2007/01/11

青空文庫、著作財産権、正当な権利団体

青空文庫著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名運動を始めた。
著作人格権ではなく、或著作物に対して、それを読んだり聴いたり観たりというように利用するのに、対価を要求する権利(著作財産権)を、著作者にその権利を譲渡された者が、著作者の死後50年間保有することが認められてきたのを、70年に伸ばそうという権利団体の格好をした利権団体とアメリカ政府の要請に対し、それを認めないように日本政府に要請するのに国会に署名を提出する為の署名活動。

なんかバナー貼ってくれと書いてあるから貼っておこう。


簡単に言うと、自らの巨体を活かして今まで著作者の権利を巧みにかっぱらってお腹いっぱい喰ってきた人達が未だ喰い足りないと言ってるのに対して、あなたもう十分でしょうという署名活動だ。
まとも民主主義にコミットしている市民なら、今までさんざん儲けてきた人がお金を更に得る為のシステムよりも、未だお金を儲けていない芸術家や著作家達がより自由に創作活動に従事できるようにする為のシステムにコミットすべきだということは一目瞭然に判るだろう。
確かに権利団体の保護は著作家達にとっても著作物の享受者達にとっても当然重要であるし、その団体が他人の著作物を自分の懐を暖めるだけの為に利用するだけの団体、言い換えると他人のまわしで相撲を取ってるだけの団体であるとは私は決して思わない。
然しそれは、その団体が後者のシステムとして機能しているときに限られる。
それから他国と連携することもまた大事だが、それは正義に基づいているときに限られる。
おさるのジョージが戦争を始めたからといって、単にそれに歩調を合わせる為にそれを支持するのは、単に愚かな行いであるに過ぎないことを思いだそう。
我々は議論することができる
それは他者の明らかな愚行を諫めることができるということも含意している。

私は最近、余りにも簡単に他者に委譲できてしまう(それによって余りにも簡単に著作者の利益が搾取されてしまう)著作財産権という考えを捨てて、著作人格権に根差した形で、それでも芸術家が生活していくことを可能とするような団体の形成の可能性について結構真面目なアイディアがある。
希望の無い左翼知識人は健全な左翼知識人とは言えない。
それは私のような知識人候補生(私は結局候補生止まりだったが)にも言えることだ。
そのアイディアは、規模がでか過ぎて、そして詰めが甘すぎて、未だ十分な実現性を持ってはいないが、もし我々著作家で芸術家で著作や芸術の享受者で潜在的に著作者となる可能性を持っている者達、即ち市民全体が、十分に芸術と自由について希望を持って団結することができたなら、私のアイディアは現実味を帯びてくる。
・・・詰めが甘くて問題があるので一寸恥ずかしいし、眠いので、その内容についてはまた今度、気が向いたときに。