2006/08/14

kick out the jams

腕に力が入らず。
循環器系は、閉塞した部屋に充満した自らの呼気に汚染されているように思える。

寝ていたら、独り、足の裏を痙る。
独り、無表情に、もう片足で筋を伸ばしながら、痛みに耐える。
痛みというのは、進化論っぽい見地から説明するなら、それによってその主体の生存可能性を増やすような、主体に危険を知らせるシグナルなのだ。
痛みが或意味で即自的に正の価値を持ち得るということにコミットできるのは、少なくともマゾッホ以来、豊かな言語や文化を持つ人間の特権である。
或はマゾッホにでも傾倒したかのようなテレビの中の人達が「痛みを伴う」という言葉で以って、多分恐らくメイビー、わざと、ネタかなんかで、あんなにも踊ってみせることができたのも、その人達がまさに人間的な感性を持っていたからだろう。勿論皮肉を言っているのです。痛みを避ける為の代案を考えようとしない政治は只の怠惰だし、それはまともなプロパガンダの役割さえ果たせない筈のものだったのに。
まあ兎も角、勿論、我々はこの人間的な特権を常に行使しなくてもいい訳で、痛みから私の身の危険を感じとったって多くの場合全く問題無い訳だ。
私は痛いのは嫌だ。

Kick Out the Jams.