2011/06/11

アリストテレス、エレファントマン

眠ス。
従って以下ねむメモ。
エミネムかねむメモかで言えばねむメモ。
半分寝ながら書いてるので色々おかしな感じになっている筈。

その1。
私がちゅるりと古代ギリシャにタイムスリップしたとしよう。
アリストテレスに会うんだが、パッと話した感じ、ヤツは奴隷制に対する支持とか奴隷に相応しい人間が存在するという考えとかを覆そうとしそうにない。
私は現代日本で一応は通用する範囲の倫理観を持っていて、反射的に(或は正当化抜きで)「奴隷制とかマジあり得ねえ」とうような反応をするだろう。
奴隷制に対して「奴隷制とかマジあり得ねえ」と反応することは、現代日本で生活する私(達)の生活様式に深く埋めこまれているように思える。
それは「奴隷制、Yes!」とか言う者を、端的に、我々はまともな神経を持った者として扱わないというぐらいに。
てかドン引きですわ、みたいな感じで。
さて。
私はアリストテレスの野郎の考えを覆したいのだが、どうしたもんだろう。
アリストテレスも20年ぐらいギリシャで暮らしてて、奴隷のいる生活が当たり前になっているし、奴隷無しでは生活が結構大きく崩れてしまう、というような生活を送ってきたのだ。
考えを覆すのは、不可能とは全く思わないが、骨が折れそうだ。
下らないセクハラオヤジにセクハラ行為が倫理的に間違いであることを理解させることより骨が折れそうだ。
私はここにきて「奴隷制とかマジあり得ねえ」を正当化しなければならない。
何故そうあるべきなのかを説明しなければならない。
而もアリストテレスが最終的にはコミットできるような仕方で。
さて、どういう作戦でいこうか・・・。

ねむメモその2。
エレファントマンが「I am a human being!」と言えば、現代人は笑って「そんなことは知っている」と言うだろう。
然しそれには二通りの仕方があり得る。
ひとつの仕方では、現代人は、これまで酷い扱いを受けてきたエレファントマンが本来は一人の人間として当然十分に尊重されて如かるべきだ、ということを言おうとしている。
この現代人の破顔することはエレファントマンに対する同意や承認を含んでおり、それ故エレファントマンを安心させる意図が含まれる。
もうひとつの仕方は、恐らくこっちの場合の方が多いんじゃないかと疑っているのだが、現代人は単にエレファントマンが生物学的に人類であるということを認めているに過ぎない。
これはこの現代人が「人間」という語に含まれる色々な含意に対して関心を持つことができないように自分自身を方向付けている、ということを暗に示している。
この現代人の笑顔には無自覚で根本的な嘲りが含まれている。