2011/09/07

「あん」の話

何故か「まんまんちゃん、あん」の語源が気になって夜も眠れず。
関西地方の特有の語だそうで、私も関西出身&在住なもんで、昔はよく聞いた語だ。
然し最近はあんまり聞かなくなった気がする。

私の感覚では、「まんまんちゃん」は仏とか仏像とか(伝説級の、エラい系のホトケ)、特に墓とか仏壇とかに居るとされる死者(普通のホトケさん)のことを指している気がする。
以下私の感覚での話で、これが一般的に受け入れられるのかは判らない。

「まんまんちゃん」は恐らく浄土真宗の「南無阿弥陀仏」の転訛から来ているのだろう。
「南無阿弥陀仏」が「なんまんだぶ」or「なまんだぶ」に転訛し、更に「だぶ」が落ちて残りが「まんまん」と転訛して、同時に名詞化し、それに親しみを込めるときの敬称「ちゃん」が付加したものだろう。
因みに「ちゃん」「さん」は関西では名前だけでなく色々な名詞の後にもよく付けられる。
「あめちゃん」「天神さん」「お遍路さん」etc.
あとどうでもいいけど「さん」の用法やニュアンスは大阪と京都では似ているが違う。

「まんまんちゃん」は一見幼児語のように見えるが、大人の間でもホトケさんに対して愛着とか親しみを込めようとしたときにも使用されるっぽい。
然し最近は「まんまんちゃん」の語を用いる人は少ないので、この語を今日敢えて用いる場合は、単にホトケさんを指すというよりは、何か特別な重み付け(何らかの照れ隠しとかか?)が付け加えられているように思える。

「まんまんちゃんする」「まんまんちゃんしときやー(しときやー=しておきなさい、しておいたらどうですか)」というふうに動詞形にもなるが、「これは名詞の動詞形、或は表現の短縮形である」と認識されながら、或程度の違和感を以て使用されるように思える。
違和感の度合いは、「インターネットする」というよりは「パソコンする」ぐらいの感じ。
動詞化すると幼児語らしさが増す。

「まんまんちゃんする」というのはホトケさんに手を合わせて礼拝すること或はその一連の動作そのもののことを指していると思う。
「まんまんちゃんする」の、省略形でない形は「まんまんちゃんにあんする」。
用例:「まんまんちゃんに、あんしときーやー(しときーやー=しておきなさいよ、さもなくば・・・)。」
「あんする」が加わると、一気に幼児語っぽくなる。
「あんする」のは幼児だけが許されていて、大人が「あんする」のは奇妙に感じられる。

幼児は礼拝するとき、「まんまんちゃん、あん!(「あん」を強く)」と口に出して言いながら「あん」と言うタイミングで拍手(かしわで)を打つようにして、或はハガレンみたいな感じで、肘を突っ張りながら鼻の先で手を勢い良く打ち合わせるようにする。
この手を打ち合わせるとき、音を出してもいいが、音が出なくてもいい。
音を出すことに主眼が置かれてないように思えるので、神社で打つような拍手が混入したのとも恐らく違う。
「あんする」とは、この一連の礼拝動作を指しているようにも思える。
これは幼児だけがする礼拝の仕方で、大人がすると訝しがられる。

この「まんまんちゃん、あん」は、何か字義通りの意味を持っているような種類の語というよりは、何か呪文とか特別な挨拶のような、隠されたもの(オカルト)の響きを幾らか持っている。

この「あん」がイマイチ何なのか判らない。
手を打つ動作に何か関係している気がする。

あと「あん」は「まんまんちゃん」とセットでしか使われない言葉だ。
単に「あんしときー」と言われたときは、「まんまんちゃんに」が省略されているものとして捉えられる。

「あんする」は「あん」の動詞化だと思う。
先に「あん」の概念があり、それに名詞をサ変動詞化するときの「する」を付けたもの、という感じ。
「あんする」は「礼拝する」に翻訳可能だが、「あん」単体を「礼拝」と翻訳するのは、不可能ではないにせよ何か違和感がある。

「あん」は掛け声でもあるように思える。
が、単なる掛け声以上の意味は無いという訳でもなさそう。

「あん」がどこから来たのか判らない。

真言の「オンうんたらかんたらソワカ」的なものの冒頭が俗化したものか?「まんまん」が真宗的な「南無阿弥陀仏」だとしたのに?
然し何か真言を連想させないでもないし、巷間で色々な宗派が混ざることも特に珍しいことでも不思議なことでもない。
が、証拠は何も無いし、あんまししっくりくる説でもない。

あとそれから・・・。

・・・。
ノッてきたところでそろそろ寝たい。
のでこの話は明日に続・・・かない。