2004/08/25

眠れぬ朝の、或泥酔者の独り言

しこたま、ラムを飲んだ。
酔っ払って、目が冴えてしまった。今も相当酔っ払って居る。
従って、読者は、次に続く文章を、酔っ払いの馬鹿な戯言として読まなければならない。

こんなに酔う前に、止すつもりだったんだ。
何故私が余りに酔ってしまうのを嫌うかというと、ほろ酔い加減位の時が、音楽を聴いて一番音楽を解った気になれるし、また、余り酔うと、私の悪い癖で、壊死気味の私の脳味噌の中の、或種のダークナラティブ細胞が活性化してしまうから。
私のダークナラティブは、一度活性化すると、私自身の人生を、まるで生きるに値しないかのように思わせる傾向がある。こればっかりは、私の一寸実存主義寄りの夢見がち人間信頼型希望哲学をもってしても、まるで歯が立たない。

お、一寸小便。
・・・さらさらさら・・・ドジャー・・・

はあ。

で、まあ、えっと、私には、自分で自分を殺す自殺願望などない。というのは、私にとって、私自身の自殺は何かしら無条件の完全な敗北を連想させるものであり、私自身の死に方として限定的に言うと、余りに格好付かないものである。何か、的を得て居るとは言えないところで気取って居る。従って、そんな選択肢は存在しない。御心配無く。
然し私には同一哲学弁証法止揚上等の、複雑怪奇二重思考が可能である。私は、一寸詭弁気味に言うなら、心がデイヴィドソンの言う括弧付きの「言語」や古来哲学者の神聖視した「理性」に完全に支配されているような、「全うな」人間ではない。フロイト的な、普通の人間です。
まあ死ぬことは恐怖であるに違いないのだが、同時に一方で、自殺他殺自然死不慮の事故云々に頓着無く、端的に、自分が消え失せること、つまり、現実的に言うと、死んでしまうこと、への希望じみた憧れみたいなのは、実は無いとは言えない。
こいつが厄介で、私のダークナラティブのダークネス増幅器、かつ絶望ダークナラティブを希望のようなものとして誤認識させる変換機の役割を担っている。

まあ、要するに、過去の自分の恥ずべき行いとか、私の想像力の無さに因って人に悪いことしたこととか、洪水のように思い出す訳で。私は、どうしても駄目な奴なんだが、どうって、別にそれで死んで詫びる訳でもなく、まあ八方塞、どう仕様もねえなあ、と。
そんなんで、居た堪れなくなって、懺悔のつもりか、中途半端に恥を晒してみたり。

嫌な酒は嫌よね。