2004/07/11

仮のプロザックの浸透圧について

どうも最近、一寸、神経が風邪に罹ったようだ。
長年、音楽をやっていると、音楽が解らなくなる時もある。
愛すべきベートーベンを聴く。「ルートヴィヒよ、お前はこれのどこが良いっていうんだ、私は、これの何が良かったというのだ。」
CDをとっかえひっかえ聴いてみたが、悪足掻きをしてみても、駄目なものは駄目なんだ。
事態は悪化し、まあ、恐らく深刻であろう。

この前ピカソを見に行ったとき、私の隣の中年の男が、「解らん」と口に出して呟き捨てて歩き去ったのを思い出した。明らかに、「芸術」と呼ばれるものに対する、或はそれら「芸術」と呼ばれるものを「芸術」と呼ぶ人々に対する敵意と軽蔑と憤りが込められていた。その敵意と軽蔑と憤りに満ちた呟きは、「芸術気取り」一般に対して向けられると同時に、その代表として隣でピカソの変態ぶりにシンパシーを込めてにやけている、隣にいた私に向けられていたので、私は辱めを受けた気分になり、内心穏やかでなかった。

今の私はこんなのだから、兎に角今なら、或は他の人間の感情が私に与える悪影響くらいは幾らか受けずに済むかもしれない。が、そういう種類の悪影響は、私の神経に対して強い浸透圧を必ず持っているものである。抵抗力に自信の無い今、逆にやられやすくなっているかも知れない。

さっさと面白い素敵なアニメかジャンプコミックスでも見なければならない。あれは、効力の使い方さえ間違えなければ、幾らかの浸透圧を持っているそこそこ良い薬である。強制的に、染み込んで来る。浸透圧の低いのは、強い薬でも、吸収力の弱っているときには垂れ流されるだけである。