2006/06/18

放送禁止歌

森達也ってのは、なかなか面白いものを書く。
アマゾンさんに「『A』とか『ご臨終メディア』結構良いんじゃねーかと思うんだけど」って言ったら、森達也の本をガンガン勧めてきたので、その勧めに従って、一寸読んでみた。
放送禁止歌』。
主な主張は、『ご臨終メディア』で為されていることと大体同じで、物凄く短く要約すると、「報道すべき事実を報道するよりもクレームが来ないことを重要視して、意味不明な自己規制なんかしてるようなしょんぼりテレビがこれほどまでにしょんぼりなのは、番組制作に関わっている人間が考えることを放棄している所為だ」というような話。
どうして考えることを放棄するようになったのかについては余り興味はないようで、その分析は分量も少なくイマイチピンと来ないのだけれども(そして私はそのことについて彼の意見をちゃんと知りたいと思っているのだけれど)、然し兎も角現状はそうなのだということとその背景がよく解るように書かれている。
で、この本では、「放送禁止歌の規則の実態を暴くドキュメンタリーを作る・・・つもりだったが実際には放送禁止歌には実体のない規則だった・・・こいつは一体どういうことだ?」ということを出発点としている。

放送に関わる人間が表現の自由についてまともなことは何も考えていないなんて、これ以上無いくらいゲンナリだ。
そんなにも無思考がイケてるのだろうか。
「書を捨てて街に出よう」ってのは書をよく読む人に対して言うときのみまともな意味を成す言葉なのだよ。
然しどうも、何か考えいるとは到底言えない人に対して「考えたってしょうがない」みたいなことを酒も呑まずにギャグでもなく平気で言うような世の中に私は今居るのだという実感を拭い去ることが出来ないで居る。
私が普通に口を開けば「うるさ型」とか言われるんだろうなあ。
唯自分が考えないことを可とするだけでなく、自分の意見を持っていたり主張したりする人間は、ダサいだけでなくなんかアブナい人のように扱う。
気持ち悪い、くっさい世の中だと思う。

まあそんな感じで。
書くべきことはまだ色々あるけど、もう眠いので寝ます。

我芸術家也。
おバカな人達に放送禁止の烙印を押されることが出来るような、意味のある、美しい歌を描こうと思った。
我自由を謳う芸術家也。
この本を読んで、頑張ろう、と思った。