2007/03/12

哲学の仕事

忘れないうちに、ぶっ飛ばして書こう。
ぶっ飛ばすというのは、勿論書くスピードのことではなく、内容をぶっ飛ばすということで。
「さあ、飛躍するぞ!(論理の)」という感じで。


哲学の仕事ってのは、一つには、常識的な観念について説明したり分析したりすることである、と考えてみよう。
哲学に携わっていれば何かスゴい唯一絶対の「正解」だとかこの世の真理だとかに辿り着けたりする訳ではない。因みにそんなものが在ろうが無かろうが知ったこっちゃない、それは少なくとも哲学が問題にすべき問題ではないというのが私の哲学的立場だ。
ん?矛盾してないよねえ?
まあいいや。
で、のみならず、そういった種類の哲学では、恐らくは、若しあれこれよく考えた結果、どう見ても非常識であるような結論が出てきたなら、多くの場合は、その結論は間違った結論なのだ。

特に倫理学の仕事の結論は、少なくとも結論のところだけ見れば、恐らくは、常識と照らし合わせてみて、「ほう、そうか」と気付く、という程度で理解したり納得したりすることが可能なものなんじゃないだろうか。
常識とまるっきり逆の結論や常識と比較すると理解不能な結論が出たとすれば、それは多分どこかで間違っているのだ。

倫理学の仕事ってのは、倫理的に競合しがちな常識的諸概念について、その競合を分析したり解消したり解決したりすることなんじゃないかと。
因みに常識があれば倫理学なんて結局のところ要らないんだ、常識だけでいいんだ、と言ってるのでは勿論ないですよ。
そういや、我等がローティが言うには、哲学とか倫理学ってのは、現在既に在る倫理概念を分析したりするのは得意だけど、現在我々が被ってたり知らぬ間に共犯関係にされてたりする「残酷さ」を減らす為に新しい倫理的概念を創ったり新しい倫理観を人々に芽吹かせるという目的には、文学とかに比べてたら、まあ苦手かな、と。
これってべつに哲学が要らんという話ではない。
因みに、まあ苦手とはいえ、偶に哲学も新しい有用な倫理概念を創ったり創るのを手伝ったりすることもあるよなあ。


と、そういうようなことを風呂の中でふと思った、という話。
書いてみると、風呂の中で感じたより大したことない普通な内容でした。