2010/11/03

サンデル読んでる?

なんて言うようになったってことは、私も年食ったってことか。

自分が学生の頃専門的に勉強していたこと(或は勉強していることになっていたこと)を説明することは、元哲学の学生に比べたら元哲学の学生以外の人には簡単なのだろうか。
或は私がアナクシマンドロスとか集合の実在性とか、或哲学者について或はある哲学的概念について集中的に研究してたのだったら、或は簡単だったのかも知れないけど。
てか私だからか?
確かに能力も無いし努力もしなかったのに、分を超えて手広くやってたように思う。
でも全てが関係してくるし、哲学の徒が知らなくていいことなんか何一つ無いしなあ。
実際もっと色々知っておくべきだったとも思う。
努力しなかったのが悪いのか。
そうですか。
そうですわ。

で、いつも訊かれて悩む。
一応自分では、分析哲学の系譜の末端(の上澄み)を足場にして、そろそろ重心を倫理学やら道徳哲学やら政治哲学やらへと移動させないとなあと思っているうちにタイムオーバーになったような感じに捉えている。
中心問題は政治だとか倫理だとかだとは思っていたし、勉強しているのはその為の哲学だと思っていたのだけれど、結局そこにそんなに踏み込めなかったような感じで。
でもこういうふうに言ったて専門外の人には解らない。まあ説明では専門の人にも解らないだろうけど。
なんで、「言語とか心とか社会とか、まあそういった感じのことについてです」とかなんとか、モゴモゴしながら適当に濁すんだけど、これでは殆ど何も意味していないように思う。
どう説明するのがいいんだろう・・・。
できるだけ簡単で短いけれど当を得た説明が好ましい。

マイケルサンデルの有名になったおかげで、哲学というのは「答えの出る訳のない抽象的な問題をダシにして、小難しげな言葉遊びを意味があるかのように偽装すること」ではなく、意味のある問題を立ててそれに意味のある形で答える為のものである、という認識が多少は広まるんじゃないかと期待している。
マイケルサンデルのあれは観てないので余り何も言えないけど。
まあそれは兎も角として、哲学にもう少し人気が出れば、私が何をしてきたのか説明するのも多少楽になる日でも来るかも知れない。