2008/03/25

Vested Interests First

ホームページができたそうなので、それを記念して。

Culture First
Vested Interests Firstの間違いじゃなくって?
結局実質的にどうしたいのかが全く理解できない。
iPod課金制度で既得権益を更に拡張しようとしているということ以外は。
彼らの考えていることは、文化についてではなく、結局のところ自分の老後の暮らしがどの程度より贅沢にできるのか、ということだけなんじゃないのかと疑ってしまう。

得た金で、文化の新しい担い手を育成するのに使用することを宣言している訳でもなく。
例えば小学校の図書館にツェッペリンのCDとCDプレイヤーを買ってあげるとか。
奨学金にするとか。
貧しい国の「人間の安全保障」の発展の為に何かするとか。
そんな活動では全くない。
既存の知的財産権をより現代的なものにしようという運動でも全くない。
例えばどうすれば創造的な芸術家が創造的に活動でき、それでいて経済的にもうまくいくようにできるのかといったことを研究する訳でもないし、ちょろっとでも考える訳でもない。
要するに実際にしていることは、私的録音録画補償金制度推進運動唯一点のみだ。
そもそも私的録音録画補償金制度で発生する金がどこにいくのか、どう使うつもりかということについても全く触れられていない。
因みに私自身は、私的録音録画補償金が芸術の発展に使用されるのなら何も文句は無い。
例えば上に挙げたような用途に、その効果のちゃんと期待できるような仕方で使用されるのなら。

彼等のやっていることがどうやったら未来の文化についてのそれなりにまともな希望に繋がるのか、私には全く理解できない。
そもそも「はじめに文化ありき」の意味が説明されていない!
「はじめ」とは何に先行しているのか、何の「はじめ」なのか?
「文化」という語で何を指しているのか?
それに「はじめに文化ありき」と「私的録音録画補償金制度」との関係は?
補償の正当性と有効性は?
例えば違法コピーが減少すれば本当は金を受け取るべきだった人がちゃんと金を受け取ることができるようになるの?
それはどのくらいの金額と計算できるの?
そして本当にその人に金を渡すべきなの?
何も説明されていない。
てゆうか、著作物や著作権(特に音楽は!)と経済活動との関係において他に見直すべき点は山程あるんじゃないかと思うのだが。

行動理念について見てみよう。
「文化の振興こそが、真の知財立国の実現につながることについて、国民の理解を求めるとともに、その役割を担っていくことを表明します。」:
「真の知財立国」が具体的に一体どういったものなのか、どこにも書かれていない。
それはLinuxやコピーレフトのソフトウェアを無視する国のことかも知れないし、糞みたいなCDが3000円もするこの国のことかも知れない。
創造的な芸術家が喰えず、名ばかりの「アーティスト」が使い捨てにされ、大手流通や知的財産権の管理代行業者がより楽に、そしてより安定的にボロ儲けすることができるような国のことかも知れない。
これだって知財立国だ。
「知的財産」に芸術的創造性は特に必要無い。
或はCDを買った人がそのCDを買うことでそのCDの著作者に対する支持を表明しかつその著作者に対して経済的援助を与えているかのような錯覚に陥らせるような国のことかも知れない。
勿論、芸術家が育ち、人々が多様な美を受け入れ可能な状態にあり、また人々が創造的であり、他者に対する想像力に富み、思想や私的領域における性的嗜好によって人を差別しないようなまともな国で、かつ経済活動もうまくいく仕組みを持った国のことなのかも知れない。
まあどうせ何も考えていないんだろうけど。
当然「文化の振興」が一体何を指しているか、どういうことをするつもりなのかは書かれていない。
まあどうせ私的録音録画補償金制度のことを指してるだけなんだろうけど。
そして、「文化の振興」がどのようにして「真の知財立国の実現」につながるのか、結局具体的なことは何一つ書かれていない。
因みにこれをまともに表現しようとすると、恐らく論文が一本書けるだろうというそれなりに難しいテーマだ。
だからといって何も書かないのでは何も解らない。
騙され易い人が只ぼんやり「はあ、そんなこともあるもんかなあ」と思うということが期待される、という程度だ。
そもそもまともな説明の無いものにどうやって理解を示せと仰るのだろうか。

「経済の発展や情報社会の拡大を目的としたどんな提案や計画も、文化の担い手を犠牲にし進められることのないよう、関係者並びに政府の理解を求めます」:
文化の担い手とは我々人間のことだ。
人間の中に文化の担い手でない者など居ない。
そもそも誰かが犠牲になることが解っている提案や計画が推し進められるのなら、それには誰であっても当然反対すべきだ。
然し「文化の担い手」としての我々と、例えば「道徳的存在者」としての我々は、まあ根は同じかも知れないが、一応区別して記述ことが可能だ。
つまり「文化の担い手」は「人間」というよりは「文化的活動に従事する者としての我々」だ。
文化的活動に従事す時間があれば家畜の如く働いた方が例えば国民総生産量が増えると期待されるから、てめーら豚みたいに働けや、といった提案に反対する、というなら、勿論私もこれには大賛成だ。
或はまさか、「文化の担い手」という語でほんの一部の著作者のことを意味しているなんてことはないだろうね?
まさか、「ネットとかなんか発展してるみたいで違法コピーもなんか防げないらしいし、取り敢えずなんかiPodとか儲かってるみたいだし、どうせおまんらコピーしてネットに流すの分かってんだから、そこからコピーの補償金とか取ったらいいんじゃね?一寸政府に圧力かけてくるわー。」と言ってるのではないよね?

「知財先進国の経済発展を支えるのは、市場を賑わす種々の製品だけでなく、文化の担い手によって生み出される作品やコンテンツの豊かさと多様性でもあることを強調します。」:
上の「経済発展」と「作品やコンテンツの豊かさと多様性」との実際の関係が私にはよく解らない。
作品やコンテンツが豊かで多様性に富んでいることが知財先進国の経済発展を支えるという訳だが。
この「作品やコンテンツ」が何らかの「売り物」だと考えるのでなければ、こんなことは多分言えないよね・・・?
少なくともその多くが「売り物」でなければなければならないように思えるのだが。
どうだろう?
「作品やコンテンツなどの創作物を単なる「もの」としか見ない我が国の昨今の風潮を改めるべく云々」と書いてあるが、彼等はどうなのだ?
てゆうか「単なる「もの」」って何?
売り物も物理的対象も創作物もまあ兎も角「もの」ではあるよねえ。
例えば「人間は単なる「もの」ではない」という主張は普通は「人間は単なる物理的対象ではなく、道徳的存在者であり道徳的に扱われるべき存在なのだ云々」というようなことを言ってる訳だ。
然しこの場合どう解釈すればいいのだろう。
連中は創作物を単なる売り物としか見ないでやんの、ということだろうか?
若しそうすれば、彼等の主張は殆ど矛盾してはいないか?
或は多くの場合は「売り物」として見てもいいけどごく希にそれ以外の何かとして見てもいい、ということだろうか?
或は売り物であるかないかに拘らず、作品やコンテンツなどの創作物が豊富で多様なら知財先進国の経済が発展するという何らかの理論があるのかも知れない。
その理論をどうか提示して呉れ。


「文化を守り、育てていくために。
いま、何が必要か。何が起こっているのか。
私たちはCulture Firstで、考えます。」
とあるが、結局何も考えていないということはよく理解できた。

「文化=Cultureが重要視される社会の実現を求めます」とあるが、求めると言うだけなら只だ。
そういう社会の実現を本当に目指すなら、もっとちゃんと考えにゃならん。
彼等のようにぼんやり思うだけなら、より悪くなること以外は何も変わらない。
まあ実際は何も目指してないからそれでいいのか。


オウケイ、しょうがないので私が代わりにCulture Firstについて考えてあげよう。
はじめに文化ありき:
人間は、社会の中に「人間」として生まれ落ちる。
単なる動物としてではないし、「もの」とか「物理的対象」としてでもない。
我々を人間として扱うという文化を既に持った社会の中に、人間として、つまり道徳的に扱われるべき存在として生まれるのである。
文化は言語的に表現され得、表現的自由とは・・・云々。


一応、古いけど、スラッシュドット

あとITmediaの記事とか。
私のと論旨は違うが。


そういやGIGAZINEの児童ポルノ関連もう一個
序でにスラッシュドット
日本もこうなるんだろうなあ。
嫌だな。

あいつはオタクだから性犯罪を犯す可能性が他の人より高いに違いないとか素面で謂われるようになるんだろうな。
あいつはロリコンだから気を付けろとか。
ロリコンは不治の病で再犯率(何の?)が50%だとか。
あいつは精神病院に通院してるから近づくなだとか。
パラサイトは引き籠りでニートで、なんか兎に角社会の役に立ってなくて、キレて家庭内暴力だー、とか。
若者はなんかみんな自分以外は馬鹿だと思っていて、すぐキレるとか。

それで児童ポルノ撲滅にロリコン排除がしれっと組み込まれたり。
地元に精神病院が建つことに反対する市民運動が起こったり(ああ、市民よ!)。

私も、あいつは漫画(と音楽も入れといて欲しい)オタクだし、声もなんか聴き取り難いし、見た目と目付きと態度と頭が悪いから、近づいたらなんだかヤバイ、ぐらいに思われてるかも知れない。
なんだか臭い、とか。

そして誰もいなくなった。

日本は、他者を排除して個別化していくんだろうなあ。
などと感じなくもない昨今。

まあ私は元来孤独が持病だからあんまり変わらないけど。


芸術に陽が当たる日は未だ遠い。
芸術家がアレじゃあ、もう全然駄目だ。

こういったことについて、芸術にできることは非常に沢山あると思うのだが。

Ecce Homo。