問:「君は物理学が何でも説明するとでも思っているのか?」
応:「君はその問いを以て、物理に明らかに反する、ものについての何らかの記述が正しいものとして認められるべきこともあるとでも言いたいのか?」
こういう私の一種の素朴物理主義の所為で、最早私は霊やらなんやらに直接的な恐怖を感じることはできなくなってしまったが、こればっかりは怖い。

2008/12/07

濁り茶

私は茶をよく飲む。
その度に一々湯を沸かすのは面倒なので、一度にそれなりの量を淹れるのだが、初めに飲むのと終わりに飲むので濃さが変わるのは嫌なので、淹れた茶を一旦他のポットなどに全て移すようにしている。
麦茶を魔法瓶のポットで作り、煎茶は急須に淹れてガラスポットに注ぎ、紅茶は磁器のポットで淹れて大きめのガラスポットに砂糖とミルクと共に注ぐ。
机の上にはそれぞれの茶の入ったポットに加え、それぞれの為のマグやら器やらが必要だ。
麦茶の魔法瓶と麦茶用のマグは机の上に常設されている。
前の日の寝る前か朝に作っておいて、一日かけて飲む。
他の種類の茶を飲もうと思うと、机の上には麦茶セット+他の茶セットが置かれる訳だ。
煎茶などにマグを使うことは無いが、紅茶は麦茶と同じくマグを使うことが多い。
夜中には、一日経った麦茶のマグと、紅茶用の、而もミルクティのマグが机の上に置かれることもある訳だ・・・。

ああ、嫌な予感。

夜に紅茶を飲んで、飲み終わって片付けて、しばらくして麦茶の残りを飲み切ろうというとき、ふと麦茶の入ったマグを見ると何か濁っていて、薄く脂が浮いている。
茶が腐ったか或は魔法瓶に菌が繁殖して新たな生態系の小宇宙でも作ってしまったかと疑ったが、よく考えてみると、紅茶セットを片付けるときに間違って紅茶のポットと麦茶のマグを片付けたと考えるのが妥当だろう、という結論に達した。
魔法瓶が悪ければ、洗い方が足りないとか、除菌か何か考えないと不可なかったが、多分魔法瓶は大丈夫だろう・・・。

或は私が腹でも壊したら、魔法瓶の汚い所為かも知れぬ・・・。

2008/12/06

コーテド・アーニーボール

オウケイ。
コーテド・アーニーボールを買ってきたぜ。
「Ernie Ball Titanium RPS Electric Strings」だそうだ。
Soundhouse

例の、アーニーボール弦のロングライフ版。
チタニウム?
チタンメッキでも使ってんのか?

普通の楽器屋で買ったので、値段は普段買ってるアーニーボール弦の3倍近くしたが・・・。

早速張ってみた。

基本的には、普通のアーニーボールの音だ。
太過ぎずギラつかずスムースで扱い易い音。
ほんの少し曇っていて、張って三日目ぐらいの音のように感じた。
そう感じただけかも知れないが・・・。
うーん、或は一寸細めなのかなあ・・・。
まあ殆ど普通のアーニーボールと区別が付かない感じだ。
テンションが、ほんの少し弱いようにも感じたが、これも思い過ごしかも知れない。
あと弦が、エリクサーみたいに無駄にツルツルしていないのが好い。
エリクサーは、フィンガーイーズを吹きかけたみたいにツルツルで、私には滑り過ぎで、たまにスライドアップのブレーキが効かなかったり、チョーキングが滑りそうで余計な力が入ってる感じがしたりしていたのだが、このアーニーボールのは、指がちゃんと留まるので、私には弾き易い。

ということで、今まで普通のアーニーボール弦を使っていた人がコーテドのに乗り換えても、多分違和感は殆ど無いと思う。
少なくともノーマルとコーテドで全く別種の音になるということはなかったし、劇的に音が良くなったり悪くなったりする訳でもなかった。

あとは寿命か。
普通のアーニーボールは、音が好きでも三日でへたるが(へたったらへたったで、またそれが悪くなかったりするのだが)、まあ流石にこれは三日ということはないだろう・・・。

2008/12/04

下唇

ムックリをビンビンやり過ぎて下唇が少しヒリヒリする。
弁がたまにベチベチ当たるので。

TextGuru

もうiNoteは駄目だ・・・。
ランドスケープモード(横書き)可能なテキストエディタが限られていたときには、UIもシンプルで割と洗練されていたこともあって、これしか無いという感じだったが、今やそうでもない。
私の保守的な気質から、一度iNoteをよいものだと認識して評価したら、ずっとiNoteを使い続けようとしてしまうのだが、それでも未だPCと同期ができないなんて、もう駄目だ。
我慢できない。

あと150円上乗せすれば、ランドスケープモード搭載でWindowsやMacで書きかけのファイルをWi-Fi経由でiPod Touchに落として編集たり、iPod Touchで書いたテキストファイルをWindowsやMacで編集することもでき、CやらPHPやらのソースファイルも扱える高機能テキストエディタのTextGuru(→App Store)が買える。
http://brancipater.com/blog/

iNoteが次のアップデートでこれより高機能になることは余り期待できない・・・。
まあ同期さえできればまた使い続けるかも知れないけど。

TextGuruなら更にイメージファイルも見れるしPDFやパワーポイントも見れる。
まあiPod Touchのキーボードでコードを入力するのはすげー面倒臭そうなので、実際にはiPod Touchでソースをゴリゴリ書いていくことはないだろうけど。
ANSIやUTF-8が扱えるので、Windowsならメモ帳やNotepad++なんかで書いてそのまま保存した、日本語などのマルチバイト文字列を含むテキストファイルをそのままiPod Touchで書き続けたりできる訳だ。

但、UIの使い心地が余り良くないのと、未だ少しバグが残ってるっぽい。
iPod Touchにダウンロードするとき上書きするのにいちいちファイル名を入れ直さなければならなかったり。
消した筈のファイルが復活してたり。

2008/12/02

エリクサー弦、2ヶ月間

エリクサー弦(→Soundhouse)。

メインではないギターに張ってそろそろ2ヶ月程度は経ってると思うけど、未だブライトさを保っている。
まあ流石に張りたてとは音の印象も多少違ってきているが、「劣化した弦の音」という感じはしない。
昔、エリクサーの出だしの頃使ったときは、プレーン弦が普通に数日で錆びてゲンナリしたものだが、今のは2ヶ月使ってもプレーン弦の錆びたような音はしない。
でもやっぱ音がスチール弦っぽいのが気に入らないが。
時間が経てば丸くなるかと思ったが、そうでもなかった。
まあ張りたてのときの、シャリシャリした感じは多少マシになって、弾き方によっては「ガッツのある」ようにも聴こえなくもない音になってきた。
まあビリビリした音が好きな人には寧ろ好いのだろう。

そういや私のお気に入りの弦であるアーニーボールからもコーティング仕様のロングライフ版が出たようだ(→Soundhouse)。

おお、これは期待してしまうなあ。
普通のアーニーボールのは、音は好きでメインで使っているのだけど、すぐ錆びるからなあ。
普通のアーニーボールっぽい音で実際にロングライフなら、今エリクサー弦を張ってるものもコーテドアーニーボールに替えよう。
ということで、今度楽器や行ったときにでも、売ってたら買ってきて、試してみよう。
ああ、でも安いときに買い溜めた普通のアーニーボール弦の在庫が、未だいっぱいあるんだよな・・・。

ガムラン

ガムラン風の音階を得る為に、ギターのチューニングをいじる。
サロンとかグンデルとかを模すのに、基本的にナチュラルハーモニクスしか使わないことにする。
一弦から隣の弦に移る毎に、一般的な二音半の音程に更に50~70セント(1/4音かもう少し)程高めの音程でチューニングしていくと、それっぽくなった。
まあ12平均律か或はそれに近い調律の音階に含まれないような音が入っていればガムラン風に聴こえるだけなのかも知れない。
試しにそれぞれの隣り合う弦を二音半より少し小さい音程に合わせてみても、まあガムランっぽいっちゃあぽいかな、という感じになった。
でも高くするのに比べて、少しガムランから遠くなった気もする。
てゆうかナチュラルハーモニクスは、普通のチューニングの時でも「狂った」音高になるんだけどなあ。
実際には何がガムランっぽさを演出しているのだろうか。
弦のテンションの違いに拠る音色の違いという可能性もあるにはあるな。

2008/12/01

ムックリ

北海道で買ってきたムックリ(糸を引っ張るタイプ)をビンビンやって遊んでたら糸が切れた。
しょうがないのでたこ糸を部屋の中から発掘してきて張り直すが、竹に空いた穴に糸が通らず苦労する。
針で通す程穴の大きさに余裕は無い。
結局、糸の先をアロンアルファで固めることで通すことができた。
貴重なアロンアルファの無駄遣いな気分。

然しこれがまた切れる!
ということで、糸が切れ難くなるように、カッターと彫刻刀で穴にテーパーを切ったり加工面を整えたりする。
これで大分切れにくくなったろう。
が、未だ少し心配なので、今度また一つ二つゲージの太いたこ糸を買ってこなくては。
よし!iPod TouchでToDo管理だ!

あとムックリの録音が意外と難しい。
まあ卓上マイクスタンドが大分マシなんだろうけど。
ハーモニカみたいにすればできるかと思ったが、弁がマイクにベチベチ当たってうまくいかない。
離れすぎても不可ないし。
手に持ったマイクとの距離を上手く調節しながら演奏しなければならないのが辛い。
或は体育座りでマイクを膝に挟んで弾くという手もあるが、それはそれで体勢的に辛い。