2011/08/18

意味のハエ取り壷

最近めっきり頭が悪くなってしまったので、解らなくなった。
意味ってなんだっけ?
いや、この質問の仕方はハエ取り壺だ・・・。

ハイ以下私的言語メモ。

意味は、原理的には言葉で説明可能なものだと私は考えている。
んで、言語的に記述される意味以外にも、身体的振る舞いやら生き方やら芸術作品に因って何かが意味される、ということを私は認めている。
それらの「意味」が、原理的には言葉で説明可能だと考えている訳だ。

「儂の人生には意味があった!」
「ほう、どんな?」

時系列的には、意味は説明の前に来るように思える。
恐らくは、説明されることに因って、時間的に遡ってそれに意味が与えられるのではない。
恐らくは、説明が意味を生じさせるのではない。
誰かが「月が浮いている」と言えば、その状況で「月が浮いている」と言うことで意味するところのことを既に意味しているように思える。
他の誰かが「それはどういう意味ですか」と訊くまでもない。
然し訊かれれば、説明することができる。

勿論説明ってのは、還元的な仕方でなく、翻訳的に為される。
翻訳の不確定性込みの意味で「翻訳」的に。
あと人間の時間や能力の限界ってのもあるので、実際問題として常に正着な説明が可能とは限らないし、実際問題として少しもまともな説明が与えられないということもあるだろう。
序でに意味はテクストではないし、心的状態でもないし、「世界」とか「世界への対応関係」でもない。

で。
例えばここに芸術作品があるとしよう。
すげースーパー評論家が現れて、あれやこれやの仕方でそれを語れるだけ語り尽くしたとする。
ここで仙人か誰かが現れて、「お主ぁ、よく頑張ったが未だ語り切ってない部分がある。それは言葉では語り得ないものだ。そしてそこにも意味がある。」と言う。
この仙人はまともなことを言ってるのだろうか?
ここで「ほう、どんな?」と訊くのは皮肉でないのならばナンセンスな訳だ。

てかこの仙人は、どうしてそれが言葉で語り得ないと知っているのか。
「語り得ない意味」の可能性を認めるだけでなく、何が「語り得ない意味」を成すのかについて知っていなければならない。
然しどうやって・・・?

然しこの仙人の言う「語り得ない意味」に魅力を感じる人は多いと思うし、実際よく聞く話だ。
でもそれってなんなの?
「でもそれってなんなの?」と訊くことが、言語の仕組み上許されていないような領域が存在するという訳だ。
私が否定しようとしているのはこういう領域の存在だ。

完全に独自の仕方で成立しているような意味の領域があったとして、それを我々は「意味」と理解できるのか・・・。

勿論、或ことの意味を問うことが無粋であるということもあるだろう。
「語り得ない意味」について言及することは、実際にはその無粋をたしなめているに過ぎないのかも知れない。
「2+2=5」は暫く問わず。

で。
色々中略。

じゃあその「意味」ってなにさ。
なんかこう言うと、言葉とか芸術作品から独立した、何か「意味の領域」みたいな、一種のイデアの世界みたいなのが想定されているようで厭だ。
そうじゃないんだ・・・。
かといって、意味はテクストだとか作品そのものだとかと言うつもりもない。
うーん。
どう言うべきか・・・。
まだ仙人の言う「意味」の方が気は楽な気がする。

言葉とか芸術作品の意味を実際に私は説明できる。
それで暫くは良しとすべきなのか。
先ずは「意味ってなにさ」という質問自体をよく吟味せねばならぬ。

「意味」の意味こそ「語り得ない意味」なのだ、とすると、なんか思わせ振りな小説でも書くならそれでいいかも知れないけど、私にはそうもいかない・・・。


あと何故か腹が痛い。