簡単な論理問題も解らなくなっている。
if文の取り回しとか。
哲学系の本を読んで、少し前なら解ったようなことが解らなくって、悲しくなる。
脳が死につつある。
船が沈みつつあるとしよう。
三人の男が乗っている。
一人は体重120kgの巨漢、残りは二人とも60kg程度。
救命ボートの耐荷重はせいぜい130kg。
救命ボートに乗れば命は助かる公算が高いが、逆に乗らなければ溺れて死ぬのは目に見えている。
他に助けは無い。
奇跡に期待することは、「奇跡」という語の特性上、できない。
さて、誰が救命ボートに乗るべきか。
誰が死ぬべきか。
巨漢が死ぬべきだとする功利主義者が居たとしよう。
一人助かることより二人助かることの方が全体の利益(普通は「効用」と謂われる)の量が増えるから、という理由。
さてこの場合でも、この功利主義者は自分が成りたいような者に成ることに成功していると言えるだろうか。
例えば60kgの男の内一人は若かりし頃のジョージブッシュジュニアだったとしたら?
彼の利己主義と戦争狂の為に多くの人が死に、「全体の利益の量」は、「全体」を「アメリカ国民」に限った場合にも、かなり悪いスコアのように思えるのだが。
或はあのときアルゴアかケリーが勝っていれば、世界は更に悪くなっていたのかも知れないが。
因みに60kgのもう一人は太平洋戦争中、原爆によって非戦闘員の大量虐殺を行うことを決定したトルーマンの若かりし頃だ。
あれがルーズベルトならどうだっただろう?
巨漢の方は、毒にも薬にもならないフツーの人物だ。
然し彼だって或は英雄になるかも知れない。
或はヒトラーにでもしとくか。
ヒトラーは小柄だったそうなので、史実とは違うが・・・。
この功利主義者は何を予想できただろう。
或は何を予想することが功利主義に適っているのだろう。
もしかしたらブッシュはイラクやアフガニスタンがどこにあるかぐらい判る程度に真面目に勉強して正常な判断力を手に入れたかも知れないし、トルーマンはソ連の参戦を寧ろ歓迎したかも知れないし、ヒトラーは戦争を始めなかったかも知れない。
或はこんなことを考えるのは全く無駄だと、功利主義者は言うのだろうか。
最大限よく考えた上での判断ならす全てが許されるとでも言うのだろうか。
或はよく考えたけど間違っていたことがあとから判った場合、どうなるんだろうか。
或は根本的に、何が「全体」で何が「利益」で何が「利益を増やす/減らすもの」なのか等々について、彼らは何かを「発見」したとでも言うのだろうか・・・。
或は功利主義は、自分たちが助かることで巨漢を死なせてしまったことに負い目を感じている60kgの二人達が自らの精神の均衡を崩さないようにする為の危なっかしい支え言い訳以上のなにものかになり得るのだろうか。
或は功利主義は、少数の人による大多数の人の搾取に対する異議申し立ての、過度な一般化ではないのか?
まあそれはさておき。
功利主義者が実際何を言ってたのか、もう忘れてしまった。