眠い・・・。
ということでBEHRINGERのエフェクターのレヴューの続きはまた明日にでも。
代りに漫画でも。
クランプのホリック。
XXXHOLiC 8
話の内容は兎も角、画と雰囲気が素的な漫画。
雰囲気ってのは、「キャラ/キャラクター」の話しでいくと、物語そのものの「キャラ」みたいな感じなのかな?
キャラってのは要するにキャラクターの性質のことで、その性質の中でも他のキャラクターにも共有されていて、一般化されて名前が付いてるようなやつのこと、みたいな感じでいいかな。
或人物として描写されたものの性質についてのイデアみたいなもの?
で、雰囲気ってのは、そんな「キャラ」の使用法を人物についてじゃなくて話の内容について適用したもの、という感じかな。
じゃあ、ホリックの物語の「キャラ」はどう呼べばいいんだろう。
アヤカシ系?一寸違うな。
分かんね。筆舌に尽し難し。
ていうか眠くてどーでもよくなってきた。
で、漆原友紀の蟲師。
蟲師 7
一巻とか始めの方は、画が兎に角スゲー漫画だと思ったが、最近は人物描写の漫画になってきている。「画」キャラから「人物描写」キャラへ。
画の説得力衰えてからは「ああ、あの美しかった画が・・・」とばかり思ってたのだが、最近は、それはそれで、彼女の人物描写は結構いけてるんじゃないかという気になってきた。
画一的ではないところが素的。
キャラに縛られていないというか。
登場人物や話の流れが単なる「キャラ」に終始しておらず、リアルの人間の人間らしさがあるいうか。
これを見ると、やっぱ「キャラ」って語は「リアル」という語とは最後の最後では共役不可能な部分を持っている語なんじゃないかと思える。
「キャラはほんとうはリアルじゃないんだ」とか、「キャラってのは実際にはリアルとは違うんだ」というふうに言ってもいいと思う。
ポストモダンをやっと標語にし始めた人達とは違って、私は「ポストポストモダンの」ローティ風のプラグマチストなのです、と偉そうにしてみたり。