2009/12/17

プラグマチラリズム

私の謂うようなプラグマチズムに対する最も初歩的で単純な誤解の一つとして、次のようのものがお馴染みだ。
プラグマチストってのは特に倫理や政治上の問題を解決するのにそれさえあれば議論の余地が永遠に無くなるような何か、或は大文字の「真理」とか、そんなようなものを探し求めるのは哲学的無駄足だと考えているのだが、このことから、プラグマチストは自分の倫理的或は政治的立場を決められなかったり相対主義に陥る羽目になる筈だ、という誤解。
勿論実際にはプラグマチストは自分の倫理的或は政治的立場を持つことができるし相対主義に陥らなければらならいこともない。
興味があれば詳しくはローティでも読んで呉れ給え。

・・・とまあ、そんな訳だが、なんでこんなこと思ったんだっけ。
ええと。

例えばカントとか、あの辺の時代の人の人間社会の将来についてのロマンチックな楽観と、マルクスの歴史物語は大体似たような感じ(で同じぐらいピンと来ない感じ)なのに、なんでマルクスの方のはあんなに評判が悪いのかということについて、その理由を面白おかしく想像してたんだが、どういう訳か、それとこのプラグマチズムについての誤解とが関係あるという話の流れが頭の中で組み立てられた。
が、筋書きを忘れてしまった。
まあ大方トンデモ話だっただろうし、そんなに面白おかしくもなかったのだろう。

あと何故か、昔或現象学者(だったと思う)が「哲学者は政治についてとやかく言うべきではない」的なことを言ってて、酷く幻滅したことを思い出した。
このこともうっすらと関係している気がする。

あと序でに。
政府の支出増大が直ちに腐敗を生むというような話を最近よく目にするのだが。
支出と腐敗との間の構造とかそれらの相関関係について統計とかの話ではなく。
まあ昔から、何でも民営化して何でも規制を撤廃すればいいし民間に腐敗は存在しないとかいうお馴染みの話の流れでよく目にする話ではあるが、トンデモ話として無視するには、目にする頻度が高くなっている気がして不安定な気持ちになる。
このことも多分うっすらと関係している・・・。

どんなんだったのかねえ。