2006/08/02

ベートーベン

今更だけど、ベートーベンはスゲー、という話。
ウィトゲンシュタインと共に、流石私に「Ludwig」を名乗らせただけはある。
いやー、今日只管いろんなクラシックの作曲家の曲を聴き続けてたんだけど、それで改めて思ったのです。
これまで私はベートーベンに関しては、主に室内楽や器楽曲について賞賛してきたのだけれど、一般的に評価されているように、フツーに交響曲もヤバい。
ベルリオーズがいくら越えようと足掻いても到底越えられない迫力、マーラーなんかが幾ら真似しようと足掻いても到底真似できない説得力など。
ベタなところなんだけど、第九なんか、テレビとかでよく流れる第四楽章の最初の合唱パートとか、テレビでその部分だけ聴いてもうるさいだけで全然パッとしないのだけれど、ちゃんと第一楽章からとか或は少なくとも第四楽章の始めからの文脈の中で聴くと、なんでこれが名曲といわれるだけのものなのかということが理解できる。
ベートーベンの室内楽は、どちらかというと個人との対話を想起させられるが、交響曲の場合は、なんかデカい存在に巻き込まれるような感じ。
それに室内楽とは違って、解り易く明快な表現になっている。
ベートーベンの交響曲の前では、私の個など簡単に消失してしまう代りに、自己が何か大きなものに溶け込むようだ。

補完されて柿色っぽい液体になりたがっているゼーレの連中なんかには、ベートーベンの交響曲を聴かせておけばいいのだ。
逆に室内楽を聴かせると、人類補完計画を急ぎそうだけど。