2006/08/15

リアリズムをぶっ飛ばせ!

目的が違えば、或一つの事柄について複数の説明が全て、兎も角そのそれぞれの目的に沿った形では、妥当であるということはあり得る。
その説明同士が一見共役不可能であるように見えたとしても。
その目的自身に何か間違いでも含まれている場合は批判するのは楽なんだが、どの目的もそれなりの妥当性を持っている場合は、どう折り合いをつけるべきか、或は折り合いをつける必要はないのか、等、判断するのは難しい訳で。
翻訳の不確定性原理を受け入れながら弱い実在論を主張するのは如何なものでしょうという話。
まあ可能っちゃあ可能だし、而もそれなりに妥当なのだ。
でも私はこいつを確っかり潰しておきたいのだけれど、なかなか決定打を打てないのです。
弱い実在論を反駁する方法は、今ぱっと思い付くだけで大体三通りぐらいあって、一つは「弱い実在論たって、最早それは実在論とは呼べなくて、実質的には反実在論だ」というふうに友達を増やす感じで攻めるのと、もう一つは「実在論て、なんかヤバくない?」みたいな感じで実在論を採ったら必然的になんかヤバい思想にまでコミットしないと不可ないんじゃないかと警告するような仕方と、もう一つは「人間の認識やら意味やらから独立している実在なんかやっぱ無意味だ」というふうな雰囲気で「言語」とか「意味」とかの語彙を用いて攻めるフツーの反実在論を繰り返すとか。
どれもクリティカルヒットとはいきそうにない。
うーん。
もう一寸他にあったような。
どっかに何か良いアイディアを思い付いたときのメモを残してた筈なんだが・・・。
明日考えよう・・・。


因みに始めて「タグ」ってものを使ってみたんだが、これってなんか意味あんのかなあ。
なんか意味あんのかなあ、web2.0。