2010/03/20

持って回った言い方

皮肉を言う為に、わざわざ曖昧で遠回しな言い方をするのも一つの手法だ。
或はちゃんと書くのが面倒臭いということを隠す為に、皮肉を言った風を装うのも一つの手法だ。
私は大抵後者。
気を付けるように。


我々が我々自身、民主主義の徒であることを望むなら、例えばアグネスチャンがどんなに間違っている(と我々が信じる)ことを主張しようとも、彼女が彼女自身正しいと信じていることを主張している限り、彼女の口に蓋をすることは許されないばかりか、彼女の口に蓋をしようとする人から彼女を守らなければならない。
若し我々が我々自身民主主義の徒であることを望むなら、彼女もまた言論の自由やら表現の自由やらを持っているとみなさないことには始まらない。
彼女の主張について下らないだとか間違っているだとかと主張する権利を我々が持っているのと同じだ。
序でに自分自身間違っていると信じている嘘を主張する権利は無いだろう。
それは「権利」という語の語意に反するように思える。

そうやってやっと、「広く会議を興し万機公論に決す」為の、その前提条件の一つを揃えることができるのだ。
若し彼女が彼女自身民主主義の徒であることを望むなら・・・そんなことはどうすれば可能なんだろうか・・・。
ああ、ニュースピークか。

条令に非常に大きな恣意的解釈の余地を空けておくことでいつでも脅しに使えるようにしておいたり(口に蓋)、存在の確認されていない因果関係を宛も疑いの余地無く存在するかのように扱うことで(嘘)、多くの都議会議員達もまた自分達自身、民主主義から背を向ける為の道をせっせと切り開こうとしているようだ、ということが最近ネット上で報されている。
下らな過ぎて腸捻転でも起こしそうだ。