2012/02/29

Freedom Evoらないves

古くはスペンサーが思い付き、近くはE.O.ウィルソン辺りが(間接的に)人柱となってモヤモヤを明確化したおかげで議論がはかどり、どこがどんなけ悪いかが一層明確になってからというもの、とっくの昔に打ち捨てられたと思ってた社会進化論なんだが、その一番ダメなヴァージョンのが巷間のサブリミナルにいよいよ流行しているように私には見える。
実際どうなのかね・・・。
実際そうだったとして、何がこの流行を引き起こしたかってのに少し興味がある。
けどその話はまた頭がまとまれば。
とっ散らかってるからね。
てことで、以下私の頭のとっ散らかってることの他の好例。

生物進化論のスキームを使った種類の「進化」ということで言ってる「進化」は「進歩」を含意しないことと、あと適応や進化にはそこそこ多くの時間が掛かることがよく忘れられがち。
生物進化論のスキームを使うなら、或ものが進化したということのみからそれが善いものになったなんてことは少しも導き出せないし、「それは適応している」ということそれ自身が「それは善い」ということを少しも含意していない。

休火山が突如噴火して今まさに焼けつつある森の中の生き物達がその燃え盛っている状況に「適応する」という考えが馬鹿げていることは誰にでもすぐ判ると思うんだけど、人間社会についての文脈でパッと(ダーウィン風の)「進化」とか「適応」とかが出てきても疑問に思う人は少なそうに思える。
「進化」とか「適応」という語が必ずしも生物進化論のスキームを用いたものとしての「進化」や「適応」であるという訳でもないので、まあややこしいかね。
単に前と比べて良くなったことを「進化」とも言うし、単に状況により合うようになることを「適応」と言うし。
うーん、「進化」とか言った本人の意図も曖昧だしそれを聴く方も曖昧な感じで、イロイロアレコレを経て結局変な社会進化論が出来上がってるという感じ?
あと変な功利主義も混じってる気がするんだよなー。
功利主義そのもののおかしさに加えて更に「最大多数の最大幸福」の二つの「最大」の使われ方のいつもより増してビミョウなヤツとかご都合主義の更に進んだヤツとか、まああと時間の概念の欠落したヤツとか。
貧民ジェノサイドか人口爆発で全て解決する感じの「最大多数の最大幸福」。

我々人間の生産手段だとか社会的ルールだとかが、例えば刻々と変化する社会的状況においてその時々に合わせてどういった訳か進化的に適応する、なんて馬鹿げた想念は社会進化論の飛び切り低級なヤツにでも投げ与えてどっかに遣ればいい。
まあ低級でなくても私の知る限りの殆どのヴァージョンの社会進化論は多かれ少なかれ、生物進化論そのものへの誤解とその用語の適用の仕方における誤解の両方に依って成り立っているように見えるんだけど・・・。
どうかね。

あ、まだ色々書けそう。
でも眠い。