2006/02/08

ロックの制約、フレーム問題、イッパシの市民

一念発起。
曲創り。
只今進行率10%。
頭の中では結構壮大になってるんだけど、実際に打ち込んでいく段階では、シンセの音造りとか面倒臭くって、まあどうなることやら。

元々ロック人間の私が最近になってエレクトロアンビエントミュージックとか絡めてやってると、普通のギターロックって楽だったなあ、としみじみ感じたりする。
シンセの音造りが面倒臭い!
未だ慣れてないというのもあるんだけど、音色の選択に強力な理由付け基準とか必然性がなく、何でもでき過ぎてしまう訳で。
ギターなんか、限られた機材でできる最高の音が出せればよかっただけだし、而も「最高の音」に関わる機材のセッティングはギターでは、自分のお好みに合わせればいいのだから、大体一つか二つか、まあ極少数しかないのだから、機材のセットアップ時(つまり音決め時)に可能性の爆発とかフレーム問題とかは起こらない訳だ。
ドラムだったら「オールドのグレッチサイコー」とか言っても我々アマちゃんが選べるのは大抵スティックとスネアとかカウベルぐらいで、あとは、次行くリハスタ/ライブハウスに置いてあるのはYAMAHAかDWか、運命に身を任せるしかない。
而も兎に角ギター弾きはギターを弾くのに他の楽器にしようか迷う必要はなくて、目の前にあるにギターを弾けばいいんだし。
一度機材のセットアップが済んだら、その最高の音に合わせて、あとは体が動くに任せて弾くだけ、みたいな。
ギターを練習するときには頭使わないと不可ないけれど、ギターを演奏するときには特に意識して何か考えないと不可ない訳ではないし。
音楽理論とかを考えながら弾く訳じゃない。体に染みついてない理論なんて使わない方が身の為だ。
考えることといえば寧ろ、次はこういう風に展開させようとか、ジャムってるときなんかは、あいつはこうしたからこう返せばいいかな、とかで、その音がEかAかとかクレッシェンドするのかとかカンタービレでかとかは、言語化して説明するときには必要だけど、実際に弾いているときは、実際に出てるに集中すればそれでいい訳だ。
まあ演奏中に何考えてるとかは別にどうでもいいことだけど。

まあ兎に角、ビヤーっと弾けばハイ一曲できあがり、みたいな。
而もそうやってできた曲がロック然としていて結構好かったりする訳だ。

つまりギターロックの場合、ギブソンのギターの音とかラディックのドラムの音とかアンペグのベーアンとか、自分の声とか、機材の制約等に縛られた音が先にあるんだけれど、エレクトロミュージックの場合、使えるシンセがいっぱいあって、生音も取れるし、トラック数もイッパイ使えて、エフェクトがなんぼでもかけられて、等々、機材に因る制約が殆ど無くて、ロック畑の人間は、どうもフレーム問題に悩まされる。
ギターロックの場合はこの曲はこの音でなきゃダメってことはなくって、ストラトだろうがレスポールだろうがセイビアンだろうがジルジャンだろうが、それなりに音造ってちゃんと弾けばそれでよかったんだ。因みにダメな例はナイアシンのRED(キングクリムゾン)のカバー。
でもエレクトロアンビエントとかだとそうはいかない。シンセの音一つ、ノイズ一つで曲の同定ができなかったりしまう気がする。

まあ、プリセットの音使えばだいぶ早くなるんだろうけど。
でもあんまりプリセットって使いたくないんだよな。
人間ってのはイッパシの市民として承認されたいという欲求を持つものだ。
でイッパシの市民てのはまあ自分の自由意思でしたことは「自分の」行為だと考えて、その行為に対して自分で責任を持ったりできたり、或は大体誰でもちゃんと説明されれば納得いく形で、自分に責任を帰属させられるだけの能力が要求される。
で「プリセットを選択する」ってのは、「シンセで音を一から造る」に比べれば、あんまり「自分の」とは言い難い訳で。