2007/05/08

安全保障の為その国へ、武装して。

サルコジが勝った。
そいつは驚きだ。


人間は人を殺したことの責任を十分な形でとることなどできない。
それから、人は見識らぬ人1565人の死者と1566人の死者とがそれぞれ含意していることの違いを認識することができないだけでなく、恐らくは、15653人の死者との違いも認識することができないだろう。
交戦とは、人に人を殺せと命じさせ、そして命じ、その命令通り人を殺し、そして人が殺され、或は自らの仲間を殺されうる状態に置く命令を命じさせ、命じ、そして仲間をその状態に置き、或は殺される等々、といったことを含意している。
「戦争」或は「軍隊」といった言葉は、これらのことに対する想像力、或は交戦する者や殺された者の一人の人としての物語についての想像力を必要としないで使用することができる非常に便利な言葉である。勿論皮肉を言ってるのです。
この世の誰が、或はどのような組織が、人に人を殺せと命じるような権限を、正義に適った仕方で持っているのだろうか。
或は誰が、そのような権限を持つべきと言えるのだろうか。
勿論反語です。

他国と足並みを揃えることは重要である。
但しそれは、正しいことについて足並みを揃えようというときだけに限られる。
地球の環境破壊を止めようと各国で足並みを揃えるということは正しいことで、従って例えば京都議定書を批准したり未批准の国に批准を進言したりするのは概ね正しい「足並み揃え」行為と言えよう。
同様に交戦権や軍の保持について憲法に明記することについても各国で足並みを揃えることは善いことである。
どこかのテレビ番組で改憲論者の国会議員のセンセイが「こんな交戦権の否認なんてことやってんの日本だけですよぅ。」というようなことを言っていた。
まさにその通り。
つまり戦力の不保持や交戦権の否認を他国に呼びかけることも正しい足並み揃えと言える。
或は各国で足並みを揃えて非武装でイラクの復興支援をすることも、恐らくは正しいことだろう。

序でに言っておくと、ディズニー風70年著作権に反対し、その放棄を他国に呼びかけることも正しい足並み揃えである。