ノイトリックのコネクタはよいねえ。
機構が。
安心して使える。
因みに音は、判らんのだが。
特にギターシールドに使用する物に関して、コネクタの違いに因る音の違いというのが私には判らんのです。
どうしようもないものを使っているのでなければ。
オーディオ機器の音質の話には、神経と金の使い過ぎに思える話や、「神経を使う」=「金を使う」となってしまっている話や、神経と金の使い過ぎで色々な感覚がおかしくなってしまっている話や、似非科学や、悪意のあるとしか思えないような嘘っぱちがかなり多くて困る。
こういったことは、価格.comのレヴューだけでなくサンレコやギターマガジンなどにすら見られるものだ。
自分を実際よりも「違いの判る」人物であるように見せようだとかちょっくら荒稼ぎしてやろうだとかいった心情から生まれる有用でない情報から本当に有用な情報を区別するのは、結構難しい。
またこういった心情は誰もが持ち得る(勿論「誰も」には私も含まれている)というのも厄介だ。
まあ音楽のレヴューとかも同じように厄介なのだが。
「評論家」ということになっている者に関して、私は「こいつは今まで生きてきた中で一回でも真剣に「音楽」というものについて考えたことがあるのか」と疑問に思うことが多々ある。
騙すテクニックさえ知っていれば、うっかりやさんを騙すことは簡単だ。
大阪の歴代知事とか。
まあそれは兎も角。
まあそういうことで、ノイトリックのコネクタの機構が良いという話。
ギターシールドは、他のケーブル類と違って動き回るものと繋がっているし抜き差しも頻繁な方なので、特にケーブルとコネクタの接合部など弱いところは、壊れ難い機構を持っているものの方が安心できる。
まあ普通のコネクタでも半田付けしただけでなく何らかの方法でケーブルを固定しようとしていることだし、また壊れる頻度から考えると「今壊れたらヤバイ」という状況で壊れることは実際には少ないだろうけど、より壊れ難そうなものの方が安心して使用できる。
普通のコネクタは多くの場合、ケーブルを固定するときに、ケーブルの狭い範囲の一カ所に圧力がかかったりケーブルがへしゃげてしまったりするのだが、ノイトリックのコネクタは、より広い範囲で周りから或程度均等に圧力をかけることで固定するようになっているので、この部分で断線したり固定が緩くなったりする心配がより少ないように見える。
まあ実際に耐性試験した訳ではないが。
あと安いのに比べたら値段が少々お高いが、まあ「高級プラグ」みたいな値段でもないし。
スイッチクラフトのよりは安かったような。
コネクタを替えるとそれが意味を持つ程音が変わるということはあんまり無さそうなので、コネクタについて考えるべき重要なポイントは寧ろ、コネクタ自身の造りだとか勝手にジャックから抜けてしまわないかだとかといったことだ。
然しながら、ケーブルの方は、音が結構変わってしまう。
ノイズ特性とか音量とかも。
例えば私がベルデンの#9778で作ったシールドは、かなりローノイズで、ハイファイで、私のストラトには結構好かったが、SGでは音がショボくなってしまった。
小音量でも埋もれ難い音にするときにはいいだろう。
或はガンガンに歪ませてもヘヴィーにならないようにするとき。
あとベースには丁度好い。
それからエフェクターからアンプに繋がるところとか。
#8412で作ったものは、どのギターにでもどういう用途にも使えそうな音だ。
ギターシールドらしい音というか。
ロックっぽい。
ギターが前に出るときに良い。
VOXの10年ぐらい前の古いカールコードは、ノイズが多いしハイファイでもないが、音は結構気に入っていた。
見た目も好い。
VOXの最近のカールコードは、買ったら断線してて交換してもらったんだけど、それは結構ハイファイでノイズも古いのに比べて大分良くなっているが、音は昔のと全く別物だった。
見た目は、カールの太さが太くなっていて、ツヤ消しだった皮膜がツヤ有りになっていた。
あとコネクタが昔の無骨なのから金メッキのより高級っぽいものに変わってしまった。
・・・というように、ケーブルには結構気を遣わなければならない。
但、注釈を付け加えておかないとかならい点は、高いものを買えばそれで全てがうまくいくなんてことはないし、それが必ずしも音響的に最良の選択となるという訳でもない、ということだ。
ここには十分に気を付けておくべきだ。
当たり前のことではあるが忘れがちだ。
何も自分達のブランド価値のことだけを考えてべらぼうな値段を付けて消費者のことを大して考えていないような企業に金を渡す必要はない。
が、どの企業がそんな企業なのか、サンレコを見てるだけでは判らないのが残念だ。
因みにサンレコの製品レヴュー、特に製品の比較レヴューは、その製品を売ってる企業に愛想良くすることに神経を使い過ぎているように見える。
私はいつもサンレコを買って後悔してる。
またクチコミサイトを見ても、誰がその件に関して通じているのかが判り難いのも残念だ。
素人でも専門用語を濫用するなどしてそれらしく書き込むことは可能だ。
或は何でもかんでも結局は好みの問題として片付けてしまうのも危険だ。
その値段がまさにその値段であることについて説明することが殆ど無意味になってしまう。
それがべらぼうなのか適正なのかについて、意味のある記述ができなくなってしまう。
それは「音質について」という説明が難しい事柄について、説明するのを全く投げ出してしまうときの苦しい言い訳に使うときぐらいにしか役に立たない。
確かに或程度まともな音響機材の中で一つを選択するときに、好みは重要な要素だ。
然し説明はそれで終わりではない。
また、その製品を選んだのはそれがその人の嗜好(や要求)にマッチしていたからだと単純に考えてしまうのも非常に危険な幻想だ。
これは新古典主義の経済学を支えている幻想の更に悪いヴァリエーションである。
信頼すべきは自分の耳だけだという考えも間違っている。
「自分の耳が駄目ならしょうがない」ぐらいに換えるべきだ。
我々は言語を持っているし、音は、特に音楽は、私的な存在では全くない。
まあそんな感じで。
眠いや。