2011/11/15

When the levee breaks, we 99% will have no place to stay.

少し一般化して言ってみよう。
人を殺す自由も一つの自由だ。
但、それは適用されるべきではないということが誰の目にも明らかである種類の自由であり、取り立ててその価値を再考しなければならない程のものでもない。
自由の中には適用すべきか適用すべきでないか、価値があるか価値が無いのか、倫理や道徳に適うのか適わないのか、有用であるか無用であるかがビミョウなところにあるものも沢山あるし、恐らくは殆どがそうだろう。
我々は色々な自由の中から何が採るに値する自由なのかを判断乃至選択しなければならないし、場合に拠っては新しい自由を創造しなければならない。
また常にその為の議論の余地はある。
選択の基準として「他人様に迷惑を掛けない限り」という指針が有名だが、それは数多くの(ときに相反する)指針の内の一つに過ぎないと私は考えている・・・が、このことについては暫く問わず。
自由とは、他の総ゆるものがそうであるように、人間を無関係にして「真なる一なる世界」に拠って予め規定された不可謬な真理でもなければ、その御前に額づいて直視することの憚るべき何か神聖なものでもない。
「自由」という字面や言葉の響きに騙されて無批判に諾々と受け入れないで欲しい。
例えば「自由貿易」ひとつ取っても色々な種類の「自由」があり得る。
或文脈で「自由貿易」という言葉が出てきたとして、そこで謂われている「自由」が実際にはどういったことを指すのか、それが採るに値する自由なのか、よく検めてみる必要は常にある。

TTPに因って、環太平洋のどこの国のどこの地域の人間でも平等に暴力や貧困から遠ざけられたり例えば現在の日本の平均的な医療や教育や生活水準を享受できるようになるなら誰も大した文句は言わないだろう。
或はグローバリズムパワーか何かでタイの(HDD工場だけでなく)必要な箇所により高性能な堤防を築き、水没地域の排水を速やかにできるようにでもなるのか?
然し実際には、the 1%達やそれに類する者がアメリカの半分より幾らか多くの比率とその他の環太平洋地域の恐らくはもっと大きな比率の富を独占することをより楽にするだけではないのか?
これは一体どういった種類の「自由」なんだ。

日本政府はここでもまた防波堤の役目を放棄した。
いつものことだと言って諦念顔をするには余りに取り返しがつかな過ぎるのではないのか。


防水仕様の安いノートPCとかあればいいのに。
或はAndroidのとかiPadとかのタブレットコンピュータ。
生活防水ぐらいでいいのだ。
風呂で使いたい。
と思ったら、iPad用の防水ケースとかあんのね。
イヤホンも使えるっぽい。
一寸タブレットが欲しくなってきた。


そういや日本橋、主な電子パーツ屋(マルツ、千石、パーツランド、共立)が結構近いところにかたまっているのな。
楽でいいや。