2011/06/07

ニュークレイックアシッド

読み方合ってんのか?


豚キムチに牛すじ煮込みを加える実験。
普通に不味いというデータを得ることに成功した。
まあ何でも入れるもんじゃないな。
ということで、今度はお好み焼きにでも入れてみよう。
懲りないのですか。
懲りないのです。


「一瞬雨が振るかも」な天気が続いて、恐ろしくて布団が干せない。
洗濯物程度なら干せるけど、布団はリスクがデカ過ぎる。


舌苔を除去するのになんか専用ツールがあるんだけど、歯ブラシじゃダメなのかね。
私は多分小学校の頃に歯ブラシで舌の上の歯垢みたいなのが取れることを発見して以来、歯ブラシを使っていたんだけど、ダメなのかね。

あと歯が生え替わるときに、抜けた歯の下から黄色がかった歯が生えてきて絶望的な気分になったことを思い出した。
歯は純白でなければならないという強迫観念っぽいものがあったっぽい。
乳歯も同じように真っ白でなかったのだが、生え変わればこのダセー色の乳歯に代わって美しい新品の白い歯が生えるもんだと思っていたのだ。
然し私のデオキシリボ核酸のヤツがオメーは白じゃねえってんだからしょうがない。


お馴染み私的言語。
例えば民主主義の基本的な部分、私が日本社会で生まれ育って基礎的な教育を受けた人なら受け入れているであろうと思っているような基本的な部分、或はアマルティアセンが古代インドや聖徳太子を例に挙げてそれが近代ヨーロッパに突如発生した特有の考え方ではなく、それ自身ヨーロッパ帝国主義の爪跡に過ぎないものではないということを示そうとしたことでお馴染みの基礎的な部分について、疑問の形をした否定を表明する人に対して、私は恐らく憮然とした態度を採るだろう。
或は愚かな軽口だと言って諌めるかも知れない。
面倒臭いので相手にしないかも知れない。
こういった態度は或は、例えば無神論を主張する人に対してヴァルハラでも父と子と精霊でも那賀須泥毘古でも何か神とか神話とかを信じている人から成る社会の住人が採る態度に似ているかも知れない。
然しこれらの態度が似ていることを理由にして民主主義と宗教を同一視したり民主主義を宗教の一つとするのは勿論馬鹿げた飛躍だ。
まあ確かに似た部分はあるけど同一視する程ではないし、同一視することで大した成果でも得られる訳じゃない。
何もかもが区別を失って「全は一、一は全」みたいな世界観でも目指してんじゃないのなら。
そうじゃなくてどこが似てるかとかさ・・・(ここで倫理学の話とか大事だけどメンドいところをすっ飛ばす)。
まあ色々あって。
民主主義を受け入れる(?)為に、疑うのがバカバカし過ぎて真面目に疑うことをしないような信念の上に更に特別な信念を乗っける必要があんのか無いのか。
或は或種の民主主義とか民主主義を成す一部分とかがその真面目に疑うのがバカバカしい信念のひとつであったなら、どういったものがそれにあたるのか。
これは多少は面白そうだ。