2006/06/29

プログラミング言語、論理学、ピュアなハート

最近哲学の本を買ってないなあ。
漫画もあんまり新しいものに手を出したりはしてないし。
けどなんか本代は結構かさんでるなあ。
と、ここでよく考えると、プログラミング関連の本を最近やたら買っていることに気付く。
別にプログラマになりたい訳でもないのに。
アセンブリ言語から高級言語まで、確っかりと買ってる。
或は「オブジェクト指向とは」みたいな感じのメタな本まで。
Linux関係もあるし。
ぱっと机の周りを見渡すと、CPUの動作について、みたいな本とかも転がっていたり。
確っかりやれば、「パソコンのことは結構解ります」ぐらいの人になりそうな勢い。
これを哲学にまともに活かすとすれば、論理学ぐらいなんだろうけど、私は論理学は全然駄目です。
心の哲学にまともに活かすには「高級言語」でも少々ショボ過ぎるし。

昔は、浅薄にも「言語の限界を確っかり規定すれば哲学の問題は全て解決するんだにょー」とか素朴な感じで言って、迂闊にも「言語の基礎構造である論理もせんとなー」とかピュアなハートで思っていたのだけれど、そのとき始めの方に読んだのが『論考』で、一寸ずつ理解していくと同時にそのプロジェクトは頓挫してったという甘酸っぱい過去を持っているのだけれど、それ以来論理学はノータッチだし、私の中で大して重要な地位にある訳ではない。

そういや本屋で、哲学の学生が読むものとばかり思っていた『論理学をつくる』という本が、プログラム関係の売り場に置いてあったのには少々驚いた。
そういやデネットの『解明される意識』とか、ペンローズの『皇帝の新しい心』とか、「コンピュータの人工知能関係読み物」的な扱いだったのにも驚いたことがある。


アマゾン→ウィトゲンシュタイン、『論理哲学論考
アマゾン→戸田山、『論理学をつくる
アマゾン→デネット、『解明される意識
アマゾン→ペンローズ、『皇帝の新しい心