2013/08/13

観能アマデウス

能を観る。
何本かの演目のうち、最初の方のものは素人目にも「ああ、よく練習してますね」という感じで各々が個別に役を一生懸命に熟しているのをボンヤリと眺めていたりしていたのだけど、後のものになるにつれて舞台が一つの形を成すようになっていった。
最後の一本は舞台の上は皆練れていて、ああこれが能か、これはこういうことだったのかと非常に楽しめた。
アレ多分、すっげー難しいことなんやぜ。
先に拙いものを観たことで、舞台として成り立つマジな能を演るということがどれ程のことなのか、少し理解が進んだ。
「拙いもの」っつったて、私が今からどこかに入門してそこそこ頑張ったって多分今日観た一番拙い部類の演者のレベルに達するだけで寿命の残りを全部使っちまうぜ?私結構器用なのに。
でもそれじゃ駄目なんだ。それでは能は成り立たず、つまらない。
型やら所作やら音やらが舞台の上で宛もそれ以外の可能性が存在しないかのように自然にそこに在ってそうなっていてそうでなくてはならないってとこに至るには、多分そこからすげー時間掛かるんだぜ。

「アマデウス」って私の大好きな映画があってね。モーツァルトの話なんだけど。その1シーン。
モーツァルトがオペラを作ってて、その中にバレエっぽい部分が含まれてたんだけど、当時オペラの中にバレエを入れたらあかんと皇帝が決めてた。
リハーサルのとき、モーツァルトのライバルのイタリア人作曲家達が見に来て「あー、ここバレエっぽくね?オペラの中にバレエ入れたらあかんねんでー、皇帝がゆっとったでー、どないすんの、あんたこれどないすんの」と囃す。
すると次のリハーサルでモーツァルトはバレエっぽいとこの音楽だけを全部無しにする。舞台では役者が音楽無しで踊ってる。
それを見たイタリア人作曲家達が「ちょ、おま、なにしてんの、バレエっぽくない感じにチョット変えたらいいだけですやん」と言うがモーツァルト曰く、「イヤ完璧なモンは変え様がないし」。

最後の能を観てこういうシーンを一寸思い出した。