2009/07/08

「彼或は彼女」

三人称単数/複数の無性を意味する、或は性別を特定しない様な、新しい言葉が欲しい。
英語の「they」の日本語版プラスその単数形のようなものが。
毎度「彼或は彼女」とか「彼等或は彼女等」と書くのは面倒だし音韻的に美しくない。
三人称として長過ぎるし、場合によっては性別の概念が強調され過ぎて使い難い。
私はそれを嫌って大体「その人」とか「そういう人達」というふうに書いてお茶を濁すけれど、できれば一単語で済ませたい。

「彼」の古典的使用みたいなのができればいいのだけれど。
「彼」の字には、例えば「彼の」と書いて「かの」と読むときのように、男とも女ともつかない、或は人物とも生物とも無生物ともつかない使われ方がある。
「例の」とか「件の」みたいな感じの意味だ。
或は英語の「he」とは違い、日本語の「彼」には三人称単数男性を意味する場合と単なる三人称単数を意味する場合がある。
実際「彼」と書いて「或特定の女性」を指すことも日本語では、少々文体が古臭くはなるだろうが、まあ可能だ。
然し文脈によっては三人称単数男性なのか単なる三人称単数なのかどちらかハッキリしない場合もあるにはある。
或は「其」を使うという手もあるが、古臭い上にかなり仰々しい。
場合によっては不遜が過ぎるかも知れないし、二人称的な意味合いが暗示される場合があったりして使い難そう。

そこで、だ。
単なる三人称単数を「彼」にして、三人称単数女性を「彼女」、で、三人称単数男性を「彼男」(「かのだん」或は「かのお」?)にしたらどうだろう。
そう決めてしまって流行らせるんだ。
「彼或は彼女」を一語で表す新しい語を創って流行らせるより、三人称単数男性を今まで使っていたもののアナロジーから創ってしまった方が、変化がより少なくて済みそうな気がするので、受け入れられ易いような気がする。
因みに「彼男」の部分を、より変化を少なくする為に「彼氏」にするという手もあるが、それだとボーイフレンドを意味する印象が強過ぎるかも知れない。

普通は「彼」を使って、性別を強調する場合にのみ、後ろに「男」だの「女」だのを付けるのだ。
これが浸透して呉れると大分文章が書き易くなるのだけれど・・・。
こうすれば世の大体の男女だけでなく、男とも女とも決められたくないと思っている人やオルタナティブな性の在り方にコミットしている人にも受け入れ易いんじゃないかと思う。

こういうことは「he or she」という表現が輸入されたときにやるべきことだったんだろうけど。
生まれるのが遅過ぎてすいません。
「he or she」的表現は、不当に弱い女性の立場の改善を標榜するフェミニズム運動から出てきたという割には、やっぱ無駄に「男と女」という性の区別を強調し過ぎたと思うんだ。
もっと不条理に弱い立場ってのもあるだろう。
「he」或は「she」と言われることに満足を覚える人にはそれでいいのだけれど、一つには、「he」とも「she」とも言われたくないような人やどちらかであることに頓着したくないような人に、「he」なのか「she」なのか、どちらかでないと不可ないと、それが男だろうが女だろうがどっちでもいいようなときにさえも、無駄に強いるということも、まああるだろう。
私自身は、それまで「he」で済まされていたものが「he or she」になったところで女性の立場の改善になるかどうかは疑わしいと思うし、まあ上のようなこともあって、「he or she」ではなくて新しい三人称単数の無性形の単語を創ってそっちをプッシュすればよかったのにと思う。「Ms.」みたいな感じで。
今からじゃもう遅いかね。

男か女のどちらかでなければならないという話について言うと、まあ確かに、今の社会の在り方では、どっちかでなければ困る或はそれを困らなくする為には社会の在り方をかなり大幅に変更しなければならなくなるという場面もあるだろうけど、殆どの場面では、社会は、基本的にはどっちでもいい或はどらでもなくてもいいようになる方向へ進んだ方が好ましいと、私は思う。

男性であることの誇りとか女性であることの誇りのようなもの、或は男性らしさとか女性らしさのようなものは、私はあったっていいと思うけど、それは、それが性を異にする者を性が違うというだけで見下したり差別するようなことにならない限りにおいてであるし、或は「男性らしく」ない男性や「女性らしく」ない女性或は性別を固定しない在り方を「男性らしい」男性や「女性らしい」女性の在り方から見たときにそれらが不当に見下されたりしない限りにおいてである。

こういう「差別が無くなれば」的な理想は、実現しようとすると本当に難しいものなのだろう。
而も下手をすると自分自身が差別をする側に回っているかも知れないのだ。
こええ。
色々と不断の努力が求められる訳だ。
未だに労働における馬鹿げた性差別の無くならないのを見てもその難しさが解るかも知れない。
或はそれが性産業だというだけでそれが性差別の原因となっているとか或は酷い場合には穢らわしいなどと本気で考えている職業差別主義者の呆れる程大勢いるのを見てもいいし、精神科の病院が新しく建つ地域で起こる糞みたいに差別主義的な趣旨の吐き気のする住民運動を見てもいいだろう。
オウケイ、ここまで私は大丈夫だろうか。