2006/05/05

ウィトゲンシュタイン派?

すっげー眠い。
眠すぎて前後不覚。
だからあんまり大したことが書けません。
まあいつも大したことは書いてないのだけれど。
いつもにも増して。

或問題について、その問題に答えを出すことが不可能であるということが判っているならば、その問題は無意味な問題である。
答えられない問題というのは、その問題設定が不適切なのである。
「答えられない問題だけど大事な問題、答えられない問題だけど考え続けなければならない問題」が存在しないのは、「無意味だけど有意味な問題」が存在しないのと同じである。
自称哲学者が「はい、その問題には答えは無いのです。でもその問題について考え続けるということ自体が大切なのです。」と言うその発言は、「無意味な問題について考え続けることが大切なのである」ということを意味していることに注意すること。
そして無意味な問題について考え続けることは決して哲学の営みには含まれ得ないということにも注意すること。
自称哲学者の自称哲学者たる所以、つまり自称哲学者がまともな哲学者たり得ない所以は、そういった無意味な問題について考え続けることが哲学の営みなんだと勘違いしているところである。
哲学に携る者の従事すべき仕事のひとつは、問題を適切に設定することである。

というような話をする。

あと人間本性の中に善も悪も含まれているということ、或は「善」も「悪」も人間に関わり得る概念であるということを受け入れるなら、性善説も性悪説も短絡的で稚拙で馬鹿馬鹿しいということが理解できるんじゃないかと思った。
もう一寸説明すべきだけれどもう眠すぎて限界です・・・。