2011/07/01

尻つぼメモ

また暑いので、また尻つぼみメモ。

その一。
カルテジアン劇場-思考の言語批判は、意味というのが単に心的出来事であるとか心の志向的対象であるとかというふうに考えてしまうことができないようにするのに使える。
心の哲学と言語哲学の橋渡しの一つとして使える。
もしかしたらより広範囲な直接知に対する批判にも使えるかも知れない。
と、そんな気がする。

その二。
意味する、ということ関して、公的/私的を分けることはできない。

その三。
たまに忘れがちなこと。
全体論の網の目には重み付けが為されている。
フラットではない。
��「確実性について」ふうに)