2008/12/10

目線

嫌なことばかり考えているのか、或は考えたこと全てが嫌なことのように思えるのか判らない。
目線を上げるのが辛い。
光も音も煩わしい。
多分これは悪いことだ。


私の好きな漫画家が体調不良で無期眼の休載になった話。
「かんなぎ」の武梨えり。
取り敢えず→GIGAZINE
非道いな、どこのミザリーだ。
若し作者の、気に病んでのことなら、まあ気に病むことはないとはないと思うんだけど、まあ気に病むものなんだろうなあ。

なんだか最近、ここ2巻分ぐらい、私の視点からは、只の萌え漫画みたいな感じになってしまって、私の感じていた良さについては精彩を欠いているように見えて、どうかなと思っていたところなので(或は萌え的には多分寧ろ成功していたのだろう)、まあ確り休むなり悶えるなりして、良くなって頂いて、早く続きが読みたいものだ・・・。

私の感じていた良さというのはつまり・・・。
例えば、若い衆の祭りか何かの用意などでワイワイと忙しくしているのを、或達者な老人がぼうんやりと眺めているとしよう。
その老人は、そのときその祭りの準備について自分の立場を関連付けて認識していて、それを受け入れて、何かしらの満足したような心持ちになるのだ。
その老人の満足について考えてみて呉れ給え。
解らないだって?
うん・・・、私も解らない。
言葉にし難いなあ。
兎に角、何か静かな、キラリと光るものがあったんだ・・・。
否、最近のでもたまにチカチカしていることはしているんだけれど。

私がもう少し頭がマシなら或は何か言えたかも知れない。


嫌なことばかり考えている。

面白いことでも考えよう・・・。

例えば。
私は漫画は買いまくっているが、フィギュア的なものを殆ど持っていない。
顔が私によく似ているということで友人に頂いた、「おじゃる丸」の星野さんのキンケシみたいなの(これもフィギュアというのか?)が、スピーカーの上に一体乗ってるぐらいだ。
ああ、よく似ている。

フィギュアを買わない理由は、まあそれ程欲しいと思わないという趣味レベルの理由や、或は一度買い出したら私の蒐集癖の所為で高くつきそうで敬遠しているという金銭的な理由や、そもそも買っても置く場所が無いという理由があるが、一つには、人の形をしたものの目線が嫌だという理由がある。
私の部屋には他にもピカソ展か何かで買ってきた人物画のポスターが貼り付けてあるが、あれはそれ程気にはならない。
キリスト教徒には、部屋にイエスの磔になっている像を掛けておく者もあると謂うが、あれは常に父やら子やら精霊やらの目を意識することで自らを戒めるという効果を狙ってのことなのだろうか。
私なら裏表逆向きにでも掛けそうだ。

・・・。
ああ、少しは楽になった・・・。