ハイチュウを食い過ぎだ。
あれは、一つ食べたら止まらなくなる。
睡眠改善薬を咽んだから死ぬ程眠い。
一寸考えたことがあって、メモしとこうと思ったけど、無理だ。
やべー。
・課題その一。
私のようにローティ的な「連帯」を強調しようとする者は、倫理学において、なんだかんだいろいろあって(眠いので省略)、「人間であること」とか「それが人間であるということを認める」というようなことを凄く重要視する訳だが、それが何故重要視すべきなのかとか、何故議論の中心に「人間である」に据えるのかについて、より詳細に説明しなければならないし、「人間である」が何故重要なのか、もう少し理論化した感じで説明したいところだ。
序でに「「人間である」ということで何を言わんとしてるのか」というような感じの質問に答える解答を少し理論化したいところだ。
あー。
あー、自分で何言ってんのか全然解んねえ。
・課題その二。
情念と理性とを分けるヒューム的な議論の仕方に対して、一定の評価をしつつも、倫理にまつわる行動とか心的状態とか態度とか信念とかについて、それが理性か情念のどちらかであることが一意には決まらないこともあるだろう?とか、理性と情念に完全に分析したり還元したりはできなかろう?とか、情念についての記述を生み出すにも理性が必要だったりして、情念が先とか後とかいうことがキッチリとは判断できないんじゃね?というようなことを言うことによって、まあ色々紆余曲折あって(ちょー眠いのでガッサリ割愛)、プラグマティズムの真理概念の話を「反権威主義としてのプラグマティズム」の話に限定しない、もう少し積極的な倫理判断を生み出すのに役立つ、という可能性について考える?んだっけ?
・課題その三。
何あった筈なんだけど、眠くてもう忘れちゃった。
やべー、眠い。
慥か、政治参加と正当化との関係について色々ごちゃごちゃ考える。
個人の中でも理想(についての記述)を多元化したり多層化するとかいう話だった気がする・・・。
これ多分重要。
重要だと私の中の何かが言っている。
ダイモン?じゃあもうダイモンでいいや。大門さん。大文字の大門さん。
あれ?なんで「についての記述」が丸括弧に入ってんだっけ?
・課題その四。
これらをなんだかいい感じに結び付ける・・・。
もうだめだ。
頭的な何かがまわらねえ。
否、まわってんのか?
かおす。
なんとかとろふぃー。