2007/03/04

ポスト・ポストモダン

簡略化して言ってみよう。

「ポストモダン」と呼ばれている運動というのは、一面的には、近代に支配的或はドグマ的だった価値観や世界観の分解と再構築であった、としてみよう。
特に近代的人間観の。
この説明は正しいだろうか。
デリダやフーコーのような思想家や或はポストモダン芸術に限って言えば、或程度は正しいように思える。
然し現代の日本の「ポストモダン」好きの思想家達を見ると、どうもこれは正しくないように思える。
その人達が使用している「ポストモダン」は、結局のところ、近代の価値や世界の分解でしかないように思える。
或は少なくとも、分解は好きだが、分解した価値の再構築には余り興味がないように思える。
だから面白くないんじゃないかと思う。

一寸簡略化し過ぎだが、まあ大体そういう訳で、日本の「ポストモダン」達は、そろそろ、自分達のポストモダンの成果を使って、そしてそれを乗り越えて、このポストモダンを経験した後の世界にも妥当であるような「価値」や「世界」や「人間」を再構築して呉れてもいい時機なんじゃないだろうか。
そろそろなんか面白いこと言えそうなんだけどなあ。

というようなことをここのところ考えている、という話。