2010/11/06

給仕

一寸お高いイタメシ屋に行ってパスタなど食す。
店の雰囲気も落ち着きがあり、食器や調度品にもセンスがあり、料理も良く、給仕もよく心得ていて、良かった。
例えば内装だけ取り繕って下らない料理を出したり給仕が十分な教育(食器の置き方の意味とか気の遣いどころなど)を受けられていないのに値段ばかり取る店ではなく、ちゃんとした店。
でも金曜の夜なのに客の入りは非常に少なく、なんだか凄く勿体無い気がした。
良い店なんだよ・・・。


一寸した言葉の話。
例えば「ウェイター/ウェイトレス」と書くより「給仕」と書く方が、なんだか偉そばっているように見える。
つまり私がその職にある者を見下しているかのような響きが何故かある。
勿論そんなことはないんだけど。
私は、まあ下らない人間だけれど、そこまで落ちちゃいない(と思いたい)。
然し「給仕さん」と書くのは、給仕は給仕なのにそのまま「給仕」と呼ぶことが職にある人を見下すことになって憚られることであるということを宛も認めたかのような格好になり、逆に慇懃無礼の感があるのでなんか嫌。
上を例に採ると、「給仕もよく心得ていて」と言うと「オメーなんぼのもんじゃ」と思われるかも知れないがそれは不当な罵りで、逆に「給仕さんもよく心得ていらして」とすると寧ろ慇懃無礼の感がある、ということ。
でも「メイドさん」というのは、只「メイド」と書くより好きなんだけどなあ。
この辺が私の分水嶺かねえ。
あと或人物を指すとき、職業名等の後に「〜の人」を付けると柔らかい表現になることもあるけれど、上と似たような理由で、それもなんかあんまし使いたくない表現なのよね・・・。
例えば、クレジットカードをポンと発行してもらえそうな職業には「〜の人」を付けても大して柔らかくする効果は無いけれど(ex. 「大学教授がさあ、」/「大学教授の人がさあ、」)、そうでないときは効果があって(ex. 「バイトがさあ、」/「バイトの人がさあ、」)、それがなんか嫌。
誇張して言うと、一つには、呼吸のように自然に職業差別をする世間が「イエ私は職業差別なんかしませんよ」と上辺を取り繕おうとすることに付随して発生する圧力が存在し、私が「〜さん」「〜の人」の表現を用いることでその圧力に屈して、そういう下らない部分を持った世間のまさにその下らない部分に拠って自分がその厭な世間に同化してしまうような気がして、それが嫌なんだと思う。
うーん、でも「給仕さん」とか「バイトの人」とした方が音韻的に良い場合もあるしなあ。
まあその程度の拘りということで。


私も昔、馬鹿みたいな掛け声を強要されるような(あれは本当に嫌だった)チェーンの居酒屋から割と洗練された対応が要求されるレストランまで、色んなグレードの色んな店で給仕をしていたこともあり、思い入れがあるんだ。
なので、店で飲み食いすると、自然と給仕を観察して評定したりしてしまう。
「この人はすごい」とか「もっとここに着眼すればいいのに」とか。
若い頃は私に給仕の仕事は向いていないと思っていたし実際そうだったんだろうけれど、今給仕に戻ったらそれなりのクオリティを出せるような気分にもなる。
まあ多分実際は基礎的なところでアタフタするだろうけど。