2006/12/31

ライブの話

もう駄目だー。
間に合わない!

2006/12/30

第九、希望、表現的自由

私の音楽上のアイドルであるベートーベンの第九に乗せて自由(と平和)への希望を謳うカナダのドキュメンタリーがBSでやってたのを観た。
自動人形の如く「平和」を繰り返す単なる頭の悪い「平和主義」ではなく(つまり「君の頭の中は「平和」だなあ」というのではなく)、指揮者達による様々な解釈や政治的に悪く利用されてきた側面なども示してあって、それでも希望を持つのだと解り易く説得力のある形で主張するというような内容。
NHKは自らこういう種類の優れたドキュメンタリーを撮る力は無いが、たまに海外の優れたドキュメンタリーを流してくれる。
NHKに撮ることができるのは、せいぜい最新の映像技術を駆使した自然の美しい姿くらいだ。

その裏で、奇妙な信念を持った人達が思い付きの口から出任せを言っているその意見に対して細木数子がズバリ狂ったことを言って古館伊知郎がテキトウな合いの手を入れるという吐き気のする絶望的な番組があって、好対照だった。
数字しか気にならないような人達が番組を作っているらしい日本においては、政治的に馬鹿でなければテレビで意見を言うことはできないのだということが実感できる。
馬鹿な意見はまとめるのが簡単だし、他の馬鹿な意見ででも簡単に反論できてしまうという特徴がある。
番組を作る人にまともな普通の意見を探し出してきてまとめるぐらいの能力が潜在的にも無いとまでは言わないが、その顕在能力は皆無だ。
然し報道の自由に関するマスメディアの議論などを見る限り、潜在能力の方も疑わざるを得ないかも知れない。

試しに誰か民放のテレビに出る予定のある人、チョムスキー風にでもデューイ風にでも、或はべつに他のでもいいが、兎も角議論の余地はあるが或程度の説得力を持ったような仕方で(そして勿論現代の問題につながる仕方で)教育について話してみるといい。
私は恐らく放送されないんじゃないかと疑っている。
恐らく放送局の中の誰もそんなまともな意見を求めていないのだろう。

オウケイ。
丁度年末と頃合いもいい。
ベートーベンでも聴くがいい。
我々は表現的自由を持っている。
希望を持とうじゃあないか。

2006/12/29

特筆すべきこと無し

或程度進んだ。

なんか今日はちょー眠い。
おお、もうこんな時間か。
ということで。
お休みなさい。

2006/12/28

ナラティブ懐疑論

昨夜未明、PC絶不調、挙動不審、ハードディスクの一つを認識しなくなる。
まあそんなに重要なデータを入れてるハードディスクじゃなかったのだけれど。
一応Cドライブは生きてたし。
恐らくはスタンバイ中に外付けハードディスクの電源を切ったのが不可なかったんだろう。
あれからおかしくなった。
まあなんか適当にいじってる間に回復したんだけど。
いじってる間に陽は高く。
ということで、本日幾らか消耗しております。


備忘録。
ナラティブ好きに対する反論に対する再反論として、マトリックス的懐疑論を更に進めたような、凄くできのいい地球シミュレーターの懐疑論というのをぼんやり考案中。
桶の中の脳の懐疑論はこの場合ヌルくって、人を絶望させるような懐疑論ではないかも知れない。
私が桶の中の脳かも知れないと疑うときには、「我々は主に脳で考えている」とか「脳は電気的に振る舞う」とか「これ桶だ」とかの信念を受け入れているし、その信念を受け入れるに至った自らの来歴に関する信念も受け入れていて、そうすることによってこの懐疑論は可能となるで、もしかしたらそこからデカルト的なやり方でも懐疑論を払拭できてしまうかも知れない。
デカルトの場合は我々の信念の織物全体を回復させるには証拠が余りに少な過ぎて自分が何を疑っているのか解らなくなるぐらいだったが、桶の中の脳の場合は結構いっぱいある。
或は、桶の中の脳第二版で、或夜私が寝ていたらイカレた脳科学者が私に気づかれず私の脳を桶の中に移して・・・(中略)・・・あの娘が今日冷たいのはあの娘が本物じゃないからだ。科学者め、ちゃんとプログラムを・・・(中略)・・・おのれ、目を盗みやがったな!・・・(中略)・・・いいえ、奴は大変なものを盗んでいきました、私の心です・・・(中略)・・・なんじゃこらー、撃たれたー、けどこれは本当の体じゃないので・・・云々、というような懐疑論の場合は、確かに或意味で絶望的だが、懐疑論の物語の警句的役割も今一つだし、ウィトゲンシュタインの出番を待つまでもなく、単に証拠不十分で棄却されるだろう。
マトリックスではちゃんと「外」に真なる肉体とか真なる実在世界とか本当の幸福みたいなものとかが周到にも用意されていたのだけど、新しい懐疑論の場合は我々シミュレーターの登場人物達の信念の正しさはデイヴィドソンの議論とか整合説とかによって保証されているのだ。でもそれは結局のところ、「ビット」とか「情報」とか「ナラティブ」でしかない、というような世界を考えてみよう、という話。
「中の」人は「外の」存在を知ってる場合と知らない場合があるねえ。
知ってる場合でも、一部の、人の不安を喰い物にする神秘主義者を除いては、「外の」人を絶対視することはないだろうねえ。
つまり自分達の自己を「外の」人の意識だとかに基礎付けることはしないだろう。
「中の」人の自己の偶然性は保たれる。
うーん、何の話だっけ。
或は我々がそのシミュレーターを外から観察している「リアルな」人であるとき、そのシミュレーターを止めたり酷い災害をシミュレートすることは倫理的にどうなんかいのう、という話とか。

なんか懐疑論じゃなくなってしまった。

うーん、あんまり私の論文の内容と関係ないのが痛いところだ。
結構面白そうなんだけど。
一寸繋げようがないなあ。
折角風呂の中で考えたのに。

てゆーか何やってんの、論文書けよ、私。

2006/12/27

お腹がギャバガい

「消去的唯物論てどうなん?」という話の流れで、現代人が「痛い」と民間心理学の語を用いるような場面で「ギャバガい」という、神経生理学の或記述を短縮した語を用いる未来人についての物語を考案した。
分析系の哲学をやってる人なら誰でも、私が何を言いたいのか一目瞭然なので、この物語は結構気に入っている。
読者は前もって結論を予感できるので、解り易いんじゃないかと。

未だ腹のユルさは完治せず。
行ったり来たり。
一寸腹がギャバガい。

2006/12/26

進展無し

特に何も進まず。
おう、ヤバイねえ。
そろそろ本格的にヤバイかも知れない。
やはりここは火事場の馬鹿力を信じて・・・。
って、こんなことやってるからいつまでもまともな論文が書けないのだろう。
やっぱりこういうものは、こつこつやっていかんと駄目なのだ。

2006/12/25

四股

何故かいろんなところが筋肉痛。
ギター背負った所為?
なんて貧弱な。
然し股関節あたりが筋肉痛なのは何故だ?
夢遊病で寝ながら四股踏んでるとか?

2006/12/24

リハ

大晦日にやるライブの音合わせをやってきた。
財布と携帯を忘れていってメンバーにスタジオ代を借りる羽目に。
最近はドジッ子キャラが板についてきた感じで。
できれば御免被りたいのだが。

大半がインプロから成る曲を、20分一発勝負。
元々ぶっつけ本番でやろうかと思ってたのだけど、一応事前に合わせておくことに。
決まり事を一つ付け加えたので、確認しておいて正解。
最近全然声を出してないので、歌の方はかなり逃げ腰な声に。
録音したのを聴き返してみると、演奏の方は、まあまあいい感じにイカレた感じに。
一寸ユルくし過ぎたかも知れないので、本番はもう一寸手堅くいってもいいかな、という感じで。

ライブは二つのバンド掛け持ちで出るのだけれど、どちらも狂った内容になりそうで楽しみな。

2006/12/23

げんしけん終わる

論文、ニ三言進む。
もう駄目だ。


げんしけんが終わった。
結構呆気ない感じで終わった。
一つの詩が完結した。
一つの枠組みができた。
我々は、一つの時代が形成されたところを見た訳だ。
今後恐らくは幾つも出てくるであろう、おたくに言及する種類の漫画は、全て『げんしけん』と比較される。

アマゾン→『げんしけん』、木尾士目

2006/12/22

若さ

序文を書いてるとこ。
因みに序文を書いているということは、今論文を書き始めたということも論文を大部分書き終えたということも意味していない。

必要あって、私が生まれた年に書かれたハーバーマスの論文を読み返している。
まあ私はドイツ語は、元々駄目な上に、知ってたこともガンガン忘れていってしまって、もうからっきし駄目なので、翻訳の方を読んでる訳だが。
結構気に入っている論文なんだが、これ私が生まれた年に書かれてるんだなあ、と、驚く。
今回私が書いてる論文の参考文献にも私が生まれたぐらいの年に書かれたものが結構混じってる。
あー、私は若い。

若いっていいなあ。
自分が若いことに満足できるビミョウなお年頃。

2006/12/21

呪ウィルス

最近腹がユルい。
最近流行の、そいつに罹ると腹を下して動きがノロくなるというあのウワサのウィルスか!
まあ寒くなったからねえ。
いろいろユルむさ。
脳とか、脳とか、あと脳とか。

2006/12/19

血行

1000字ぐらいは。

ワインを呑んで風呂に入る。
血行が良くなる。
普段より多めに回っております。
なんか喉が渇くねえ。

2006/12/18

Ctrl+S

100字ぐらい進んだ。
・・・。

最近、Windows、ブルースクリーンになることが多い。
まあ論文の方は、こマメに保存してるし、Wordの復旧機能もあるので、殆ど損害はないのだが。
てゆーか殆ど進んでないし。
・・・。

2006/12/17

翻訳メタファー

重要なのは、翻訳のメタファーが・・・。
なんだっけ。

という感じで殆ど進まず。

無駄に、只ぼんやりと、固まったまま、時が過ぎる。

2006/12/16

ヒラメ筋

寝てたら足痙った。
朝方。
ヒラメ筋の辺り。
驚きの痛さ。
まあ昔サッカーとかやってたときには結構痙ったので、こういうもんだというのは判ってはいるのだけれど。
大体痙るタイミングはその直前になれば判るので、幾らでも対処のしようはあるのだが、今回はどうした訳かイマイチ上手く対処できなくて、結構深く痙ってしまった。

ミネラル足りてないんかなあ。
寒さで血流がイマイチうまくいってないとか。
水分はまあまあ摂ってるしなあ。

その後なんかやたらと体が苦しくなったんだけど、余りに痛くて無意識に息でも止めてたのだろうか。

2006/12/15

発掘あるある論文

なくした論文、学校で探すも、無く。
いけてんのか大学図書館、などとふてくされる。
私はそもそもそれをどうやって手に入れたんだ?

帰って、一応もう一度、私の部屋の論文を溜めてるところを探してみるが、矢張り無い。
捨てて了ったのかも知れない。
愚か也。
絶望的な気分になる。
絶望的な気分になりながら、部屋中を探してみる。
漫画を放り込んでいる段ボール箱とか。
工具やらなんやらが混沌と詰め込まれている箱の中とか。
色々探す。

ああ、あそこかも知れない。

あった。

昔使っていた鞄の中にありました。
ああ。
勉強熱心な(?)私。

2006/12/14

Live with Yukichi

特には進まず。
明日の用意をさっさと済ませて、適当に論文の幾つかにナナメに目を通した感じ。

ワタクシ、大晦日にライブすることになってるんだけど、情報筋によると、どうやら私はその日に財布の中の諭吉さんを一人程処分しなければならないようだ。
くっ、効いたぜ、なかなかいいパンチだ。

諭吉曰く、ペンは剣よりも強し、と。
マシンガンピッキングはマシンガンより強し。
諭吉さんの(オーメン経済に)与える影響力は強い。
一万円ぐらい強い。
彼を失ったことは忘れない。

まあライブの方はなかなか夢膨らむ感じなんで、論文が結構ヤバイ。

2006/12/13

論文紛失

読むべき論文を紛失してしまった。
学校行ってまた取ってくればいいんだけど、大事な部分とか、色々書き込んだりしてたのに。
まあまあ困る。

家を色々探していると、昔取っておいた論文が色々出てくる。
而も結構使えそうな。
然し今から全部をまともに読んでる暇は無いしなあ。
うーん、でも一応ナナメに目を通すぐらいはしておこう。
時間が無ぇ。

2006/12/12

ナラティブリペア

肺がなんかイヤな感じに。
冬の寒い日にいきなり全力ダッシュしたときのような感じに。
私の肺胞死んでんじゃねぇか?

最近生活リズムの調子がいいので、今日も早く寝よう。
すべきことは山ほど残っているが、まあどうにかなるさー。
明日があるさー。
明日にもその明日があるさー。
その次の日も、その次の日も。
そしていつかドボンを迎える訳で。

取り敢えず、「やろうと思っても結局何もしない」という傾向分析自己記述ナラティブから私自身を解放しよう。

2006/12/11

乾燥

30分のつもりで寝たのだけれど、起きたら朝でした。
部屋が乾燥していて、喉はカラカラ鼻はカリカリ。
うーん、ズンと頭痛い。
風邪ひいたような。
熱はないみたいなんで微妙な感じ。

2006/12/10

胸焼け

変なもの喰ったかのような感じで腹や胸の辺りの調子がイマイチ優れず、一日苦しむ。
胸焼け?
二日酔いするほど呑んでないので昨日の酒はあんまり関係ないと思うけど。
兎も角、そんな感じで論文進まず。
唯論文の見取り図が幾らか充実したのみ。

2006/12/08

早寝

久しぶりにまともに飲酒した。
アルコールに加え、ここ最近の睡眠不足もあって、非常に眠い。
ということで、もう寝ますよってに。
今日の早寝によって、生活リズムが回復することを願う。

眠い話

眠。
昼夜逆転生活を矯正中。
起き続けた。
赤い彗星の如く眠い。
つまり三倍眠い。

まあそんな感じで。
特筆すべきこと無し。

2006/12/07

冬眠暁ばかり覚える

なんか昼夜逆転が固定化されてしまっていて、そういう意味で一定の生活リズムを刻んでいると言えなくもない。

そろそろ冬。
酸欠になり易い季節。
息を一つ吐くにも仰々しい。
牛乳と日光が必要。
私の神経は、熊のように冬眠をするので、人間社会で生活するには少々厄介だ。

2006/12/06

綿菓子

論文余り進まず。
要約の図表を作ってみたが、役に立ってんのかイマイチ判らん。
無印で買ってきた綿菓子をワシャワシャは食みながら、今後の方針を練る。
うーん、取り敢えず、生活習慣を。

2006/12/05

ビタミン

作業は特に進まず。
取り敢えず生活習慣をどうにかしないと。

寒くなったので、暖房を入れるべく、ヒーターの上に山積みにされていた本など片づける。
もう私の部屋の収納の限界は既に突破されてていたようだ。
色んなところの上に色んな物が乗っている。

ビタミン剤を呑んだら、鼻の奥がえらいビタミン臭いような感じになる。
まあおかげで回らなかった首が一寸はマシになった気もするが。

2006/12/04

無為2.0

特に何をするでもなく。
腑抜ける。
今日読もうと思っていた物も読まず。

生活習慣がえらいことになってて、それを調整中。

2006/12/03

無為

特に何もせず。
昨日買ってきたCDなど聴きながら過ごす。
特筆すべきこと無し。

2006/12/02

書を捨てて、町へ出て、CDを買おう

兵どもの夢の跡。
でも、よく頑張ったよ。
あんな暗中模索だったところを。
薄暗中模索ぐらにまでできたかと。

発表が終わったんで、自らを労う為に、書を捨て置き、街へ繰り出す。
タワレコのポイントカードの期限がやばかったので、久しぶりにタワレコに寄り、CDを沢山買う。タワレコのポイントカードの期限を気にしたのは初めてかも知れない。

先ずはロック。

キーン。
ギターレス。キーボードが音の中心。
ドラムが昔のレディヘみたいな音で、結構前に出てる感じかねえ。
決して悪くはないが良くもない。

マーズヴォルタ。
ドラムの音がスピード感があって結構好かった。
ドラムの話ばっかり。私ギタリストなのに。
以前から大して路線は変わらず。

クラシック。

ラトルのシェーンベルク。
ラトルは音楽を何でも解り易くすることができるんで、彼については、お軽い楽しい感じの音楽を演らせれば右に出る人はいない、ぐらいの感想を持っていたので、「ラトルがシェーンベルク?」みたいな感じで買ってみたんだけど、うん、ラトルっぽく非常に解り易い。
好かった。
彼はすげー指揮者なんだということがよく解った。

ワッツのリスト。
ワッツの技巧が兎に角凄いってことが判った。
それはそれできれいなんだけど、リストの音楽についての彼の解釈は余り好きくない、ということもよく解った。

フォーレの、グラモフォンから出てる、CD2枚になんか色々入ってるやつ。
ジュリーニという人が指揮してるレクイエムも入ってたのだけど、やっぱコルボのレクイエムが凄いってことを強調するのに役に立つ、という感じだった。
他は全体的に結構好かった。
小沢征爾が意外に好かった。

メータのベートーベン第九。RCA?
なかなか満足のいく第九の演奏を持ってなくて。
特に第一楽章全体と第四楽章の合唱に入る前のところ。
で、「メータがベートーベン?」みたいな感じであんまり期待せず、まあ安かったんで一応買ってみたんだけど、こりゃヤバイ。
最初の方は、「あーやっぱメータはロマンっぽいねー。緩いねー。ふふーン。」みたいな感じで聴いてたのだけれど、聴いてるうちに、残念なことに、非常に残念なことに、顔面から様々な液体を垂らす羽目になってしまった。
バイナウ。

あとはなんかガムランとかの民族音楽の資料的CDを何枚か。

そんな感じで。


アマゾン→Keane, "Under the Iron Sea"
アマゾン→The Mars Volta "Amputechture "
アマゾン→Shoenberg by Rattle: Erwartung/Chamber Symphony no.1
アマゾン→Liszt by Watts: Famous piano works
アマゾン→Faure, Panorama
アマゾン→Faure by corboz: Requiem
アマゾン→Beethoven by Mehta: Symphony no.9 in D minor, "Choral"