2011/06/23

サリチル酸膏薬

魚の目ができても知らないうちに消えたりしてたのだが、最近できたものはなかなか根強いし、あとなんかデカくなってきているような気がしないでもない。
ということで、みんな大好きスピール膏。
風呂上りに貼る。
私が小さい時分、何度か使ったことがあったが、よく膏薬がズレてしまったものだ。
然し今日買ってきたのを貼ってみると、結構ズレずに済みそうに感じる。
少なくとも昔のよりズレ難そう。
粘着テープに進歩が見られる。
まあ日中は靴下を履くし昔みたいに走りまわったりはしないのでずれることはないと思うんだけど、寝てる時は裸足だし、最近暑くなってきて割と蒲団を足でモフモフするので、外れてしまうかも知れない。
まあ兎に角これで数日放置してみるか・・・。
楽しみだ。

序でにインドメタシン1%系の肩凝りに塗るヤツを買ってくる。
ええと・・・「ラクスキット」ってヤツ。
有効成分が同じでお値段半分でお馴染みのジェネリック。
私は常に背中全体が凝りまくっている。
今まで塗る系のは効いた例しが無いのだが、そういやインドメタシンは使ったこと無かったので、イッペン試してガッデムしてやろうかと。
でもやっぱ整体とか行ったほうがいいんだろうな・・・。
でも行きだすと金が掛かるし。

或程度の貧乏をやってても割と不自由無いのだが、こういうとき困る。
例えば一寸珍しい病気に罹っただけでイキナリ生活が成り立たなくなったりする訳だ。
私は道楽として生きているだけだしそこそこ健康で或程度選択的に貧乏やってるが、同じぐらいの生活を余儀なくされてたり私よりよっぽど貧乏な人とか、それでいて体弱い人とか既に病気に罹っていたり障害を持っていたりする人とか養うべき家族にそういう人がいる人とか・・・は幾らでもいる訳で。
自分が既に或程度健康で金もまああるので医療の自己負担額を上げたら自分で使える金が増えてこれぞ「自由」とか言ってる政治家や知識人どもを見ると怒りが込み上げてくる。
自由には色々ある。
以下色々大事なところを飛ばしながら言おう。
いつもこうだ!
まあ能力が無いのと面倒臭いのとさっさと寝たいのとで。

ミルトンフリードマン風の絶望的に片手落ちな自由もあれば(彼は負の所得税を自分の体系に組み込んでバランスを取ろうとしていただけまだ救いがある)チョムスキー風の闘争的な自由もあるし(だが或程度満ち足りている常人には少々疲れる印象を与えるであろう)、カント的自由やヘーゲル的自由、そのどれでもない自由だって幾つもある。
何か馬鹿な事を言う自由だとか何か善いことをする自由だとか。
自由落下に自由曲線。
それらは言葉の上では同じ「自由」だし、それらを「自由」という語を以て語ることは許されている。
一方で「自由」と呼ばれている或ことをそう呼ぶことに抵抗感や嫌悪感を示すこともまた可能だ。
然し我々が先ずすべきことは、少なくとも、どれが真の自由であるかを排他的定義的に決定すること(?)ではないだろう。
それこそ象牙の塔にでも籠って独りで勝手にやってて呉れ。
我々の住む社会の政治に関して、どれが採るに足る自由であるか、どれが目指すべき自由であるかについて考えたり議論したりして合意を形成していこうとする試みの方が、よっぽど価値がある。

私には、現在弱い立場にある人を更に追い込むことにつながるような自由が、我々の目指すべき自由だとは到底思えない。
それが「自由」なんだからしょうがないなんてことは、あり得ない。