くだらないアニメをくだらねえと言いながらぼんやり眺めてたら、凄く格好良い音楽が流れる。
而も新しい。
私がやろうとして今まで上手くまとめきれずにいた感じのものだ。
クレジットを見てみたら「菅野よう子」。
まさか、なんてこった、くそう、先を行かれた・・・というところで目が覚めた。
酷い夢には違いないが、興味深い。
夢の中において、それは確かに具体的に音楽の体は成していたように思えるし、それを私は凄く格好良いものだと感じた。
私の夢の中で新しくて格好良い音楽ができあがっていた・・・可能性もあるが、違うかも知れない。
単にどこかで聴いた既存の音楽の断片が頭の片隅に残っていてそれが夢の中でいい感じに再現しただけかも知れないし、頭の中で抽象的な音楽イメージに「具体的な音楽の体を成している」フラグが立っていただけかも知れない。
「寝入る前に突然思い付いてメモを取ったのだが翌朝起きてからそのメモを見ると意味不明orぱっとしないことだった」系のことかも知れない。
併しそもそも何を以てそれを一個の「音楽」とするのか・・・。
恐らくこの問いには色々な正しい答え方があり得るし、余り適切な問題設定とは言い難く、特に糞真面目に答えなければならないようなものではないだろう。
「空気の振動」でも良し、「一連の音符」でも良し、「君の頭の中にあるのさー」でも良し。
或は他にも色々思い浮かべることができる。
それらは相補的に「音楽」を形作っている。
例えば「空気の振動」として捉えることは例えばコンピュータで処理したりするときに役立つが、音楽的な感動を記述するには向いていない。
「一連の音符」として捉えた場合、楽譜を写すだけで世界のどこにいてもベートーベンの第九を読み解くことはできるが、例えば演奏中その場で進行が大幅に変わる音楽やノイズミュージックには余り意味を成さない。
「君の頭の中にあるのさー」は、楽曲を同定するには向いていないが、その音楽について何を感じたかといったことに繋げて語り易い・・・。
等々。
頭の中にある場合、音楽はどんな形をしているのか。
まあこれも余りいい問題設定ではないだろう。
私は余りオタマジャクシは得意ではないので、音楽を思い浮かべて五線譜が思い浮かぶことは余り無いけれど、よく訓練された西洋古典音楽の演奏家なら或は五線譜を思い浮かべるということもあるかも知れない。
或は私は何か音を聴けば、その聴いた音に因って、色とか景色とか、臭いとか、ザラザラとかヌルヌルとか、甘いとか苦いとか、そういった感覚も同時に引き起こされるし、それが音楽ともなれば、より複雑な意味を持つようになる。
「意味」とな。
ここで「意味」と「指示対象」という昔ながらの区別を使って、「意味」は音楽の意味に、「指示対象」は例えば音像(或は感覚所与?)と置いたとして、私の頭の中では、意味と指示対象との間に明確な線引きは無いのだ・・・。
「これは音像ではなく意味だ」とか「これは意味で音像ではない」ということがはっきりと言える訳ではない。
例えば私は4声を超えるフーガとかになると、1声ずつ全て追うことは難しいものもあるのだが、聴けばその曲の感じぐらいは掴んで後でそれを思い出すことはできる。
こんなとき私の頭の中はどうなってるんだろう。
恐らく思い出されたそれは「具体的な音楽の体を成している」とは言えなさそう。
或はそのフーガにはその場その場において中心となる声部が出現するとして、それだけは確実に押さえることができたんだけど、他は全然追い切らなかったとしたらどうだろう。
うーん、この辺はビミョウだ。
頭の中の或音楽が「具体的な音楽の体を成している」とハッキリ言う為には、もう少し再現性が高くないと不可ないっぽいが、「再現」ってのがまた突き詰めると厄介で・・・。
まあいいや。
既に何言ってるのか自分でも解らない。
で、私の夢のアレ。
恐らくは、具体的な音楽の体は成していたと言っていいと思うんだ。
現在は完全に忘れてしまったが、目が覚めた直後は断片的にではあるが頭の中で再現して鳴らすことができたと記憶しているので。
で、それが格好良かったのかどうか。
これは判らない。
現在その音楽を思い浮かべることができないが、夢の中では割と冷静に分析していたと記憶している。
然し所詮は夢の中の話。
夢の中なら重力の法則すら無視しても冷静でいられる。
そういや最近は、深夜にやってるようなアニメを観ることも少なくなってるのだが、アニメを観てても多くはくだらなく思える・・・。
それはアニメ全体の質が落ちてきているのか、昔からくだらなかったのに最近まで気付かなかったのか、私の神経が何か麻痺しているのか。
或はそのうちの複数または全部か。
アニメに期待することは、今は特には思い付かない・・・。
まあ何も思い付かないってことは、私の神経は兎に角麻痺してんだろう。