2007/03/15

公的/私的領域

本日の授業に触発されて。
忘れぬ間に。

まあ私は自分でイヤになる程ローティのコピーキャットな訳です。
で、そこから脱却しようとするものの、いつもそこへ戻ってしまって、自分の不勉強と無才能にゲンナリする訳です。

ローティってのは、一般的には、人の信念や行為といったものを公的領域に属するものと私的領域に属すものとに分ける、というところが問題だとされる。
私の記憶が正しければ、彼自身も確かどこかで、自分の哲学的特徴はこの公的/私的の区別にあると言っていた筈だ。
ローティをさらっと読むのなら、この公的/私的の区別を或種の二元論を為しているぐらいに強いものだとして捉えるのが普通の読み方なんじゃないかと思う。
若しそう読んだとすれば、問題は明らかだ。
「これは木だ」とか「私はロックが好きだ」とか「ちゃんとした民主主義が達成されるべきだ(と私は思う)」といった言明や、或はジャズを演奏することや投票所で一票を投げ込むといった行為が公的なものなのか私的なものなのか、完全にどちらかの一方であるなんてことが言えるなんてことはあり得ないだろう。
それで「ローティともあろう人が」ということになるのである。

然し若しこの公的/私的の区別をもっと弱く捉えることができるならどうだろう。
つまりローティの主張の強さは彼の挑発癖の一例でしかなく、実際彼が意図しているのはもっとマイルドな区別だと読めないだろうか。
価値と事実の区別のように(「事実/価値の区別ったって、それらを完全に分けることなどできないのだ、それらは絡まり合っているのだ」という内容のパトナムの論文を使う授業を本日受けてきたのです)。
単純化することで会話を簡単便利にするような、会話の道具としてこの区別を捉えるのだ。
てゆうかローティにとっては言葉自体が会話の道具なんだけれど。
事実/価値の区別のように公的/私的領域の区別も、それぞれ別の言葉を使ってるぐらいなんだから確かにそれなりに違いはあるのだが、その区別は、それが一方に属するということが分かればもう一方には属さないということも分かる、というような排他的な区別ではない、と考えるのだ。
或信念とか振る舞いは公的であり且つ私的でもあるのだが、公的領域における意味が取るに足らないものである場合には、その公的意味を無視しても或程度は構わない、と考えてみよう。
で、なんで「或程度」かというと、それを彼のアイロニーの議論と絡めて考えるのだ。
つまり、自分が「その公的意味は取るに足らない」と考えていたとしても、そしてそのことが現在において殆どの人に受け入れられていたとしても、自分が間違っていて実際にはそれは公的な影響が甚だしいものなのかも知れないし、或は時代が変わればその取るに足らなかった公的意味が未来には非常に重要な意味を成すものとなるかも知れない、ということをアイロニストは肝に銘じておかなければならない、という点を思い出すのだ。
そういう限定の中で、公的意味が取るに足らないようなものを「私的領域に属する」ものとして考えるのだ。
そう考えると、「それはどの程度私的でどの程度公的なのか」といった公的/私的の度合いについての問いが可能となる。
で、彼曰く「私的な領域では何やってもいい」のであるが、この「何やってもよさ」の具合はそれがどれだけ私的だと捉えられるのか、ということによって変化し得るという訳だし、序でに言っとくと、完全な「私的領域に属する事柄」など無いのだから、ほんとうに何やってもいいような状況など無い訳だ。
で、こうのようにローティを読んだときのローティの問題点は、では「私的領域」を措定する必要があるのか、というところだ。
勿論必要はある、と私は考える。
それはそのような措定が便利だからだ。
その詳細は・・・面倒臭いからもういいや。
後は誰かに任せた。
誰か任された人、自分の論文にまとめてください。

まあ兎も角、私はこの後者の読み方の方が、ローティの読み方としてより一貫性を持った読み方なんじゃないかと考えているのです。
まあ確かに或程度、テキスト以上の深読みをしてるということは認めないと不可ないだろうが。
もしかしたら明らかに間違った読み方なのかも知れない。
間違いではなかったとしても、そう読まなければならないということを示すような文献的証拠が足りない。
まあこれは私の不勉強が9割なんだが。
ローティの新しい論文集出たんで、買って読まなければならないっぽい。
でもなんかビミョウに高いんだよなあ。
アマゾンのショッピングカートには入っているのだが、次の発注のときに買うかどうかは分からない、という感じで。

で、まあ少なくともこう読んだ方が、ローティの公的/私的の区別が彼の哲学の体系の他の部分によく馴染む気がする。
これ修論に書けばよかった。
いつか書こうと思ってなかなか書く勇気が無かったのです。
クワッ、クワッ、クワッ、なハートなもので。
結構ダサイことはぱっと書いてしまう割にこういうところで尻込みしてしまう。
あと執筆をサボりすぎて時間も足らんかった。
つくづく駄目な学生だった。