2006/05/09

ストレッチマン、作法、討論

最近なんだか足の疲労がなかなか取れない。
今日は結構長時間歩いたのだが、途中何度も挫けそうになった。
私は普段、一日中でも歩いていられる程、歩くことに特化された身体構造を持っているのだけれど。
身体が遂に老朽化し始めたか?
助けてストレッチマン。
ということで、ストレッチに精を出す。


まあどうでもいい話だけど、私はテレビの討論番組で討論が為されているところを未だ嘗て見たことがない。
議論は論理的に為されるべきだ、とか、相手の意見をちゃんと聴いて理解した上で反論すべきだ、といった作法は、私は今まで議論をするときの重要な作法だと思っていたのだけれど、実は哲学の中だけでのみ通用する議論の作法だったのかも知れない、と最近は思うようになってきた。勿論皮肉を言ってるのだけれども。
私が政治家になれないのは、恐らく他者の主張を聞く耳を持っていることと、只デカい声出せばいいのではなくてできるだけ論理的に話を進めようとしてしまうことと、他者が主張しているときにそれを掻き消すように自分の主張を恥じ入って赤面せずに話し出すことができる程の厚顔無恥さや無神経さを生憎持ち合わせていないこと等々がネックになっているのであろう。