2005/11/10

対立候補を設計する

受けた授業のアツさの影響で、哲学熱が盛り上がり、ヒュームの因果論を批判するにはどうするだとか、シガーロスはどのように駄目なのかについての記述の仕方だとか、新しい語彙の発明云々とか、決定論と自由とかの話をする。
帰りの電車で独りになって、『遠野物語』を読みながら、論駁し難い決定論というのを色々考えてみて、プラグマティックな態度を出来るだけ使わずにそれに反駁してみたりする(私の意識はマルチタスク)。
英雄になりたければ、自分の倒した敵の強さを誇張すればいいのだ。
神の素晴しさをアピールする為には最後に必ず神に負ける存在として措定されている悪魔を可能な限り強力なものとして措定すればいいのだ(by京極堂)、或は、アメリカの力強さをアピールするには実際の軍事力は中東の中で才弱クラスであったイラクを強大な驚異として宣伝すればいいのだ(例えばbyチョムスキー)。
ということで(?)論駁した物理的決定論に説得力があればある程、私の議論は誉れ高きものとなる、というスンポーで。
然し私が英雄や神やおさるのジョージと違う点は、物理的決定論を確っかり論駁し切れるものとして設計していないので、若しかしたら論駁出来ないかもという不安がつきまとうところ。


アマゾン→ハンス・アウグスト・レイ 『おさるのジョージ』(絵本)