2006/04/03

まくらのそうじ、せっしょうなごん

枕を洗った。
枕カバーじゃなくて枕そのもの。
私の枕の綿は化学繊維でできていて、丸洗いできる。
風呂場で湯を少し溜めて、洗剤を入れて、只管踏み続ける。
昔ながらのワイン造りでブドウを踏むみたいに。
意外にも結構な労働。


因みに昨日のは、私が言葉足らずで一寸解り難かったかも知れないので一応言っておくと、勿論アレを字面通りに取っては駄目ですよ。
例えば「政府は一部の金持ちや企業や政治家の幸福のみを追求する為にあるのではなくて、金持ちも貧乏人も含めた全ての市民の幸福を等しく追求しなくてはならない。政府は一部の人の為に存在しているてその人のいいようにしていい機構なのではなくて、全ての市民の為に存在していて全ての市民に拠って存在しているのだ。」ということは常識だが、一旦実際にその常識を現実のものとしようと考えると、この場合だと政府を私物化してる連中とそのおこぼれを頂戴している取り巻き連中、或はそのおこぼれを頂戴していると不幸にも勘違いしている取り巻き連中から、その「常識を実行に移そうとする」思想は「危険思想」として扱われる、ということを、昨日の話は意味しているのです。
他にも例えば「戦争は不可ない」とか「選挙の票を操作すべきでない」とか「アルカイダとイラクとの繋がりは結局何だったのだ?大量破壊兵器は見つかったのか?という質問する権利がある」という常識をおさるのジョージ関係に絡めて言うと、「危険思想」になったりするね。9.11のときのアメリカのマスコミとかでは特にね。