2011/10/30

とらんすつぇんでんたーる

気が付いたら一日が終わっていることでお馴染みの。
ギターばっか弾いてるよ。
あー、誰か大金でもポンと呉れないかね。

遊んで暮らしたい。
まあ遊びで生きてるんですけどな。
然し遊んで暮らすことと遊びで生きてることとは全然違うのだよ!
ザクロとザクレロぐらい違うのだよ!


あ、私的言語メモ。
言語を開かれた系として捉えるなら、「語り得ぬもの(論理哲学論考的な意味で)」について、それが「語り得ぬ」ということから「沈黙せねばならない」ということを導き出すことはムリくね?
と、思い付きで言ってみたり。
32%ぐらい自信ある。
32%か。
意外とあるな・・・。

2011/10/29

長崎の写真

長崎で撮った写真を整理する。
意外と時間が掛かるんだよなー。

Picasaって、写真にGPSタグを後から付けられるようになってたのね。
ってことで、位置情報を入力してみる。
写真を見つつ、右カラムでGoogle Mapのインターフェイスにピンを置く感じで位置情報を入力することができる。
便利。

てことで、以下写真。

植物とか。
長崎、西山神社周辺
長崎、西山神社周辺 posted by (C)Ludwig D. Omen

長崎、禅林寺周辺
長崎、禅林寺周辺 posted by (C)Ludwig D. Omen

長崎大音寺周辺04
長崎大音寺周辺04 posted by (C)Ludwig D. Omen

なんかこういう構図がお気に入りでさ。

亀山社中近辺、猫
亀山社中近辺、猫 posted by (C)Ludwig D. Omen

花街風の艶かし気味な猫とか。

万国霊廟長崎観音
万国霊廟長崎観音 posted by (C)Ludwig D. Omen

ちょーでかい観音。
子抱観音的な隠れキリシタン文化の影響を感じないでもない感じ。

長崎公園、本木昌造像
長崎公園、本木昌造像 posted by (C)Ludwig D. Omen

もうちょいホラーな感じにしたかったんだけど、割と普通か。

長崎玉園稲荷神社の鳥居02
長崎玉園稲荷神社の鳥居02 posted by (C)Ludwig D. Omen

これももう一寸なんかいい感じにならんかね。

長崎諏訪神社の蛙
長崎諏訪神社の蛙 posted by (C)Ludwig D. Omen

蛙。

長崎公園、鯉
長崎公園、鯉 posted by (C)Ludwig D. Omen

鯉。

女郎蜘蛛02
女郎蜘蛛02 posted by (C)Ludwig D. Omen

女郎蜘蛛のお断り。

長崎諏訪神社、芋虫
長崎諏訪神社、芋虫 posted by (C)Ludwig D. Omen

乱歩がイメージしなかった感じの芋虫。
これがでかくなると「変身」の感じ?

長崎、大音寺周辺
長崎、大音寺周辺 posted by (C)Ludwig D. Omen

宛も果実が踏み潰されて中から肉が飛び出て腐り、蛆の涌いたかのように見える・・・。

長崎、三宝寺の階段01
長崎、三宝寺の階段01 posted by (C)Ludwig D. Omen

まあそんな感じで。

2011/10/28

長崎より

長崎。
行ってきた。
新ルーガルーの下巻を持って。

一日目。

朝っぱらから飛行機で長崎。
バスで市内へ。
多少時間があったので、商業地区を練り歩く。
商業地区の中心街は1時間もあれば大体踏破できる感じ。
端から端まで10分ぐらい。

交通ルールが守られている。
殆どの関西の人間は車に乗るとクソみたいに頭が悪くなるので、歩行者が敵か障害物に見えるようになるのです。
交通ルールなんか守ろうものなら後ろの車が威圧的に車間距離を詰めてくるのです。
誰よりも自分が先に行く権利があると考えているのです。
完全に馬鹿げている。

その日の用事を済ませてホテルにチェックイン。
晩御飯を求めて商業地区と呑み屋街を歩き回る。
長崎つったらチャンポンだよねー、とか言ってチャンポンとか皿うどんとか食べるのはなんかイヤだったので、ド長崎なものは避ける。
歩き回ってもピンと来るところが無く、疲れ果てて適当に入った海鮮系居酒屋が割とハズレだった。
普通にチャンポンとかにしとけばよかったか。

ホテルに帰って寝る。
蒲団がすげー暑くて寝汗を大量にかく。
そして大して眠れず。

二日目。

ホテルで簡単なバイキング形式の朝食。
これが唯一、私が長崎で摂ったまともな食事。
やっぱチャンポンにしとくべきだったか。

朝、用事をサッサと済ませて昼前からフリータイム。
アーケードの商業中心街からスタート。
取り敢えずあてもなく歩いてみる。
北西へ。

適当に歩いていたら12人の聖人がどうの、というところに至る。
東へ。

でかい仏像のようなものの前を通る。
東へ。

長崎歴史文化博物館に至る。
大河ドラマがどうの、というキャンペーン中?
なんとなく入ってみたものの、便所に入ってすぐに出る。
東へ。

山の上に神社があるとかいう話。
取り敢えず登ってみる。
羽の欠けたカラスアゲハをフラフラ追っていると、ごく小規模な動物園っぽいところに至る。
耳の千切れた兎など見つつ、通り抜ける。
抜けるとでかい神社がある。
ウロウロして毒々しい色彩のイモムシの写真を撮ったりする。
周囲に幾つか神社があるらしいので、行く。
見るだけ見て戻る。
東へ。

シーボルト通りに至る。
通り抜ける。
南へ。

でかい道があったので、道なりに東へ。
然しこれ以上行っても何も無さそうと思えてきたので南へ行くと、川があったので、川沿いに歩く。
歩いていると、亀山社中がどうの、という看板があったので、矢印の指す方へ進んでみる。
南東、山の上へ。

亀山社中跡というところに至る。
あと坂本龍馬のブーツだとか謂うブロンズ像とか。
へえ、と言って山を下りる。
お寺さんが連なっている横を南へ。

暫く行くと商業中心街の端っこ。
なんとなく南東へ。

赤い寺の門があったけど中へは入らず。
西へ。

商業中心街。
ミスドでドーナツを食べる。
或程度西へ行った後、南へ。

呑み屋街を抜けて中華街。
肉まんを買い食いする。
西へ。

でかい美術館の横を通って海辺の公園へ至る。
海沿いに北へ。

橋を渡って東へ行くとオフィス街。
時間的にビミョウだったので、いい時間までその辺りを只管練り歩く。
いい時間になったので、バスに乗って空港へ。
飛行機で大阪に帰る。
途中で新ルーガルーを読み終える。

という日程。
めっさ歩いた。

2011/10/25

長崎へ

明日、長崎。
長崎なー。
何があるかね。
カステラとか?
福砂屋とかか。

明日ちょー早えんだよなー。
かー、面倒臭えなー。

あと丁度良い大きさの鞄が無い。
どうすっかな・・・。

チェリビダッケ

新しい方のルーガルー。
もう上巻終わってしまった。
見た目より分量少ないんだよなー。
字がでかいし改行とか空白が多いので、本は嵩張るんだけど、割とサッサと読めてしまう。
さて、じゃあ、下巻。


CelibidacheのBoxセット。
一枚ずつ買ってたのが馬鹿らしくなるぐらい安いことでお馴染みの。
Brucknerのセット(→Amazon)、オペラと宗教音楽のセット(→Amazon)、Bruckner以外の交響曲セット(→Amazon)、フランスとロシア音楽のセット(→Amazon)。
4種類、全部届いた。
47枚もあるわ。
どっから手を付けたものか・・・。

適当に何枚か聴いてみた感じ。
やっぱBrucknerのが一番安定してよくできている。
今から一枚ずつバラ売りになってるものを買うぐらいなら、先ずこのセットを一つ買った方がよっぽいいね。
一枚買うのと殆ど変わらない値段やし。
私は一枚ずつ買ったクチやけどな!
宗教音楽は割とフツーな感じ。
てかあんまし。
ロシア音楽のが思ったよりよかったかね。
その他の交響曲、ベートーヴェンとかはゴリゴリいく感じじゃない部分が意外といい感じ。
ゴリゴリいくところはもっとゴリゴリいった方が私好み。

まあそんな感じで。

2011/10/24

旧ルーガルー

オウケイオウケイ、ルーガルーの古い方(→Amazon)、読み直し終わったぜ。
大分忘れてた。
話の筋とか重要な部分は読み直し始めてすぐ思い出したけど、細かい部分は結構忘れてた。
登場人物の名前とか全然覚えてなかったし。
「アレ、こいつ死ぬヤツやっけ?」
私は人の名前を覚えられないので読んでる最中にも忘れるけどな!

まあそんな感じで、思っていたよりは楽しんで読めた。
もっと沢山覚えてたら退屈だっただろうけど。

前に読んだ時に比べて、物語上の出来事とか登場人物の台詞とかから受ける印象が余り変化していないように思える。
前に読んだ時と比べて、私の知的な進歩が余り無いということなんだろう。
てか多分退化している。
私の脳なー。
アレどうかしてんだぜ。
年々モノが考えられなくなっている。
まあ頭使って生きてないからな。

私は漫画版の方も過去に目を通しているのだが、その所為で小説を読みながら脳内再生される映像が漫画版の絵柄の感じになってしまう。
まあ別に悪いことではないんだけど。
少なくとも私の持っている徳間書店版の表紙の、80年代の近未来みたいな甚だ不格好なのが頭の中で動くより大分良い筈だ。
アレはねえよ。
服装とかは徳間書店版の表紙のより漫画版の方がまだ理に適った想像だと思う。
まあ漫画版もあんまし覚えてないけどな!

あと、アレな、アイツって「百鬼夜行(→Amazon)」に出てたアイツな、「出奔した」のヤツな、と思い至って確認しようと私の書架から「百鬼夜行」を探したのだけれど何故か見つからなかった。
どこ遣ったかね・・・。
あの鬼の話は結構印象に残ってるんだ。
このテの話で「鬼」と言うと、大抵「平地の民に対する山の民」だとか「まつろわぬ民」だとかがどうの、という過去に視点を置いた説明になりがちなんだけど、ここでは慥か「普通の人間は倫理観に拠る制限とか身体能力の制限とか色々制限があって、その制限の中に在ることが人間を人間として認識できるようにすることに一役買っているのだが、その制限の枠組を逸脱した者、普通の人間にはそれらの制限の所為でできないことになっていることを、(妄執とかに拠って)やってのけてしまう者を「鬼」と謂うのだ」的な、現在に視点を置いた説明になっていて、それが興味深かった。
私の記憶が正しければ。
まあどちらにせよ、「普通の人間」と捉え得る範囲を逸脱した者、という感じか。
そういや「鬼」って結局ヒトなのね。
他の妖怪だとか怪物だとかとは違って、人間と地続きの概念なのね。


てことで、やっと新しいルーガルーの方に取り掛かれる。

2011/10/20

SG改修企画

洟。
とうとう秋も花粉症かとビビったが、なんか普通の鼻炎っぽかったようだ。
今のところ症状は大して出てない。
あと薬を咽むとやたらと眠い。
昨日はかなり早い時間に寝たんだが、寝起きは悪かった。


ギターの話。
今SGにナイロンサドルを載っけてるのだけれど、音がシャラシャラし過ぎて駄目だね。
低音弦はナイロンでもまあそれはそれでアリかも知れないけど、高音弦は駄目だ。
交換するか・・・。
前までずっとGraphtechだったんだけど、最近、やっぱブラスの方が良いかもという気になってきた。
チューニングの安定性とか弦の切れ難さはGraphtechのが上だけど、音の好みの方が優先される。
前まではGraphtechでもブラスでも、と思ってたのだが、最近の好みの方向としてはブラスの方かねえ。
弦もそうそう切らなくなったし、溝切り技術も多少は上がってるのでチューニングの安定が極端に悪くなるということもまあ無いだろう。

あとSGにハイパスフィルタを着けてたのだが、リアだけ外す。
フロントはあった方がよさげ。
それからボリュームがそろそろ寿命。
交換せねば。
今まで色々いじってかなり汚い配線になってるので、サーキットをまるごと交換した方がよさげ。
序でにリアピックアップも替えたいんだよな・・・。
多分Duncan Customか何かが着いてると思うんだけど、SGにはちょいハイ寄り過ぎ。
でも金が無いのでピックアップはやめといた方が。
こうあるべきという明確なヴィジョンも無いし。

2011/10/19

Ubuntu 11.10のデスクトップ

鼻炎クサい。
この季節だと鼻炎->風邪となるパターンか。
てことで、鼻炎薬でも咽むか。
不幸にも私は花粉症なので、幸いにも鼻炎薬は常備されているのです。
花粉症の季節の余り物だけど。
てことでアゼラスチン塩酸塩。


Ubuntu 11.10なあ。
UIがさあ。
GNOME3(GNOME Shell)は未整備な部分が残っている感じだし、以前のGNOMEだと折角切れたevolutionとか要らんものまで入ってしまう。
てことで、デフォルトのUnityを使ってるんだけど、これも未だ熟れている感じではないんだよな・・・。
てかすげー使い難い。
慣れの所為なのかとも思ったが、恐らくは、これは未だデスクトップ環境として十分なレベルに達していないんだと思う。
あとできるだけ設定をいじらせないようにしてるっぽくて、何かしようとすると割と面倒臭い。
AndroidとかiOSとかスマートフォン向けUIとMacとかWindowsとかの普通のデスクトップUIとの間をとろうとしていることでお馴染みの感じか。
それUbuntuがデフォルトに採用してまでやることあんのか?と思うけど、まあ何かを見越した戦略とかでもあるんだろう。
イヤ知らんけど。

今のところは古いGNOMEを使って次のLTSぐらいのタイミングでShellに、ってのが恐らく正着なんだろうけど、UbuntuがプッシュしてるUnityも一応慣れておきたい。
一番勢いのあるLinuxディストリビューションであるところのUbuntuがプッシュしてるってことで、今後もしかしたらうまいこと発展するかも知れないし。
まあメインとかでガリガリ使うわけでもないので、多少使い難くても別にいいってのもある。

2011/10/17

鼻腔

ルーガルーの新しいのを買ってきたんで、古いのを読み返している。
新しいのを一寸だけ読んだところ、古いやつの続きになっていそうだということに気が付いたのです。
古いやつはなんか話の筋とか登場人物の名前とかがあんまし記憶に残ってなかったんで、思い出し序でに。
10年前のものやし。
まあ読んだのは5年かもう少し前ぐらいだと思うけど。


鼻腔が妙な感じなので鼻うがいで洗い流す。
然しイマイチ良い感じにならない。
なんかパッと一瞬でスッキリする方法でも無いかね。
と思って、鼻うがいの後、鼻腔が潤っている状態で、この前買った電動マッサージ器を首の後に当ててブルブルやると、なんだか少しだけ効果でもありそうな気がしないでもない・・・。
けど多分これといった効果は無い。
あと髪を噛むのと鼻ほ表皮が痒くなる。

子供の洟を掃除機で吸うやつが有るので、今度アレいっぺん使ってみたろ。

ここらで一杯お茶が怖い

うっすら宿酔い気味。
歳食ったか。
筋肉の回復力が宿酔いのような感じ。
天気も良いし軽く体を動かしといた方がよさそうな感じだったので、午後も大分過ぎた頃、散歩がてらに饅頭でも買いに行く。
饅頭屋まで、ウロウロジグザグに進んで片道30分ぐらい。
最短コースを行くならトットコ歩いて20分ぐらいの距離かね。
この饅頭屋は私のランニングコース上にあって、いつか試しに買って食べてみようと思っていたのだ。

個人商店のようで、中で饅頭を作っているっぽい。
無精髭のゴマ塩になった粗野な風貌の店主らしき人が出てきて、風貌の粗野さとは逆に非常に丁寧というかえらく腰の低い応対をなさる。
それが何か人付き合いの苦手そうな印象を私に与えたのだが、こういった印象を私自身受けるということがなんだか興味深い。

饅頭と、あと生菓子があったので生菓子も、幾つか買って帰る。
割と安かった。

帰って茶を沸かして食べてみる。
飛び抜けて美味い訳ではないが、まあ普通に美味かった。
値段からすると結構いいんじゃないかね。

まあそんな感じで。

2011/10/16

酩酊気味

自堕落。
自堕落こそ我が生哉。
と解ったような解らないようなことを言って、ウィスキーマックを久しぶりにシコタマ呑む。
ボトルが漸く空いた。
従って現在酩酊気味。

酩酊気味で判断力や思考能力は低下している。
序でに運動能力はかなり低くなっている筈。
然しどうしても普段程度に理性的だ。
例えば複雑な計算をしたり新しい概念を理解するといった、普段余り使わないがいざとなれば使えるような種類の思考能力は目に見えて衰えるのだが、普段使いの理性は普段と余り変わらない。
深く潜ることができなくなり、思考が薄っぺらくなる。
それが厭だ。
呑まなきゃいいんだが、たまに呑みたくなる。
呑みたくなるといっても、旨い酒を味わうこととか酔うことが目的でなく、呑むという行為それ自体が目的なのだ。
なんだろうね。
自己陶酔に似ている気がするが、恐らく違う。
然し自意識が大きく影響していることは間違い無さげ。
なにかね。

私の「呑みたくなる」とはどういうことか、酩酊気味の頭には解らない。
上手く考えることができない。
厭だ。


MacallanとWilkinsonのジンジャエールを1:1。
最強。

2011/10/15

信頼感

知覚過敏の治療。
施術者が変わったのだが、前の人より安心して治療を受けられるように感じる。
やってることは多分そんなには変わってないんだろうけど、一寸したやりとりだとか施術の仕方だとかから信頼感に違いが結構出るもんだなと思った。
治療技術の巧拙もそうだがそれ以外にも、信頼感が得易くなる対人スキルとか或は何か性格とかがあるんだろう。

自分が相手にどれだけ信頼感とか安心感を与えているのかということは、結構判り難いことだと思う。
余り信頼していないときでも恰も信頼しているかのように振る舞うことは多いだろうし。
序でに言うと、「今私はあなたのことを本当は大して信頼していないが、状況を鑑みて、恰も信頼しているかのように振舞っている」ということを、ちょっとした仕草や言葉の端からそれとなく相手に感じ取らせるようにして伝えることもできたりする。
更に「今私は・・・(中略)・・・のように振舞っている」かのように振舞って見せることもできる。
このくらいのレベルの複雑さなら、普通の人の普段使いのコミュニケーションの範疇だろう。
然し実際にどのくらいの信頼感とか安心感を抱いているのかということに関して、社会生活において、親しい仲でない相手に馬鹿正直に伝えようとするような状況はそれ程多くない気がする。
なので、相手により大きな信頼感を抱かせるというスキルを意識して洗練さることは、そこそこ難易度が高いんじゃないかね。

ということで、私は人に不透明感とか疑念とかを抱かせるということ関しては一寸した者なのだが、多少頑張ったぐらいでは相手に信頼してもらえるようにはならないということですかね。

2011/10/14

漫画分類

ベッド脇にCDが堆く積もっている。
そいつを片付けようとしたのが運の尽き。
CDを片付けるためにはCD棚の前に積まれた漫画を退けなくてはならない。
漫画もそろそろ秀作/駄作の分類をして、駄作はダンボール箱にでも詰め込まなければ置き場が無い。

てことで、先ず漫画の分類。
積まれた漫画、特にここ一年程で増えた漫画を、判の大きさと面白さで分類する。
面白さの判断は大体のところ私的な感覚を基にしているが、「これは認められるべき」といったような公的な視点もそれなりに入る。てかどうしても入ってしまう。
まあそりゃそうか。
「純粋に私的な好悪の判断」といったようなことができる程、人間単純にはできていないように思う。
なんで、公的視点を如何にして排除するかとかいうような話なら、どんな感じで公的視点が混ざってるのか或は混ざっているべきか、とかいう話にすり替えればいいんじゃないですかね。

まあ自分だけの為のライブラリなんだが。

てことで、或程度は公的視点が入っている。
どうしたって混ざるぶんだけでなく、意識的にも多少混ぜている。
純粋な好悪だけでないことは判ってるし、意識的にも単なる好悪から少し距離を取っている。

え?自分だけの為のライブラリですよね?
だからそうだと言っている。

てことで分類。
私的にテッパンのは既に棚の定位置に収まっている(例えば、大:漫玉日記、中:あずまんが(新)、小:レベルE)。
一定以上面白くて巻数が増えたものも半分以上は棚に収まる(大:足洗邸、中:純潔のマリア、小:ハンター)。
少年誌系の巻数の多いものや多くなることが予想できるものは押入れの中に作られた棚へ(ワンピ、月光条例等)。
最近買ったけど一定以上ピンと来ないものはダンボールへ(大:じょしらく、中:ビリーバット、小:むろみさん)。
昔面白かったが最近そうでもなくなったものも棚から引っ張り出してダンボールへ(大:はるみねーしょん、中:ゆうやみ特攻隊、小:絶望先生)。
空いた棚のスペースに最近買ったものの中で「秀作」認定されたものが入る(大:星を継ぐもの、中:黄昏乙女、小:進撃の巨人)。
等々。

然し秀作/駄作の判断基準はよくブレるし、棚の空き容量とも相談しなければならない。
大:四百九十九人切り、中:アカンプリス、小:貧乏神が、辺りが悩みどころ。
面白いんだけど、空き容量を鑑みるとどうすべきか悩ましい。
貧乏神と巨人は現在大体同じぐらいの面白さ。
貧乏神は10巻ぐらい出てるけど巨人は5巻しか出てないので今のところ半分の容量だし・・・。
あと貧乏神は今後「ちょーすげー漫画」には多分ならないだろうけど、巨人はその可能性が無きにしも非ずだし・・・。
あと巨人の画、腰のラインがイカす。
とか。
という感じの、中間的なものが結構いっぱいある。

あと途中までしか読んでないものが何冊か出てきたりして驚く。
山田花子とかは私の脳内の「精神の充実したときでなければ読んではいけない」のコーナーに分類されているのだが、不十分な精神の時に途中まで読んで心が容量オーバーになってそのままになっていたようだ。

とういことで、部屋には漫画が散乱している。
どうしたものか・・・。

あ、一応、漫画を床に散乱させたあと、CDはCD用の棚に突っ込むことができた。
でももうすぐ容量オーバー。

2011/10/11

錠剤の容器

私の古いMacBookを傾けると微かにカラカラと鳴る。
なんて恐ろしい。
中で何か部品でも外れているのかも知れない。
どっかでショートしたりしてオシャカになるかも知れない!
あ、そうなれば新しいMacBook Airを買う言い訳にはなるか・・・。
イヤイヤ。金無いし。SSDに換装したとこだし。
と思ったけど、よく調べてみるとキーボードがカラカラ鳴ってるだけなのな。
ビビったぜ。


錠剤。薬とかサプリメントとか。
あれって、円筒形の瓶とかに入ってて、一粒出すのが割と面倒臭い。
薬とかでガラス瓶に入れないと不可ないものなら分からないでもないけれど、サプリメントとかプラスチックの瓶に入ってるようなものとかあるやん?
あれフリスク的な、片手でさっと一錠だとか二錠だとかを必要なだけ出せるような機構の容れ物にせんのかね。
それともそうすると錠剤を容れ物から直で口に放り込む人が出て良くなかったりするのかね。
例えば一度手に出して視認してから咽まないとだめだとかという理由とかがあるのかね。

減量

いつの間にやら体重が3kgも減っとる。
なんか産んだかね?
然し相変わらず腹は醜く出とるし。
或は体重計の故障か。
この前電池入れ替えたとこなのに。


カメラなー。
あいつら何かね。
なんでこう物欲を刺激するかね。
フルサイズ機とかサ。
高感度だとぅ!夜でもくっきりだとぅっ!
GF1はISO400ぐらいまでが精々がところやし。
何かね、あいつら。
別に写真とかゴリゴリ撮る訳でもないのにサ。
なんでこう欲しくなるかね。
魔性かね。魔肖ネロかね。
まあ高価なものに憧れてた方がうっかり買ってしまう可能性が低くていい。
然しうっかり買ってしまった時のダメージがでかいけどな!
でもフルサイズ機ぐらいの値段なら、うっかり買ってしまう可能性は無視出来るぐらい小さいように思う。
中途半端に富籤が当たらないことを祈ろう。
金なんざ他に使い道はいくらでもある。

2011/10/10

レンズ活用

昼も大分過ぎた頃、買い物序でにカメラを持って散歩のようなものでもすっか、と家を出る。
ニコンの古いレンズ(NIKKOR-S.C Auto 1:1.4 f-50mm)を使う為に写真を撮るのだ。
まあ他にも色々持って行ったが、結局他のはあんまし使わなかった。
LUMIXの標準ズームの方がキレイに撮れるし扱い易いのだが、これはこれで。
明るいし。
絞らなければかなーりモヤつくけど、モヤついたらモヤついたで。
あと35mm判換算で100mmってのが、虫とか小さめの生き物を撮るのに使い易い。
色はイマイチだけどモノクロで撮るとなんか雰囲気が出る。


isolated
isolated posted by (C)Ludwig D. Omen
死にかけているように見える猫。
革底の靴をカツカツ鳴らして歩いて傍を通ると薄目を開けて一瞥し、すぐこの体勢に戻ってしまう。
世界には疎外や孤独が存在しているといういことを見る者に感じさせる猫。
只眠いだけかも知れないけれど、なんだか弱々しく感じられて、須藤真澄の「長い長いさんぽ」(→Amazon)を思いだしてしまう。
やべえ、思い出しただけで泣けてきた・・・。
もー!真澄!もー!

あといつも須藤真澄と伊藤真澄の名前がごっちゃになる。
須藤真澄はビームとかで描いてるSF(少し不思議)と猫の漫画家、カワイイ絵柄に騙されがちだがかなり実力派、というイメージ。
伊藤真澄は私がカラオケでよくモノマネをする音楽家、以前一曲良い曲を書いたがその後の動向はフォローしてない。

ツチイナゴ
ツチイナゴ posted by (C)Ludwig D. Omen
恐らくツチイナゴと思われる。
こういう虫とか撮るのに100mmのは丁度良い。
腕をグッと伸ばして片手で撮ったのだが、意外とちゃんと撮れてた。

small world
small world posted by (C)Ludwig D. Omen
ちっちゃい蜂とかね。

white rain lily
white rain lily posted by (C)Ludwig D. Omen
タマスダレとかね。
タマスダレってすげーダサイ名前な。
多分「南京玉簾」の所為。
レインリリーと呼んだ方がよいね。

風草、夕方、モノクロ
風草、夕方、モノクロ posted by (C)Ludwig D. Omen
風草とかね。
逆光大好き。
逆光が大好きなのです。
てかこれ風草で合ってんのかね?


で、買い物を済ませて帰ったらすぐ、着替えて走りに行く。
40分ぐらいか。
さっき恐らくこう通ったであろうと思われる道筋の全長をGoogle Mapの距離測定ツールで測ってみたら、大体6kmぐらいしか走ってない。
アップダウンが結構あるとは言え、40分で6kmならかなりスローペースな感じ。
これでヘロヘロになるんだから、私マジで体力無いなあ・・・。

2011/10/08

マリア

本屋に行って、「純潔のマリア」」(→Amazon)新刊出とるわ、と思って値段も見ずに適当に買ったら限定版で、結構高かった。
一緒に買った星野之宣の「スターダストメモリーズ」(→Amazon)、でかくてぶ厚いヤツと同じぐらいの値段だった。
スターダストメモリーズは値段を見て買うかどうかかなり迷ったぐらいだから、純潔のマリアもたまたま手に取ったのが限定版で他に通常版があるということが判ってたら、どっちを買うべきか迷うぐらいはしたかも。
でも結局限定版を買ってたような気もしないでもない。

「純潔のマリアって、未だ2巻なのか!
もう一寸出てたのかと思った。
濃いのね。
私はコーヒーでも漫画でも濃い方が好い。

2巻の感想。
漫画家マジすげー。
くっそー、マジ漫画家すげーな。
なんで私、ギターなんかチマチマ弾いてんだ。

昨日ジョブズが死んで意外と動揺したが、例えば石川雅之が死んだら私、多分結構絶望すんぜ?

2011/10/06

リンゴのスター

今日、ジョブズが死んだ。
もしかしたら昨日だったかも知れないが私には判らない。

tech系ニュースばかり読んでいる所為かも知れないが、今日一日その話で持ち切りだった。
ニュースを信じるのに少し時間が掛かった。
生前、ジョブズのことは別に好きでも嫌いでもなく、どちらかというと少し嫌いの方に傾いているぐらいの感じだったのだが。
嫌いといっても、世の中のもののよく解っていない経営者や経営者気取りの物書きどもが誤解と手前勝手な解釈に基づいて阿呆なことを言い散らすときの引用元だったから、というぐらいの理由で、実際彼自身どうこうという訳でもなく、「ジョブズ」という特別なアイコンがなんとなく嫌気を誘ったくらいの感じだ。
それにも拘らず、結構ショックがでかかったのが自分にも意外だった。
MJが死んだ時ぐらい動揺した。
MJというと、私が多分生まれて一番最初に自覚的に好きになったミュージシャンで、彼の歌の様式が幼い頃聴かされた教唆的な童話のように私の(普段使いの)音楽的思考様式に染み付いてしまっているような、それくらい私に影響力のあった人物だぜ?
MJは当時既に私的に「過去の人」のカテゴリーに片足を突っ込んでいて寧ろ「再評価」の対象だったとは言え、当時にも、兎に角再評価の必要があったぐらい、私にとって結構重要人物だったのです。
それとタメ張るんだから、結構動揺したことになる。
多分、AppleのCEOを退いたとは言えまだ暫くはAppleとAppleを取り巻く世界にガリガリ影響を与え続けるだろうと思っていたということが、ショックがでかくなった要因の一つだろう。
あとAppleのCEOを退いたのが最近のことで、それに伴ってジョブズが世界に残した業績とかジョブズが変えた世界とかについてあーだこーだとついさっきまで色々言われていて、世の中のジョブズ熱が高まっていた矢先のことだったというのもあるだろう。
彼が死んで、私の手の届く範囲の世界がそれ程変わるようには思えない。
私はiPodもMacも使っているが(私と彼との関係は第一にはApple社製品を介した関係である)、それが彼の死に因って何か大きく変わるという訳でもないだろうし、恐らくはiPhoneを使っている人にとってもそうなんじゃないかと思っている。
少なくとも中短期的にはそうであるように感じる。
にも拘らず、ショックがでかかったのが意外だった。

アクラシア習慣

最近割とギターを弾いている。
良い傾向。
自分の現在の実力とか調子のアップダウンから考えると、ここ暫くは結構よく弾ける状態をキープできているように思える。
でもどっちかというとピアノとヴァイオリンの練習をすべき!
継続的に練習しないから上達しないのだ。
上達しないからサボるのだ。

あとそろそろ気温もいい感じになってきたので、ちゃんと走ること。
筋トレもやっといたほうがいいだろうが・・・私に多くは望むまい。

やっておく必要があることは習慣化しておいた方がいいと思うんだけど、思い付いたときに思い付いたことができるような状態に在る方へと引き寄せられてしまう。
自由時間を兎に角できる限り多く確保しようとしてしまうという無意識的な傾向があるのだ。
まあ時間があったところで大したことは思い付かないし、思い付いたとしてもどうせ腰が重いんだけど。
あと私、自分で決めた計画でもよくサボる。
アクラシア。


カメラを買ってしまいそうでヤバい。
イヤ買わないんだけど。
私に十分な金があって、GF1も持っていなかったとしたら、今は結構、カメラを買う機にあるように思える。
今か、或はニコンが新しいフルサイズのエントリークラスのを出して暫く経ったぐらいが機。
私の頭の中の変なスイッチが入ってしまって、Amazonとかで新しいPENとかをポチッとしてしまって、我に返って口に枕を押し当てながら「アーッ!アーッ!」と叫んで頭を抱えている自分の姿を想像できるのが恐ろしい。
もうダメだ。死にそうだ。

カメラなんかそんな使わねえのにな!
なので買ってはいけない。
なんでアイツはこんなに私の物欲を刺激するのだ。

ここはもうGF1を恋人のように扱うしかない。
GF1と私、一対一の排他的関係に束縛するのだ。
ああ、恋人は駄目だ!私はすぐに慣れてしまうだろう。
片思いの相手ぐらいにしておいた方がより私の心を束縛しておけそうだ。
だが然し。
Love is over.
ああ、Love is over!
なんて恐ろしい!
誰も私をひとところに囚えたままにしておけないなんて。
「ああ、GF1・・・そんな人もいました・・・」なんて気取って言いだすに違いない。
そして軽い自己嫌悪のフリでもするのです!

まあ富籤でも当たれば買ってやらんでもない。
そうですか!買って戴けますか。
だから富籤に当たったらね。

2011/10/05

モノクロ用レンズ

ニコンの古いレンズが有るのだが、GF1で使うとなんかチョイと色とかが変なのです。
で、あんまり使ってなかったのだけれど、モノクロで撮ると意外と好い感じになることを発見する。
てことで、レギュラーに昇格して鞄の中に常に入れている。
然しマイクロフォーサーズのレンズに比べると大分でかくて重いんだよな・・・。


今朝も寒くて目が覚める。
さて。
蒲団圧縮袋から蒲団を出すべきか。
袋から出したら一度天日に干したいのだけれど。
干さずに被るか。
今日はまだそんなに寒くならなさそうなので、夏用の毛布で我慢するか。
どうすっかな・・・。
取り敢えず一寸厚着して寝てみるか。

2011/10/04

秋、リンゴ

そろそろ蒲団を秋用にしないと不可ないんだけど、布団圧縮袋に入ってるヤツを一旦天日干ししなければならない。
然しなかなか干すタイミングがないのよね。
なので未だ夏用の毛布。
寒くて目が覚めることがある。


5~6個とかの袋入りのリンゴを買っても(不味くて)余って腐らすことが多い。
私の家の近くのスーパーは生鮮食品が高くて管理が悪くて不味いのです。
何度か、今度こそはと買ってみるが、結局不味くて食べなくなり、余らす。
なので、今度買って余ったらすりおろしリンゴにでもしようかね。
折角フードプロセッサがあることだし。
なんかリンゴってすりおろした瞬間に健康に良さそうに見えるのは何故だろう。

2011/10/03

玉ねぎクラウド

Cloud
Cloud posted by (C)Ludwig D. Omen
トイレンズの試し撮り。
Holgaのマイクロフォーサーズ用のヤツで、周辺光量落ち機構を取っ払ったもの。
でもイマイチ使いどころが無いのよね・・・。
色々中途半端でさあ。

雲といえば。
以前はクラウド或はクラウドコンピューティングといえば、サーバが複数箇所にあって、サービスを利用するにあたってどのサーバに繋がってるかユーザーには分からない(或は意識させない)ようになってるようなサービス形態、或はそれ故サーバの存在自体を意識させないようなサービス形態を指していたように思える。
つまりユーザーから見ればサービスが「どこどこのサーバ上」ではなく「雲の向こう側」になんとなく存在しているぐらいの感じに見える訳だ。
或はひとつに見えるサービスが複数箇所に存在するサーバによって成り立っている様が、ユーザーには形の曖昧で一定しない雲のように感じられる訳だ。
あとサーバが複数箇所に存在しているが故の堅牢性も暗に含意されていた気がする。
現在では単にSaaSとかシンクライアントとかと殆ど同じ意味で使われていることもあるようにも見える。
或は何故か妙に限定的に「データをネット上のサーバに預けて必要なときに必要なデバイスに落とせるサービス」みたいなことをなんとなく意味していることもあるっぽい。
これらは別にまあサーバが1台でも成り立つ話。
なので、それがなんで「クラウド」なん?雲と何が関係あるん?ちゅう話になる感じか。
で、何が「クラウド」なのか、何を以て「クラウド」と言われているのか、今や状況や文脈からも意味を確信できないことがあるぐらいにギャバガイな言葉になってしまっている、と。
「クラウド」とか言ってもイマイチ何が言われているのかはっきりしないので、もうこれバズワードじゃね?という話になるっぽい。
という私のぼんやりとした理解。


玉ねぎを大量に炒める。
2kgぐらいか?
家の中全体がすげー玉ねぎ臭い。

ミジン切りにするのにフードプロセッサが大活躍。
もうこれ無しではミジン切りができない・・・。
皮を剥くだけで目と鼻にダメージを食らうので、包丁でミジン切りなんてもうやってられない。
昔はやってたけどな!
皮を剥いてヘタを取って6等分ぐらいに切り分ける為だけにゴーグルをかけてる。


私的言語メモ。
ガリガリに確定的なこと(或は大文字の真理とか絶対の絶対に確実なこととか)など何も無い、なんてことはよく言われることだし、そう考えておいて困ることはまあ無いだろう。
然しこのことから「十分に確信に足ることなど何も無い」というようなことを(多くの場合、夜陰に紛れて)導きだそうとするからおかしなことになるのだ。
確実性とか信頼性について、程度にまつわる議論が無視されている。
生きて生活している人間にとってより重要である議論が無視されているのだ。
なので物理学的事実と占星術的事実とが「フラット」になってしまったりするような、普通から見ればアホらしいことになるのだ。
「この重りについて色々検査した結果、物理的にはどう見ても53kgなのですが、占い師は100kgだと言っています。序でに通り過ぎのおばちゃんは、見た感じ10kgぐらいじゃね?と言っています。私には何が正しいのか判りません。」
我々に真理の基盤を与えるような「世界」が存在しないからといって、別に「これは私の手である」とか「これはMacBookである」というようなことについての確信が揺らがなければならない訳ではないし、「これは私の手である」を不健全な推論とする理由として「the One True World」の不在を持ってくることは適切でない。てか無理。
恐らく、「〇〇であることは確かである」というときに限って実用的な確かさではなく「the One True World的に確かである」というふうにとりたがる、というハエ取り壷があるのだ。

2011/10/02

アマゾニアン

なんか最近、生活用品のかなりの部分をAmazonで買っている。
実店舗で買い物をすることが非常に少なくなった。
なので財布の中身が余り減らない。
流石に毎日の食品はスーパーで買うけど、それも大体カードを使うので、結局財布の中身が減らない。
なので一寸金銭的に余裕があるような錯覚を得るが、実際のところは収入を鑑みてもそんな筈はない訳だ。
あぶねえなあ。
一応気を付けてはいるし今のところ管理できてはいるのでイキナリ破綻するようなことはまあないだろうけど。
たまに気が抜けそうになることがないでもないので、もう少しビビっておこうと思う。